イタチを愛する変わり者美女はわたしだけを抱きしめる

佐古橋トーラ

文字の大きさ
23 / 28
第4章

災い転じて福となす 6

しおりを挟む


 
 いつものわたしには到底見せてくれない穏やかな笑顔で、秋川さんはそっと手を伸ばした。
 時折辺りをキョロキョロ見回して、周りに人がいないかを確認している。

 おいおいなんだこれ、なんて思っていたわたしだったが、ここでようやく自分が置かれている状況に気がついた。

 そうだ。今のわたしはイタチなのだ。秋川さんが大好きなイタチなのだ。

 秋川さん目線で見ると、草むらの中に大好きなイタチを見つけて興奮してるってことかな……?
 
 おいでおいでと幼い子供みたいに両手でわたしを向かい入れようとする秋川さんの姿に、思いの外羞恥心が湧いてきた。秋川さんに対するものではなく、わたし自身に対する緊張感が恥ずかしさを演出して心臓の高鳴りが止まらない。
 いつもは破天荒だと思われるくらいに秋川さんにアタックできるのに、今はそれができなかった。理由は簡単。わたしの方が秋川さんの積極的な愛に触れているからだ。向こうから見たらまったく別の生き物なんだろうが、わたしからすれば、堅固な盾がいきなり最強の槍に変わったみたいな印象を植え付けられる。

 思いもかけず逃げようかとも考えてしまった。
 怖いと言ったら何か違うけど、その愛に触れるのは早計というか、騙し討ちみたいな形で秋川さんに愛でてもらうのは罪だな、なんて思ったりして。でも、どこかではこの姿のまま抱き上げられて頬擦りしてほしいなんて邪なこと考えているわたしもいて。
 
 優しすぎる蛇睨みを喰らったように、感情が右往左往して立ち止まることしかできなかった。

 そんなわたしに、秋川さんはゆっくりと手を近づけてくる。

「いい?だっこするね。」

 答えるはずもないのに、律儀に一声かけて秋川さんは赤ん坊を抱くように、丁寧にわたしの体に指の腹を巻きつける。
 その一言が余計に自分の置かれている状況を分からせるようで、恥ずかしくて何もできなかった。

 沈黙をYESだと受け取った秋川さんは、そのままぐいっと小さな身体を長い指でしっかりと持って、しゃがみ込んだまま持ち上げて自分のお腹の辺りにまで抱き寄せた。

 わたし、秋川さんに抱っこされてる。

 秋川さんは、わたしがどうすればリラックスできるかわかっているかのように指で身体を擦りながら暖かな目を向ける。

 なんの抵抗もできず、ただ安心して身を委ねているわたしに、人間としての尊厳なんてないも同然だった。

「おとなしい子ね。噛んでもいいんだよ?」

 秋川さんが人差し指をわたしの顔の前に差し出す。
 その言葉を聞いて、思考回路を放棄していたわたし、そのまま指を軽く噛んだ。
 もしも本気で噛んでいたら指に穴が空いていただろう。でも、秋川さんはわたしがそうしないって分かっていたのか、甘噛みを簡単に受け入れてむしろ嬉しそうだった。

 まさかこんなことになるなんて。
 あの冷酷非道な秋川さんが、わたしを抱っこして穏やかな言葉を投げかけている。
 別にこうなって欲しいと思ってなかったわけではない。実際、イタチ姿のわたしを見て秋川さんが可愛がってくれるなんて妄想だってしてた。でも、現実にこんなことがいきなり起こるなんて、思考もバグるって。
 
 この道で秋川さんと出会したのは偶然だろうけど、さっきの秋川さんは明らかに空き地でわたしを捜索していた。
 たぶん、自転車に乗っているときに不意にイタチの姿を発見したのだろう。それで慌てて戻ってきて探し出した。『見間違いだったのかな』なんて言ってたし、たぶんそうだ。

「よ~しよし。どこかのペットなのかな。」

 わたしの頭を羽に触れるようにふわりふわりと撫でながら、秋川さんは野生動物としてはおとなしすぎるわたしに疑問を持つ。
 そしてそのまま全身をさらに持ち上げて、細部までロックオンするみたいに眺め始めた。

「うーん、この子はどう見てもフェレットじゃなくてイタチだよな……にしてはおとなしすぎるし、獣臭さもほとんどない。」

 じっくりと観察しながら考察を始める秋川さんと対照的に、わたしはここらへんで若干焦りを感じ始めた。
 普通に考えて、人間に抱かれてなんの抵抗もしない野生動物なんて稀だし、イタチって確か凶暴な性格だったから余計違和感ありまくりだ。フェレットでしたって言い訳も秋川さんに看破されたし。
 というか、見ただけでイタチとフェレットの違いわかるんだ。さすがイタチマニアだ。

「不思議な子。でも可愛いねぇ。家に持って帰りたいくらい。」

 一言一言に語尾に♪とか☆とかついていそうな天使みたいな声で、さらっと全人類が喜びそうなセリフを述べる。
 これが俗に言うお持ち帰りってやつかな。

 秋川さんにお持ち帰りされるなんてそれ以上の幸せはないのだが、わたしはちゃんとした人間だ。持って帰ってもらうなら、人間の姿じゃないとね。そんな日が来るかも分からないけど。
 でも、これくらい優しい秋川さんもすごく目の保養になる。なんなら実体験できてるんだから、より一層ドキドキするもんだ。
 明日以降、秋川さんに何か冷たいことを言われても、『でもこの人、イタチの姿のわたしには甘々なんだよな』って考えるだけで楽しくなりそうだ。
 まあ仮にこのままイタチとしてでもいいから愛されたいってなっても、どうせ一時間で元の姿に……………

 ん?
 
 一時間で元の姿に戻る……んだよね?

 あれ。確かわたしがここの空き地に来たのは、家に帰るためであって、なんで家に帰ろうかと思ったかというと、もう時間が……。

 …………。

『うわぁぁ!?もう時間じゃん!?』

「うわっ、どうしたの急に?」

 急に発狂したわたしの声に、秋川さんは本気でびっくりしたように全身を跳ねさせた。
 いきなり大声を出してしまったのは申し訳ないけど、今はそれどころじゃない。

 制限時間は一時間、それを超えると強制的に人間に戻る。
 現在進行形で抱っこして甘えさせているイタチが、いきなり全裸の女子高生、しかもわたしに変わったとなったら、もう本当に全てが終わる。 
 昨日まで少しずつ積み重ねてきた秋川さんへの薄い信頼は、暴風に吹き飛ばされて本体ごと空の彼方だ。
 
 秋川さんはしっかりと手とお腹の間にわたしを挟んでいたが、なんとか無理やり抜け出して猛ダッシュでその場から退散した。

 本当はもっと秋川さんに抱かれていたかったけど、太陽の沈み具合からしてもうすぐ一時間経つだろう。公然猥褻痴女になる前にとっとと家に向かわねば。

 秋川さんが後ろから何か声をかけていたような気がしたが、気にする暇もなかった。

 幸い、空き地の位置は家からかなり近かったので、猛ダッシュをかませば一分で家の敷地内に入れた。

 そのまま庭の木をするすると直角を登っていって思い切って木の上からベランダに飛び込んだ。
 降りる時はあんなに怖かったのに、登る時は当然の如く駆け上がれるとは。焦っていたとはいえ不思議なものだ。

 半開きになっているわたしの部屋の窓に飛び込むのと、身体に異変が生じ始めたのはほとんど同じタイミングだった。
 つまり人間に戻ったのだ。
 腕がニョキニョキと生えてきて、体毛は短く消えていって髪はいつも通り肩の下まで伸びてくる。

「あっぶね。」

 まさかこれほどギリギリとは。
 あと数分遅れていたら悲惨なことになっていた。

 窓の外を眺めると、辺りは暗くなっていて、夜が訪れているのを感じた。
 急いで服を着てベランダに出て、わたしの家からでも見える空き地を展望する。

 そこには、見失ったわたしを探しているであろう秋川さんがいた。腰を屈めながら、空き地の隅を草をかわしつつ移動している。
 暗さのせいか、いやに物悲しくなった。なんか、申し訳ないことしたかもしれないと思った。

 わたしのためにあんなに一生懸命探してくれてるって考えると、もうあと一時間イタチのままでいたかったかも。

「イタチ……イタチねぇ。」

 何がいいんだろ、こんなちっこい動物。

 嬉しい反面、やっぱり共感からは遠のいた気もする。

 姿が違うだけであんなに反応が違うなんて。
 実際に体験したから分かることだけど、やっぱり人間として見てもらった上でああいう反応をしてもらいたい。あそこまで甘々じゃなくていいから、『好き』って気持ちが分かるくらいに秋川さんに接してもらいたい。

 せっかく可愛がってもらうという夢を叶えたのに、心の中にはわずかに歪みが生じていた。
 日が沈んでいく瞬間が、まるでその心のもやもやを表しているようで、余計に穴が空いたみたいな気持ちになる。
 でも、そんな夜に輝き始めた星を見て、やっぱりイタチのわたしに対してのものでも、秋川さんの笑顔は最高だ、なんてあっちこっち行ったりもした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合活少女とぼっちの姫

佐古橋トーラ
青春
あなたは私のもの。わたしは貴女のもの? 高校一年生の伊月樹には秘密がある。 誰にもバレたくない、バレてはいけないことだった。 それが、なんの変哲もないクラスの根暗少女、結奈に知られてしまった。弱みを握られてしまった。 ──土下座して。 ──四つん這いになって。 ──下着姿になって。 断れるはずもない要求。 最低だ。 最悪だ。 こんなことさせられて好きになるわけないのに。 人を手中に収めることを知ってしまった少女と、人の手中に収められることを知ってしまった少女たちの物語。 当作品はカクヨムで連載している作品の転載です。 ※この物語はフィクションです ※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。 ご注意ください。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

失恋中なのに隣の幼馴染が僕をかまってきてウザいんですけど?

さいとう みさき
青春
雄太(ゆうた)は勇気を振り絞ってその思いを彼女に告げる。 しかしあっさりと玉砕。 クールビューティーで知られる彼女は皆が憧れる存在だった。 しかしそんな雄太が落ち込んでいる所を、幼馴染たちが寄ってたかってからかってくる。 そんな幼馴染の三大女神と呼ばれる彼女たちに今日も翻弄される雄太だったのだが…… 病み上がりなんで、こんなのです。 プロット無し、山なし、谷なし、落ちもなしです。

小さくなって寝ている先輩にキスをしようとしたら、バレて逆にキスをされてしまった話

穂鈴 えい
恋愛
ある日の放課後、部室に入ったわたしは、普段しっかりとした先輩が無防備な姿で眠っているのに気がついた。ひっそりと片思いを抱いている先輩にキスがしたくて縮小薬を飲んで100分の1サイズで近づくのだが、途中で気づかれてしまったわたしは、逆に先輩に弄ばれてしまい……。

フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件

遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。 一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた! 宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!? ※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。

不思議な夏休み

廣瀬純七
青春
夏休みの初日に体が入れ替わった四人の高校生の男女が経験した不思議な話

百合短編集

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

AV研は今日もハレンチ

楠富 つかさ
キャラ文芸
あなたが好きなAVはAudioVisual? それともAdultVideo? AV研はオーディオヴィジュアル研究会の略称で、音楽や動画などメディア媒体の歴史を研究する集まり……というのは建前で、実はとんでもないものを研究していて―― 薄暗い過去をちょっとショッキングなピンクで塗りつぶしていくネジの足りない群像劇、ここに開演!!

処理中です...