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第4話「集う村人たち」
しおりを挟む朝靄の中、窓の外から異様な物音で真一は目を覚ました。カーテンを開けると、霧の向こうから赤い光が漏れ見えた。辺りはまだ薄暗いというのに、村全体が活気づいている。
「今日は月例祭か…」
昨夜の出来事を思い出し、真一は急いで身支度を整えた。床に残された小さな赤い手形はいつの間にか消えていたが、昨夜見た光景は幻ではなかったはずだ。
外に出ると、村は明らかに普段と違う雰囲気だった。どの家の軒先にも赤い提灯が下がり、その光が朝霧に揺れている。村人たちは正装し、手に小さな赤い札を持ち、無言で神社へと向かっていた。
「おはよう」と声をかけても、村人たちの反応は鈍い。皆、何か重大なことに意識を集中させているようだった。
真一は河合の言葉を思い出し、神社へ向かうことにした。道すがら目についたのは、家々の窓に貼られた赤い紙。よく見ると、「祓」と書かれている。除災の意味だろうか。
神社の境内に足を踏み入れると、真一は息をのんだ。村の住民が全員、本殿の前に集まっていたのだ。老若男女、およそ百人ほどが、ぴったりと整列して立っている。皆、祭礼用の着物か紋付袴姿で、手には赤い札を持っていた。
真一が人々の輪に加わろうとすると、昨日会った宮司の河合が近づいてきた。
「来てくれましたね、高槻さん」
河合は真一を本殿の脇へと案内した。そこからは儀式の様子が一望できる。
「この祭りは何のためのものなんですか?」と真一は尋ねた。
河合は静かに答えた。「『紅い御子様』への感謝と、村の平安を祈るためです」
「紅い御子様って、一体…」
真一の言葉を遮るように、本殿から太鼓の音が響き渡った。儀式の始まりを告げる音だ。
河合は真一に向かって、「静かに見ていてください」と言い残し、本殿の階段を上っていった。
真一は村人たちを改めて見渡した。その時、不思議なことに気づいた。どの家族にも子どもが一人もいないのだ。老夫婦、若い夫婦、中年の男女はいても、子どもの姿がない。
「子どもは一人もいないのか…」
そこへ、河合の声が本殿から響いた。
「村人の皆さん、今日も『紅い御子様』の恵みのもと、この霧間村に平和が訪れています」
村人たちは一斉に頭を下げた。
「そして今日は、『月の献上』の日。今月の『選ばれし者』を決める時がきました」
河合の言葉に、村人たちの間にざわめきが広がった。期待と恐怖が入り混じったような不思議な雰囲気だ。
「選ばれし者?」真一は思わず呟いた。
河合は本殿の奥から、赤い布で覆われた箱を持ち出してきた。
「村の安寧と繁栄のため、紅い御子様にお仕えする名誉ある役目を担う方を選びます」
河合が箱を開けると、中には小さな木片がたくさん入っていた。くじ引きらしい。
「年頭に定めた通り、今月は18歳から30歳までの未婚女性の中から選ばれます」
十数名の若い女性たちが前に出て、列を作った。彼女たちの表情には不安と緊張が表れていた。それでも皆、背筋を伸ばして立っている。
一人ずつ、順番にくじを引いていく。引き終わった女性たちは、くじを開いて確認し、ほとんどの者はほっとした表情を浮かべた。
最後に一人、長い黒髪を背中まで垂らした女性がくじを開いた時、その顔から血の気が引いた。
「選ばれたのは、宮本美咲さんです」と河合が告げると、村人たちから一斉に拍手が起こった。
美咲は震える手で顔を覆い、一瞬崩れそうになったが、すぐに姿勢を正した。
「光栄です」
か細い声で告げる美咲を、村人たちは無表情のまま拍手で迎えた。
これを見た真一は言いようのない違和感を覚えた。美咲の恐怖と、村人たちの冷静さのギャップ。まるで何かの生贄を選んでいるかのようだ。
「宮本美咲さん、あなたは明日から三日間、『紅き御子の社』に籠もり、神事をつとめます」
河合はそう告げ、美咲に小さな赤い袋を手渡した。
「この『紅い袋』に必要なものをすべて入れてお越しください。明日の日没までに」
美咲は震える手でそれを受け取った。
儀式はその後も続き、村人たちは河合の先導で祝詞を唱え、赤い札を本殿の賽銭箱に納めた。最後に全員で「紅い御子様、我らに恵みを」と三度唱和して、月例祭は終了した。
儀式が終わり、村人たちは三々五々、家路に着いた。真一は美咲を見失わないように目で追った。彼女は両親らしき老夫婦と共に、境内を出ようとしていた。
真一は急いで彼女に近づいた。
「あの、宮本さん」
美咲は振り返り、真一を見て驚いた表情を浮かべた。
「あなたは…高槻さんのお孫さん?」
「はい、高槻真一です。少し話せますか?」
美咲の両親は怪訝な顔をしたが、「先に帰るよ」と言って立ち去った。
二人きりになり、真一は率直に尋ねた。
「さっきの儀式、美咲さんは選ばれたくなかったんじゃないですか?」
美咲は周囲を警戒するように見回し、小声で答えた。
「そんなこと、言っちゃダメ。村の掟なの」
「でも、怖がっていましたよね?どうして?」
美咲はしばらく黙っていたが、やがて決意したように口を開いた。
「私、明日からあの神社の奥に3日間籠もることになったの」
「あの立入禁止の社ですか?」
美咲は頷いた。「『紅き御子の社』。村では『紅い部屋』とも呼ばれているわ」
真一の胸が高鳴った。ようやく「紅い部屋」の正体が見えてきた。
「そこで何をするんですか?」
「それは…誰にも言えない」美咲は顔を曇らせた。「でも、選ばれた人は皆、変わってしまうの。帰ってきても以前と同じじゃなくなる」
「変わるって、どう変わるんですか?」
美咲は答えようとしたが、突然表情を固くした。村の長老・鷹野が近づいてきたのだ。
「宮本さん、おめでとう。選ばれたのだから、しっかり務めなさい」
鷹野は意味ありげに真一を見て、「高槻くんに変なことを吹き込まないように」と警告し、立ち去った。
「ごめんなさい、もう行かなきゃ」美咲は慌てて言った。「両親との時間を大切にしたいの」
そう言い残して、美咲は小走りに去っていった。
真一は複雑な思いを抱えながら、祖母の家に戻った。昼過ぎから村は通常の生活に戻ったように見えたが、どこか影があった。特に美咲の両親の家の前には、村人たちが次々と訪れ、何かを差し入れていく。まるで不幸があった家を見舞うかのように。
夕方になり、再び村は静まり返った。真一は祖母の家の二階から、美咲の家を観察することにした。日が暮れてしばらくすると、美咲の家から光が漏れ、影が動いているのが見えた。
真一は家を出て、美咲の家に近づいた。窓の外から覗くと、室内では厳粛な雰囲気の中、儀式のようなものが行われていた。美咲は赤い着物を着せられ、両親が彼女の前で祈りを捧げている。美咲の顔は青ざめ、震えていた。
「何が起きるんだ…」
その後、美咲は両親に深々と頭を下げ、赤い袋を手に家を出た。真一は物陰に隠れながら、彼女の後を追った。
美咲は誰とも会わないように、村の裏道を通って神社へと向かった。境内に入ると、河合が待ち構えていた。彼は美咲を見るなり、「準備は整いましたか」と尋ねた。
美咲は小さく頷き、「はい、すべて袋に入れました」と答えた。
河合は満足そうに笑み、禁断の社—「紅き御子の社」の扉を開けた。中からは赤い光が漏れ出し、美咲の顔を赤く照らした。
「さあ、お入りなさい」
美咲は恐怖に震えながらも、覚悟を決めたように一歩を踏み出した。社の中に消える直前、彼女は振り返り、まるで最後の別れのように月を見上げた。
扉が閉まり、河合は南京錠をかけた。その音が、夜の静けさの中で不気味に響いた。
河合が去った後、真一は社に近づこうとした。しかし、途中で足を止めた。社の周りに、赤い服を着た子どもたちの幻影が立っていたのだ。彼らは手をつないで社を取り囲み、あの不気味な童謡を歌っていた。
「紅い紅い 紅いお部屋 誰が入るの 私が入るの みんな入ろう 紅いお部屋」
子どもたちの歌声は次第に大きくなり、社の中から悲鳴のような声が聞こえてきた。美咲の声だった。
真一は恐怖で動けなくなった。しかし、その時、子どもたちの一人が真一の方を向き、「もうすぐ、あなたの番だよ」と囁いた。
その言葉に、15年前の記憶の断片が蘇った。同じように社の周りで歌う子どもたち。そして自分もその輪の中にいた。それは遊びだったのか、儀式だったのか。
「あの子たちは…僕の友達だったのか?」
真一の思考は混乱した。記憶と現実が交錯し、頭が割れそうな痛みを覚えた。気がつくと、子どもたちの姿は消え、社は静まり返っていた。
しかし、社の扉の下から赤い液体が滲み出しているのが見えた。血のようにも見えたが、確かめる勇気はなかった。
真一は震える足で祖母の家に戻った。今夜見たものを、どう解釈すればいいのか。美咲は今、あの「紅い部屋」で何をしているのか。そして、自分は15年前、あの場所で何を経験したのか。
窓辺に立ち、月を見上げる真一。月の表面が、わずかに赤く染まって見えた。
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