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第4章
災い転じて福となす 6
しおりを挟むいつものわたしには到底見せてくれない穏やかな笑顔で、秋川さんはそっと手を伸ばした。
時折辺りをキョロキョロ見回して、周りに人がいないかを確認している。
おいおいなんだこれ、なんて思っていたわたしだったが、ここでようやく自分が置かれている状況に気がついた。
そうだ。今のわたしはイタチなのだ。秋川さんが大好きなイタチなのだ。
秋川さん目線で見ると、草むらの中に大好きなイタチを見つけて興奮してるってことかな……?
おいでおいでと幼い子供みたいに両手でわたしを向かい入れようとする秋川さんの姿に、思いの外羞恥心が湧いてきた。秋川さんに対するものではなく、わたし自身に対する緊張感が恥ずかしさを演出して心臓の高鳴りが止まらない。
いつもは破天荒だと思われるくらいに秋川さんにアタックできるのに、今はそれができなかった。理由は簡単。わたしの方が秋川さんの積極的な愛に触れているからだ。向こうから見たらまったく別の生き物なんだろうが、わたしからすれば、堅固な盾がいきなり最強の槍に変わったみたいな印象を植え付けられる。
思いもかけず逃げようかとも考えてしまった。
怖いと言ったら何か違うけど、その愛に触れるのは早計というか、騙し討ちみたいな形で秋川さんに愛でてもらうのは罪だな、なんて思ったりして。でも、どこかではこの姿のまま抱き上げられて頬擦りしてほしいなんて邪なこと考えているわたしもいて。
優しすぎる蛇睨みを喰らったように、感情が右往左往して立ち止まることしかできなかった。
そんなわたしに、秋川さんはゆっくりと手を近づけてくる。
「いい?だっこするね。」
答えるはずもないのに、律儀に一声かけて秋川さんは赤ん坊を抱くように、丁寧にわたしの体に指の腹を巻きつける。
その一言が余計に自分の置かれている状況を分からせるようで、恥ずかしくて何もできなかった。
沈黙をYESだと受け取った秋川さんは、そのままぐいっと小さな身体を長い指でしっかりと持って、しゃがみ込んだまま持ち上げて自分のお腹の辺りにまで抱き寄せた。
わたし、秋川さんに抱っこされてる。
秋川さんは、わたしがどうすればリラックスできるかわかっているかのように指で身体を擦りながら暖かな目を向ける。
なんの抵抗もできず、ただ安心して身を委ねているわたしに、人間としての尊厳なんてないも同然だった。
「おとなしい子ね。噛んでもいいんだよ?」
秋川さんが人差し指をわたしの顔の前に差し出す。
その言葉を聞いて、思考回路を放棄していたわたし、そのまま指を軽く噛んだ。
もしも本気で噛んでいたら指に穴が空いていただろう。でも、秋川さんはわたしがそうしないって分かっていたのか、甘噛みを簡単に受け入れてむしろ嬉しそうだった。
まさかこんなことになるなんて。
あの冷酷非道な秋川さんが、わたしを抱っこして穏やかな言葉を投げかけている。
別にこうなって欲しいと思ってなかったわけではない。実際、イタチ姿のわたしを見て秋川さんが可愛がってくれるなんて妄想だってしてた。でも、現実にこんなことがいきなり起こるなんて、思考もバグるって。
この道で秋川さんと出会したのは偶然だろうけど、さっきの秋川さんは明らかに空き地でわたしを捜索していた。
たぶん、自転車に乗っているときに不意にイタチの姿を発見したのだろう。それで慌てて戻ってきて探し出した。『見間違いだったのかな』なんて言ってたし、たぶんそうだ。
「よ~しよし。どこかのペットなのかな。」
わたしの頭を羽に触れるようにふわりふわりと撫でながら、秋川さんは野生動物としてはおとなしすぎるわたしに疑問を持つ。
そしてそのまま全身をさらに持ち上げて、細部までロックオンするみたいに眺め始めた。
「うーん、この子はどう見てもフェレットじゃなくてイタチだよな……にしてはおとなしすぎるし、獣臭さもほとんどない。」
じっくりと観察しながら考察を始める秋川さんと対照的に、わたしはここらへんで若干焦りを感じ始めた。
普通に考えて、人間に抱かれてなんの抵抗もしない野生動物なんて稀だし、イタチって確か凶暴な性格だったから余計違和感ありまくりだ。フェレットでしたって言い訳も秋川さんに看破されたし。
というか、見ただけでイタチとフェレットの違いわかるんだ。さすがイタチマニアだ。
「不思議な子。でも可愛いねぇ。家に持って帰りたいくらい。」
一言一言に語尾に♪とか☆とかついていそうな天使みたいな声で、さらっと全人類が喜びそうなセリフを述べる。
これが俗に言うお持ち帰りってやつかな。
秋川さんにお持ち帰りされるなんてそれ以上の幸せはないのだが、わたしはちゃんとした人間だ。持って帰ってもらうなら、人間の姿じゃないとね。そんな日が来るかも分からないけど。
でも、これくらい優しい秋川さんもすごく目の保養になる。なんなら実体験できてるんだから、より一層ドキドキするもんだ。
明日以降、秋川さんに何か冷たいことを言われても、『でもこの人、イタチの姿のわたしには甘々なんだよな』って考えるだけで楽しくなりそうだ。
まあ仮にこのままイタチとしてでもいいから愛されたいってなっても、どうせ一時間で元の姿に……………
ん?
一時間で元の姿に戻る……んだよね?
あれ。確かわたしがここの空き地に来たのは、家に帰るためであって、なんで家に帰ろうかと思ったかというと、もう時間が……。
…………。
『うわぁぁ!?もう時間じゃん!?』
「うわっ、どうしたの急に?」
急に発狂したわたしの声に、秋川さんは本気でびっくりしたように全身を跳ねさせた。
いきなり大声を出してしまったのは申し訳ないけど、今はそれどころじゃない。
制限時間は一時間、それを超えると強制的に人間に戻る。
現在進行形で抱っこして甘えさせているイタチが、いきなり全裸の女子高生、しかもわたしに変わったとなったら、もう本当に全てが終わる。
昨日まで少しずつ積み重ねてきた秋川さんへの薄い信頼は、暴風に吹き飛ばされて本体ごと空の彼方だ。
秋川さんはしっかりと手とお腹の間にわたしを挟んでいたが、なんとか無理やり抜け出して猛ダッシュでその場から退散した。
本当はもっと秋川さんに抱かれていたかったけど、太陽の沈み具合からしてもうすぐ一時間経つだろう。公然猥褻痴女になる前にとっとと家に向かわねば。
秋川さんが後ろから何か声をかけていたような気がしたが、気にする暇もなかった。
幸い、空き地の位置は家からかなり近かったので、猛ダッシュをかませば一分で家の敷地内に入れた。
そのまま庭の木をするすると直角を登っていって思い切って木の上からベランダに飛び込んだ。
降りる時はあんなに怖かったのに、登る時は当然の如く駆け上がれるとは。焦っていたとはいえ不思議なものだ。
半開きになっているわたしの部屋の窓に飛び込むのと、身体に異変が生じ始めたのはほとんど同じタイミングだった。
つまり人間に戻ったのだ。
腕がニョキニョキと生えてきて、体毛は短く消えていって髪はいつも通り肩の下まで伸びてくる。
「あっぶね。」
まさかこれほどギリギリとは。
あと数分遅れていたら悲惨なことになっていた。
窓の外を眺めると、辺りは暗くなっていて、夜が訪れているのを感じた。
急いで服を着てベランダに出て、わたしの家からでも見える空き地を展望する。
そこには、見失ったわたしを探しているであろう秋川さんがいた。腰を屈めながら、空き地の隅を草をかわしつつ移動している。
暗さのせいか、いやに物悲しくなった。なんか、申し訳ないことしたかもしれないと思った。
わたしのためにあんなに一生懸命探してくれてるって考えると、もうあと一時間イタチのままでいたかったかも。
「イタチ……イタチねぇ。」
何がいいんだろ、こんなちっこい動物。
嬉しい反面、やっぱり共感からは遠のいた気もする。
姿が違うだけであんなに反応が違うなんて。
実際に体験したから分かることだけど、やっぱり人間として見てもらった上でああいう反応をしてもらいたい。あそこまで甘々じゃなくていいから、『好き』って気持ちが分かるくらいに秋川さんに接してもらいたい。
せっかく可愛がってもらうという夢を叶えたのに、心の中にはわずかに歪みが生じていた。
日が沈んでいく瞬間が、まるでその心のもやもやを表しているようで、余計に穴が空いたみたいな気持ちになる。
でも、そんな夜に輝き始めた星を見て、やっぱりイタチのわたしに対してのものでも、秋川さんの笑顔は最高だ、なんてあっちこっち行ったりもした。
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