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第7話「商人ギルドの壁、身分の束縛」
しおりを挟む「本日は商人ギルドへようこそ」
ライアンは広大な石造りの建物を見上げた。ラティアス商人ギルド本部。王都における商業活動の中心地であり、登録された商人のみが正規の商取引を行う権利を持つ場所だ。
「ギルド登録申請の手続きをお願いします」
受付の事務員、痩せた中年男性は、ライアンを上から下まで眺めた後、不快そうな表情を浮かべた。
「あなたはミラー商会のライアン殿ですね。噂は聞いております」
その声には明らかな侮蔑が含まれていた。ライアンは表情を変えず、冷静に対応した。
「ええ、そうです」
「申請書類をご記入ください」
事務員は羊皮紙の束を差し出した。ライアンは丁寧に記入していく。名前、出身地(東の大陸)、商会名、取引実績など。全て記入し終えて提出すると、事務員は書類に目を通し、にやりと笑った。
「申し訳ありませんが、あなたの場合、特別規則が適用されます」
「特別規則?」
「ええ。奴隷だった者や外国人が商人ギルドに登録する場合、5年の見習い期間と500ゴールドの保証金が必要です」
ライアンの目が鋭く光った。これは事前の調査では知らなかった情報だった。
「そのような規則があるとは聞いていません」
「最近改定されたばかりです」
事務員は偽りの同情を示した。
「大変残念ですが、規則は規則です。まずは見習い商人として登録し、5年後に正式会員への昇格試験を受ける権利が与えられます」
ライアンは冷静さを保ちながらも、頭の中で素早く状況を分析していた。
「見習い商人には、どのような制限がありますか?」
「大規模な取引は禁止されます。具体的には、一度の取引が100ゴールドを超えるものは不可。また、他のギルド会員の承認なしでは新たな商会員を雇えません」
*これは私の成長を意図的に妨げるためのものだ*
「そして保証金は?」
「500ゴールド。これは見習い期間中、ギルドが預かります。利息はつきません」
*金を凍結させるのが目的か*
「わかりました。検討させてください」
ライアンは丁寧に頭を下げ、一旦引き下がることにした。正面からの対決は避けるべきだと判断したのだ。しかしギルドを出る前に、彼は意図的に手袋を落とした。
「あ、すみません」
手袋を拾うためにカウンターの陰に身をかがめたライアンは、ちょうどそこで小声で話す二人の事務員の会話を聞くことができた。
「また一人、マーカス商務官の獲物だな」
「ああ、外国人枠の保証金はすべて彼のポケットに入るからな」
「ベリウス商務官が知ったら激怒するだろうな」
「彼らは犬猿の仲だからな。でも、この件はギルド長も黙認しているから問題ないさ」
ライアンは手袋を拾い、何も聞かなかったかのように立ち去った。しかし彼の頭の中には、すでに次の一手が浮かんでいた。
***
「マーカス商務官とベリウス商務官…」
商会に戻ったライアンは、すぐにガルドに調査を指示した。
「二人の関係と、それぞれの弱みを探れ」
「はい」
ガルドは頷いた。かつての山賊は今や情報収集の専門家に成長していた。ライアンの右腕として、彼は王都の様々な階層に情報網を築いていた。
「また、エドモンドには商人ギルドの内部事情について聞いてみよう」
ライアンは思考を整理しながら、机に向かった。直面した問題は単なる障害ではなく、むしろチャンスだと彼は考えていた。
*ギルド内の腐敗は、適切に利用すれば私の武器になる*
***
「マーカス商務官は元々貴族の出ですが、家が没落し、コネを頼りにギルド幹部になった人物です」
三日後、ガルドは詳細な報告をもたらした。
「彼は長年、外国人商人からの保証金を私的に流用していました。特に東方出身者に厳しい条件を課し、彼らが払う高額な保証金の一部を着服しています」
「証拠は?」
「彼の愛人が豪華な屋敷に住んでいます。商務官の給金では到底賄えない生活ぶりです」
ライアンは頷いた。
「一方、ベリウス商務官は?」
「真面目な人物との評判です。平民出身ながら実力で地位を築き、特に若手商人の育成に熱心だとか」
「そして二人は対立関係にある」
「はい、ギルド内の派閥争いの中心人物です。マーカスは旧貴族派、ベリウスは実力主義派のリーダーです」
ライアンは満足げに微笑んだ。
「完璧だ。これで交渉材料が揃った」
「どうするつもりですか?」
「ベリウス商務官との面会を設定してくれ。エドモンドの名前を使えば可能だろう」
ガルドは少し不安そうだった。
「ギルド幹部を敵に回すのは危険では?」
「敵にするつもりはない。むしろ、強力な同盟者にするんだ」
ライアンの目には自信に満ちた光があった。
「商人の世界では、時に情報が金より価値がある」
***
「ライアン殿、どのようなご用件で?」
ベリウス商務官は50代半ばの堂々とした男性だった。質素だが手入れの行き届いた服装から、彼の几帳面な性格が窺えた。彼のオフィスは機能的で、無駄な装飾はなかった。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
ライアンは丁寧に頭を下げた。
「エドモンド・ラグナー殿から聞きました。君は有望な若手商人だという」
「過分なお言葉です」
「しかし、ギルド登録に問題があると?」
「はい。私の外国人と元奴隷という身分が障害となっています」
ベリウスは眉をひそめた。
「確かにギルドには外国人に関する規則があるが…5年の見習い期間と聞いたが、それは通常より厳しすぎる」
ライアンはここぞとばかりに切り出した。
「実は、その件でご相談があります。規則の例外適用をお願いできないかと」
「例外?」
「はい。私の商才を直接評価していただき、見習い期間なしでの正式登録を検討していただけないかと」
ベリウスは驚いた様子だった。
「それは前例のないことだ。何故そのような例外を認めるべきなのか?」
ライアンは静かに微笑んだ。
「私が持つ情報のために」
「情報?」
「マーカス商務官の不正取引に関する証拠です」
部屋に緊張が走った。ベリウスの顔から血の気が引いた。
「なんと言った?」
「外国人商人からの保証金流用。偽の規則を適用し、徴収した金の大半を私的に着服している証拠があります」
ベリウスは立ち上がった。
「そのような会話は危険だ。証拠もなく他の商務官を中傷するのは…」
「証拠はあります」
ライアンは冷静に切り返した。
「マーカス商務官の愛人、エリザベス・フォンテーヌ。彼女の屋敷はギルド金庫からの資金で建てられました。支払い記録と、銀行からの送金記録が一致しません」
ベリウスは再び椅子に座り、深く息を吐いた。
「なぜ、その情報を私に?」
「あなたがギルド内で最も清廉潔白な人物だと聞いたからです」
ライアンは丁寧に答えた。
「私はギルドを腐敗させたいのではなく、公正な商人として認められたいのです」
ベリウスは長い間黙っていたが、やがて決意を固めたように言った。
「証拠を見せてもらおう」
ライアンは準備していた書類の束を差し出した。銀行の送金記録、保証金の受領書の写し、そして外国人商人たちの証言を集めた文書。
「これらは、どのように入手した?」
「商人にとって情報こそが最大の武器です。良い情報網を持つことが、時に資本以上の価値を生みます」
ベリウスは書類を丁寧に読み進めた。彼の表情が徐々に厳しさを増していく。
「この証拠は…確かに深刻だ」
彼はライアンを見上げた。
「君は何を望む?」
「先ほど申し上げた通り、見習い期間なしでのギルド正式登録です」
ベリウスは考え込んだ。
「保証金は?」
「標準的な金額を支払います。ただし、それが適切に管理されることを条件に」
二人は長い間見つめ合ったが、やがてベリウスが頷いた。
「わかった。この情報の価値は確かに大きい」
彼は羽ペンを取り、書類に署名し始めた。
「商人ギルド特別審査委員会の権限により、ライアン・ミラーの商人ギルド正式会員登録を承認する。保証金は標準額の200ゴールドとし、適切に管理されることを保証する」
ライアンは満足げに微笑んだ。
「ありがとうございます、ベリウス商務官」
「感謝するのはまだ早い」
ベリウスは厳しい表情で言った。
「マーカスは強力な敵だ。彼に対する調査が始まれば、君も標的になるだろう」
「それは覚悟の上です」
「そして、この取引は二度と口外してはならない」
「もちろんです」
ライアンは立ち上がり、深々と頭を下げた。
「最後に一つ、質問してもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「なぜこの取引に応じたのですか?単にマーカスへの敵意だけではないと思いますが」
ベリウスは静かに笑った。
「鋭いな。君の目が気に入ったのだ」
「私の目?」
「そう。君の目には純粋な商人の光がある。出自や過去ではなく、取引と利益のみを見る目だ」
彼は立ち上がり、窓から外を眺めた。
「ギルドは変わるべき時だ。古い因習に縛られず、真の商才を評価する組織になるべきだ」
ライアンは感謝の意を示し、オフィスを後にした。
***
「成功しました」
商会に戻ったライアンは、ガルドに報告した。
「ベリウス商務官の署名入り登録証です」
ガルドは驚きの表情で証書を見た。
「どのように説得したのですか?」
「お互いの利益が一致しただけだ」
ライアンは微笑んだ。
「彼はギルド改革を望み、私は登録を望んだ。マーカスの不正という情報は、その橋渡しになっただけだ」
「しかし、マーカス商務官は今後、敵になりますね」
「ああ。だが、それも計算済みだ」
ライアンは窓から王都の景色を眺めた。
「商人の世界は、常に味方と敵が入れ替わる。重要なのは、常に自分の価値を高め続けることだ」
彼は深く息を吐いた。
「さて、いよいよ正式な商人として、本格的な商売を始める時だ」
***
「おめでとう、ライアン」
エドモンドはグラスを掲げた。彼の邸宅での祝宴に、ライアンとガルドが招かれていた。
「ギルド登録の承認、そして新商会の設立」
「あなたのおかげです」
ライアンは謙虚に答えた。
「いや、すべて君自身の手腕だ。私は少し背中を押しただけさ」
エドモンドはにっこりと笑った。
「姪のエレナはどうだ?少しは役に立っているか?」
「ええ、彼女は非常に賢く、学びが早い。特に帳簿管理の才能があります」
「そうか、それは良かった」
エドモンドの横には、エレナの父親でエドモンドの義弟、カール・フォン・ライヒターが座っていた。彼は貴族の出で、堅苦しい表情の男性だった。
「ライアン殿、娘をよろしく頼む」
彼は形式的に言った。その態度からは、商人を下に見る貴族特有の傲慢さが感じられた。
「もちろんです」
ライアンは丁寧に応じた。表面上は従順だが、内心では冷静に状況を分析していた。
*エレナの父は娘が商人のもとで働くことに不満そうだ。彼女を送り込んだのは完全にエドモンドの意向か*
「カール、娘は商人の道を学ぶことで、将来の可能性を広げているのだ」
エドモンドは義弟をなだめるように言った。
「貴族の娘が商売を学ぶなど…」
カールは不満げに言ったが、それ以上は口にしなかった。彼がエドモンドに財政的に依存していることは明らかだった。
「時代は変わっている、カール。商業の力が貴族の力を超える日も近い」
エドモンドの言葉にライアンは強く共感した。まさに彼の目指す世界だった。
「さて、ライアン。新商会の構想を聞かせてくれ」
話題を変えるエドモンドに応じ、ライアンは新しい商会の計画を説明し始めた。北部街区に購入した新しい建物、拡大する取引範囲、そして投資組合の発展計画。
「驚くべき構想だ」
エドモンドは感嘆の声を上げた。
「君はただの商人ではない。まるで…商業帝国を築こうとしているようだ」
ライアンは微笑んだ。
「それが私の目標です」
その夜、宴の終わりに、エドモンドはライアンを書斎に招いた。
「君には大きな未来がある」
彼は真剣な表情で言った。
「しかし、上に行けば行くほど、敵も増える。マーカス商務官の件は聞いた。彼は君を潰そうとするだろう」
「覚悟はできています」
「良い。だが一人で戦う必要はない」
エドモンドはデスクから書類を取り出した。
「これは王都商業連合の招待状だ。私の推薦で、君も参加資格を得た」
ライアンは驚いた。王都商業連合は、最も影響力のある商人たちの非公式組織だった。
「これは…大変な名誉です」
「次回の会合は来月。そこで君を正式に紹介しよう」
ライアンは深く頭を下げた。
「この恩は必ず返します」
「恩などではない。単なる投資だ」
エドモンドは親しげに笑った。
「君という才能に投資することは、私の最良の判断だ」
***
商会に戻る道中、ライアンの頭の中は次々と計画が浮かんでは消えていた。
「王都商業連合…」
ガルドが感嘆の声を上げた。
「あの組織に入れば、さらに大きな取引にアクセスできます」
「ああ。そして、より高い位置から市場を動かす力も得られる」
ライアンは夜空を見上げた。
「身分の束縛から解放され、新たな段階に入る。奴隷から見習い商人を飛ばして正式商人へ、そして次は…」
彼の目には野心の炎が燃えていた。
「王都一の商人へ。そしていずれは…」
言葉は途切れたが、彼の頭の中には明確なビジョンがあった。単なる商人ではなく、経済そのものを支配する存在になるという野望が。
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