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やれないことは多いけど、やりたいことも多いんだ。
しおりを挟む人の思考というのはつくづく不思議なものだと思う。
誰かにやれと言われると途端にやる気が失せるが、やるなと言われたら沸々とやる気が湧いてくる。今のAB組でも同じ現象が起きていた。
まさかこの俺が、学校で真面目に勉強しているなんて!
自分でも驚いている。改めて今までの学校生活を振り返ってみると、勉強よりも遊んでいた記憶の方が多かった。本当に、何をやっていたんだ……。
勉強はどちらかと言わずとも嫌いな部類だが、月曜から金曜まですべて自習にされると、いや、自由時間と言っていい、どちらにせよ学校に通っているにもかかわらず学校側から一切学ばせない態度をとられると、いつのまにやら焦燥に駆られて自ずと勉強をしたくなってしまう自分がいた。
いやはや不思議なものだ。
幸い、授業は行われないものの教科書は全教科きちんと配られたので俺はオリジナルの時間割表を作り、それを見ながら教科書と筆記用具を鞄に入れて学校に通う日々を送っている。
――俺は今、自分の意思で勉強している!
そう吐露したくなるほどの心境の変化に我ながら驚き、こんな環境でも人並みの充実感を得ることができていた。
ただ……。
「こっちがコロッケ。で、こっちがコロッケ」
「ここを、こうして……これで……よし」
「zzz……殺す……zzz……殺zz……」
「ハァッ!! ヤァッ、セイッ!! セリャァッ!!」
他のクラスメイトは、自習という名の自由にどっぷりと浸かっている。
新茶はよくわからないコロッケ品評会を机上で開催し、山田中は道徳の教科書の隅でパラパラ漫画を制作し、鬼ヶ島は殺害予告を口走りながら寝息を立て、高峰にいたっては席にも着かず教室のうしろで持参したサンドバッグをひたすら殴っていた。
一応、これでも現世の授業風景だ。それも一時間目の。担任の梶原もいるにはいるが、教室の日の当たる窓際でパイプ椅子に腰をおろして黙々と競馬新聞を読んでいた。
シュールどころか、はっちゃけすぎている。
気にしてたまるかと机に向かって現代文の教科書(オリジナル時間割表では今日の一時間目は現代文となっている)を睨み続けているが雰囲気がやかましくて集中できるわけもなく俺は教科書を閉じた。
「なあ。おまえらは勉強しなくていいのか?」
俺は周囲に聞こえるように問うと、隣の山田中の肩がビクッとはねた。そのほかはたいして反応しない。手を止めた山田中が弱々しく言う。
「そ、そうだよね……自習だからって好きなことをしていいわけじゃないよね……」
「あっ!? べつに説教しているわけじゃないんだよ? なんとなく気になっちゃっただけだからね? それに悪いのは全部梶原だから! 山田中は何にも悪くないからね?」
教室の隅から「普通、本人がいる前で言うかね……」と聞こえてきたが知ったことか。
シュンとする山田中に、思わず罪悪感が湧いてしまう。
するとサンドバッグの音がやんだ。
「勉強なんて家でやればいいのよ」
俺は高峰のほうへ振り向く。
「いやいや家って……じゃあ聞くけど学校は何をする場所なんだ?」
「勉強よ」
「意見をまとめてから発言してくれる?」
「本当に愚かね。まるで本質が見えていないわ」
「本質だ?」
高峰は俺たちの席を横切ると教壇にあがり、まるで教師にでもなったかのように教卓に両手をついた。
「テル。今から私の質問に答えなさい。あなたの言う『学校は勉強するところ』という意見には私も同意するけれど、生徒はたったの五人、担任は職務放棄、時間割表はすべて道徳、まるで隔離されているかのように学校の端に設置されたクラス……これらの要素を含むこの場所をはたしてあなたは“学校”と呼べるのかしら?」
「…………」
ぐうの音も出なかった。
その通りとしか言えなかった。この空間はもはや学校として機能していない。
まるで俺の思考を読み切ったかのようにドヤ顔で勝ち誇る高峰。
「これでわかったようね。このクラスでは学校らしく勉強する必要なんてないの。今のあなたのしていることは、そうね、カフェの窓際でパソコンをいじっている大学生と同じ。彼らは勉強しているのではなく、勉強しているところを他者に見せることで『自分は勉強している』という安心感と承認欲求を満たしたいだけ。そもそもカフェのほうが静かで集中できるとか言いながら人目のつく窓際の席に座るのは矛盾でしかないわ! ま、そんな環境でやれるようなことは家でもできるわけ。つまるところ、あなたもそれと同じよ」
まるでどこかに喧嘩を売っているような物言いだが……ことごとく核心を突かれた俺の心はもう持論を構える余裕はなかった。
たしかに安心感はあった。この学校の教室棟にいる生徒と同じ学校生活を送れているというそんな安心感。承認欲求もないと言えば嘘になる。勉強嫌いな俺が自ら勉強しているという進歩に酔いしれていたのかもしれない。
でも、くやしい。何か言い返したい。
「……いや! 俺はそれでもここで勉強してやるさ!」
「あらそう。そこまで言うのなら止めはしないわ」
意外とあっさり引いたな。
そう思っていると高峰は、競馬の新聞を読んでいる梶原に声をかける。
「先生、質問です。先生はいつまで学校で勉強していましたか」
「おー、先生かー。先生は大学院までガッツリと勉強していたぞー」
「……俺、やっぱり勉強やめるよ」
「理解してくれたのね」
「え? どゆこと?」
勉強だけですべてが上手くいくわけではないということを梶原から勉強した。
俺は力なく椅子に体を預ける。
「じゃあここで何をすればいいんだ……」
「何を言っているのよ。やりたいことをやればいいじゃない」
そう高峰は告げた。そして続ける。
「このAB組は学び舎としては機能していないけれど、ここまで自由な時間と空間を高校生に与えられるクラスはほかを探してもそうはないわ。だったら普通の高校生活を送ろうとはせずに、普通では決して送れない高校生活をここで送ればいいじゃない!」
……普通では決して送れない高校生活、か。
「ん? ちょっと待て。俺、普通の高校生活を送りたいんだけど?」
「それはもう詰んでいるわね。諦めなさい」
「そんなバッサリと」
「ほかにやりたいことはないのかしら」
「……うーん」
俺は頭を悩ませながら考え込む。
「青春を謳歌する、とか?」
「青春ねえ……具体性に欠けるわね。あなたのいう青春とはどういうものなの」
「そう言われると、たとえば……恋愛とか?」
「諦めなさい」
「返し早くね?」
「出会い系アプリに登録するといいわ」
「扱い酷くね?」
「はい。次」
「テンポ早くね?」
あまりのテンポの良さに脳内で爆笑が想像された。
でも青春を感じるときか……そういうときってだいたい一人じゃないよな。
「みんなで……」
――みんなで何かをする。
そう言おうとしたけれど途中で言葉を飲み込んだ。
彼らと何かするのはまずいんじゃないか。だってそうだろ、こんな面子で集まって何かをしたら十中八九、問題が起きる。そんなことに巻き込まれたくない。
だが、時すでに遅し。
「なるほどね。『AB組のみんながやりたいことをAB組のみんなでやって、AB組のみんなが思ったことをAB組のみんなで考える。共に行動し、共に思考する。それらがきっといつしかかけがえのない青春の思い出になるはずだから』と、テルは言いたいのね」
「『みんなで』の四文字からよくそこまで脚色できたな……」
それを聞いていた山田中が嬉しそうに言った。
「ぼ、僕もテルくんの意見に賛成だよっ!」
俺の意見じゃないんだけどね。
「俺も、テルに賛成だ……」
いつの間にか起きていた鬼ヶ島も同じく。まあ俺の意見じゃないけど。
「マジか! コロッケの主成分ってポテトなのかよ⁉」
おまえだけ何を言っているんだ新茶?
最後は高峰が深々と頷く。
「流石ね、テル。行き先も見えないAB組の進路をたった一つの意見でいともたやすく導くなんて。私が見込んだだけのことはあるわ」
ほぼおまえの意見だけどな。
高峰は意気揚々と教壇からクラスメイトに発表した。
「みんなそういうことだから。今日の自習時間から『みんなでやって、みんなで考える』という方針が組み込まれます。以後、AB組で何かやりたいことがある方はみんなの前で提案してください。その提案の可否は多数決または協議で決めることとします。ではこの方針に賛成の方、挙手をお願いします」
山田中、鬼ヶ島、新茶は挙手をした。
もちろん高峰も。
「挙げてないのはテルだけよ。べつに挙げなくても結果は同じだけれど、どうするの?」
はじめてAB組のみんなでやることよ、と言われているような気がした。
「……しかたねえな」
俺は諦め、そしてAB組全員の手が挙がった。
「決まりね」
教室の隅で競馬新聞を一ページめくりながら梶原が「青春だねえ」と呟いていた。
「じゃあさっそく俺からやりたいことがある」
「あら、積極的じゃない。さあ言ってごらんなさい」
「勉強したい人は手を挙げてくれ」
――その後、十分間も粘ってみたが俺の手がプルプルと挙がっているだけだった。
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