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第九章 剣仙の皇子と秩序の壁
九の参.
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刀夜が声の主を見れば悲し気な紅い瞳とぶつかった。
「蘭華……」
これまで身分の高い刀夜の横から口を挟むのは憚られ、蘭華は黙って見守っていた。
「刀夜様が……秩序を守らせる側が、それ以上を口にしてはなりません」
だが、為政者側である刀夜が身分制度を否定するような事を口にしてはならない。
刀夜は高位の貴族だと思われるのに、誰に対しても分け隔てない対応をする。蘭華のような日陰者にまで光を届けてくれる清風を感じさせる好感の持っている人物だ。
だからこそ蘭華は刀夜を諌めた。
「聡明な刀夜様にはお分かりのはずです」
「……」
蘭華の静かだが強い声音に刀夜は目を細めて口を噤んだ。
それは刀夜にも蘭華の言わんとするところが分かるから。
神賜術により序列を決める制度を作ったのは朝廷であり国である。そして、序列による秩序を生み出す国民の悪しき手本となっているのも、国に属する貴族達なのだ。
ならば国に属する刀夜はこれを守らせる立場である。それなのに刀夜自身が乱せば社稷の土台を揺るがしかねない。
だから、蘭華の境遇をどうにかするには、まず制度そのものを変えなければならない。刀夜にもそれは分かっている。重々承知しているのだ。それでも蘭華が傷付いているのを見過ごせなかった。
「刀夜様はとても篤実なお方です。私の境遇を案じて下さるお気持ちはとても嬉しいのですが……」
蘭華はちらりと萎縮して俯く何進に視線を送る。
「この子が悪いんじゃありません。手本となっているのは私達大人であり、国を治める雲上人です」
元を糺さねば政道はただの綺麗事、それは一歩間違えれば不敬を問われる痛烈な批判。
「月門の邑はこの国の縮図なのです。爵位は日輪の国の秩序なのです。法や秩序は個人から見れば悪になる場合もあるでしょう。ですが、だからと言って一人の為に秩序を崩せばどうなりますか?」
蘭華の言いたいことは刀夜もよく理解している。だが、それは傍から見た第三者が言えるのだ。犠牲となっている当事者が口にできるものではない。
蘭華はこれほど虐げられていながら人を諦めていない。
「ある時、子供が他人の家の壁に落書きをしました。当然、大人は叱ります。ですが、それを見ていた他の子供が言いました。綺麗に絵を描いて壁を飾ったのに何で怒られるの、と。子供達にとって落書きは決して悪ではないのです。彼らはその絵が他人にとって不愉快であるとは露とも思っていないのですから」
子供はまだ大人が作った倫理観、価値観に染まっていない。だからこそ秩序の枠に収まらないのだが、成長とともに教育や躾の中で大人達の手で矯正されていく。
「もし、これを放置していればどうなるでしょう?」
それは考えるまでもないこと。
「子供だけではなく、いずれは大人までもが思い思いに落書きを始める価値観を是とするようになります。そうすれば全ての家の壁が落書きで埋まってしまうのです。彼らはみなが自由に振舞うでしょう。それが無秩序なのです。これは自分の価値観を他者へ押し付ける行為です。個々人は自由かもしれませんが、果たしてその社会は本当に住みやすいでしょうか?」
「だから秩序の為に蘭華が犠牲にならないといけない理由になるだろうか?」
尋ねるまでもない。本当は為政者側である刀夜にもそれは重々承知していることだ。
それでも刀夜には蘭華の境遇を認めたくはなかった。
「蘭華……」
これまで身分の高い刀夜の横から口を挟むのは憚られ、蘭華は黙って見守っていた。
「刀夜様が……秩序を守らせる側が、それ以上を口にしてはなりません」
だが、為政者側である刀夜が身分制度を否定するような事を口にしてはならない。
刀夜は高位の貴族だと思われるのに、誰に対しても分け隔てない対応をする。蘭華のような日陰者にまで光を届けてくれる清風を感じさせる好感の持っている人物だ。
だからこそ蘭華は刀夜を諌めた。
「聡明な刀夜様にはお分かりのはずです」
「……」
蘭華の静かだが強い声音に刀夜は目を細めて口を噤んだ。
それは刀夜にも蘭華の言わんとするところが分かるから。
神賜術により序列を決める制度を作ったのは朝廷であり国である。そして、序列による秩序を生み出す国民の悪しき手本となっているのも、国に属する貴族達なのだ。
ならば国に属する刀夜はこれを守らせる立場である。それなのに刀夜自身が乱せば社稷の土台を揺るがしかねない。
だから、蘭華の境遇をどうにかするには、まず制度そのものを変えなければならない。刀夜にもそれは分かっている。重々承知しているのだ。それでも蘭華が傷付いているのを見過ごせなかった。
「刀夜様はとても篤実なお方です。私の境遇を案じて下さるお気持ちはとても嬉しいのですが……」
蘭華はちらりと萎縮して俯く何進に視線を送る。
「この子が悪いんじゃありません。手本となっているのは私達大人であり、国を治める雲上人です」
元を糺さねば政道はただの綺麗事、それは一歩間違えれば不敬を問われる痛烈な批判。
「月門の邑はこの国の縮図なのです。爵位は日輪の国の秩序なのです。法や秩序は個人から見れば悪になる場合もあるでしょう。ですが、だからと言って一人の為に秩序を崩せばどうなりますか?」
蘭華の言いたいことは刀夜もよく理解している。だが、それは傍から見た第三者が言えるのだ。犠牲となっている当事者が口にできるものではない。
蘭華はこれほど虐げられていながら人を諦めていない。
「ある時、子供が他人の家の壁に落書きをしました。当然、大人は叱ります。ですが、それを見ていた他の子供が言いました。綺麗に絵を描いて壁を飾ったのに何で怒られるの、と。子供達にとって落書きは決して悪ではないのです。彼らはその絵が他人にとって不愉快であるとは露とも思っていないのですから」
子供はまだ大人が作った倫理観、価値観に染まっていない。だからこそ秩序の枠に収まらないのだが、成長とともに教育や躾の中で大人達の手で矯正されていく。
「もし、これを放置していればどうなるでしょう?」
それは考えるまでもないこと。
「子供だけではなく、いずれは大人までもが思い思いに落書きを始める価値観を是とするようになります。そうすれば全ての家の壁が落書きで埋まってしまうのです。彼らはみなが自由に振舞うでしょう。それが無秩序なのです。これは自分の価値観を他者へ押し付ける行為です。個々人は自由かもしれませんが、果たしてその社会は本当に住みやすいでしょうか?」
「だから秩序の為に蘭華が犠牲にならないといけない理由になるだろうか?」
尋ねるまでもない。本当は為政者側である刀夜にもそれは重々承知していることだ。
それでも刀夜には蘭華の境遇を認めたくはなかった。
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