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こうなったらヤケ食いだ! 鴨のこんふぃ? 何それ?

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「ひっろ……めっちゃいい部屋じゃん」

 思わず声を上げてしまっていた。

 小憎たらしい施設内とは思えない、高級ホテルのスイートルームっぽい一室。一人で暮すには十分過ぎる広さと、テレビ、レンジ、冷蔵庫、などの家電を備えた部屋を前にして。

「レンが望めば、もっと広い部屋も用意してくれるみたいだよ」

「マジか」

 突っ立っていた俺の手を引き、中へと誘いながらヒスイが悪戯っぽく笑う。

「おぉ、ふかふかだ」

「ふふ、そうだね」

 勢いよく飛び込んだ俺の側に腰を下ろしたヒスイも、手でぽふぽふ叩きながらその感触を楽しんでいる。見たところ元気そうだな。さっき本人が言っていた通り。

 少し前、約束通り検査が終わってすぐに、迎えに来てくれたヒスイ。

 彼に案内されたこの部屋で、俺は当分暮らしていくことになる。影と戦う為に。影と戦うヒスイを守る為に。

「なぁ、いつから、なんだ?」

「え……」

「いつから、戦っていたんだ? 俺に、内緒で……」

「……ごめんね」

 消える笑顔、悲しそうに細められた瞳、歪んだ口元。違う……そんな顔をさせたかったんじゃない。

「ごめん、謝って欲しかったんじゃないんだ……言えなかったんだよな? 無理矢理、だったんだろ? 今日の俺みたいに、ヒスイも何も分からずに連れて来られたんだろ?」

 慌てて起き上がり、隣に座る。ひと回り大きな手に自分の手を重ねると、おずおずと握り返してくれた。

 多分、連れて来られたのは、数ヶ月前。付き合いが悪くなった頃だ。なら、合点が行く。体格が良くなったのも影と戦う為だろう。戦闘員としての訓練を積まされていたんだろう。

「……うん。数ヶ月前に、いきなりね」

 ほら、やっぱり。

「でも、戦うって決めたのは、俺の意思だよ」

「え?」

 前を向いていた緑の瞳が俺を見つめる。強い決意のこもった眼差し。でも、何でだろう。胸が切なく痛んだ。

「人類が全て影にされるかもしれない……そう聞いて、一番最初に浮かんだのが、レンだった」

「……俺?」

「うん」

 繋いだ手に力がこもる。心臓が大きく跳ねた。鮮やかな緑の輝きに射抜かれて。

「俺、レンと過ごす時間が好きだ。レンのことが……大好きだ」

「……ヒスイ」

「レンのことだけは、守りたい。影になんか……させやしない。絶対に。だから、俺は……」

「……俺と同じだな」

「え?」

 豆鉄砲でも食らったみたいだ。

 きょとんと見つめてくる顔に、つい口元が緩んでしまう。白い頬が一気にボッと真っ赤に染まったもんだから、余計に。

「俺も、ヒスイと過ごす時間が好きだ。一緒に居ると落ち着くんだ、スゴく……だから、頑張れる。正直、世界を救う為だとか、邪神だとか、ピンときてないことばっかだけど……ヒスイを守りたい。ずっと、一緒に居たいんだ。親友として」

「そっか……嬉しいな」

 目尻を下げてヒスイが微笑む。微笑んでいるのに、何だか寂しそうに見えた。

「ヒスイ?」

「でも、無理しちゃ駄目だよ? レンの力は凄いけど、影と対抗する手段はないんだから。絶対に、俺の側から離れちゃ駄目だからね?」

「あ、ああ」

 満足そうに頷き、俺の頭を撫でるヒスイは、もういつも通りだった。気のせい、だったのかな。

「……何かお腹空いてきたな」

「レン、アイスしか食べてないもんね」

「たこ焼きも食べたぞ」

「一個だけね。何頼む? 食堂も開いてるけど、ここでの方がいいよね?」

「うん」

 正直、今から出かけるのは億劫だ。そもそも広過ぎるんだよな、ここ。

 テーブルの上に置かれていた、件のルームサービスメニュー。持ってきてくれたヒスイが、俺にも見えるように広げてくれる。

「どれどれ……って何これめっちゃ豪華じゃん。うわ、フォアグラとかもある……鴨のこんふぃ……コンフィって、何だ?」

「……俺も分かんない。頼んでみたら? 折角だし」
「はは、頼んじゃうかー折角だもんな」

 ちょっぴり癪だが……博士の言う通り、ここまできたら楽しまないと損だろう。とことん食ってやる。



「あー食った食った……食べ過ぎた」

「そりゃあ、デザート全種類制覇すればね」

「だって、選びきれなかったんだもん」

 運ばれてきた料理は全部美味しかった。勿論、デザートも。流石三つ星。どの部分がコンフィだったのかは、結局分からずじまいだったけど。

 お腹が満たされれば、必ずやって来てしまう眠気。今日のは特に強い。指先すら動かしたくない。すっかりベッドと仲良しこよししていた俺の背中を、大きな手が軽く叩く。

「シャワーくらい浴びたら?」

「もー動けない……朝、浴びる……」

「せめてブレザーは脱ぎなよ」

「……脱がせて」

「はいはい」

 呆れた声で答えつつも、突っ伏していた俺を抱き上げ、上着を脱がせてくれる。再び、優しく横たえられたかと思えば、布団を掛けてくれた。

「じゃあ……お休み、レン」

「んー……ヒスイも一緒だろ?」

「え?」

「ずっと、一緒って言っただろ、ほら……」

 布団を捲って招くも入ってきてくれない。

 何故か顔を真っ赤にして、視線を迷わせるだけだ。こっちはもう、限界なのに。

「……でも」

「はーやーくー」

「……分かったよ」

 ブレザーの袖を引っ張り続けていると、ようやく折れてくれた。脱いだ上着を俺のと一緒にハンガーにかけてから、空けたスペースに長身を忍ばせる。

 くるりと向けられた広い背中が、猫みたいに丸くなった。心の隅っこから暗いものが、またじわりと滲み出す。

「こっち、向いて……顔見えないの、寂しい」

 大きな身体がもそりと動く。現れた柔らかい笑みに、自然と息が漏れていた。

「……これでいい?」

「ん、ありがとう」

「ふふ、ついでに抱き締めてあげようか?」

 冗談めかした誘い。でも、今の俺にとっては、スゴく魅力的な提案だ。

「いいの?」

「……いいよ」

 やっぱり、まさか乗ってくるとは思わなかったらしい。タレ目の瞳が僅かに見開き、ゆるりと細められる。優しく俺を包み込んでくれる温度に、一気に眠気が強くなる。

「お休み、レン」

「ん……お休み、ヒスイ」

 意識が飲まれる寸前、今日の出来事がぶわりと駆け巡る。起きたら全部、夢だったってことにならないかな?

 叶うはずもない願いを抱きながら、重い瞼を閉じた。
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