シロクロ仲直り合宿計画

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#2 シロクロ仲直り合宿計画

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 耐え難い炎暑の文月末日。
 スーツケースのガラガラと地面を引く音と、幾重にも重なるクマゼミの声だけが鼓膜を刺激する。
 先刻家を発ったばかりだというのに、遥か上方より光線を浴びせてくる烈日のせいで、全身の毛穴から汗が吹き出しては被毛や服を変色させるほどに暑い。もっとも、汗っかきの僕は衣服の汗染みを目立たせないために白い服を着ているのだけども。
 夏真っ盛りの太陽というのはどうしてこう朝から容赦ないんだろう、僕の上で照り輝いているお天道様を恨みに思う傍ら集合場所である駅へと足を進め続ける。
 僕たちの住んでいる町は車通りも人通りも疎らな郊外エリア。片田舎の住宅街と言った方が分かりやすいのかも。駅というよりも駅舎の方が正しかったかな。

「うー……それにしても、あづい…………」

『待ってろよ、クロノ!』──
 意気込んで夏の世界に飛び出したは良いものの、歩くこと二十分、駅までの折り返し地点で既に僕は灼熱の太陽に屈しかけていた。

「でも、こんなとこでへばってちゃダメだ」


 この夏、僕たちは仲直りの夏合宿に行く。
その正体は二週間の車免許合宿で、クロノが考えてくれた僕たち仲直りのためのアイデア。僕たちは十年来の親友でありながら、三年半もの間口を聞くことなく顔も合わせずにいた──全ては僕のせいで。
 仲直りとは言いつつ、それはクロノにとっての一面的な仲直り。一方の僕にとっては仲直りでもありながら、罪と愛の告白を意味する。
 何を隠そう僕はクロノのことが大好きだ。いや、ずっと大好きだった。だからあんな酷いことをしてしまった……悔やんでも悔やみ切れない最大の過ち。
 クロノは言った──「待ってるから」「お前の口から聞かせてくれ」と。僕はその優しさすら裏切って逃避行をした。つい三週間前、クロノが仲直り合宿計画を持って家にきてくれるまでずっと。
 そう、中学三年のあの日以来三年半も待たせた挙句、遂にはクロノの方から歩み寄ってもらった始末。そこでも意気地なしの僕はカミングアウトできずにいたから、こうして夏合宿で仲直りという流れになったわけだが……。
 だから、今度こそは僕の順番。僕がクロノの優しさ、復縁したいという思いに報いる番。

 クロノは僕との今後を約束してくれた。
『ぶつけてやるよ、僕の矢印!』──だからあとは罪と共に気持ちを告白するだけ。
 言わずもがな、全く怖くないわけではない。仮に拒絶された時のことを考えるだけで唾を飲み込む速度が急増し、手が震えだす。何度も夢にまで見た、失敗の結末。それほどまでに失いたくないかけがえのない友達だということの裏返しなんだけれども、僕はクロノを信じたいし、何より信じている。だから、あんまり怖い気はしなくて、寧ろ共同生活をどこか楽しみにしている自分がいる。
(僕らはニコイチ……あいつが真正面から認めるとは思えないけども。でも、一緒にいられないと辛い気持ちは同じだから)

「…………」

 ガラガラガラガラ──わしゃしゃしゃしゃしゃ──スーツケースのローラーと蝉の音が続く中、僕はひたすら汗を流して駅を目指す。
 駅に近づくにつれ、車通りや人通りが徐々に増え、活気づいてくる。駅周辺は小綺麗に整えられており、コンビニや小さなスーパー、バスロータリーなどの町らしい光景が目につくようになってくる。
(そういえば最近この近くにカフェができたんだっけな……あ、ここだ。ふぅん、かき氷かぁ~、あぁ冷たくて美味しそ…………)
 店外に置かれたボードに描かれた可愛らしいいちごかき氷のイラストに誘惑を受けながらも、僕は歩みを止めずにスーツケースを引き続ける。

 駅舎はもう目と鼻の先といったところで、僕の目は入り口付近に立つ黒色で長身のあいつを捕らえた。
(やっぱり遠目からだと狼のシルエットだな。っていうか全身黒っ! ただでさえ黒い被毛なのに暑くないのかな……あの黒い服)
 クロノは僕のローラー音に気づいたかして、スマホをポケットにしまい、僕の方を向いて手を小さく上げた。クロノに手が届く距離まで近づいて、僕も会釈をする。
「よっ! ったく、暑い中待たせてくれるぜシローは」
「僕時間ピッタシなんだけど。クロノが早く来すぎなんじゃない? あと焦げるよ、真夏にそんな真っ黒の服着て待ってたら」
 僕の悪い癖がまた出てしまった。クロノ相手だとすぐに軽口を叩いてしまう昔からの癖。
「うるせ。お前の方こそなんだそれ、汗で乳首透けてんぞ?」僕の胸元を指差して指摘する。乳首が透けている? そんなバカな──目線を落として即確かめてみると本当に透けて浮いていた……。
「っバカクロノ! 変なとこばっかり見んな!」
「いやだってそれ、目立つしさ。そうだ、そこのスーパーでブラジャーでも買ってくか?」ニシシッとイタズラ顔で笑ってやがるコイツはマジで……憎いんだか好きなんだか分からなくなってくる。
 返り討ちに遭うなんて分かりきっていたのに、それでも戯れが口を突いて出てしまうのは心の奥底でそんなやり取りを望んでいるが故なのかも知れない。
「いらんわ! 暑いから早く駅ん中入るよ!」
 へーい、と呑気な返事した黒犬を連れてさっさと切符を買い、ホームで電車を待つ。ホームは日陰になっているが、生温い風が熱気を運んできて結局のところ暑さからは逃れられないらしい……直射日光を防げるだけありがたいと思っておこう。
 少ししてホームに電車が到着すると、僕らは涼しさを求めて足速に乗り込む。列車内は僕たち以外誰もいないのに、贅沢にも冷房がガンガンに効いており、一瞬にして汗が引いていきそうな気持ちよさ。
 シートへ横並びに腰を下ろして一息。スマホの時計を見ると、午前十時を少し過ぎたあたりの数字をディスプレイ上に表示している。向こうへ到着するのは午後四時すぎになる予定で、かなりの長旅だ。

(何から話そうかな。話したいことと聞きたいことがありすぎて上手くまとまらないや)

「シローはさ、免許取ったら何したい?」
 話の切り口を探しあぐねていたところ、クロノが束の間の沈黙を破った。
 車に乗れるようになったらやりたいこと、か。車を移動手段としてのみ捉えていた僕は暫し逡巡の後、遠くまで美味しいものとか食べに行けたらいいな、そう答えた。
「相変わらず食いしん坊なんだな、お前らしいよ」
「……じゃあそういうクロノは何やりたいわけ?」
 また茶化し返されたので、ぶっきらぼうに聞き返す。
「シロー連れて海とか行きたいかな。車中泊とかキャンプとかもやってさ、思い出作り。楽しそうだろ?」
 こくりと小さく頷く僕の顔は急激な温度上昇を始める。唐突にそういうことをサラッと言えるクロノはずるい。ギャップというやつなんだろうか、こいつは昔からメリハリがしっかりしているんだっけな。
「お前の美味いもん巡りも一緒に行ってみてーな。ああクルマっていいよなぁ! 便利なだけじゃない、行動範囲が広がってどこまでも行ける。自由そのものなんだぜ?」
 目を輝かせて夢を語るその姿もまた眩しくて純粋にカッコいいと思えた。車は単なる移動の手段ではなく、自由の手段。そんな風にポジティブに考えて僕まで巻き込んで引っ張ってくれる、そんなクロノが僕は大好きなんだ。……感情を零れ落とさないように気をつけないと。
「そういやクロノ車に興味あったよね。マイカーとか買ったりするの?」
「そうそう! 俺そのためにバイトして貯めてんだ」
 聞けばクロノはバイトを掛け持ちしていて、夏休みと言えども多忙な生活を送っているらしい。塾講師とパン屋の二足の草鞋で、朝がパン屋、夜は塾で教えているという忙殺具合。合宿のために二週間休暇を取るのも苦労したのだとか。
「シローはなんかやってんのか? バイト」
「喫茶店の店員だよ。……どことは言わないけど!」
「へぇーシローちゃんがカフェの店員ねぇ! 可愛らしいふわもこ店員くん、女の子からたいそう可愛がられてんじゃねーの?」僕の肩を小突いて調子の良いことを言ってくる。
(なんだよ可愛いって……。だからそういうのがずるいんだって!)
 悟られまいと平常心を装って答える。
「半分正解、五十点ってとこかな。可愛がられてるのは確かにそうだけど、まぁ主におばちゃん達からなんだけどね……」
「はははっそれもお前らしいや。……ホント、何も変わんねーなぁシローは」
「クロノもね。背伸びただけじゃん」
「お前は背すら伸びてねえっての!」
 からからと朗らかな笑い声が誰もいない車内に反響する。

 僕たちの根幹は何も変わらない。変化したのはクロノの身長と、僕がクロノに向ける矢印のただ二つだけ。胸底は視認し得ないため、クロノから見れば僕は全く変わっていないことになる。

 その後も話題には事欠かなかった。大学や高校、バイト、家族のこと、そして外せない思い出話。毎日顔を合わせて喋っていたあの頃でもそうだったけれど、話のネタは切れることなく、寧ろまだまだ話し足りない程に会話に花は咲き続ける。
 時間はあっという間に過ぎ去り、
「あ、次降りるよ」
 乗り換えアプリで確認した僕はクロノを連れて、地元のローカル線からそこそこ大きな乗換駅のホームへと移る。乗換駅から都会の中央駅まで乗り継ぎ、そして再びローカル線に乗り換えるといった具合に列車旅は続く。

 徐々に閑散としていく街並みは、やがて広大無辺に向日葵が咲き誇る田園風景美しい田舎道に姿を変えていく。黄色、緑、青空のコントラストが鮮麗で、僕は思わず車窓からカメラを構えてしまうのだった。
「ね、見てこれ! 綺麗に撮れたと思わない? 油絵みたいじゃない?」
 クロノにスマホで撮った写真を意気揚々と見せると、素直に上手だと褒めてくれて綻んだ顔とともに尻尾をふわりと揺らしてしまう。クロノは風景写真とか撮らないのかと、ふと思った疑問をぶつけると、
「俺はその場で目に焼き付けたいタイプかな。写真もいいけど、生で見れる時間って貴重だからさ」
 なるほど、それも一理ある……。僕が写真を撮ったのだから後で送ってやればいい。
 電車は平坦な田舎道を抜け、山間部に差し掛かる。長いトンネルを通過したその先は、両サイドを緑の山に挟まれて川を見下す風情ある風景。僕たちの地元よりも遥かに寂れている夏の美しい田舎景色が流れてゆく。
 景色に目が慣れ、興奮度合いも少し落ち着いてきたところで、小腹が空いた僕たちは持参したおにぎりを食べて昼食とした。

 それから時は流れること約一時間半。尽きることのない談笑と、変わりゆく夏景色は僕たちを飽きさせずに時の経過を忘れさせてくれた。そしていよいよターミナル駅、僕たちの目的地たる駅に到着する……まだここで終わりじゃないけれども。

 確か、駅を降りたところの乗り場で迎えの車が来てくれているんだっけな。
「あの車だ。ほら、俺たちの教習所の名前もちゃんと入ってる」
 運転手の方によろしくお願いします、と挨拶をして乗り込み、そこからさらに三十分が経過したところで、ようやく僕たちの長旅は終わる。
 悪く言えば辺鄙な田舎、よく言えば夏らしい夏を過ごすのに最適なリゾート地。仄かに漂う潮の香りと、山から吹き流れる夏風が異郷に辿り着いたことを意識させてくれる。
 今朝、僕の耳にこれでもかと言うほど音を飛ばしていたクマゼミの声はもはや聞こえず、代わりに別種の蝉が鳴いており、同じ夏でも少し違った夏を全身で感じる。

「とうとう来たな。……心の準備がついたらちゃんと話してくれよな、シロー。そんで免許もいただきだ」
 教習所の門前でクロノは僕たちの“ゴール”を口にする。
「分かってるよ。それよりもまずは楽しむんでしょ?」
 よく分かってるじゃねぇか、と僕の背中をバシッと叩いて笑いかけてくれる。
「さ、楽しい二週間にしようぜ! 仲直り合宿の始まりだ!」
 弾んだ声でそう宣言し、僕たちの夏合宿は幕を開けた。
 これから二週間、こいつとの懐かしい共同生活が始まる──隠し事なしのあの頃と同じ関係性の再構築。そして、告白。僕たちは後に引けないところまで来たんだ。逆に言ってみれば先に進むしかできないと言うこと。ただ引き返せないだけ。それは僕もクロノも重々承知の上、ならばあいつの言う通り合宿を楽しんでやるのみ。
 そう思えば、僕の心はひっそり青々と燃えはじめるような気がして、
(ふふっ。覚悟しろよ、クロノ!)
 そんな風に強く思えるのだった。



 受付で荷物を預けて入校準備を済ませ、早速入校式を兼ねた学科の授業が始まる。僕たちと同じ日に入校した他の合宿生らと同じ教室で、施設やら教官の紹介、教科書問題集の配布、車を扱うことの危険性など諸々の説明を受ける。そして車の操作方法を大方学んだ後、ドライブシミュレーションを経験した。
「それではこれより外へ出て実際に軽く運転してもらおうと思います。大丈夫、今やった模擬操作の通りですから」
(え……やば、もう運転!?)
 驚いて予定表を再度見ると、合宿のスケジュールは初日からギッチリと詰まっており、夕刻を過ぎる頃でも第一回目の技能教習が組み込まれている。
 クロノは車を操れることを待ちきれんとばかりに尻尾まで振っているが、そんなあいつと反比例するように僕のそれは垂れ下がって後ろ腿の間に挟まっている始末だ。
「お前、ジェットコースター乗る前みたいになってんぞ?」
「そんなことないし。全然怖くないし」
「絶対怖がってるヤツのセリフだそれ! 教習所内ゆっくり走るだけだから怖かねぇって!」
「だ、だよねー。ゼッタイコワクナイナイ」
 上ずった棒読みの声音が口から流れ出るが、空回りした奮起はもはやおまじないにもならない。
「怖いって顔にも書いてあるぞ」
「ぐ…………大丈夫、大丈夫だって!」



 *    *    *    *



「……で、あの急発進急ブレーキで所内跳ね回って暴走してた赤のクルマがお前だったってわけか」
 だーっはっはっは、ぎゃはは、カフェテリアにクロノの大きな笑い声がこだまする。
「そんなに笑うことないじゃん。あーもう、僕ってば運転しない方がいいのかも……」
「だってオートマだぜ? 前見てペダル操作さえしっかりしてりゃああはならねーって」
 クロノのけたけたと笑う声はまだ続く。僕だって恐怖心を抑えて真剣に取り組んだつもりなのに。あと、涙流すほど笑われるのちょっと心外なんだけど。
 黒犬を適当にあしらいながら、箸をすすめるペースをあげる。
「マジでマニュアルやめといて正解だったな! ったく、横に乗せられてる教官も可哀想のなんの」
「ごちそさまっ!!」
 バンッと勢いよく立ち上がり、食器を返しに行く僕の背後から声が掛かる。
「もう食べたのかよ? ご飯食べるのは得意な──」「うっさい!! 早よ食べろ真っ黒バカ! 鍵と荷物もらって部屋戻ってるから!」
「悪かったよシロー、俺も今食べ終わるから待てって」
 残りの白飯をお茶と共に一気にかき込んで、僕に置いてかれまいと一生懸命ついてくるクロノの姿は──
「……子犬」
「なんか言ったか?」
「なんでも? ちょっと味付けが濃いーな、なんて」

 受付で部屋の鍵と先程預けた荷物を受け取り、はなれの宿舎へと向かう。外はすっかり日も暮れて、波乱な一日は既に後半に差し掛かかっている。今日すべきことと言えば、お風呂と学科一限目の復習ぐらいかな、そんなことをクロノと喋りながら僕たちは部屋前に到着する。
 鍵を差し込み、ドアを開けると真っ暗闇が僕たちを出迎えてくれる……明かりをつけなきゃ何も見えないや。入り口付近にて微細な光を放つスイッチに手を伸ばし、部屋に灯を灯すと部屋の全貌が明らかになる。玄関からして既に広い綺麗な洋室タイプの部屋は、宿舎というよりホテルという方が似つかわしいとさえ思える。
 先に靴を脱いで部屋に上がったクロノは初めて友達の家にあがった好奇心旺盛な子どものように部屋をあちこち見回しては感嘆の声をあげている。
 二人分のスーツケースを持って部屋へ上がった僕も高揚を抑えきれず、クロノに倣ってしまう。でも、どことなく違和感……何かが欠けているような気がしてならない。
「テレビとエアコンもあるし机も広い! 風呂はあっちだな! 俺ってば良い部屋とったろ?」
 優に八畳を越しているであろうこのツインルームは、二人で二週間の生活を送るには快適そのもの。今はちょっと暑いけれども、エアコンの電源を入れて部屋を冷やせばそれも次第に解決する。ピッとリモコンを操作すると、冷風が汗ばんだ被毛を撫でていって気持ちがいい。クーラーの効きもばっちしだ。
(確かに良い部屋なんだけど、なんだろう……何かが足りない? でも何だろ?)
「肝心のベッドはー……んん? これって……」
 クロノがベッドの掛け布団をバサッと勢いよくはぎとったところで違和感の正体が露になる。

「「ダブルベッド!?」」

 言葉のシンクロニシティ。部屋に入った時から感じていた何かの欠如、それはベッドの数だった。
「な、なにこれ……俺シローの横で寝んのか? ガキの頃ならまだしもこれはちょっとまずくね?」
「何がまずいの? 言ってごらん?」
 懸想している親友とベッドイン、しかもこれから毎日……明らかにまずいのは僕の方だけど、ここは逆張り作戦だ。煙幕を張って動揺を悟られまいと主導権を取りに行く。
「シロー正気か? いくら幼馴染とは言え、男二人がダブルベッドで寝るんだぞ?」
「ん? 僕は別に気にしないけどね。昔お泊まりの時とか雑魚寝でよくやってたじゃん。あの頃と同じでしょ?」
 やましいことなんて何一つない、すました顔でベッドに腰掛けて擬勢を張る僕はさらに追い討ちをかける。さっきのやり返しの意味も込めて。
「それともなにクロスケくん、スケベなことでも考えてんの? もしかして朝勃ちとか夢精が心配だとか? あはっ、クロノってば男の子可愛いなあ」
「んなっ!? ば、バカじゃねーのっ? そんなんじゃねーし」
 ふふふ、この目を泳がせての動揺っぷり、案に違わずってとこかな。クロノは素直なやつだけど、その分感情を隠すのが相変わらず下手くそだ。冗談で揺すぶりをかけて楽しんでいる僕は、おくびにも出さず心のうちで大いに笑い返してやる。
 巧妙な仲直り計画を練り上げた利口な犬の姿はそこにはもういない。
「まぁまぁ落ち着きなよ。ただ横で寝るだけ、そうでしょ? ……あ、僕お風呂沸かしてくるから」
 反撃成功、大勝利。僕ってば結構できるやつかも? 温水と冷水の加減を調整しながら悦に浸る。

 やがてバスタブに湯は溜まり、
「お風呂沸いたよー。って、テレビ見てんの」
 先入りなよと呼びかけると、ベッドで横になりながらテレビ番組を見て寛いでいた。
(なんか良いなぁ、旅行っぽくて)
 ありがとなと一言、着替えを準備して脱衣所へ行くクロノを見届けた僕も旅行気分に浸ってやろうとも思ったが、今日の技能教習でのことを振り返ればそんな気も失せてしまった。教官の悲鳴とクロノの笑い声が脳内に響く……。
 重い足でベッドから立ち上がり、机に向かって教科書の心構えと基本操作方法のページと問題集を開く。教科書を行ったり来たりしては問題集と睨めっこを続けること三十分──
「偉いな、お勉強かい?」
 突然の声と共に後ろから頭をくしゃくしゃ撫でられ、わっと大きな声をあげてしまった。ビックリしたあ……。
「運転のコツか?」
 寝巻き姿に装いを変え、全身からシャンプーの香りを漂わせているクロノが僕の背後から覗き込んでくる。
「そ。なんかないの? 僕このままだと卒業できない……」
 僕が助けを求めるなり、クロノは隣の椅子に腰掛けて顔つきを変えた。
「そうだなぁ、一言で言えば『優しく』だな。お前の運転を見るに、ペダルやハンドルを強く操作しすぎなんだろうな。あと怖がりすぎ! 肩に力入れてると力加減も難しくなるからな。だから自分にも優しくする感じで全身の力抜いてこうゆっくりと──」
 夕食時に僕のことを笑って虚仮にしていたクロノは、ああ言いながらも実は僕の運転を分析してくれていて、悩みのタネを解消するべくアドバイスをくれている。
 真剣な表情に声音……懐かしいなぁ、この感じ。テスト前の勉強会の時もクロノはこうやって親身になって僕の面倒を見てくれていたのだった。
 憎いところはあるけれども、僕はクロノのこういうところに惹かれてしまうんだろうな。



「『お前のペースでゆっくりやればいい』、か」
 湯船に浸かる僕は、クロノのアドバイスを一人反芻する。自分のペースでやる、それは何も運転に限った事ではなく、告白も同様だったなと、思わず小さな笑いがこぼれる。
(問題はいつどこで伝えるかだけど……。あとでクロノの予定聞いとこ。せっかくの観光もしてみたいしね)
 あいつと再会したあの日こそ、心の準備がどうのと言って逃げてしまったけれども、今はもう気持ちの整理はついている。
 僕たちの関係を壊すか、壊さないまま逃げるか──その二択だけに思えた選択肢はいつのまにか第三の肢をつけており、心なしかそれは最も大きな途へとなっているようだった。

 ぬるま湯の中で思索に耽っていた僕は徐に立ち上がり、シャワーを浴びる。クロノと同じ香りのシャンプーで全身の汗を洗い流し終え、身体をブルブルと震わせて全身の水気を飛ばす。サモエド種族は獣毛の量がおびただしく、よく水気を切ってからタオルで拭かなければならない。その上全身をドライヤーで乾かさなければならないため、お風呂はちょっと面倒だったりする。
 それなりに体の水気がなくなり、脱衣所兼洗面所で温風を全身隈なく当てて乾かしていたところ、突如引き戸が開けられる音を耳がキャッチする。刹那、曇った鏡に黒色の姿が映った。
「わああああっ! 入ってくんなバカっ!」
 不慮の侵入事件に慌てふためいた僕は叫ぶのと同時に、局部を見られまいと急いでタオルでガードした。
 おぉっとすまん、そう言って驚くクロノの手には歯磨きセットがある。時間も時間だし歯磨きをしに来たのか……って、そんなこと呑気に考えている場合でもない。
「ドライヤーの音が聞こえたから頭でも乾かしてんのかと……ってか、そんなに恥ずかしがんなよな、女の子かよ?」
 素っ裸で赤面状態の僕は他になす術もなく出てけの一点張りでクロノを追い出しにかかる。昔──と言っても最終四年ほど前だが──はこれといってあそこを見られることに抵抗もなかったのだけど、こいつの事を変に意識してしまっている今ではそうもいかずに、身体と脳が見られる事を強く拒んでいる。バスタオルで股間を押さえて、もう片方の手で脱衣所から押し出そうとする。
「なんだなんだ、お前ってちんこ見られんのそんなに恥ずかしがってたっけか?」
 俯いてコクコクと小さく首を縦に振って意思表示をするしかできない。
「さてはデカくなったとかか? シローちゃんの久しぶりに見せてみろよ」
 僕の変に恥ずかしがる姿と追い返す動作が仇をなして、余計な興味を焚き付けてしまった。片手しか使えない今の状況は僕にとっては不利すぎる……しまったな。
 歯ブラシとコップを洗面台の淵に置いたクロノは、両手を広げてニヤリと舌舐めずりをする。その姿は狩をする狼のように見え、僕はさながら捕食される子羊のよう。やめて、本気で怒るよ、という僕の言葉は何の威嚇にもならないらしく、興味の炎を油を注ぐのみに終わった。

 イタズラ顔でタオルを奪おうとするクロノと股間を死守する僕の戦いの結果は言うに及ばず。
「ああ! 返せバカっこのっ!」
 タオルを引き剥がされてしまった僕は咄嗟に左手で隠し続け、もう片方の手で奪い返さんと最後まで諦めずに抵抗を試みる。
「その手どけたら返してやる」
「……ホモなの? そんなに見たいかよ、僕の!」
「ばっか、ちげーよ! ただ親友として成長具合を確認してやるだけだ」
(こんな時にサラッと親友とか言うなよ……)
 偉そうに確認してやるだとか抜かしているが、クロノの双眸は興味の色を宿しており、もはや止められそうになく、僕に勝ち目がないことは明白。不本意だけど、ここは羞恥心を抑え込んでチラッと見せて満足してもらうしかないかな。まぁどうせ温泉で見られる運命にあるのだと思えば、今見せてやっても何ら変わりない。
 白旗をあげた僕はゆっくりと手をどけて、チラリと一瞬だけ愚息をあいつに見せてやる。
「はい、タオル返して出てって」
 ぶっきらぼうにそう言った直後、“禁句”が飛んできた。

 僕の心は急激な感情の変化を起こし始めたようで、何かがぐつぐつと煮えたぎる、そんな心境。
 ……たったこれだけの言葉でここまで殺意が漲ってくるとはね。絶対に許さない。
 小さいのなんて分かっていたけど、こうもストレートに口にされてしまっては雄の威厳がいとも容易く砕かれてしまうというもの。
 湧き上がる殺意でプルプルと震えた拳はあいつのみぞおち目掛けて飛んでゆき、一発お見舞いしてやった。
「ふぐぅっ!? な、なにしやがる…………おまえ………………」
 両手を床について悶えるクロノは本当に苦しそうだけども、僕の傷ついた自尊心はこの比ではないと思えば良心は痛まなかった。
「言葉には気をつけなよ? 今の、刺されてもおかしくないからね」
 明らかに素っ裸で言うセリフではないと思う傍ら寝巻きを身に纏って脱衣所を出る……バカを一人残して。

(なんでこんなやつのこと好きなんだろ、僕……)



 時は進んで就寝時間──
 消灯した部屋には、三日月の形を模したベッドスタンドランプの優しい光が広がっており、小綺麗な洋室と相まってどことなくメルヘンな雰囲気を漂わせている。
 そんな趣ある部屋の中、ダブルベッド上で共通のかけ布団をかぶって就寝態勢に入った僕たちは──クロノがこちらを向き、一方の僕はそっぽを向いている形になっている。
「機嫌なおせよシロー、悪かったって。よく見たらそんな小さくなかったかもなーなんて……あっ、そもそも男は大きさじゃないからな!」
「…………明日轢き殺す」
「物騒すぎること言うんじゃねぇ!?」
 下手なフォローは傷口に塩を塗るだけだということがなぜ分からないのだろう。頭も良くて勘も鋭いのに、ことさら人の気持ちについてだけは不器用で鈍いんだから。
 ベッドの端っこに体を寄せてクロノとの距離をとることで黙示的に不満の意を示す。

「ごめんってば。なんかお前といると楽しくってさ……調子乗ってつい色々言いすぎちまった。不快にさせたならホントに悪かった」
 反省のトーンでしんみりした雰囲気を放っている。その声音を聞けば顔を見ずとも、耳を倒してしゅんとしているだろうことは想像に難くなかった。昔からよくあることだったから僕には分かる。
 クロノの様子が頭に思い描けるや否や、再び僕の心に悪戯心が芽生え始める。背を向けたまま、意地悪で突飛な質問をぶつけてみることにした。

「クロノはさ、僕のこと好き?」

「す、好きだぁ!? えーっと……親友として好き……ってことでいいよな?」
「そ。それとも僕のこと嫌い?」
「何言ってんだ、好きに決まってんだろ」

 一番聞きたかった言葉。
 この一言で僕の心を支配していた負の感情は一瞬にして洗い流され、黄色い感情がそれにとって代わって心を満たす。
 親友として好き──互いに向ける矢印の色こそ違えど、クロノからこの言葉を引き出せたことに僕の心臓は喜びでどうにかなってしまいそうなほどに鼓動を強くする。僕と一緒にいれることが楽しい、親友として好きだと素直に言ってくれる……そんな彼への想いは募る一方で、そして尋常じゃない程に愛おしく思う。
 感情を隠すのがヘタクソで、でもその分まっすぐで、ひたすらに僕を導いてくれる僕の一番、僕になくてはならない唯一の存在。そんなかけがえのない親友とよりを戻せて一緒に居れるだけでも十分幸せなのに。『好き』の二文字は僕をかつてないほどに舞い上がらせる。

「ふふっ、なら許そうかな。僕も……今日一日クロノと一緒に過ごせてすごく楽しかったよ。懐かしくっていいなって、思った」
 混じりっけない本心を伝えた。背を向けたままではあるけれども、正面を向いて言える状態ではないほどに僕の顔は真っ赤でくしゃくしゃなのだから。
 我ながらずるいことをしたと今になって思う。でも、これでやっと足枷が外れて120%の想いをぶつけられるという確信が持てた。

「……僕の方こそ殴ったりしてごめんね」
「いいっていいって。シローパンチ、久々に効いたぜ……」
 謝罪の言葉は言えども、告白はまだまだとっておく。僕の言う“好き”はキミとは違う意味の“好き”だから、ここで「僕“も”好きだよ」とは返せないし、言うべきではないって分かっている。決して焦ってはならず、ここは機をうかがうべきだ。僕もクロノみたいに計画練ってやってやるんだから。
(士狼の告白計画ってとこかな? ふふふ)
 浴槽の中で思い巡らせた案を思い出してニヤリ顔をこっそり浮かべる。


「クロノ起きてる?」
 再び静寂を取り戻した部屋と、動きを止めた共通の掛け布団の様子からクロノの生存確認をする。
「ん。……そろそろこっち向いてくれよ」
「僕の顔でも見たくなった?」
 平静さを取り戻した僕はお決まりの軽口を叩いて、徐に姿勢を反対側に変えると、数時間ぶりにクロノと視線が交差する。端正だけどどこか幼くて、ずっと変わらない顔を見ているとつい安心感を覚えてしまう。ちょっと眠そうな顔つきがまた愛おしいな、なんて幼なじみの顔を観察するのも大概にして僕は口を開く。
「ね、せっかくだし海行かない? 七日目の試験の後ヒマでしょ?」
「いいなそれ! 行こうぜ、海!」僕の提案にクロノは目を輝かせて食いついてくれた。
「──だから、僕が試験に受かれるようにまた手伝ってよ。あの頃と同じようにさ!」
 クロノの瞳をまっすぐ捉える僕の目は、まるで小さくて強い炎を宿しているかのような熱さで、自分でもそれがわかる。

「おうともよ! 俺に任せとけ!」
「ありがと。クロノがいるなら僕も大丈夫だ」
 共に白い歯を見せて笑みを交わす。

 鼻の効くクロノは果たして気づいているだろうか。僕の恋心に、今し方始動した僕の告白計画に。


「……明日も早いしそろそろ寝よっか」
 月の灯りを消すと部屋は暗闇に包まれ、いよいよ本格的な就寝モードに入る。
「あぁ、おやすみ。……久しぶりに言った気がするぜ、この言葉」
「ふふっそうだね。じゃあ僕も……おやすみ! あーもう眠いや……」

 嘘。まったく眠くなんかない。こんなに心躍らせたまま、大好きなやつの隣ですぐさま眠りにつけるなんてありえない。うつ伏せで腕枕の体勢のまま目をつぶって寝たふりを続けること十分、二十分……そして三十分。スースーと気持ち良さげな寝息が聞こえ始める。
「寝た……?」
 返事はない。ならば──チャンスとばかりに顔を起こしてクロノの寝顔を覗き込んではじっくりと見てみる。
(やっぱりこう見てみると可愛い顔してる)
 指でちょこんと鼻に触れてみれども反応はなく、完全に眠ってしまったみたいで。
(ホント、僕の気持ちも知らないで気持ちよさそうに寝やがって)

「……大好きだよ、クロノ」

 小声で囁いてみる。
 当然返事は返ってこない。だが、否が応でも一週間後には返ってくる。その結果がなんであれ、僕たちの関係性はきっと続いていく。クロノは絶対に約束を破らないことも僕は知っているから。

「約束、信じてるからね」

 もう一度寝顔に話しかけてから、僕はスマホで時刻を確認する。ディスプレイ上の月表示が8を示しており、日を跨いだことを今になって知る。
(もう八月、か……。時間も時間だし僕もそろそろ寝ないとな)


 今度は仰向けで、目を瞑りながら思い耽る。
 昨日一日朝からクロノと過ごして分かったこと、僕はクロノのいない世界をもはや想像できなくなってしまっている。クロノのいない僕は三年半をどうやって、何を思って過ごしてきたのだろう? 僕はクロノなくしてどうやってここまで生きてこれたのだろう? 夏を迎える以前まではそれが“普通”だったはずなのに、明瞭に思い出せない。あいつとの思い出なら、何年も経った今でも昨日のことのように覚えているんだけど。
 言葉にするのは難しいけれども、やっぱり柴野黒助がいてはじめて雪村士狼という自分が存在できる、そんな気がしてならない。

 あの日、泣きそうな顔で懇願して僕を合宿に誘ってくれたクロノの顔──今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。そうだ、僕らはニコイチなんだ。

 だから、きっと上手くいくはず。
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