【全年齢版】この世の果て

409号室

文字の大きさ
11 / 16

幕間 最果ての地にて

しおりを挟む
『人間は、克服されねばならない何かだ。

 君たちは人間を克服するために、何をしたか。

             ーーフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ』




「社長、本日午後からのスケジュールですが……」

そうスケジュール帳に目を落とした僕の視線が、ふいに机上のあるものに留まる。

僕の眼差しに気がついたのか、社長はちょっと微笑んだ。

「簡単に言うと、一人チェス……。昼休みにはじめたんだ。まあ、頭の体操さ。君もどうだい。咲沼君」

僕が答えようとした時、ノックの音がした。

「はい。開いているよ」

そう社長が声をかけると、

「失礼しますわ、海杜お兄様」

と凛とした声が響いた。

ドアが開くと、そこには、制服姿の妹たちが立っていた。

「こんにちは。海杜さん」

美麻が少し遠慮がちに声を上げた。

「ああ、いらっしゃい。美麻ちゃん」

それに社長が男の僕でさえ魅力的に感じる笑顔で答える。

「海杜お兄様、この私には何の挨拶もありませんの?」

そう菊珂が頬を膨らませると、社長は慌てて、

「ああ、悪かったよ。菊珂。君もよく来たね」

と妹に微笑んだ。

「ふふっ……。お兄様は相変わらずなんだから。こんなので本当に社長様なのかしら?」

「まったくだね」

「ご自分でお分かりなら、世話はないですわ。あら。これはなんですの?」

「あ、チェス……。海杜さんとお兄ちゃん、チェスしていたんですか?」

「いや、これは僕一人でやっていたんだ。ほんの暇つぶしにね」

「呆れた。そんな一人でチェスなんてして、何が楽しいんですの?」

「菊珂。君はそうやって馬鹿にしているようだけど、これだって、なかなか頭を使うんだよ」

「どうせ、お兄様のことですから、こうやって盤上を一人で思いのように操ってまるで自分が神様みたいとでも思って悦に入っているんでしょう。

もう。お兄様ったら、まだ子供なんだから」

「いや、違うさ。一人チェスだからと言って、これがなかなか思うように行かないんだ。

チェスなりの定石があるし、一手狂うだけで、全てが乱れる……。だが、そこが面白くもある」

そういうと、彼は白いナイトを前に進めた。

「これで、黒のクイーンも陥落……」

そう言うと、社長はこつんと白のナイトで黒のクイーンの駒をこずいた。

ゆっくりとバランスを崩して盤上から堕ちて行く駒。

なぜかその光景が、まるでストップモーションのように目に焼きついて離れなかった。

「次はキングの番ですね」

そう無邪気に微笑んだのは、美麻。

「ははは……美麻ちゃんは急先鋒が好きなのかな?意外だね」

社長の指摘に、美麻は顔を真っ赤にした。

「あ……いえ……ただ、このポジションだったら、あと二、三手で白の勝ちかなって……」

「美麻ちゃん、君の考えはもっともだよ。君はなかなかな戦略家なようだ。

だけど、まだまだわからないさ。勝負の世界なんて、紙一重。

それに何より、面白くないだろう?勝負はもっとスリリングな方が面白い」

そういうと、彼は白のナイトを後退させた。

「あっ……」

美麻がその意外な手に声を上げると、社長は微笑んで言った。

「チェックメイト……つまり、フィナーレはまだまだお預けだよ」





留置所の冷たい床で彼は目覚めた。

鉄格子の嵌った窓からは、柔らかな日差しが降り注いでいる。

その眠りは、ほんの数分の白昼夢であったようだった。

随分懐かしい夢を見ていた気がした。

あの頃の……。


殺人の現行犯として身柄を拘留されて、早十日が過ぎていた。

外の世界では、この一連の事件の幕引きがどのように報道をされているのか。

だが、今の彼にはそんな世俗のことは何一つ気にならなかった。

両親を亡くし、妹を亡くした今は、この出来事のせいで被害を被ったり、

彼の身を案ずるような身内は誰一人存在しないのだから。

復讐を遂げた後、自分がどうなるのかなど、一度も考えたことがなかった。

こうして冷たい獄に繋がれているのか、はたまた平凡に暮らしているのか。

ただ、妹にだけは迷惑をかけたくはない。

そんな一念だけだった。

だが、その想いも今はただただ虚しい。


思えば、十日前のあの瞬間、彼の復讐は、本当の意味で完成したのだ。


ならば、なぜ自分は今、こんなにも悲しいのか。

苦しいのか。


そして、愚かな自分だけを残し、彼らは誰もいなくなった……。


いや、復讐を完成させたのは、自分ではない。

あの白と黒の駒が並んだ盤上で、あの時、彼が微笑みながら見据えていたのは……。


「僕も……あなたにとっては……あの駒の中のひとつだったのですか?」


一人そう呟いた瞬間。


「咲沼英葵」


そう自分の名を呼ぶ鋭い看守の声が響いた。

ゆるゆると顔を上げた彼に、看守は冷酷なほど冷たい声で告げた。



「面会だ。出なさい」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...