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第4話:「戦場の舞、初陣」
しおりを挟む「用意はできたか?」
夜明け前、翁の問いかけに幽真は静かに頷いた。彼の手には天照ノ面が握られ、身には薄い鎧が装着されていた。一ヶ月の修行を経て、ついに「舞戦国」へと向かう日が来たのだ。
「この日のために鍛えてきた。恐れるな、自信を持て」
翁は幽真の肩に手を置いた。老人の手からは温かい力が伝わってくるようだった。
「師匠、本当にこれで戦えるのでしょうか…」
幽真の不安に、翁は優しく微笑んだ。
「お前は『花』を知った。それが何よりの武器だ。荒神宗継はわしの古くからの知人。彼の軍に加われば、舞の力をさらに高める機会も得られよう」
幽真は深呼吸し、覚悟を決めた。
「行きましょう」
二人は山を下り、一日かけて荒神家の陣地へと向かった。途中、椿の姿はなかった。最後に会ってから数日、彼女は訓練のために自分の城に戻ったという。
---
「これが荒神軍か…」
山を抜けた先に広がる光景に、幽真は息を呑んだ。数千の兵が整然と並び、数百の舞士がその指揮を執っていた。最前線には「雑兵」と呼ばれる一般兵士、その後ろに初級の舞士、そして中央と後方に上級舞士と大将格の武将たち。
「まるで能舞台の大規模版だ…」
幽真の呟きに、翁は頷いた。
「この世界の戦は、舞台の上の戦いだ。舞士が舞う力が、兵を操り、勝敗を決する」
陣地の中央、豪華な陣幕の前に、一人の威厳ある武将が立っていた。四十代半ばだろうか、鋭い眼光と整った顔立ちは、まさに大将としての風格を漂わせていた。
「荒神宗継だ」
翁の言葉に続いて、宗継が二人に気付き、目で招いた。
「久しいな、翁」
宗継の声は低く、力強かった。
「宗継殿、お元気そうで何より。この者を紹介しよう。白河幽真、わしの新しい弟子だ」
幽真は深々と頭を下げた。
「ほう、翁が弟子を取るとは珍しい。相当の才があるのだろう」
宗継は幽真を上から下まで見定めると、微かに頷いた。
「明日の戦、お前も参加せよ。腕前を見せてもらおう」
「お言葉ですが、彼はまだ修行を始めたばかりで—」
翁の言葉を宗継は手で遮った。
「心配はいらぬ。まずは雑兵として前線に立たせよう。そこで生き残れれば、次のステップだ」
幽真は緊張しつつも、固く頷いた。
「必ずや、お役に立ちます」
宗継はわずかに微笑み、部下に指示を出した。
「この者を明日の前線に配置せよ。相応の装備を与えるように」
敬礼した部下が幽真を連れていく。翁は心配そうな表情だったが、幽真に頷きかけた。
「恐れるな。お前なら大丈夫だ」
---
夜、陣営の端で一人、幽真は「花の型」を復習していた。周囲では他の兵士たちが酒を飲んだり、明日への不安を語り合ったりしていたが、彼は孤独に舞の型を確認していた。
「初めて見る型だな」
声をかけられて振り返ると、一人の若い武将が立っていた。荒神軍の中堅舞士らしい。
「私は現代…いえ、遠い国から来た者です」
幽真は咄嗟に言葉を選んだ。異世界から来たとは言えない。
「ほう、珍しい。俺は都留。明日は同じ隊だ。よろしく頼むぞ」
都留は右手を差し出した。幽真はそれを握り返した。
「敵は鬼門国だ。強敵揃いだが、特に気をつけるべきは『鬼武者・蓮丸』という舞士だ。『荒舞』という激しい舞を操る。出会ったら逃げろ」
「荒舞…?」
「ああ。こんな感じだ」
都留は簡単な型を見せた。それは幽真の知る能楽とは全く異なる、荒々しく力強い動きだった。
「あんな荒々しい舞でも力になるのですか?」
「もちろんだ。舞には様々な流派がある。お前の舞は…なんと言うか、繊細で美しいな。『幽玄』とでも言うべきか」
幽真は微笑んだ。
「ありがとう。明日、頑張ります」
「生きて帰ってこい。それだけだ」
都留は軽く肩を叩くと、仲間の元へ戻っていった。
幽真は天照ノ面を見つめた。翁の言葉が頭に浮かぶ。
「花とは見る人の心に咲く一瞬の輝き」
明日、その真価が問われる。
---
「敵影、前方に確認!」
夜が明けるか明けないかという時刻、荒神軍は動き始めた。幽真は前線の雑兵たちと共に、丘を登っていく。彼らは実際に戦う兵ではなく、舞士の力を敵に届ける「媒体」のような存在だった。
丘の向こう側に見えたのは、同じく整列する敵軍。鬼門国の旗印が風になびいていた。
「全軍、突撃!」
宗継の令に合わせて、雑兵たちが動き出す。幽真も流れに身を任せ、走り出した。
二つの軍が衝突する瞬間、戦場に異様な光景が広がった。舞士たちの舞う力が、青や赤の光となって兵士たちを包み込み、その動きを操っていたのだ。まるで糸操り人形のように、兵士たちは舞の力に導かれて戦っていた。
「凄い…」
幽真は息を呑んだ。兵士の一部は倒れ、一部は進んでいく。それは全て、背後で舞う舞士たちの力関係で決まっていた。
「お前、動け!」
隣の兵士の叫びで我に返った幽真だったが、その直後、彼の前に一人の巨漢が立ちはだかった。二メートルを優に超える体格、そして全身を覆う赤い鎧。その面には鬼の形相が彫られていた。
「鬼武者・蓮丸だ!」
周囲から悲鳴が上がる。蓮丸は「荒舞」を舞い始めた。その動きは荒々しく、力に満ちていた。蓮丸の周囲に赤い光が渦巻き、それが兵士たちを次々と打ち倒していく。
「逃げろ!」
都留の声が聞こえたが、幽真の足は動かなかった。彼は恐怖よりも、むしろ好奇心を感じていた。この「荒舞」とは何か。どうすれば対抗できるのか。
「お前、逃げないのか?」
蓮丸の声は意外にも冷静だった。幽真は天照ノ面を取り出した。
「私も舞士です」
「ほう、面白い。では舞ってみせよ」
幽真は面を付け、「幽玄の舞」を舞い始めた。それは現代の能楽そのもの。静かで繊細な動きだった。だが、蓮丸の「荒舞」に比べれば、力強さは足りない。
「そんな舞では弱すぎる!」
蓮丸の舞が激しさを増す。赤い光が幽真に迫り、彼の体を痛めつける。
「ぐっ…」
幽真は膝をつき、苦悶の表情を浮かべた。「幽玄の舞」では、「荒舞」の力に対抗できない。
だが、彼の心に閃きが走った。
「そうか…」
ゆっくりと立ち上がり、幽真は新たな舞を舞い始めた。それは「幽玄の舞」と「花の型」を融合させたもの。繊細さと力強さが同居する、新しい型だった。
「なに!?」
蓮丸が驚いた声を上げる。幽真の周囲に、淡いピンク色の光が現れ始めた。それは花びらのように舞い、次第に強くなっていく。
「この舞は…」
「幽玄の花舞」
幽真は自分でもその名を口にして初めて気づいた。彼は新しい舞を創り出していたのだ。「幽玄の花舞」は蓮丸の「荒舞」とは対照的だった。荒々しさではなく、静けさを武器とする。相手の動きを静寂で包み込み、その力を和らげる。
二人の舞が交錯する。赤と桃色の光が激しくぶつかり合い、周囲の兵士たちは呆然と見守るばかり。
「面白い…だがまだだ!」
蓮丸の「荒舞」が最高潮に達し、赤い波動が幽真を襲う。だが今度は彼の「幽玄の花舞」がそれを柔らかく受け止め、包み込み、静かに消していく。
「な、なんだ…」
蓮丸が驚きに目を見開く。
「花とは見る人の心に咲く…その心さえも包み込む」
幽真の言葉に、蓮丸の動きが一瞬止まった。その隙を突き、幽真の「幽玄の花舞」は最大限に力を発揮する。桃色の光が蓮丸を包み込み、その「荒舞」の力を打ち消していった。
「うおおおー!」
蓮丸が叫び声を上げ、膝をついた。彼の舞が途切れ、赤い光が消えていく。
「負けた…か」
蓮丸はそう呟くと、ゆっくりと立ち上がった。彼は面を取り、意外にも若い顔を見せた。二十代半ばだろうか。
「白い面の舞士よ、名を教えよ」
「白河幽真です」
「覚えておこう。次は負けん」
そう言って、蓮丸は部下に支えられながら退却していった。周囲から歓声が上がる。敵の中堅舞士を打ち破ったのだ。
「やったぞ、幽真!」
都留が駆け寄ってきた。その表情には驚きと喜びが混ざっていた。
「あの舞、何だ? 見たことがない!」
「幽玄の花舞…です」
幽真は弱々しく笑った。初めての実戦で新しい舞を編み出したことで、体力を大きく消耗していた。
---
「見事だった」
戦いの後、幽真は宗継の前に呼ばれた。翁も同席していた。
「蓮丸を打ち破るとは。新参者にしては驚くべき活躍だ」
宗継の言葉に、幽真は深く頭を下げた。
「皆様のお陰です」
「あの舞、『幽玄の花舞』と言ったな。美しくも力強い。我が軍には珍しい型だ」
宗継は満足げに頷いた。
「翁、この者は雑兵ではもったいない。明日からは中堅舞士として扱おう」
翁は静かに幽真を見つめていた。
「思った以上の才があるようだな。『花』を理解し、自分の舞に取り入れた。これからが楽しみだ」
幽真は感謝の意を表しつつも、疲労で立っているのがやっとだった。退出を許され、自分のテントに戻る途中、彼は一人の少女と目が合った。
「椿…さん?」
椿は馬に乗り、遠くからこちらを見ていた。幽真が気づくと、彼女は小さく頷いてから馬を走らせ、去っていった。
テントに戻った幽真は、疲れた体を横たえた。今日の戦いで、彼は多くのことを学んだ。「幽玄の花舞」という新しい舞の誕生。そして、この世界での戦いの本質。
「舞の力が実体化する…」
その言葉の意味を、彼は身をもって理解した。だがこれは始まりに過ぎない。蓮丸のような強敵はまだまだいる。そして、元の世界に戻る方法はまだ見つかっていない。
「明日からも、精進あるのみだ…」
そう呟いて、幽真は深い眠りに落ちた。夢の中で、彼は現代の能舞台と、この異世界の戦場が交錯する光景を見ていた。
(つづく)
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