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第25話「敵将との密談、和平への布石」
しおりを挟む北部戦線の膠着状態は、開戦から5ヶ月を過ぎても打開の兆しを見せなかった。サーディス軍は高性能な魔導武器により優位に立ちながらも、アグラリア軍の数的優勢によって決定的な勝利を得られずにいた。一方のアグラリア軍も、深刻なインフレと補給難により進撃を続けられず、にらみ合いが続いていた。
王宮の作戦会議では、将軍たちが行き詰まりを打開するための提案を続けていた。
「さらなる増援を北部に送り、一気に決着をつけるべきです」
「いや、守勢に徹し、敵の消耗を待つ方が賢明だ」
「新型魔導砲の開発を急ぐべきだ」
様々な意見が飛び交う中、国王テラモン3世の表情は暗く沈んでいた。戦争の長期化は国庫を圧迫し、すでに一部の地域では税金の取り立てに対する不満も出始めていた。
「ライアン殿、君の見解は?」
王太子エドワードが静かに尋ねた。会議室の注目がライアンに集まる。
「私は…異なるアプローチを提案したいと思います」
ライアンはゆっくりと立ち上がった。彼の表情は冷静そのものだった。
「直接的な軍事的勝利ではなく、経済的かつ外交的な解決策を模索するべきです」
「それは具体的には?」
国王が関心を示した。
「アグラリア軍の指揮官、ラインハルト将軍と直接接触し、和平交渉の糸口を探りたいと思います」
会議室が騒然となった。
「敵将と交渉だと?冗談ではない!」
「それは裏切りに等しい」
「我が軍の士気に関わる」
ライアンは動じることなく、静かに説明を続けた。
「アグラリア王国の経済は崩壊の危機に瀕しています。我々の経済戦が予想以上の効果を上げているのです。この機に、両国にとって利益となる和平案を提示すれば、彼らも耳を傾けるでしょう」
マックスウェル伯爵が冷静に問いかけた。
「ラインハルト将軍とどうやって接触するつもりだ?」
「先週捕えたアグラリア軍の大佐、フォン・クライスト。彼はラインハルト将軍の参謀を務めていた人物です。彼を通じて接触を試みます」
王太子が不安げに言った。
「危険すぎる。敵地に赴くということか?」
「いいえ、中立地帯での会談を提案します。リスクは承知していますが、それに見合う価値はあると信じています」
長い議論の末、国王は重い決断を下した。
「許可する。しかし、これは極秘作戦とし、王室の公式な関与は一切認めない。万が一の場合、君個人の判断による行動とみなす」
ライアンは深く頭を下げた。
「理解しております。責任は全て私が負います」
***
その夜、ライアンは捕虜収容所を訪れ、フォン・クライスト大佐との面会を果たした。
檻の中の男は、かつては威厳に満ちていたであろう軍人だった。今は痩せこけ、疲れた表情を浮かべているが、その目には未だ誇りの光が宿っていた。
「サーディスの経済顧問とやらが、どうして私に会いに来た?」
大佐は冷ややかな口調で尋ねた。
「フォン・クライスト大佐、あなたの将軍に伝言を託したい」
ライアンは穏やかだが自信に満ちた声で語りかけた。
「伝言?」
「ラインハルト将軍に、両国にとって有益な和平案を示したいと伝えてほしい」
大佐は嘲笑した。
「我らが将軍は、サーディスの卑怯な罠に引っかかるほど愚かではない」
「罠ではありません」
ライアンは冷静に説明した。
「現在のアグラリア王国の経済状況をご存じでしょう?インフレ率は200%を超え、食料価格は10倍に高騰。兵士の給料の実質価値は5分の1に落ち込んでいます」
大佐の表情が微かに変わった。
「そんなことは…」
「事実です。そして、これはまだ始まりに過ぎません。このまま戦争が続けば、3ヶ月後にはアグラリア王国の経済システムは完全に崩壊するでしょう」
ライアンはポケットから小さな紙を取り出した。
「これは、両国にとって利益となる和平案の概要です。特に、北部の魔鉱石鉱山の共同開発と利益分配に関する提案です」
大佐は紙を受け取り、慎重に読み始めた。その目が次第に驚きと関心で広がっていく。
「これが…本気の提案なのか?」
「ええ。両国が戦争を終結させ、共に発展する道筋です」
フォン・クライスト大佐は長い間黙り込み、深く考え込んだ。やがて彼は決意を固めたように頷いた。
「メッセージを伝えよう。しかし、約束はできない」
「それで十分です」
ライアンは微笑んだ。最初の一歩が踏み出されたのだ。
***
二週間後、北部国境から10キロほど離れた中立地帯に位置する古い修道院。戦争の影響から逃れるため、修道士たちはすでに避難していた。
その廃墟となった礼拝堂で、ライアンは静かに待っていた。彼の傍らには、信頼するガルドだけが控えていた。
「本当に来るとお思いですか?」
ガルドが緊張した面持ちで尋ねた。
「さあ…賭けだよ」
ライアンは冷静に答えたが、その目には計算の色が宿っていた。
突然、礼拝堂の扉が開き、二人の人物が入ってきた。先頭は50代と思われる堂々とした体格の男性。鋭い眼光と厳格な顔立ちが、その人物が誰であるかを物語っていた。アグラリア軍の司令官、ラインハルト・フォン・ヘルツェン将軍だった。
「サーディスの経済顧問か」
将軍の声は低く、威厳に満ちていた。
「お会いできて光栄です、将軍」
ライアンは丁重に挨拶した。
「光栄?敵国の将軍と会って光栄とは、皮肉な言い方だな」
「敵同士だからこそ、直接対話の価値があると思います」
二人は祭壇の前に置かれた粗末なテーブルを挟んで向かい合った。
「クライストから聞いた話が本当なら、お前は驚くべき提案を持ってきたそうだな」
「はい。両国にとって最も利益をもたらす和平案です」
ライアンは用意した資料を広げ始めた。それは経済データ、地図、契約草案など、綿密に準備された内容だった。
「まず、この戦争の経済的損失について確認しましょう」
彼は冷静に数字を示していく。
「両国合わせて、すでに2000万ゴールド相当の損害が発生しています。軍事費、破壊された施設の再建費、死傷者の補償…そして何より、経済活動の停滞による機会損失です」
ラインハルト将軍は無言で資料を見つめていた。
「このまま戦争が半年続けば、損失は5000万ゴールドに達すると予測されます。これは両国の年間予算の合計に匹敵する金額です」
将軍は眉をひそめたが、反論はしなかった。
「対して、私が提案する和平案は、5年以内に3000万ゴールドの共同利益を生み出します」
ライアンは魔鉱石鉱山の地図を広げた。
「争点となっている北部鉱山地帯を共同開発区域に指定し、両国が共同で採掘・精製を行います。利益は55対45でサーディス側が若干多く取りますが、採掘権自体は等分です」
「なぜサーディスが多いのだ?」
「精製技術と設備投資の差です。ただし、5年後には50対50になる段階的調整条項も含まれています」
さらに、ライアンは戦後の特恵貿易協定案や、両国間の関税撤廃、技術交流などの提案を次々と展開していった。それはどれも詳細なデータと予測に基づいた説得力のある内容だった。
「正直に言おう」
説明を終えたライアンに、将軍は厳しい目を向けた。
「なぜサーディスがこのような提案をするのか、真の意図が見えない」
「単純です。戦争は経済発展の最大の障害だからです」
ライアンは率直に答えた。
「血で血を洗う戦いは、誰にも真の利益をもたらしません。共に繁栄する道こそ、理性的な選択です」
将軍は長い間黙り込んだ。やがて彼は静かに言った。
「お前の言うことは、理論上は正しい。だが、政治と軍事には理論だけでは動かない現実がある」
「その通りです」
ライアンは同意した。
「だからこそ、この提案には両国の政治的現実も考慮しています。どちらの側も『敗北した』と見られることなく、むしろ『賢明な交渉で最大の利益を得た』と主張できる内容になっています」
彼はさらに続けた。
「将軍、あなたはアグラリア国内の状況をご存知でしょう。経済崩壊は目前です。国民の不満は高まり、一部の都市では暴動も発生しています」
ラインハルト将軍の表情が暗くなった。それは事実を認める無言の肯定だった。
「この和平提案は、あなたが祖国を救う英雄となる機会でもあります」
将軍はライアンをじっと見つめた。その目には複雑な感情が交錯していた。
「一度持ち帰って検討する」
彼は最終的に言った。
「しかし、約束はできない。我が国の国益を最優先に判断することを理解してほしい」
「もちろんです。それが将軍としての責務ですから」
会談は2時間ほどで終了した。別れ際、ラインハルト将軍は意外な言葉を残した。
「お前は興味深い男だ。商人でありながら、国家の命運を左右するような立場にいる」
「私はただ、最も効率的な解決策を求めているだけです」
「その『効率』が誰のためのものか、よく考えることだ」
将軍の言葉には警告と尊敬が入り混じっていた。
***
一週間後、再び同じ修道院で二度目の秘密会談が行われた。今回、ラインハルト将軍は自国の経済顧問を同行させていた。
「提案を検討した結果、いくつかの修正点を示したい」
将軍は前回よりも積極的な姿勢で臨んでいた。彼はアグラリア側の対案を提示した。魔鉱石の利益分配率や国境線の微調整など、いくつかの変更点が提案されていた。
「これらの条件が受け入れられれば、和平交渉の正式な開始を我が国に進言する用意がある」
これは大きな進展だった。ライアンは冷静に対案を分析し、ほとんどの点で合意できると判断した。
「概ね受け入れ可能です。詳細はさらに専門家を交えた協議で詰めていくことになるでしょう」
会談の終盤、両者は和平に向けたロードマップを描き始めていた。それは単なる停戦ではなく、両国の経済的な結びつきを強化し、将来的な紛争を防ぐための包括的な計画だった。
「私の提案がここまで真剣に検討されるとは、正直驚いています」
ライアンが率直に述べると、ラインハルト将軍は皮肉めいた微笑を浮かべた。
「我々も愚かではない。敵国の罠かと警戒したが、お前の提案は両国にとって合理的だ。それに…」
彼は声を低くした。
「我が国の経済状況は、お前の分析通りだった。これ以上戦争を続ければ、内部崩壊は避けられない」
「賢明な判断です」
「しかし」
将軍は警告するように言った。
「すべての者が我々のように合理的思考を持つわけではない。両国とも、戦争継続を望む勢力は強いぞ」
「承知しています」
ライアンは頷いた。
「特に、武器製造業者や軍需産業に関わる商人たちは、平和より戦争を望んでいる」
「皮肉なものだな。お前のような商人が平和を求め、将軍である私が交渉のテーブルにつく」
「利益の形は人それぞれです」
ライアンは静かに答えた。
「私にとっての最大の利益は、安定した経済環境の構築です。戦争は短期的には特需をもたらしますが、長期的には必ず破壊をもたらします」
会談は成功裏に終わり、三度目の会合が一週間後に予定された。二人は堅い握手を交わし、別れた。
***
サーディス王都では、ライアンの秘密会談の噂が少しずつ広まり始めていた。情報経済局の活動もあり、完全な秘密を保つことは難しかったのだ。
「ライアン殿が敵将と密会しているという噂は本当なのか?」
王宮の廊下で、セバスチャン財務大臣がエドモンドに詰め寄っていた。
「そのような話は聞いておりません」
エドモンドは平静を装ったが、その態度が却って疑念を深めることになった。
特に、武器商人組合のオルソンを中心とする軍需産業関係者たちは、戦争の早期終結を恐れていた。
「このまま平和になれば、我々の商売は大打撃だ」
オルソンが仲間内で嘆いた。
「それに、あの奴隷上がりの商人が王国の命運を左右するなど、許されざることだ」
彼らは密かに会合を重ね、ライアンへの対抗策を練り始めていた。
一方、王宮内でも意見は分かれていた。王太子エドワードは和平への道を支持していたが、一部の保守派貴族たちは「敵との密約は裏切りに等しい」と非難の声を上げていた。
そんな中、三度目の秘密会談の前夜、ライアンはエドモンドと対策を協議していた。
「状況は複雑になってきています」
エドモンドが心配そうに言った。
「オルソンたちは王国内で『ライアンは裏切り者』という噂を広めています。ドラクロワ公爵も彼らに加担し始めました」
「予想通りだ」
ライアンは冷静に答えた。
「戦争利権を手放したくない彼らの反応は計算済みだった」
「しかし、彼らの影響力は侮れません。特に軍部内に多くの協力者がいます」
「だからこそ、次の会談で決定的な進展を得なければならない」
ライアンは立ち上がり、窓辺に立った。
「ラインハルト将軍との合意が形になれば、国王も公式な和平交渉の開始を宣言せざるを得なくなる。そうなれば、彼らも表立った反対はできなくなるだろう」
エドモンドは懸念を示した。
「しかし、それまでの間に彼らが何らかの妨害工作を…」
「その可能性も考慮している」
ライアンは静かに言った。
「だからこそ、明日の会談は完全な秘密のうちに行わなければならない。経路も変更し、護衛も強化する」
彼の目には決意の色が宿っていた。
「この戦争を終わらせ、次の段階へ進むのだ」
***
翌日、ライアンは予定通り中立地帯への出発準備を整えていた。今回は経路を変え、少数精鋭の護衛と共に移動する計画だった。
しかし、出発直前にガルドが緊急の報告を持ってきた。
「重大な情報です!オルソンたちが、ラインハルト将軍との会談場所を特定したようです。彼らは武装した傭兵を雇い、会談を妨害する計画を立てています」
「証拠は?」
「情報経済局のエージェントが、オルソンの側近の会話を盗み聞きました。『明日の裏切り者との会談を潰せ』という指示があったとのことです」
ライアンは一瞬考え込んだ後、冷静に指示を出した。
「計画を変更する。まず、偽の情報を流せ。本来の会談場所とは別の場所に『ライアンが向かう』という情報をリークするのだ」
「囮ですね」
「そう。そして本当の会談は…」
彼は地図を指さした。
「予定より2時間早く、この場所で行う。ラインハルト将軍にも緊急の伝言を送れ」
ガルドはすぐに行動に移った。ライアンの臨機応変な判断と情報網の力が、危機を回避する鍵となった。
しかし、この騒動は彼にとって重要な教訓となった。彼の経済的成功が生み出した戦争利権との対立は、想像以上に深刻になりつつあったのだ。平和への道を模索するライアンだが、皮肉にも彼自身が作り上げた経済システムの一部が、今や彼の足を引っ張ろうとしていた。
「興味深い矛盾だな」
ライアンは静かに呟いた。
「戦争を終わらせるために、まず戦争で利益を得る者たちと戦わなければならないとは」
彼の目には、冷徹な決意の色が宿っていた。この新たな挑戦も、彼の計画の一部に組み込まれていくのだろう。
(第25話 完)
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