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龍王と魔物と冒険者

121話目

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アイリーンは自身が魔導学院オーウェンに入学した結果、自身の存在が魔導師と魔女の二度目の千年戦争を引き起こす諍いの火種となる可能性を危惧していた。だからこそ自衛と調停の意味も込めて高位の魔女に強力な"失認の呪い"をかけてもらっていた。
それによりアイリーン・イスカリオテという親から与えられた真名を偽る必要なく魔導教会のお膝元で堂々と名乗っているにも関わらず誰にも魔女だと思われることがないし疑問を持たれることすらない。それほどまでにこの呪いは付け入る隙が無い完璧な呪術であった。
だが理屈でなくイルイにはなぜか嫦娥と玉兎からアイリーンの名を告げられただけで自分が知っている彼女のことだと確信を持てた。


(歪様。私その名前に心当たりがあります。)


イルイがこそりと耳打ちすると、黒水は気取られる事なく即座に言葉に関する認識を歪める魔法を使って、前を歩く2人の魔女には別の会話として認識させた。その上でイルイと青風と自分にだけは正しく意思疎通が取れる小規模な空間を展開したのだ。


「普通に話して大丈夫だよ。彼らにこの会話は聞こえない」


「アイリーンちゃんは私と一緒に学院に入学した仲間です……」


「なんだか引っかかる言い方だ。それだけじゃなさそうだね?何か言いたいって顔してる、なんてね。んふふ。ちょっと今の雪姫っぽくなかった?」


「……」


「イルイ。君は別に私たちに回りくどく言葉を選ぶ必要はない。言いたい事があるなら遠慮なく言うといい。それにそうしないと筆頭にはきちんと伝わらないと思う。この人は、ほら、あれだから。」


「わ、私。あの2人のこと疑いたいわけじゃないんです。でもどうしてもアイリーンちゃんがそんな悪い人だなんて思えなくて。」


「うん。それで。イルイはどうしたいの?」


「どう、したい……。私は。彼女と。お話がしたいです。」


「お話しして、仮に。本当に過激派の魔女ならどうするつもりなの?」


「どうもしません。説得します!」


「だ、そうですよ。筆頭」


「……。分かった。イルイ、この件は君に任せる、とは言わない。でも少しくらい好きにやってみるといい。その猶予はまだある。貴重な経験だ。あっちの魔女2人は私たちが適当にいなしておくからさ」


「ありがとうございます!」

ーー
ーーー

(っていう話だったのに。なんでここにあの魔女の1人が現れるの!?まさか歪様たちに何かあったんじゃ)


「私はこう見えて人の機微を読み取る事に関しては誰にも負けない自信がありましてな。会話でどれだけ誤魔化しても、あの瞬間の君の顔は口よりよほど雄弁に語っておいでだった。だからこそこうして私は私の1体を君に張り付けておくことにした。おかげでこうしてイスカリオテの誇る麒麟児を無事見つけることができました。私の名前は嫦娥。曜日の魔女でございます。さあ、私と一緒にサバトへ帰りましょう」


パチパチパチと肉体が火に包まれてるのにそれを意にも介さず、それどころか何処か上機嫌に喋り続ける嫦娥が突然ズブズブと影に沈んでいく。見たことのない現象。そして気付けば火に包まれる前の状態でもう一度現れて手を差し出してきた。


「まさかイスカリオテ本家からの。
……私を連れ戻すためのルチアお母様からの遣い。
でも、どうして?少なくとも卒業までは待ってくれるという話なのに」


「一時的に出戻りをするようにとルチア様からの言伝も預かっております。
アイリーン。お前と話すべきことがある。疑問も質問も許さない。至急この嫦娥と共に戻れ、とね」


「え?さっきは私たちには過激派の魔女が潜んでいるって伝えたのに、どういうこと!?」


「騙す形になってしまい申し訳ありません。ですがそう言った方がアイリーン様の捜索に協力してもらい易いかと判断して、嘘を述べさせて頂きました。」


恭しく頭を下げる嫦娥にイルイは戸惑いを隠せない。
嫦娥に対して明らかに目の色を変えたアイリーンはもう一度だけ問いかける。


「……それよりも一字一句違わずにルチアお母様がそう言ったのかしら?」


「はい 魂に誓って」


嫦娥が和やかに応じると同時にアイリーンは自身の使い魔であるアドラメイクに迷わず合図を出した。


「この嘘つきめ! アドラ!」


「はいよ!」


悪魔アドラメイクは念じるだけで物を自由に動かす事が可能だ。"念動"と呼ばれる魔法であり、部屋中の物が一斉に嫦娥の圧殺を試みた。


「なぜ?私の言葉が嘘だと分かったのですか?」


またしても嫦娥は物の隙間を縫うように影の中から無傷で這い出てくる。


「単純な話だ。私は家族や親しい人物にはイレーヌという愛称で呼ばれているんだよ」


「なるほど。やはり私は魔女に向いてませんな。なにせ言葉で人を謀るのが苦手なのですから、実力行使が私らしい。」


アイリーンとアドラメイクは目の前の男が曜日の魔女ウイッチクラフトと名乗った時点でまともに戦う気はない。
彼或いは彼女たちは聖天主教に認められた戦闘に秀でた上位7人の魔女であるからだ。


「こいつ影の者スカアハの呪い持ちだ。勝てない!逃げるぞ」


アイリーンの使い魔アドラメイクの言葉につき動かされ、イルイとアイリーンは一目散に逃げ出した。
アドラメイクは逃げる間際に"指定した扉からの出入りを禁じる呪い"をかける。だが嫦娥はそれよりも速く狙い澄ましたかのように視線を鋭くした。


「無駄です。もう私の影送りは発動していますからね」


魔力に敏感な悪魔を欺くほどの呪い。彼の影が一層濃くなり、ガカクリョウの通路一帯の出入りを封じていた。つまり逃げ場は既に断たれていたのだ。


ーーー


魔導学院を守る魔導衆の面々は主に荒事対処に秀でた面々が多く所属する。そんな強者たちを相手に項星とロレイは余力を残しながら撃退していた。


「お嬢。これ絶対後で外交問題になるやつですよ」


「フーハッハッハ!であるな。少々考え無しが過ぎたか。だが予定調和よりこういった方が座興っぽくて余は好きぞ。ん?そちの後ろから、なんか強いの来ておる」


「お前たちは下がれ。ここからは私たちが相手をする」


魔導衆の人垣を飛び越えて、赤い獣のような魔導師が素早く大きなハンマーをロレイの背後から振り下ろした。反応したロレイの右手が黒くなり、それを真正面から受ける


「5番の大槌を止められた!?」


「固ったあ。骨の芯まで響く」


ビリビリビリと強い圧を感じて、項星が振り返る。黒い魔導師と青い魔導師。そして2人の魔女が立っていた。
とりわけ黒い魔導師の方は鋭い視線で項星を睨みつけている。普段の親しみ易い彼女を知っているイルイが今の彼女を見たらきっと別人だと思ってしまうだろう。


「魔女に続いて軍国。このタイミング。本当に無関係なんだな?」


「関係ない関係ない。ね、嫦娥」


「はい」


「……今私たちは少々取り込んでいる。だから手荒にお前たち2人を、いや3人か。何人でもいいし、どこの王族でも構わないが、とりあえず賊として捕まえることにするよ。弁明は聞かない」


「遊び疲れそうだな。流石に」


目の前の4人の強者に対して項星はそこで初めて自身の力を顕現させた。

ーーー

「くそっ。これは影送り。出られない」


「左様。さすが悪魔は物知りですな。年の功より悪魔の知恵といったところか」


「お前は何が目的なの。私の身柄?」


諦めが脳内にちらつくアイリーンのその問いかけに嫦娥は一歩ずつ足を進めながら丁寧に答えた。


「私たちが御三家イコンから受けた命は2つ。オルガノンの杖の奪取とアイリーン・イスカリオテの身柄の確保。どうやら貴女に魔導師を続けられると都合が悪いみたいですな。まあどちらにせよ詳しい話は向こうで聞いてください」


「ウォーターボール!」


「ご友人、素晴らしい魔力ですね。流石は天下の魔導学院オーウェンだ。ですが無駄ですよ。簡易魔法じゃどれだけ魔力を込めても戦闘の役には立たない」


嫦娥はイルイの魔法を風船でも割るように指先一つで簡単に破壊してみせた。


「どういう意味」


「どうもこうも魔力抵抗力レジストをご存じないのですかな?人は大なり小なり有しているのですよ。そしてそれは簡易魔法のようにシンプルなものに殊更大きく働く力でもあります」


「実技試験などで不思議に思いませんでしたかな?物や壁を壊せるのに、それより基本的に脆い人に当てても大怪我すらしないことを」


嫦娥の言葉には誤りがある。レジストは魔力の質に比例して強力になる傾向にあるが必ずしも簡易魔法がレジストが破れないわけではない。当然それを打ち破る技法もある。だがそれは魔力出力と魔力操作などが求められる。少なくとも今のイルイにはどちらも到底実現できない技であることをアイリーンは理解していた。


「さて、諦めがつきましたかな。」


「……分かった。抵抗しないから誰にも手荒なことは」


「サンダーボール!」


「イルイ!?あなた何をして」


「アイリーンちゃん!最初に言ってたよね。この世界で1番凄い魔導師になるって。そしてあっちの人たちはこう思ったわけだよ。このまま魔導師を続けられたらなっちゃうって」


イルイは諦めなかった。雷の球が嫦娥に炸裂する。無駄である。再三の宣告通り、直ぐに嫦娥は影に入り無傷となる。


「聞き分けが悪いですな。無駄なのが分からないのですかな」


尚も攻撃を続ける。だがそれに何の意味があるのか。


「いいの?こんなとこで諦めて!?
それに私に負けて雲隠れしちゃったら、みんな誤解しちゃうよ。それで本当にいいの?」


「いいわけ、あるか!アドラメイク!」


「応」


アイリーンは箒のような魔法具を持っている、と思われている。否。それはアドラメイク本来の姿である。


「舐められたものですな、2人なら私に勝てるとでも」


嫦娥が臨戦体制に入るより速く、影送りの結界を真上から破った者がいた。影送りの中では色が無い。だがその龍はその中でも猛火のように緋く苛烈に燃えていると理解できた。


「《呼ばれてないのにジャジャジャジャーン!》」


龍王アーカーシャがイルイたちの前に現れた。
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