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第30話「商帝の誕生、次なる野望」
しおりを挟む朝日に輝く王宮の尖塔が、サーディス王国の新時代の幕開けを告げるかのように眩しく光り輝いていた。テラモン3世の健康悪化から続いていた王位継承問題は、ついにエドワード王太子の即位で決着したのだ。
戴冠式当日、王都ラティアスは祝賀ムードに包まれていた。街路には赤と金の旗が翻り、市民たちは晴れやかな表情で通りに溢れていた。中央大通りには各国の使節団が威厳ある行進を続け、王宮へと向かっていく。
王宮の大広間は、かつてない華やかさで彩られていた。サーディスの貴族たちは最高の衣装に身を包み、外国の使節団は自国の威信を示す豪奢な装いで集まっていた。アグラリア王国の代表団、ミドル王国の使節、そして遠く東方からの訪問者まで、大陸各地の権力者が一堂に会したのだ。
広間の一角、特別席に座るライアンの姿があった。中央銀行総裁、戦時経済顧問、王国統合経済評議会事務局長—彼は様々な肩書きを持っていたが、今日はそれらをすべて超える新たな地位に就くことになっていた。
「本日の式典では、エドワード1世の戴冠に続き、特別叙任式が行われます」
王室儀典長が説明した。
「新国王陛下のご意向により、ライアン・ミラー殿が『王国財政・経済総顧問』に任命され、さらに特別な称号を授与されるとのことです」
この知らせに、貴族たちの間でざわめきが広がった。商人が高位の役職に就くこと自体が異例だったが、称号の授与となれば前代未聞だった。
「聞いたか?あの元奴隷に称号を与えるという」
「前例がない。商人でありながら貴族と同等の地位だとか」
「エドワード陛下は大胆な改革者になるつもりなのか」
様々な声が飛び交う中、儀式の時が近づいていた。
***
荘厳な音楽が鳴り響く中、エドワード王太子—間もなく国王となる人物—が大広間に入場した。30代半ばの彼は、威厳ある姿勢と知性を感じさせる鋭い目を持ち、王の風格を十分に備えていた。
古来の儀式に則り、大司教がエドワードの頭に王冠を載せ、聖油を注いだ。神聖な儀式の終わりに、彼はついにサーディス王国の新たな支配者、エドワード1世として宣言された。
大広間に拍手が沸き起こる中、新国王は玉座に着いた。しかし儀式はまだ終わらなかった。
「次に、特別叙任式を行います」
儀典長が厳かに告げた。
「ライアン・ミラー殿、前へお進みください」
静寂が広間を支配する中、ライアンはゆっくりと玉座の前に進み出た。彼の姿は端正で、緊張感と威厳を備えていた。かつて奴隷だった男の中に、今や類稀なる力と自信が宿っていることを、その場の誰もが感じ取ることができた。
「ライアン・ミラー」
新国王エドワード1世が力強い声で語りかけた。
「あなたは戦時下において我が王国の経済を支え、平和をもたらす交渉にも貢献した。アグラリアとの和平、東方貿易の確立、中央銀行の創設—これらすべてはあなたの卓越した才能と献身の賜物である」
国王は立ち上がり、象牙の杖を手に取った。
「ここに我は、あなたを王国財政・経済総顧問に任命する。この地位はあなたのために新設されたものであり、王に直接助言する権限を持つ」
広間のあちこちから驚きの声が漏れた。それは実質的に宰相に匹敵する権限だった。
「さらに」
国王はライアンに近づき、声を少し落として続けた。
「商業の道で王国に偉大な貢献をしたことを称え、ここに『商業伯』の称号を授与する」
これは文字通り歴史的瞬間だった。サーディス王国の歴史で初めて、貴族の血筋ではない商人に伯爵の称号が与えられたのだ。それは単なる名誉称号ではなく、実質的な権限と特権を伴うものだった。
ライアンは深く頭を下げ、厳かに宣誓した。
「陛下のご信任に深く感謝いたします。私の全ての才能と力を王国の繁栄のために捧げることをここに誓います」
国王がライアンの肩に杖を置き、正式に称号を授与した瞬間、広間に大きな拍手が沸き起こった。それは賛同の意を示す者、新しい時代の到来を感じる者、そして単に流れに逆らわない者—様々な思いが入り混じった音だった。
***
戴冠式に続く晩餐会は、王宮の大広間で盛大に催された。新国王を中心に、貴族たちや外国使節団が華やかに集い、祝宴を楽しんでいた。
「商業伯」という称号を授けられたライアンは、高位貴族の席に案内された。彼の左右には侯爵や伯爵たちが座り、戸惑いと好奇心の入り混じった視線を向けていた。
「商業伯殿、このたびの叙任、おめでとうございます」
隣席の老伯爵が声をかけた。その言葉には表面的な敬意と、かすかな皮肉が混在していた。
「ありがとうございます、ベルモント伯爵」
ライアンは穏やかに応じた。
「前例のないことで、戸惑われる方も多いでしょうが、これも時代の変化なのかもしれません」
「確かに時代は変わった」
伯爵は杯を傾けながら言った。
「かつては家柄と名誉が全てだったが、今や…才能とやらが評価される時代になったようだ」
「家柄も名誉も重要です」
ライアンは巧みに応じた。
「しかし、王国が発展するためには、あらゆる才能を活用することも必要なのではないでしょうか」
その言葉に老伯爵は感心したように頷いた。
「うまく言った。若いが賢明だ」
晩餐会が進むにつれ、多くの貴族や使節たちがライアンに挨拶に訪れた。表向きは祝福の言葉だったが、その裏には彼との関係構築を図る思惑が隠されていた。「商業伯」という前例のない地位を得たライアンは、今や王国で最も注目される人物の一人となっていたのだ。
特に興味深かったのは、アグラリア王国の使節団長との会話だった。
「ミラー伯爵、改めて和平条約での貢献に感謝します」
使節団長は丁重に頭を下げた。
「両国にとって有益な条約となりました」
「ええ、相互繁栄が最も重要ですから」
ライアンは微笑んだ。もちろん、和平条約が実質的にアグラリアをサーディスの経済圏に組み込む罠であることを、彼は知っているはずもなかった。
晩餐会の終盤、新国王エドワード1世がライアンに近づいてきた。
「ミラー伯爵、少し言葉を」
国王に導かれ、ライアンは人目を避けた小部屋に入った。そこには弟のレイモンド王子も待っていた。
「今夜の叙任については、色々な反対があった」
国王は率直に語った。
「特に保守派貴族たちからの反発は強かった。しかし、私は王国の未来のためには必要な決断だと信じている」
「陛下のご英断に感謝します」
「これは私だけの決断ではない」
国王は弟を見た。
「レイモンドも強く推薦していた。彼は経済面での顧問として君を高く評価している」
「兄上の戴冠を機に、王国は新時代に入る」
レイモンド王子が静かに言った。
「その新時代には、あなたのような才能が不可欠なのです」
「お二人の期待に応えられるよう努めます」
ライアンは深く頭を下げた。表面上は謙虚な姿勢を崩さなかったが、内心では大きな満足感を抱いていた。彼の計画は着実に実を結びつつあったのだ。
王族との私的会話の後、ライアンは再び晩餐会に戻った。遠くからドラクロワ公爵が冷たい視線を送っているのを感じたが、彼はそれを無視し、優雅に振る舞い続けた。かつての敵対者も、今や彼の権力の前には無力だった。
***
戴冠式の祝祭が終わり、夜も更けた頃、ライアンは自らの邸宅に戻った。王都の丘の上に建つその邸宅は、かつて高級貴族が所有していたものを買い取り、改装したものだった。大理石の柱と美しい庭園を持つその建物は、彼の成功を物語っていた。
邸宅の大広間には、ライアンの最も信頼する側近たちが集められていた。エドモンド、ガルド、ソフィア、エレナ—彼の経済帝国を支える重要な柱たちだ。
「皆を呼んだのは、今日の祝いを共にするためだ」
ライアンは落ち着いた声で言った。
「あなた方なしには、今日の成功はなかった」
使用人たちが高級ワインを注ぎ、全員が杯を掲げた。
「商業伯閣下の栄誉を祝して」
エドモンドが感慨深げに言った。
「いや、正式な称号は『商業伯ライアン・ミラー』だ」
ガルドが笑いながら訂正した。
「どうしても慣れないな。あの奴隷市場であなたを最初に見たときは、まさかこんな日が来るとは思いもしなかった」
エドモンドの言葉に、部屋の空気が一瞬引き締まった。それは彼らの旅の出発点を思い出させるものだった。
「奴隷から伯爵へ…まさに伝説ですね」
エレナが優雅に杯を傾けた。
「私が知る限り、サーディス王国の歴史でも前例がありません」
「いえ、大陸全体でも例がないでしょう」
ソフィアが補足した。彼女は今や王国財務省の高官でもあった。
杯を重ねるうちに、彼らの会話はより親密なものになっていった。思い出話や笑い話が交わされ、長い道のりを共に歩んできた仲間としての絆が感じられた。
しばらくして、エドモンドが静かに尋ねた。
「さて、ライアン。率直に聞かせてほしい。これほどまでの成功を収めて、もう満足だろう?」
部屋が静まり返った。全員がライアンの答えを待っていた。
ライアンはゆっくりと立ち上がり、窓際に歩み寄った。王都の夜景が彼の背後に広がっている。
「満足?」
彼は冷たい笑みを浮かべて振り返った。
「いや、これはほんの始まりに過ぎない」
彼は書棚から大きな巻物を取り出し、テーブルの上に広げた。それは大陸全土の詳細な地図だった。
「王国一国の経済を掌握することは、単なる通過点に過ぎない。私が目指すのは、これだ」
彼は大陸全体を指で円を描くように示した。
「大陸全体の経済統合だ」
側近たちは半ば驚き、半ば畏敬の念を持って地図を見つめた。
「具体的にはどのような…?」
ソフィアが恐る恐る尋ねた。
「三つの柱がある」
ライアンは冷静に説明を始めた。
「まず『統一通貨の創設』。サーディスとアグラリアの通貨統合から始め、徐々に他国を取り込んでいく。和平条約の通貨安定化条項は、その第一歩だ」
彼は地図上のある点を指した。
「次に『大陸横断鉄道の建設』。サーディスからアグラリア、ミドル王国を経て東方まで繋がる交通網。これにより物流を革命的に変える」
「鉄道?」
ガルドが驚いた声を上げた。
「この大陸で鉄道は試験的にしか…」
「私が前世で知っていた技術を応用する。魔鉱石の力を利用して、蒸気機関よりも効率的な動力系統を開発できる」
ライアンの目には確信に満ちた光があった。彼は地図の別の部分を指し示した。
「そして最後に『大陸経済同盟』の創設。複数国家を束ねる経済連合体だ。関税撤廃、自由な人と物の移動、共通の経済政策…」
「それは実質的な国家連合ではないですか?」
エレナが鋭く指摘した。
「そうだ」
ライアンは認めた。
「政治的には各国が独立を保ちながらも、経済的には一つの巨大市場を形成する。そして、その中心にサーディス—いや、我々がいるのだ」
計画の壮大さに、部屋は静まり返った。それは単なる商売人の野望を超え、世界の構造そのものを変えようとする構想だった。
「これが実現すれば…」
エドモンドが言いかけると、ライアンは静かに言葉を継いだ。
「王や皇帝よりも強大な力を手にすることになる。彼らは国を治めるが、我々は国家の枠を超えた経済圏を支配する」
「恐るべき野望だ…」
ガルドが呟いた。その声には恐れと敬意が入り混じっていた。
「しかし、それを実現する手段は?」
「すでに始まっている」
ライアンは自信に満ちた表情で答えた。
「中央銀行、戦後復興基金、東方貿易の確立…これらはすべて大きな計画の一部だ。そして今日の叙任で、さらに強力な基盤を得た」
彼は再び窓の外を見つめた。
「商人の力で世界を変える。それが私の目標だ」
彼の言葉には絶対的な確信があった。かつて奴隷市場で売られていた男の中に、今や世界を変える野望が燃えていたのだ。
「乾杯しよう」
エドモンドが杯を掲げた。
「商帝の誕生に」
全員が「商帝」の名の下に杯を交わした。それは冗談めかした響きを持つ言葉だったが、同時に彼らの心の中には、その言葉が現実になるという確信があった。
窓の外では、新国王の即位を祝う花火が夜空を彩っていた。しかし、ライアンの目はすでにもっと遠くを見つめていた。
奴隷から商人への成り上がり—それが第一幕だった。
王国経済の支配—それが第二幕だった。
そして今、大陸経済の統合という第三幕が始まろうとしていた。
彼の瞳の奥に燃える野心の炎は、どこまでも広がり続けるのだろうか。
(第2巻 完)
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