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第17話「戦争への投資、商機の嗅覚」
しおりを挟む薄暗い明け方、王都の北門を出るライアンとガルドの姿があった。彼らは簡素な旅装束に身を包み、馬に乗って北部へと向かっていた。マックスウェル伯爵との会談から3日後のことである。
「本当に前線まで行くのですか?」
ガルドが不安げに尋ねた。北部国境での小競り合いは、次第に本格的な軍事衝突へと発展しつつあるという噂が広がっていた。
「もちろんだ。投資を決める前に、自分の目で確かめるのは商人の基本だろう」
ライアンは冷静に答えた。彼の目には、いつもの鋭い光が宿っていた。
「伯爵から許可は得ているのか?」
「ああ。北部防衛軍の『特別経済顧問』という立場で、視察する許可を得ている」
ガルドは驚いた顔で振り返った。
「特別経済顧問?いつの間に?」
「先日の会談の結果だ。伯爵は思った以上に切迫した状況にある。私の戦時国債の提案に強い関心を示した」
ライアンは遠くを見つめながら続けた。
「現在の北部防衛軍は資金不足で装備も不十分だという。王室からの支援は遅れがちで、伯爵は私財を投じて部隊を維持しているほどだ」
「それは大変ですね…」
「大変なのは伯爵だけではない。この紛争が泥沼化すれば、王国全体に影響が及ぶ」
ライアンの口元に微かな笑みが浮かんだ。
「しかし、危機は同時に機会でもある。北部の状況を正確に把握し、最適な投資戦略を立てるんだ」
***
三日間の旅を経て、彼らは北部防衛軍の本部が置かれたヘルム要塞に到着した。城壁の上では兵士たちが警戒に当たり、門前には負傷兵を乗せた馬車が並んでいた。戦いの緊張感が空気を満たしていた。
要塞の中心部にある執務室で、マックスウェル伯爵がライアンを迎えた。伯爵の顔には疲労の色が濃く、目の下には暗い影が落ちていた。
「よく来てくれた、ライアン殿。遠路はさぞ大変だったろう」
「お招きいただきありがとうございます、伯爵」
ライアンは丁重に頭を下げた。
「早速だが、北部の状況を説明しよう」
伯爵は大きな地図を広げた。
「我々の領土とアグラリア王国の境界は、このヘルム山脈に沿って走っている。問題になっているのは、この一帯だ」
彼が指し示したのは、山脈の中腹にある小さな渓谷だった。
「表向きは国境線の解釈の違いによる領有権争いだが、実際はこの渓谷の地下に眠る『魔鉱石』の利権を巡る争いだ」
「魔鉱石?」
「ああ。特殊な魔力を帯びた鉱石で、強力な魔法武器の素材になる。普通の鋼鉄の10倍の価値がある希少な資源だ」
ライアンの目が鋭く光った。
「なるほど。それは確かに争う価値がありますね」
「アグラリア王国は最近、傭兵部隊を雇い入れて圧力を強めている。我々も応戦しているが、物資と資金の不足が深刻だ」
伯爵は苦々しい表情で続けた。
「王都からの補給は遅れがちで、届いた物資も必要なものとは限らない。兵士たちの装備や食料にも事欠く状況だ」
ライアンは静かに尋ねた。
「現場を見せていただけますか?」
「危険だが…いいだろう。明日、前線に近い監視所まで案内させよう」
***
翌朝、ライアンとガルドは護衛の兵士たちと共に前線へと向かった。険しい山道を進むにつれ、周囲の緊張感が高まっていく。
監視所は小高い丘の上に設けられた簡素な塔だった。ライアンは塔の上から渓谷を見下ろした。対岸には明らかにアグラリア軍と思われる部隊が陣取っており、時折槍や剣が太陽の光を反射して輝いていた。
「向こうの部隊は?」
案内役の若い士官が説明した。
「アグラリア王国の正規軍と、最近雇われた『黒鷲傭兵団』です。彼らは戦闘経験が豊富で、特に魔導兵器の扱いに長けているとされています」
ライアンは双眼鏡を通して敵陣を観察した。確かに整然とした陣形で、装備も充実している様子だった。
「我々の部隊は?」
「あそこに見える塹壕と、三つの前哨地点に展開しています。約800名の兵力です」
ライアンは周囲を見回した。サーディス側の兵士たちは勇敢に任務を遂行しているように見えたが、装備の質や配置には明らかな問題があった。
「補給の状況は?」
「厳しいです。特に魔導弾薬と治療薬が不足しています。また、食料も十分ではなく…」
「毎日の補給経路は?」
若い士官は地図を示して説明した。物資は王都から複数の中継地点を経て運ばれるが、経路が複雑で効率が悪いことが明らかだった。
ライアンは視察を続け、兵士たちの宿営地、食料貯蔵庫、武器庫など、あらゆる施設を回った。彼は鋭い目で状況を観察し、時折メモを取りながら質問を重ねた。
夕方、彼らは再び要塞に戻った。ライアンの表情は厳しく、しかし目には確信の光が宿っていた。
***
マックスウェル伯爵の執務室で、ライアンは自分の観察結果を報告した。
「伯爵、率直に申し上げます。現在の兵站システムには深刻な非効率があります」
伯爵は眉をひそめたが、反論はしなかった。
「例えば、補給経路が複雑すぎます。王都からの物資が前線に届くまでに5つの中継点を経由し、それぞれで在庫管理や積み替えが行われています。これにより時間とコストが無駄に増大しています」
ライアンは自分が描いた図を示した。
「また、物資の調達も問題です。複数の業者から個別に発注しているため、価格交渉力が弱く、全体の調整も困難になっています」
伯爵は深く頷いた。
「その通りだ。だが、これは軍の伝統的なやり方でもある。変えるのは容易ではない」
「変革には抵抗がつきものです。しかし、このままでは戦況の悪化は避けられないでしょう」
ライアンは一呼吸置いてから、机の上に新たな図面を広げた。
「私が提案するのは『軍需調達の一元化と効率化』です」
彼は明確かつ論理的に説明していった。
「まず、王都に『北部防衛軍調達本部』を設置し、すべての物資調達を一元管理します。これにより大量発注による価格交渉力が生まれ、コストを20%以上削減できるでしょう」
「次に、補給経路を簡素化します。中継点を2つに減らし、専用の輸送隊を編成。物資の流れを常時監視するシステムを導入します」
「さらに、前線での物資配分にも優先順位システムを導入。本当に必要な場所に、必要な物資が迅速に届く仕組みを作ります」
伯爵は次第に興味を示してきた。
「それは実現可能なのか?」
「はい。私の商会と王都商業連合のネットワークを活用すれば、1週間以内に新システムを稼働させることができます」
ライアンは最後のカードを切った。
「さらに重要なのは、これが戦時国債と連動するということです。調達システムの効率化により、同じ資金でより多くの戦力を生み出せます。『より少ない費用でより強力な防衛力を』」
伯爵の目が輝いた。
「具体的な数字は?」
「現在の予算で、戦力を約40%増強できると試算しています。特に魔鉱石を活用した新型魔導武器の量産が可能になります」
長い沈黙の後、伯爵は決断を下した。
「やろう。君の提案を採用する」
彼は立ち上がり、ライアンの肩に手を置いた。
「正直に言おう。私の家の財政は逼迫している。この戦いのために私財を投じ続け、もはや限界だ。君の計画が成功すれば、北部の防衛だけでなく、私の家も救われる」
ライアンは静かに頷いた。
「必ずや期待に応えます。ただし、一つ条件があります」
「何だ?」
「魔鉱石の採掘権の一部を、戦時国債の担保として組み込みたい。これにより投資家の信頼を高め、より多くの資金を調達できます」
伯爵は一瞬躊躇したが、すぐに同意した。
「わかった。王室との調整は私が行う」
二人は固く握手を交わした。それは単なる商取引を超えた、運命的な同盟の始まりだった。
***
北部から戻ったライアンは、すぐに行動に移った。まず、エドモンドとロイドを含む小さな会合を開き、北部の状況と自分の計画を詳細に説明した。
「つまり、我々が目指すのは単なる物資供給ではなく、戦争経済システムの根本的な改革だ」
エドモンドが心配げに言った。
「野心的な計画だな。王室や保守派の反発も予想される」
「だからこそ、戦時国債というカードが重要になる」
ライアンは冷静に答えた。
「王国財政を救いながら、我々の影響力を拡大する。誰も文句は言えない」
ロイドが鋭い質問を投げかけた。
「君は本当に北部の紛争を終わらせたいのか?それとも…」
ライアンは直接的な返答を避けた。
「私が目指すのは効率です。無駄な血が流れる戦争は非効率的。しかし、適切に管理された紛争は、時に必要な変革の触媒になることもある」
彼の言葉は謎めいていたが、二人の目には理解の色が浮かんだ。
「投資家を集めよう」
エドモンドが言った。
「だが、戦争への投資という概念は新しい。慎重に進める必要がある」
「その通りです」
ライアンは微笑んだ。
「だからこそ、まずは『北部開発投資ファンド』という名目で始めましょう。戦争ではなく、魔鉱石の開発と北部経済の活性化が表向きの目的です」
***
3日後、ライアン商会の大広間には20名ほどの選ばれた投資家たちが集まっていた。彼らは王都の有力商人や、一部の貴族階級の人々だった。
ライアンは簡素ながら説得力のあるプレゼンテーションを行った。北部の魔鉱石の価値、その開発の可能性、そして戦後の経済発展について語った。特に強調したのは、王室からの正式な認可と、マックスウェル伯爵の全面的支持だった。
「皆様にお願いしたいのは、初期投資として各1万ゴールド。合計20万ゴールドの資金です」
金額を聞いて、何人かがざわめいた。それは決して小さな額ではなかった。
「リターンはどうなる?」
ある商人が尋ねた。
「通常の利率に加え、魔鉱石採掘権の一部を共有財産として設定します。最低でも2年以内に投資額の30%の利益を保証します」
「30%?それは高すぎないか?」
「いいえ。魔鉱石の価値を考えれば、むしろ控えめな数字です」
ライアンは自信を持って答えた。
「さらに重要なのは、このファンドが単なる投資機会ではなく、王国の未来を左右する事業だということです。皆様は利益を得るだけでなく、サーディス王国の繁栄に貢献することになります」
彼の言葉には不思議な説得力があった。冷静な分析と熱意ある展望が、慎重な投資家たちの心を動かしていく。
「早期参加者には特別な権利も用意しています。今後展開する戦時国債への優先参加権、そして…」
ライアンは声を低くして付け加えた。
「将来設立予定の『王国中央銀行』の発起人としての地位です」
この言葉に、部屋の空気が一変した。中央銀行の概念はこの世界では画期的なもので、その創設に関わることは計り知れない特権を意味していた。
議論と質問が続いた後、ついに投資の決断の時が来た。
「参加を希望される方は、契約書にご署名ください」
一人、また一人と、投資家たちが前に進み出て署名していった。最終的に、予想を上回る25名が参加を表明し、総額25万ゴールドの資金が集まった。
会合が終わり、投資家たちが帰った後、ライアンは窓際に立ち、夕暮れの王都を見下ろしていた。背後でガルドが話しかけた。
「見事でした。あれだけの資金を集めるなんて」
「これは始まりに過ぎない」
ライアンは静かに答えた。
「戦争は金を食うが、それを効率的に供給する者には莫大な利益と力をもたらす」
彼の目には冷徹な計算と野心の炎が混ざり合っていた。
「北部の紛争はチャンスだ。単なる利益だけでなく、王国の経済システムそのものを変革する機会なんだ」
「具体的には?」
「まず『軍需調達公社』を設立し、北部防衛軍の物資調達を一元化する。次に戦時国債の発行へと進み、王室財政に深く関与していく。そして最終的には…」
ライアンは言葉を切った。その先にある計画は、まだ口にするには早すぎた。
「とにかく、明日から準備を始めよう。北部への最初の物資輸送は一週間以内に出発させる」
彼は決意に満ちた表情で続けた。
「戦争という混乱の中で、真の力を握るのは剣を持つ者ではなく、金の流れを操る者だ。我々はその流れの中心に立つ」
***
翌日から、ライアン商会は急速に拡大し始めた。「北部開発プロジェクト」という名目で大量の物資が調達され、効率的な輸送システムが構築されていった。
王都の東地区に新たな倉庫を借り上げ、「軍需調達本部」の機能を持たせた。そこでは24時間体制で物資の集積と管理が行われ、最新の在庫管理システムが導入された。商品の価格交渉から品質管理まで、すべてが一元的に行われるようになった。
また、エドモンドの支援を受け、王国内の主要な武器製造業者との独占契約を次々と結んでいった。特に魔鉱石を活用した新型武器の開発には多額の投資を行い、マックスウェル伯爵の部隊に優先的に供給することを約束した。
北部への最初の大規模輸送隊が出発する日、ライアンは自ら見送りに立った。50台の馬車と200人の護衛からなる一団は、王都の市民たちの注目を集めていた。
「北部防衛のための物資だ」
その噂が広まるにつれ、多くの人々が沿道に集まり、輸送隊に声援を送った。ライアンは市民たちの様子を冷静に観察していた。
「民衆の支持は重要な資産だ」
彼はソフィアに言った。
「次のステップのために、彼らの信頼が必要になる」
「次のステップとは?」
「戦時国債だ。民間からより多くの資金を集めるには、庶民の参加が不可欠だ」
ライアンの計算は正確だった。北部への物資輸送は大きな話題となり、彼の名前は「北部の兵士たちを支援する商人」として知られるようになった。
マックスウェル伯爵からも感謝の手紙が届いた。最初の物資到着により、部隊の士気は大幅に向上し、アグラリア軍との小競り合いでも優位に立てるようになったという。
「ライアン様の支援のおかげで、我々は初めて希望を持てるようになりました。魔鉱石の利権を守り抜く決意です」
ライアンはその手紙を読みながら、静かに微笑んだ。
「順調だ。あとは王室の承認を得て、戦時国債の発行に進もう」
彼の心の中では、既に次の計画が形作られていた。北部の紛争は彼の野望のための単なる足がかりに過ぎなかった。真の目標は、サーディス王国の経済システムそのものを掌握することだった。
「戦争は金を食う獣だ。そして私は、その獣に餌を与える者となる」
王宮を見つめるライアンの目は、かつてないほど冷徹に、そして野心に満ちていた。戦争という混沌の中で、彼の経済帝国は着実に形を成しつつあった。
(第17話 完)
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