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第7話「古老の告白」
しおりを挟む真一は図書館で見つけた記録の言葉が頭から離れなかった。「真一少年、最後の子ども」「彼が紅い御子様の器となる」。それはどういう意味なのか。明日が自分の「番」だという子どもたちの警告。もう、逃げる時間はない。
朝もやが晴れた頃、真一は決断した。一人で村の古老・鷹野丈一郎を訪ねることにしたのだ。図書館の記録だけでは断片的すぎる。自分の過去と村の真実を知るには、当時を知る人物に直接聞くしかない。
鷹野の家は村はずれの小高い丘の上にあった。朽ちかけた門柱に「鷹野」の表札。庭には雑草が生い茂り、手入れがされていない様子だった。玄関の戸を叩くと、しばらくして鍵を開ける音がし、鷹野の痩せた姿が現れた。
「来たな、真一」
まるで待っていたかのような鷹野の表情に、真一は一瞬たじろいだ。
「鷹野さん、話があります」
「わかっておる。入りなさい」
家の中は埃っぽく、古い家具が所狭しと並べられていた。壁には異様なほど多くの赤い札が貼られている。
居間に通された真一は、正座して鷹野と向かい合った。老人の皺だらけの顔には、言いようのない不安が浮かんでいた。
「鷹野さん、僕は記憶を取り戻しつつあります。15年前、この村で何があったのか教えてください」
鷹野は深いため息をついた。
「お前が帰ってきたことで、村の均衡が崩れる。わしはそれを恐れておった」
「均衡?」
「そうだ。お前は知らんだろうが、この村は『紅い御子様』との契約によって成り立っておる。その均衡を15年前、お前が壊した」
真一は身を乗り出した。「何があったんですか、15年前に」
鷹野の目が遠くを見つめた。その瞳に、過去の記憶が蘇っているようだった。
「2003年、村では奇妙な現象が起き始めた。子どもたちが次々と病気になったんじゃ。熱を出し、体に赤い斑点が現れ、そして——夢の中で『紅い御子様』と会話するようになった」
「紅い御子様と?」
「そうだ。子どもたちは口々に『紅い御子様が呼んでいる』と言い出した。医者にかかっても原因がわからん。やがて村人たちは、これは『紅い御子様』の怒りだと考えるようになった」
鷹野は立ち上がり、古い茶箪笥から一枚の写真を取り出した。それは子どもたちの集合写真。皆、顔に赤い斑点があり、目の焦点が合っていない。
「村では昔から『紅い御子様』を祀ってきた。疫病が流行った際、先祖が契約を交わしたと伝わる存在じゃ。毎月一人が『紅い部屋』に入り、祈りを捧げることで、村は守られてきた」
「でも、子どもたちが病気になったということは…」
「そう、誰かが『紅い御子様』への祈りを怠ったのだ。調べてみると、当時の宮司が病に倒れ、月例祭を行えなかった月があった。それが怒りを買ったと村人たちは考えた」
鷹野は再び茶箪笥から別の写真を取り出した。そこには「紅き御子の社」の前で厳かに並ぶ村人たちの姿があった。
「村人たちは『紅い御子様』の怒りを鎮めるため、特別な儀式を行うことにした。子どもたちを『紅い部屋』に入れ、霊的浄化を図るというものだ」
真一の背筋に冷たいものが走った。「子どもたちを?」
「そうだ。子どもの純粋な魂は『紅い御子様』に喜ばれると考えたのだ。村の子どもたち8人が選ばれた。その中にお前もいた」
「僕も…」真一の頭に激痛が走った。断片的な記憶が蘇る。赤い壁に囲まれた部屋。子どもたちの泣き声。そして何かが這い寄る音。
「お前たち8人は『紅い部屋』に入れられた。しかし、何かがおかしかった」鷹野の顔が歪んだ。「儀式の最中、紅い部屋から異様な音が聞こえ始めた。扉を開けようとしたが、中から鍵がかけられていた」
「中から?誰が?」
「わからん。しかし、翌朝になって扉が開いたとき、部屋の中にいたのはお前一人だけだった。他の7人の姿はなく、壁には赤い手形が無数に残されていた」
真一の脳裏に映像が走る。暗闇の中、泣きながら震える自分。周りで次々と姿を消していく友達。そして「あの人」が近づいてくる恐怖。
「他の子は…どうなったんですか?」
鷹野の目に涙が浮かんだ。「消えたのだ。文字通り、この世から。しかし、お前は生きていた。そしてすぐに村を出た」
「祖母が…連れ出してくれたんですね」
「そうだ。ミヨは孫を守るため、村の掟を破った。しかし、お前が『紅い部屋』から逃げ出したことで、村に呪いがかかった。以来、村では子どもが一人も生まれなくなった」
真一は震える手で顔を覆った。自分のせいで村が呪われたのか。では美咲たちが月例祭で選ばれるのも…
「村人たちは新たな契約を『紅い御子様』と交わした」鷹野は続けた。「子どもの代わりに、毎月大人が一人『紅い部屋』に入ることになったのだ。3日間籠もり、『紅い御子様』の印を受ける。その代わり、村は存続を許される」
「それで美咲さんが…」
「そうだ。毎月一人が選ばれ、『紅い部屋』に入る。体は赤く染まり、二度と子を成すことはできなくなる。しかし、村は守られる」
真一の脳裏に浮かぶのは、変わり果てた美咲の姿だった。赤く染まった肌。虚ろな目。歪んだ笑み。
「でも、なぜ僕が帰ってきたことで均衡が崩れるんですか?」
鷹野はゆっくりと立ち上がり、仏壇のような祭壇の前に膝をついた。祭壇の中央には、小さな赤い人形が置かれていた。
「『紅い御子様』はお前を忘れていない。お前は逃げた子だ。契約から逃れた唯一の存在」鷹野は人形に向かって合掌した。「お前が帰ってきたのは偶然ではない。『紅い御子様』の呼び声に導かれたのだ」
真一の口から思わず笑いが漏れた。「冗談じゃない。祖母が亡くなったから帰ってきただけです」
「本当にそう思うか?」鷹野の目が鋭く光った。「ミヨの死も、すべては『紅い御子様』の計画の一部だ」
「何を言って…」
「『紅い御子様』はお前を取り戻したいのだ。15年前の契約を完了させるためにな」
真一は立ち上がった。「意味がわかりません」
「明日、月が満ちる夜、お前は『紅い部屋』に入るべきだ」鷹野は厳かに言った。「それが、村を救う唯一の道だ」
「なぜ僕が?他の村人でもいいはずでは?」
鷹野は首を横に振った。「いいや、お前でなければならん。お前は『紅い御子様』に選ばれた子だ。15年前、あの部屋で何があったのか、覚えていないのか?」
真一の頭に激痛が走った。断片的な記憶。赤い壁。子どもたちの悲鳴。そして「あの人」の恐ろしい姿。思い出したくない記憶が押し寄せてくる。
「僕は…覚えていない」
「嘘をつくな」鷹野の声が急に冷たくなった。「お前は知っている。あの日、紅い部屋で何が起きたかを」
真一は後ずさった。「本当に覚えていないんです」
「思い出せ!」鷹野が叫んだ。「あの日、お前は何をした?なぜ他の子どもたちは消え、お前だけが生き残ったのだ?」
「わからない!」真一も叫び返した。
その時、家の外から子どもの歌声が聞こえてきた。
「紅い紅い 紅いお部屋 誰が入るの 私が入るの みんな入ろう 紅いお部屋」
鷹野の顔が青ざめた。「来たか」
「誰が?」
「子どもたちだ。彼らはお前を迎えに来たのだ」
窓の外を見ると、赤い服を着た子どもたちが家を取り囲んでいた。皆、笑顔で手をつなぎ、真一を見上げている。その中に、健太の姿もあった。
「真一くん、思い出した?」健太の声が風に乗って届く。「明日は君の番だよ」
「いや…」真一は震えた。
「逃げられんぞ」鷹野が背後から言った。「『紅い御子様』の呼び声から逃れられる者はいない。お前は明日、『紅い部屋』に入り、15年前の契約を完遂するのだ」
真一は混乱の中、家を飛び出した。子どもたちは影のように消え、霧の中に溶けていった。しかし、その歌声だけは風に乗って追いかけてくる。
「紅い紅い 紅いお部屋 誰が入るの 私が入るの みんな入ろう 紅いお部屋」
祖母の家に戻った真一は、扉を閉め、窓という窓にカーテンを引いた。しかし心の中の恐怖から逃れることはできない。
鷹野の言葉が頭から離れなかった。「お前は明日、『紅い部屋』に入る」。そして15年前の記憶が少しずつ蘇ってくる。真一は震える手で頭を抱えた。
「思い出したくない。あの日のことは…」
部屋の隅に目をやると、そこに小さな影が立っていた。赤い服を着た少女。かつての友人の一人、佐藤美香だ。
「逃げても無駄だよ、真一くん」美香はくすくす笑った。「あなたは私たちのもの」
真一が叫ぼうとした瞬間、美香の姿は消え、部屋には再び静寂が戻った。しかし床には、小さな赤い足跡が残されていた。
窓の外では、夕焼けが村を赤く染め始めていた。明日は満月。そして、鷹野の言う通り、真一の「番」の日なのだろうか。
手帳を取り出し、祖母が書き残した村からの脱出ルートを確認した。東の山を越えれば逃げられる。しかし、鷹野の言葉が頭に浮かぶ。「逃げても無駄だ」。
真一は決断を迫られていた。逃げるか、「紅い部屋」に入るか。そして、15年前の真実と向き合うか。
窓の外から、再び子どもたちの声が聞こえてきた。
「真一くん、逃げないで。明日、私たちと一緒に遊ぼうね」
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