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第四代ミドルトン男爵ローレンス・パウエル・ウェイクスリー卿は、それから二週間あまりメリウェザー家で静養したのち、本人のたっての希望で、ウェールズ地方の小さな修道院に入った。
そこは世俗の栄達を必要としない人々が家族のように寄り添いあい、祈りと奉仕の共同生活を送る場所だ。
数ヶ月後。
ロンドンでは社交シーズンが真っ盛りとなり、新しいスキャンダルが次々に生まれ、上流社会を席巻していた。あの怖ろしいミドルトン男爵家の醜聞も、今や時代遅れとなり、人々の口にほとんどのぼらなくなっていた。
夏のバラが盛りとなったころ、ぼくたちはジムを連れ、ローレンス卿のもとを――いや、ローレンス修練士のもとを訪れた。
古い風習のとおりに剃髪し、目の粗い毛織りのローブに身を包んだローレンス卿は、落ち着いた様子で、貴族の館にいた時よりも自然に笑っているように見えた。
「正式に修道士になるまでの修練期間は、通常二年間と決まっているが、私の場合は事情が事情だ。おそらくもっと短縮してもらえるだろう」
彼は地位も財産も捨て、もっともか弱き人々のための奉仕者となることを選んだのだ。
小さな修道院の中庭をめぐる回廊をゆっくりと歩きながら、ぼくたちはぽつりぽつりと話をした。修道院は基本的に女性は立入禁止だが、ここでも姉さんの男装は見破られることはなかった。
古い石造りの修道院はそこここが緑の蔦に覆われている。夕陽の茜色に染まる中庭は、小さな噴水とベンチがあり、時にはここで修道士たちがゆっくりと思索にふけるのだろう。吹く風は涼しく、かすかに花の香りが溶け込んでいた。
ジムはぼくたちの少し後ろをついて歩き、きゅっと唇を噛んでうつむいたまま、なにも言わなかった。
――姉を殺した犯人たちは、自らの命で罪を償った。けれどジムの愛した姉さんは、もう帰ってこない。
復讐は終わった。だからもう、それに囚われていてはいけない。憎しみも苦しみも胸に封印して、前へ歩き出さなければいけない。
ジムにはそれが、ちゃんとわかっているのだ。
「ミドルトンの爵位と領地は、私の又従兄が継いでくれた。田舎暮らしの好きな、実直な男だ。領民の面倒も良く見てくれるだろう。財産の一部をジムの教育費として信託資金にすることも、快く承知してくれた」
ローレンス卿はジムの前に片膝をついた。そうしないと、ひょろりと背の高い彼は少年の顔を真っ直ぐに見ることができないから。
「ジム。きみはこれから、学校へ行くんだ。勉強をして、いろいろな人と出会って、自分の力で生きていくすべを学ぶのだよ」
優しく諭すように語りかけるローレンス卿に、ジムは無言で、けれどしっかりとうなずいた。
「これからともに学ぶ少年たちと比べ、きみはより多くの困難を抱えている。時にはそれを理解せず、無慈悲に笑ったりののしったりする者もいるだろう。けれど、きみはそんな者たちに負けてはいけない。一歩一歩、自分の足で前へ進んで、生きて、……そして、幸せになるのだよ」
幸せになるのだよ。
その一言を、ローレンス卿はゆっくりと噛みしめるように、自分自身に言い聞かせるように、言った。
「……はい!」
ジムはうなずいた。懸命に涙をこらえ、けれどはっきりとした声で、返事をした。
少年に、ローレンス卿は微笑んだ。
「私は、サリーに逢えて、本当に幸せだった。今さらこんなことを言っても信じてもらえないかもしれないが、私はサリーを、きみのお姉さんを、心から愛していた。私の本当の妻は、サリーただひとりだ。今でもそう信じている」
「サー・ローレンス――」
暮れかけて、淡いばら色に染まる空に、鐘の音が響く。やがて修道士たちの日課、祈りの勤めが始まる。
回廊の端や庭の向こうを、修道士たちが無言の影法師のように通り過ぎていく。
「では、ぼくたちはこれで失礼します」
「本当にありがとう。きみたちに神のご加護がありますように」
静かに挨拶を交わし、ぼくたちはそれぞれ回廊の外と奥へ向かって歩き出そうとした。
その時、不意にジムが立ち止まった。
「……ブラザー」
回廊の奥へ消えようとしていたローレンス卿に向かい、呼びかける。
「ブラザー。また……来てもいいですか?」
「ジム――」
「クリスマスとイースターの休暇には、あなたに会いに、ここへ来てもいいですか?」
“ブラザー”は修道士に対する呼びかけ、敬称としてごく一般的なものだ。
けれど今、ジムが使った“ブラザー”には、もうひとつ別の意味が含まれていた。
「ああ……。ああ、もちろんだとも、ジム」
ローレンス卿の老いた、優しい目に、涙がにじんだ。
少年は修練士に駆け寄った。祈りの道に入った兄は両手を広げ、愛する妻が遺してくれたたったひとりの家族、年の離れた弟をしっかりと抱き留めた。
ともに、失ったものはあまりにも大きい。
けれど、すべてを無くしてしまったわけではなかった。
彼らは互いに最後の、本当の家族を得たのだ。
「ありがとう。ありがとう、ジム。きみが会いに来てくれたら、こんなに嬉しいことはない……!」
暮れなずむ空に、かぁ……ん、かぁ……ん、と、祈りの鐘が響き渡っていた。
これから少しだけ、未来の話をしよう。
修道士となったローレンス・パウエル・ウェイクスリーは、神の教えと院の規律を守り、それからの十数年を貧しき人々、病める人々のための奉仕者として生きた。羊や牛を飼い、薬草を育て、救いを求める人々に助力する日々は、かつて愛するサリーとともに送りたいと願った暮らしに、きっと良く似ていたのだろう。
やがて地上での勤めを終えた彼は、修道院の兄弟たちに看取られて安らかに息を引き取った。修道士が亡くなると、普通は院内の墓地に葬られるのだが、彼は生前からのたっての希望で、ロンドンの共同墓地に葬られた。サリーの隣に。
ふたりはひとつの墓に合葬され、簡素な墓石には“善良なるローレンス・パウエル・ウェイクスリーと、その最愛の妻サラ、ここに眠る”と刻まれた。
それからさらに数年後、ロンドン法曹界にひとりの若い弁護士が登場する。
幼いころの怪我の後遺症で軽く右脚を引きずるその弁護士は、つねに弱き者、貧しき人々の代弁者として、社会の不正や権力者の横暴を厳しく糾弾した。劣悪な条件で働かされる未成年労働者や、いまだに闇で行われる人身売買の問題に社会正義の光を当て、声なき声に代わって、彼は叫び続けた。
「我々とて人間だ、この命はけして塵芥ではない! たとえ貧民街の泥の中に産まれようとも、人にはみな、幸せになる権利があるのだ!!」
その叫びに、人々は惜しみない喝采を贈った。
そして、あのミドルトン男爵邸は、事件の後すぐに売りに出された。
忌まわしい事件の痕跡は改装ですっかりきれいになり、シャンデリアも新しいものが取り付けられた。数年で、事件のことは忘れ去られていくかに見えた。
屋敷の持ち主は何度か替わったが、だがそのたびに、死んだ男爵夫人の幽霊が出ると大騒ぎになった。
死刑囚のように首からロープを垂らした男爵夫人が、
「神さま、お許しを、どうかお許しを。あたしがサラ・ホワイトを殺しました」
と、大声で泣きわめきながら、屋敷中を走り回るのだそうだ。
そのため、いつか買い手もつかなくなり、屋敷は荒れ放題になっていった。
そしてある寒い秋の夜、原因不明の出火によって、男爵邸は焼失した。
それでも、更地となったグロヴナースクエアの一角で、叫びながら走り回る男爵夫人の幽霊を見たと証言する人は、後を絶たない。
エドガー・シンクレアはロンドンの闇に消えた。
ダレストン子爵家でも、すでに長男の行方を追うことは諦め、エドガーは死んだものとして扱っているらしい。
だがあいつも、このまま引き下がるような男ではない。またいつか姿を現し、この街を恐怖のどん底に陥れるだろう。
さらに冷酷に、狡猾になり、群青の瞳を嵐のように輝かせるエドガーと、ぼくたちグレンフィールド兄弟がふたたび対決するのは、また別のお話だ。
低い天井に煙草の煙とスモークされた鴨の匂いが立ちこめる。『王冠とアヒル』亭は昼間の熱がさめやらないまま、酔っ払いの人いきれで息苦しいほどの繁盛だ。
ぼくたちはいつもどおり、壁際のお気に入りの席に陣取り、夏至近くの短い夜を楽しんでいた。
普段は煤煙と饐えた臭いが漂うロンドンも、この時期ばかりは甘い花の香りに包まれる。女性たちは肌もあらわに美しく着飾り、あちこちからダンスの音楽が聞こえてくる。
こんな夜におとなしく自宅で早寝するなんて、とても無理だ。
ぼくたちは夕暮れからヴォクソール遊園をそぞろ歩き、テムズの河辺を散歩したあと、『王冠とアヒル』亭へやってきた。
親爺さんご自慢のコールドハムとうなぎのパイで胃袋も満足したし、あとはとっておきのブランデーを飲りながら、リゼとカードで遊ぼうか。
「えー、カードはもうやだ。ちっとも勝てねえんだもん」
「じゃあチェス盤でも借りてくる?」
「それもなあ……」
姉さんは退屈そうに小さくあくびをした。
実際、ぼくたちは少し退屈していた。
あのミドルトン男爵邸の騒動のあと、ぼくたちはしばらく大きな仕事をしていない。ちょっとしたいかさま賭博や美人局などの小遣い稼ぎはちょいちょいしていたが、人々の噂になるような、大がかりな仕掛けをしてのぺてんは控えていた。
姉さんはともかく、ぼくはほぼ素顔のままで心霊研究家を演じていたし、ふたたび社交界に顔を出して、あの事件に関わった人々にばったり出くわしたりしたら、まずい。
社交シーズンも終わりかけ、上流階級の人々が蒸し暑いロンドンを離れてバースやブライトンの観光地へ出かけるようになるまでおとなしくしていようと、姉さんとも話し合っていた。
「でも、ヒマだよなあ……」
「うん――」
姉さんのつぶやきに、ぼくも力の抜けた声でうなずいた。
「今年のバカンスはどこへ行く? ブライトンはこの前行ったし、バースに行こうか」
「バースもなあ……。このごろはポンプルームも、通風持ちのじいさんばあさんばっかりだって話じゃん。いっそ、湖水地方まで行ってみるか。狩り好きの貴族でもたらしこんで、別荘に連れてってもらうとかさ」
「うん、それいいね。で、兄さん。今度はどんなのに化けるつもり?」
「ドレスはもう当分いいや。男のまんまでいく」
「えー、つまんないよ。ちゃんとドレス着てよ」
のんびりとグラスを傾けながら、たらたらとそんな話を続けていた時。
急に、カウンターのあたりが騒がしくなった。
きゃあきゃあと甲高い女性の声がいくつも飛び交っている。
「なんだ?」
ぼくは振り返り、椅子から立ち上がって様子をうかがった。
『王冠とアヒル』亭のカウンターには、いつも客待ちをする娼婦たちがたむろしている。
彼女たちは、街角で客を取る娼婦の中でもランクが上のほうだ。それなりに小綺麗にしているし、この店で客を捜す以上、店に迷惑をかけないために自分たちで独自のルールも定めているらしい。二階の部屋にしけこむ前に、必ず客から一杯おごってもらうこと。客がつかなかった夜も、店に居させてもらったお礼に自腹で一杯飲んでいくこと、とか。
そして彼女たちの仲間に入るには、仲間からの紹介が必要なのだと聞いたこともある。つまり、一見さんお断り、というわけだ。
だが、
「ちょっとあんた、誰に断ってこの店で商売しようっての!?」
とげとげしい声が響いた。
「ここはね、あたいらの縄張りなんだよ! どこの馬の骨ともわかんない女が、いきなり割り込んできていい場所じゃないんだ!」
彼女たちのルールも知らずに黙って店に入ってきた女を、娼婦たちがみんなでつるし上げているらしい。
「あ、あたくしは、なにも――」
「アタクシぃ!? おい、ちょっと聞いたかい、みんな! アタクシだってさ! ナニサマのつもりだい、このおばはん!!」
「なーによ、このドレス! えっらそーに! 娼婦なら娼婦らしく、もっと胸あけて、足も出しなってんだよ!」
びりびりびり……と、布を破く音まで聞こえる。
ふだんは彼女たち、見知らぬ新参者がうっかり入ってきてしまっても、ここまで乱暴な真似はしないんだが。いったいどうしたんだろう。
さすがに気になって、仲裁に入ろうかとした時。
「待て、セディ。行くな」
姉さんがぼくの袖を引き、止めた。
「どうして? さすがにあれ、まずくない?」
「おまえが行くのはもっとまずい。良く見ろ」
そう言って姉さんが指し示した先にいたのは、男爵邸で見た、きつねのように顎の尖ったあの小間使いだった。
いつも小狡そうに目を光らせ、他人のあら探しにほくそ笑んでいた顔は見る影もなくやつれ、汚れたボンネットからばらばらと髪が乱れ落ちている。着ているものは小間使いのドレスのままだったから、おそらく男爵邸から逃げ出したあと、次の仕事も見つからず、ずっと着の身着のままで街をうろついていたのだろう。
まあ、そうだろう。あんないわくつきの夫人に仕えていた小間使いを雇おうなんて貴婦人は、まずいない。
そして背に腹は代えられず、体を売るようになったということか。
だが、彼女は知らなかったのだろう。上流社会のご婦人方に独自のネットワークがあるように、イーストエンドの娼婦たちのあいだにも、彼女らなりの情報網があることを。
娼婦たちのなかには、昼間は洗濯女や物売りとして働きながらさまざまな屋敷に出入りし、それだけでは足りない収入を夜の仕事で補う、という者も大勢いる。そんな兼業娼婦の誰かが、この小間使いの顔をしっかり覚えていたのだろう。
あの女は、サリーを殺した男爵夫人の手下だ、と。
サリーがさらわれ、男爵邸に連れていかれた時にも、この女は助けもしなかった。それどころか男爵夫人の尻馬に乗っかって、ほかのメイドや通いの労働者をいじめ放題にいじめ、ひとりで美味い汁を吸っていた、と、暴露されてしまったに違いない。
ああ、たしかにぼくが行ったらまずいな。向こうもぼくの顔をまだ覚えているかもしれない。
ぼくはカウンターの騒ぎに背を向けた。姉さんもまったく気づかないふりだ。
ほかの客たちは、女どうしの乱闘さわぎをむしろ面白そうに見物している。
「出ていきな、ばばあ! てめえはテムズのほとりで立ちんぼやってんのがお似合いだよ!」
「たとえ六ペンスの立ちんぼだって、誰が買うかい、てめえみたいな鶏ガラばばあ!!」
服を破かれ、髪をひっぱられむしられ、元小間使いはひいひい泣きながら、這々の体で『王冠とアヒル』亭を逃げ出した。
「心配するこたぁないよ、セディ。あんな女だって、どっかの“尼僧院”に駆け込みゃあ、それなりに働かせてもらえるさ。なんならあたしが紹介してやったっていい」
これはサービスだよ、とおかわりのブランデーを持ってきてくれた女将が言った。
彼女の言う“尼僧院”とは、もちろん尼さんたちの修道院じゃない。元締めのいる売春宿のことだ。売春宿の抱えになれば、稼ぎの八割近くを食費だ部屋代だとピンハネされ、下手をすれば逃亡防止のために阿片漬けにされたりするが、それでも毎晩屋根の下で眠ることだけはできる。
『王冠とアヒル』亭は、さっきの愉快な寸劇のことなどすっかり忘れ、またいつものように威勢の良いにぎわいを取り戻していた。酔っぱらいたちが歌って騒ぎ、乾杯を繰り返す。娼婦たちはそれに向かって投げキッス。賭け事で小銭が行き交い、エールやジンのグラスが回される。
貴族のお歴々がつどう晩餐会や舞踏会とはまったく違う、薄汚くて騒々しくて、少しばかり危なくて、それでもこれも、ロンドンにはかかせない魅力なのだ。
「それより、あんたらふたり、こんなとこでくすぶってていいのかい? いい加減、焦れてきてんじゃないのかい?」
「うん、まあね……」
小さく吐息をつくように、姉さんがうなずいた。
「でも、なんかこう、きっかけがないっていうかさ――」
「じゃあ、こんなのはどうだい?」
女将はエプロンのポケットから、一枚の金貨を取り出した。
ちゃりん、と可愛い音をたててぼくたちの目の前に転がったのは――え、金貨? 銀貨?どっちだ?
1枚のコインの、半分が金、半分が銀でできている。
「なんだ、これ!?」
丸い硬貨は、見たこともないデザインだった。ヨーロッパのコインに一般的な、君主の横顔も彫られていない。両面に角張った模様のようなものが並んでいる。もしかしてこれ、東洋の文字じゃないだろうか。
そして金と銀の境目には、溶接されたような痕はまったくなかった。
ぼくはそのコインを手に取り、反射的に金の部分を噛んでたしかめた。
がちっと硬い感触。表面が削れるなんてこともない。本物の金貨だ。
「まさか、これ……」
以前、そんな話を聞いたことがある。黄金以外の金属を黄金に変える科学、あるいは魔術。錬金術。
どこかの博物館には、錬金術によって銀鉱石の半分が金に変化したものが保管されているとか、いないとか。
「おやおや。おまえさんでもやっぱり引っかかったかい」
女将は豊かな胸と腹を揺すり、愉快そうに笑った。
「そうだよねえ。そんなシロモノを見たら誰だって、まず金のほうに細工があると思って、確かめちまうよねえ。でも良く見てごらん」
そう言われて、ぼくはあらためて手の上のコインを見た。
姉さんも身を乗り出し、おでこをくっつけんばかりに寄せて、ぼくの手の上を見る。
すると――。
「あっ! これ、金貨に銀メッキがしてある!」
「ほんとだ!」
なんでそんなことをするんだろう。普通、より安い銀に金メッキをして、高価な金に見せかけるものだろうに。だから確かめる者も、まず金メッキを剥がそうとしてしまうのだ。あえて銀メッキで、金を銀に見せかけるなんて。
「さあ、なんでだろうねえ。こんな莫迦なことしたやつの考えなんて、さっぱりわかんないけどさ」
にこにこと笑いながら、女将は言った。
「こないだ来た東洋人が、飲み代の替わりに置いてったのさ。あたしらにゃあちっとも役に立たないけど、あんたたちふたりなら、きっとこれの面白い使い方が思いつくんじゃないのかい?」
「――うん」
姉さんが、ぼくの手のひらからコインをつまみあげた。
目の前にかざし、ゆっくりと裏表を確かめる。
その黄金色の瞳が、金貨よりもまばゆくきらきら輝いている。
わずかに紅潮するほほ、きゅっとあがって微笑む唇。
ああ、ぼくのリゼだ。ぼくのいとしい、黄金の魔女だ。
「なにか、思いついた?」
ぼくの問いかけに、リゼはこくんとうなずいた。
「うん。ちょっとやってみようぜ」
「そうこなくっちゃ!」
胸が高鳴る。耳元でにぎやかなファンファーレが鳴り響いたみたいだ。
リゼがこうして、ぼくを誘い出してくれるなら。ぼくに笑ってくれるなら。
ぼくは何だってできる。どこまでだって、地の果てだって、月の向こうまでだって、行ってみせる。
「行こうぜ、セディ!」
「うん、リゼ。行こう!」
そしてぼくたちグレンフィールド兄弟の、新しい冒険が始まるのだ。
END
そこは世俗の栄達を必要としない人々が家族のように寄り添いあい、祈りと奉仕の共同生活を送る場所だ。
数ヶ月後。
ロンドンでは社交シーズンが真っ盛りとなり、新しいスキャンダルが次々に生まれ、上流社会を席巻していた。あの怖ろしいミドルトン男爵家の醜聞も、今や時代遅れとなり、人々の口にほとんどのぼらなくなっていた。
夏のバラが盛りとなったころ、ぼくたちはジムを連れ、ローレンス卿のもとを――いや、ローレンス修練士のもとを訪れた。
古い風習のとおりに剃髪し、目の粗い毛織りのローブに身を包んだローレンス卿は、落ち着いた様子で、貴族の館にいた時よりも自然に笑っているように見えた。
「正式に修道士になるまでの修練期間は、通常二年間と決まっているが、私の場合は事情が事情だ。おそらくもっと短縮してもらえるだろう」
彼は地位も財産も捨て、もっともか弱き人々のための奉仕者となることを選んだのだ。
小さな修道院の中庭をめぐる回廊をゆっくりと歩きながら、ぼくたちはぽつりぽつりと話をした。修道院は基本的に女性は立入禁止だが、ここでも姉さんの男装は見破られることはなかった。
古い石造りの修道院はそこここが緑の蔦に覆われている。夕陽の茜色に染まる中庭は、小さな噴水とベンチがあり、時にはここで修道士たちがゆっくりと思索にふけるのだろう。吹く風は涼しく、かすかに花の香りが溶け込んでいた。
ジムはぼくたちの少し後ろをついて歩き、きゅっと唇を噛んでうつむいたまま、なにも言わなかった。
――姉を殺した犯人たちは、自らの命で罪を償った。けれどジムの愛した姉さんは、もう帰ってこない。
復讐は終わった。だからもう、それに囚われていてはいけない。憎しみも苦しみも胸に封印して、前へ歩き出さなければいけない。
ジムにはそれが、ちゃんとわかっているのだ。
「ミドルトンの爵位と領地は、私の又従兄が継いでくれた。田舎暮らしの好きな、実直な男だ。領民の面倒も良く見てくれるだろう。財産の一部をジムの教育費として信託資金にすることも、快く承知してくれた」
ローレンス卿はジムの前に片膝をついた。そうしないと、ひょろりと背の高い彼は少年の顔を真っ直ぐに見ることができないから。
「ジム。きみはこれから、学校へ行くんだ。勉強をして、いろいろな人と出会って、自分の力で生きていくすべを学ぶのだよ」
優しく諭すように語りかけるローレンス卿に、ジムは無言で、けれどしっかりとうなずいた。
「これからともに学ぶ少年たちと比べ、きみはより多くの困難を抱えている。時にはそれを理解せず、無慈悲に笑ったりののしったりする者もいるだろう。けれど、きみはそんな者たちに負けてはいけない。一歩一歩、自分の足で前へ進んで、生きて、……そして、幸せになるのだよ」
幸せになるのだよ。
その一言を、ローレンス卿はゆっくりと噛みしめるように、自分自身に言い聞かせるように、言った。
「……はい!」
ジムはうなずいた。懸命に涙をこらえ、けれどはっきりとした声で、返事をした。
少年に、ローレンス卿は微笑んだ。
「私は、サリーに逢えて、本当に幸せだった。今さらこんなことを言っても信じてもらえないかもしれないが、私はサリーを、きみのお姉さんを、心から愛していた。私の本当の妻は、サリーただひとりだ。今でもそう信じている」
「サー・ローレンス――」
暮れかけて、淡いばら色に染まる空に、鐘の音が響く。やがて修道士たちの日課、祈りの勤めが始まる。
回廊の端や庭の向こうを、修道士たちが無言の影法師のように通り過ぎていく。
「では、ぼくたちはこれで失礼します」
「本当にありがとう。きみたちに神のご加護がありますように」
静かに挨拶を交わし、ぼくたちはそれぞれ回廊の外と奥へ向かって歩き出そうとした。
その時、不意にジムが立ち止まった。
「……ブラザー」
回廊の奥へ消えようとしていたローレンス卿に向かい、呼びかける。
「ブラザー。また……来てもいいですか?」
「ジム――」
「クリスマスとイースターの休暇には、あなたに会いに、ここへ来てもいいですか?」
“ブラザー”は修道士に対する呼びかけ、敬称としてごく一般的なものだ。
けれど今、ジムが使った“ブラザー”には、もうひとつ別の意味が含まれていた。
「ああ……。ああ、もちろんだとも、ジム」
ローレンス卿の老いた、優しい目に、涙がにじんだ。
少年は修練士に駆け寄った。祈りの道に入った兄は両手を広げ、愛する妻が遺してくれたたったひとりの家族、年の離れた弟をしっかりと抱き留めた。
ともに、失ったものはあまりにも大きい。
けれど、すべてを無くしてしまったわけではなかった。
彼らは互いに最後の、本当の家族を得たのだ。
「ありがとう。ありがとう、ジム。きみが会いに来てくれたら、こんなに嬉しいことはない……!」
暮れなずむ空に、かぁ……ん、かぁ……ん、と、祈りの鐘が響き渡っていた。
これから少しだけ、未来の話をしよう。
修道士となったローレンス・パウエル・ウェイクスリーは、神の教えと院の規律を守り、それからの十数年を貧しき人々、病める人々のための奉仕者として生きた。羊や牛を飼い、薬草を育て、救いを求める人々に助力する日々は、かつて愛するサリーとともに送りたいと願った暮らしに、きっと良く似ていたのだろう。
やがて地上での勤めを終えた彼は、修道院の兄弟たちに看取られて安らかに息を引き取った。修道士が亡くなると、普通は院内の墓地に葬られるのだが、彼は生前からのたっての希望で、ロンドンの共同墓地に葬られた。サリーの隣に。
ふたりはひとつの墓に合葬され、簡素な墓石には“善良なるローレンス・パウエル・ウェイクスリーと、その最愛の妻サラ、ここに眠る”と刻まれた。
それからさらに数年後、ロンドン法曹界にひとりの若い弁護士が登場する。
幼いころの怪我の後遺症で軽く右脚を引きずるその弁護士は、つねに弱き者、貧しき人々の代弁者として、社会の不正や権力者の横暴を厳しく糾弾した。劣悪な条件で働かされる未成年労働者や、いまだに闇で行われる人身売買の問題に社会正義の光を当て、声なき声に代わって、彼は叫び続けた。
「我々とて人間だ、この命はけして塵芥ではない! たとえ貧民街の泥の中に産まれようとも、人にはみな、幸せになる権利があるのだ!!」
その叫びに、人々は惜しみない喝采を贈った。
そして、あのミドルトン男爵邸は、事件の後すぐに売りに出された。
忌まわしい事件の痕跡は改装ですっかりきれいになり、シャンデリアも新しいものが取り付けられた。数年で、事件のことは忘れ去られていくかに見えた。
屋敷の持ち主は何度か替わったが、だがそのたびに、死んだ男爵夫人の幽霊が出ると大騒ぎになった。
死刑囚のように首からロープを垂らした男爵夫人が、
「神さま、お許しを、どうかお許しを。あたしがサラ・ホワイトを殺しました」
と、大声で泣きわめきながら、屋敷中を走り回るのだそうだ。
そのため、いつか買い手もつかなくなり、屋敷は荒れ放題になっていった。
そしてある寒い秋の夜、原因不明の出火によって、男爵邸は焼失した。
それでも、更地となったグロヴナースクエアの一角で、叫びながら走り回る男爵夫人の幽霊を見たと証言する人は、後を絶たない。
エドガー・シンクレアはロンドンの闇に消えた。
ダレストン子爵家でも、すでに長男の行方を追うことは諦め、エドガーは死んだものとして扱っているらしい。
だがあいつも、このまま引き下がるような男ではない。またいつか姿を現し、この街を恐怖のどん底に陥れるだろう。
さらに冷酷に、狡猾になり、群青の瞳を嵐のように輝かせるエドガーと、ぼくたちグレンフィールド兄弟がふたたび対決するのは、また別のお話だ。
低い天井に煙草の煙とスモークされた鴨の匂いが立ちこめる。『王冠とアヒル』亭は昼間の熱がさめやらないまま、酔っ払いの人いきれで息苦しいほどの繁盛だ。
ぼくたちはいつもどおり、壁際のお気に入りの席に陣取り、夏至近くの短い夜を楽しんでいた。
普段は煤煙と饐えた臭いが漂うロンドンも、この時期ばかりは甘い花の香りに包まれる。女性たちは肌もあらわに美しく着飾り、あちこちからダンスの音楽が聞こえてくる。
こんな夜におとなしく自宅で早寝するなんて、とても無理だ。
ぼくたちは夕暮れからヴォクソール遊園をそぞろ歩き、テムズの河辺を散歩したあと、『王冠とアヒル』亭へやってきた。
親爺さんご自慢のコールドハムとうなぎのパイで胃袋も満足したし、あとはとっておきのブランデーを飲りながら、リゼとカードで遊ぼうか。
「えー、カードはもうやだ。ちっとも勝てねえんだもん」
「じゃあチェス盤でも借りてくる?」
「それもなあ……」
姉さんは退屈そうに小さくあくびをした。
実際、ぼくたちは少し退屈していた。
あのミドルトン男爵邸の騒動のあと、ぼくたちはしばらく大きな仕事をしていない。ちょっとしたいかさま賭博や美人局などの小遣い稼ぎはちょいちょいしていたが、人々の噂になるような、大がかりな仕掛けをしてのぺてんは控えていた。
姉さんはともかく、ぼくはほぼ素顔のままで心霊研究家を演じていたし、ふたたび社交界に顔を出して、あの事件に関わった人々にばったり出くわしたりしたら、まずい。
社交シーズンも終わりかけ、上流階級の人々が蒸し暑いロンドンを離れてバースやブライトンの観光地へ出かけるようになるまでおとなしくしていようと、姉さんとも話し合っていた。
「でも、ヒマだよなあ……」
「うん――」
姉さんのつぶやきに、ぼくも力の抜けた声でうなずいた。
「今年のバカンスはどこへ行く? ブライトンはこの前行ったし、バースに行こうか」
「バースもなあ……。このごろはポンプルームも、通風持ちのじいさんばあさんばっかりだって話じゃん。いっそ、湖水地方まで行ってみるか。狩り好きの貴族でもたらしこんで、別荘に連れてってもらうとかさ」
「うん、それいいね。で、兄さん。今度はどんなのに化けるつもり?」
「ドレスはもう当分いいや。男のまんまでいく」
「えー、つまんないよ。ちゃんとドレス着てよ」
のんびりとグラスを傾けながら、たらたらとそんな話を続けていた時。
急に、カウンターのあたりが騒がしくなった。
きゃあきゃあと甲高い女性の声がいくつも飛び交っている。
「なんだ?」
ぼくは振り返り、椅子から立ち上がって様子をうかがった。
『王冠とアヒル』亭のカウンターには、いつも客待ちをする娼婦たちがたむろしている。
彼女たちは、街角で客を取る娼婦の中でもランクが上のほうだ。それなりに小綺麗にしているし、この店で客を捜す以上、店に迷惑をかけないために自分たちで独自のルールも定めているらしい。二階の部屋にしけこむ前に、必ず客から一杯おごってもらうこと。客がつかなかった夜も、店に居させてもらったお礼に自腹で一杯飲んでいくこと、とか。
そして彼女たちの仲間に入るには、仲間からの紹介が必要なのだと聞いたこともある。つまり、一見さんお断り、というわけだ。
だが、
「ちょっとあんた、誰に断ってこの店で商売しようっての!?」
とげとげしい声が響いた。
「ここはね、あたいらの縄張りなんだよ! どこの馬の骨ともわかんない女が、いきなり割り込んできていい場所じゃないんだ!」
彼女たちのルールも知らずに黙って店に入ってきた女を、娼婦たちがみんなでつるし上げているらしい。
「あ、あたくしは、なにも――」
「アタクシぃ!? おい、ちょっと聞いたかい、みんな! アタクシだってさ! ナニサマのつもりだい、このおばはん!!」
「なーによ、このドレス! えっらそーに! 娼婦なら娼婦らしく、もっと胸あけて、足も出しなってんだよ!」
びりびりびり……と、布を破く音まで聞こえる。
ふだんは彼女たち、見知らぬ新参者がうっかり入ってきてしまっても、ここまで乱暴な真似はしないんだが。いったいどうしたんだろう。
さすがに気になって、仲裁に入ろうかとした時。
「待て、セディ。行くな」
姉さんがぼくの袖を引き、止めた。
「どうして? さすがにあれ、まずくない?」
「おまえが行くのはもっとまずい。良く見ろ」
そう言って姉さんが指し示した先にいたのは、男爵邸で見た、きつねのように顎の尖ったあの小間使いだった。
いつも小狡そうに目を光らせ、他人のあら探しにほくそ笑んでいた顔は見る影もなくやつれ、汚れたボンネットからばらばらと髪が乱れ落ちている。着ているものは小間使いのドレスのままだったから、おそらく男爵邸から逃げ出したあと、次の仕事も見つからず、ずっと着の身着のままで街をうろついていたのだろう。
まあ、そうだろう。あんないわくつきの夫人に仕えていた小間使いを雇おうなんて貴婦人は、まずいない。
そして背に腹は代えられず、体を売るようになったということか。
だが、彼女は知らなかったのだろう。上流社会のご婦人方に独自のネットワークがあるように、イーストエンドの娼婦たちのあいだにも、彼女らなりの情報網があることを。
娼婦たちのなかには、昼間は洗濯女や物売りとして働きながらさまざまな屋敷に出入りし、それだけでは足りない収入を夜の仕事で補う、という者も大勢いる。そんな兼業娼婦の誰かが、この小間使いの顔をしっかり覚えていたのだろう。
あの女は、サリーを殺した男爵夫人の手下だ、と。
サリーがさらわれ、男爵邸に連れていかれた時にも、この女は助けもしなかった。それどころか男爵夫人の尻馬に乗っかって、ほかのメイドや通いの労働者をいじめ放題にいじめ、ひとりで美味い汁を吸っていた、と、暴露されてしまったに違いない。
ああ、たしかにぼくが行ったらまずいな。向こうもぼくの顔をまだ覚えているかもしれない。
ぼくはカウンターの騒ぎに背を向けた。姉さんもまったく気づかないふりだ。
ほかの客たちは、女どうしの乱闘さわぎをむしろ面白そうに見物している。
「出ていきな、ばばあ! てめえはテムズのほとりで立ちんぼやってんのがお似合いだよ!」
「たとえ六ペンスの立ちんぼだって、誰が買うかい、てめえみたいな鶏ガラばばあ!!」
服を破かれ、髪をひっぱられむしられ、元小間使いはひいひい泣きながら、這々の体で『王冠とアヒル』亭を逃げ出した。
「心配するこたぁないよ、セディ。あんな女だって、どっかの“尼僧院”に駆け込みゃあ、それなりに働かせてもらえるさ。なんならあたしが紹介してやったっていい」
これはサービスだよ、とおかわりのブランデーを持ってきてくれた女将が言った。
彼女の言う“尼僧院”とは、もちろん尼さんたちの修道院じゃない。元締めのいる売春宿のことだ。売春宿の抱えになれば、稼ぎの八割近くを食費だ部屋代だとピンハネされ、下手をすれば逃亡防止のために阿片漬けにされたりするが、それでも毎晩屋根の下で眠ることだけはできる。
『王冠とアヒル』亭は、さっきの愉快な寸劇のことなどすっかり忘れ、またいつものように威勢の良いにぎわいを取り戻していた。酔っぱらいたちが歌って騒ぎ、乾杯を繰り返す。娼婦たちはそれに向かって投げキッス。賭け事で小銭が行き交い、エールやジンのグラスが回される。
貴族のお歴々がつどう晩餐会や舞踏会とはまったく違う、薄汚くて騒々しくて、少しばかり危なくて、それでもこれも、ロンドンにはかかせない魅力なのだ。
「それより、あんたらふたり、こんなとこでくすぶってていいのかい? いい加減、焦れてきてんじゃないのかい?」
「うん、まあね……」
小さく吐息をつくように、姉さんがうなずいた。
「でも、なんかこう、きっかけがないっていうかさ――」
「じゃあ、こんなのはどうだい?」
女将はエプロンのポケットから、一枚の金貨を取り出した。
ちゃりん、と可愛い音をたててぼくたちの目の前に転がったのは――え、金貨? 銀貨?どっちだ?
1枚のコインの、半分が金、半分が銀でできている。
「なんだ、これ!?」
丸い硬貨は、見たこともないデザインだった。ヨーロッパのコインに一般的な、君主の横顔も彫られていない。両面に角張った模様のようなものが並んでいる。もしかしてこれ、東洋の文字じゃないだろうか。
そして金と銀の境目には、溶接されたような痕はまったくなかった。
ぼくはそのコインを手に取り、反射的に金の部分を噛んでたしかめた。
がちっと硬い感触。表面が削れるなんてこともない。本物の金貨だ。
「まさか、これ……」
以前、そんな話を聞いたことがある。黄金以外の金属を黄金に変える科学、あるいは魔術。錬金術。
どこかの博物館には、錬金術によって銀鉱石の半分が金に変化したものが保管されているとか、いないとか。
「おやおや。おまえさんでもやっぱり引っかかったかい」
女将は豊かな胸と腹を揺すり、愉快そうに笑った。
「そうだよねえ。そんなシロモノを見たら誰だって、まず金のほうに細工があると思って、確かめちまうよねえ。でも良く見てごらん」
そう言われて、ぼくはあらためて手の上のコインを見た。
姉さんも身を乗り出し、おでこをくっつけんばかりに寄せて、ぼくの手の上を見る。
すると――。
「あっ! これ、金貨に銀メッキがしてある!」
「ほんとだ!」
なんでそんなことをするんだろう。普通、より安い銀に金メッキをして、高価な金に見せかけるものだろうに。だから確かめる者も、まず金メッキを剥がそうとしてしまうのだ。あえて銀メッキで、金を銀に見せかけるなんて。
「さあ、なんでだろうねえ。こんな莫迦なことしたやつの考えなんて、さっぱりわかんないけどさ」
にこにこと笑いながら、女将は言った。
「こないだ来た東洋人が、飲み代の替わりに置いてったのさ。あたしらにゃあちっとも役に立たないけど、あんたたちふたりなら、きっとこれの面白い使い方が思いつくんじゃないのかい?」
「――うん」
姉さんが、ぼくの手のひらからコインをつまみあげた。
目の前にかざし、ゆっくりと裏表を確かめる。
その黄金色の瞳が、金貨よりもまばゆくきらきら輝いている。
わずかに紅潮するほほ、きゅっとあがって微笑む唇。
ああ、ぼくのリゼだ。ぼくのいとしい、黄金の魔女だ。
「なにか、思いついた?」
ぼくの問いかけに、リゼはこくんとうなずいた。
「うん。ちょっとやってみようぜ」
「そうこなくっちゃ!」
胸が高鳴る。耳元でにぎやかなファンファーレが鳴り響いたみたいだ。
リゼがこうして、ぼくを誘い出してくれるなら。ぼくに笑ってくれるなら。
ぼくは何だってできる。どこまでだって、地の果てだって、月の向こうまでだって、行ってみせる。
「行こうぜ、セディ!」
「うん、リゼ。行こう!」
そしてぼくたちグレンフィールド兄弟の、新しい冒険が始まるのだ。
END
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