【18禁版】この世の果て

409号室

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第二章 回り出す運命

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『結婚とわたしが呼ぶのは、想像する二人が、自分たち二人を超える一人を創造しようとする意思だ。

そういう意思を意欲する者として、二人がお互いを畏敬し合うということ。

これを私は結婚と呼ぶ。


                    ーーフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ』




神々しいまでに自信に満ちた瞳。


「私、咲沼英葵さんと結婚致しますわ」


あの事件で、すっかり失われた彼女の均衡。

今の菊珂はそれらを全て完全に取り戻していた。

それがこの青年のおかげならば……。

それならば……。








第二幕の準備は整いましたよ。母さん。


次は雪花家の長女・菊珂がヒロインです。

僕は菊珂と結婚することにしました。

彼女との結婚を足がかりに、僕は雪花家に入ることになる。

あの憎き雪花家の一員に、この僕はなるのです。


怒らないで下さい。父さん。


もちろん、雪花家に入り込むには理由があります。

あの一族に地獄を見せる為には、外から攻めるより、内部からじわじわとやる方が、ずっと効果的なのです。

ですが、菊珂はある意味でこの計画の最大の功労者でもありますからね。

せいぜい、良い夫でいてやるつもりです。

今のうちは……ね。

まだまだこれからですよ。

どうか、天上から見守っていて下さいね。







「驚かせてしまってごめんね。美麻。でも、あなたにも驚いて欲しかったのよ」

「うん。本当にびっくりしたよ。でも……嬉しいな。菊珂ちゃんがお兄ちゃんと結婚してくれるなんて……」

「私の方こそ……お兄さんには優しくしてもらって……」


そうだ。自分がこうして立ち直れたのは、他ならぬ咲沼英葵のおかげだ。

彼は、兄の秘書という忙しい合間を縫って、毎日時間を見つけては菊珂の元を訪れた。

時には冗談を言い、彼女の心を和らげ、時には優しく抱き締め、彼女を慰める。

いつしか菊珂は英葵を待っている自分の姿に気が付いた。

そして、今や英葵の存在無くしては自分が立ち行かないところまできていることも。

菊珂はだから、自分から英葵に身を任せた。

どこまでも優しい英葵に菊珂の想いは強くなるばかりだった。

「あなたの罪も全て……僕に預けてくれませんか」

菊珂は最初、何を言われたのか、その言葉の真意がわからなかった。

だが、それが英葵のプロポーズだとわかった時、菊珂の胸に今まで感じたことのない無上の喜びが広がった。

「これからどんなことがあっても、僕があなたを守っていきます。僕の一生を賭けても……。受けて頂けますか?」

菊珂は万感の想いを込めて、頷いた。

「はい……」


「そう……英葵さんがいなかったら、私……きっと……」

「菊珂ちゃん……?」

菊珂は美麻を抱き締めた。

「ありがとう。美麻。祝福してくれて。あなたにそうしてもらえることが……私には一番嬉しいのよ」

「菊珂ちゃん……」

菊珂の頬にまた新しい光が一筋流れた。







不知火李は後片付けに追われていた。

今日は法事ということで、特別忙しかった。

目が回るような忙しさとは、まさにこのことだろう。

おかげで今日は三枚の皿を割った。

李は腰を軽く叩き、ひとつ伸びをすると、障子を開けた。

「あっ」

李は思わず声を上げていた。

だだっぴろいぶち抜きの座敷にはただ一人、海杜が座っていた。

彼は遺影に目をやっていたが、李の声に反応してゆっくりとその切れ長の目をこちらに向けた。

李は思わず、どきりとした。

その目はどこか虚ろで、それがかえって蠱惑的な雰囲気さえ漂わせていたから。

特に今日の海杜はいつもの洋装ではなく、艶かしい和装だったので、李の胸は無意味に高鳴っていた。

李はなんだか気恥ずかしくなって、妙に間の抜けた明るい声で言った。

「奥様……綺麗な方だったんですねぇ」

海杜は答えずに、ゆるゆると視線を遺影に戻した。

平生の彼では考えられない行動に李はひどく狼狽した。

これではまるで魂、ここにあらず……だ。

「ずいぶん、お若くしてお亡くなりになられたんですね」

「ああ……」

ぼんやりとでもしていたのか、海杜にしては返事の反応が遅かった。

「あのう……どうして先代の奥様は亡くなられたんですか?」

何気なく李は疑問をそのまま口にした。海杜は背中を向けたまま、ぽつりと言った。

「自殺したんだ」

李はあまりに意外な答えに、背筋が凍りつくような衝撃を受けた。

「じ、自殺ですか……!?」

どうして……!?

そんな問いが喉元まで飛び出しかかった。李は必死にその欲求を押さえ込んだ。

ふいに見えた海杜の横顔が酷く暗く、ちょうど、深夜の漆黒の海のようだったから。

李はそんな海杜の顔を見たことがなかった。

「少し……一人にしてもらえないだろうか」

「は、はい……」

李は傷む胸を抱えながら、さっと立ち上がった。

胸が締め付けられるように苦しい。一体、自分はどうしたのだろう。

まるで彼の苦しみが伝染したようだった。


自分の親が自殺したなんて、どれだけつらい思いを彼はしたんだろう。


コノヒトヲ……マモッテアゲタイ。


李はそっと障子を閉めた。







「何黄昏てやがるんだ?当主さんよ」

私はため息が出た。

「恭平君か……」

彼が近づいてくる気配がする。私は牽制する為に言った。

「何か用か。僕は今、誰とも会いたくない気分なんだ」

「そうか。残念だな。俺は今、お前が欲しいんだ」

その瞬間、私は背後から羽交い絞めされていた。

いつの間に、こんな近くに!!

「やめてくれ!!ここは……!!」


母の遺影の前。


「こんなところを……」


母には……。


だが、恭平の行為は止まらない。

すでに、私の身体には足袋しか残されていなかった。

私の目には、さっきまで自分が身につけていた紋付に刻まれた家紋が。

雪花家の家紋が。

黒地に白く鮮やかに。

私の爪が青く薫る畳に痕をつける。

「あっ……んあっ……」

遺影が私を見下ろしている。


『なんて様なのです。海杜。』


能面のような母の顔が。


『あなたはこの雪花家の跡取りなんですよ。』


ああ、わかっていますよ。お母さん。

僕は……。


ゆーらゆーら……

白い足袋が。

朱の着物が。

母の顔はこの上なく歪み。

あの美しかった顔は。


ゆーらゆーら……

私はこの家に縛られ……





俺は海杜を羽交い絞めにすると、手探りで海杜の紋付の合わせを割り、そこに手を滑り込ませた。

それだけで海杜は小さく吐息を漏らした。

「やめろ!!」

海杜そう言ったが、耳たぶを噛むと、あっさりと腰が落ちた。

「どうした?今日は随分、素直じゃないか」

腕を引っ張り、無理やり正面を向かせると、海杜は虚ろな目を俺に向けた。

「海杜?」

こいつは今、何を見ているんだ?

今日の海杜はなぜか遠慮なく声を上げた。

その声が俺を高揚させ、俺を後押しする。

しかし、いくら客人が帰ったからと言って、家の者や使用人はいる。

ここが離れだからと言って、普段のこいつなら、絶対に声を押し殺しているはず。

今日の海杜はどこか尋常ではない。そう思い海杜の顔を見上げた俺は声を失った。


笑っている……!?


俺は、冷水でもぶっかけられたように、背筋が冷えた。


こいつ、とうとうおかしくなっちまったか。


うっすらと笑みを浮かべたまま、海杜はとんでもないことを口にした。



「もっと……もっとし……て」





俺は今まで、数多くの女を抱いてきた。

男はもちろん、咲沼英葵と海杜が初めてのことだ。

咲沼のことは前々から気になっていた。

あの女のように美しい顔立ちを見るたびに、妙にそそられる気になったのは事実だった。

だが、海杜に関しては、最初は冗談だった。本気で海杜を抱く気など、さらさらなかった。

単純に、あの盗聴器から響いた喘ぎを間近で聞いてみたいという好奇心からだった。

大嫌いだった海杜の苦痛に歪む顔が見られれば、それだけで十分だと思っていた。

だが。

海杜の整った顔が苦痛と快感で歪み、奴の唇から吐息が漏れ、奴の肌が自分の前に晒された瞬間。

なぜか、歯止めが効かなくなった。

気が付いたら、海杜の身体を貪る自分がいた。

海杜を自分より先に征服した咲沼英葵に、軽い嫉妬を覚えた程だった。

海杜の中で果てる度、言いようのない快感を感じる。

海杜は貫かれる瞬間、必ず泣いた。

泣き叫ぶ訳ではない。

ただ、静かに涙を流すのだ。

それは、己の運命を呪っているのか。

屈辱からなのか。

痛みからなのか。

その全てからなのか。

こうして身体を征服している以上、俺はお前に勝っているはず。

だが……俺は同時にお前に負けているのかもしれない。

いつものように、海杜のまぶたから涙が流れた。

海杜はもう言葉にならないらしく、無言で首を振った。

その拍子に、海杜の艶のある黒髪が額に落ち、苦悶に歪む彼の涙をそっと隠した。





「あ~っ!!どうしよう!!遅刻しちゃう!!」

今日は土曜日だけど、先週のスポーツ大会の振り替えで、授業がある。

うっかりしてすっかり忘れていた。

わたしはトーストをかじると、ドアを開けようとした。

その瞬間、ドアのチャイムが鳴った。こ、こんな朝っぱらから……誰!?

「ふ……ふわぃ……!?」

わたしはトーストをかじったまま、ドアを開けた。

そこには……。

「おはよう。美麻ちゃん……。ああ……。食事中……だったかな……」

わたしは「海杜さん!!」っと叫びそうになったけど、結局モガモガと意味不明な声が漏れただけだった。







「随分、上手く取り入ったものだな」

そこは地下資料室。

振り返ると、更科恭平がいつものようににやにやとした笑みを浮かべて立っていた。

「人聞きの悪いこと……おっしゃらないで下さいませんか。副社長」

「本当に感心するぜ。あの菊珂を手懐けるとは」

「手懐ける……?僕達は愛し合っているんです。妙な言いがかりはやめて下さい」

僕は資料から目を上げ、相手をにらみつけた。

「俺はお前のその目が苦手なんだよ。その氷のように冷たい目が……だが」

ふいに彼から笑みが消えた。

「同時にそれは堪らない魅力でもある……」

彼は僕からファイルを奪うと、いきなり僕をファイル棚に押し付けた。

落ちたファイルから資料が舞い上がった。

「や……ああっ!!」

彼は僕からタイを引き抜くと、ワイシャツの前を引き裂いた。

ベルトが引き抜かれ、スーツも奪われた。

その間にも、容赦のない愛撫の雨が降り注ぐ。

「あっ……。ああんっ……」

僕の裸身は散らばる資料に放り出された。

「こうしていると、まるっきり女みたいだな。こんな華奢な身体で復讐か。大それたこと考えたもんだ」

お褒めに預かり光栄だ。

そう言おうとしたが、吐息にしかならなかった。

「だがな、俺が一番わからないのは、なぜあの狸親父がお前と菊珂のことを許したのか……

ってことなんだよ。あの男は利益がないことには絶対に首を縦に振るはずない」

「はぁっ……会長だって鬼じゃありません。

寛大にも菊珂さんと私のことをお許しになられたんですよ。……ご納得……頂けませんか?」

「いかないね」

「ふふふ……疑り深い方だ。言ったでしょう?ご想像にお任せしますと」

「俺も言ったはずだよな?想像とかいうのは苦手だって」

そう言うと、更科は強引に僕に入り込んだ。

「うあっ……どんなことをされたって、僕は口を割りませんよ?ぜっ……たい……に」







ああ……こんな恥ずかしいこと見られて……死んでしまいたい……。

わたしはトーストを飲み込んで、彼を家の中に招こうとした。

バタバタしてたから、きっとパン屑だらけで……あ、そうだ。マーガリン出しっぱなし……。

ああ。もう嫌。

「いや……今日は一緒に付き合って欲しいところがあってね」

「わ、私とですか?」

「ああ。君じゃないと駄目なんだ」

「えっ……」

なんか今、さりげなくすごく嬉しいことを言われたような気がするんだけど……。

「は?わ、私ですか……?あの、私なんてあの……」

それに、わたしは今、すごく重大なことを忘れているような気が……。


学校!!


もうどんなに頑張ったって間に合わない……。

そして、目の前には海杜さん……。


わたしはその時、生まれて初めて学校をさぼることを決意した。







「……私……学校……さぼっちゃったんです……」

わたしは、恐る恐る上目遣いに海杜さんを見た。なんとなく、懺悔したい気持ちになって。

当然、わたしにとっては初めての大冒険。

「ああ……。すまない今日は土曜日だったから、休みだと思っていたんだ。

僕の責任だね。……皆勤賞狙いだったら、申し訳ないことをしてしまったな。

でも、たまにはいいだろう。こう見えても、僕だってよくさぼっていたんだよ。学校は退屈でね」

海杜さんは微笑みながらそう言った。

「えっ?」

わたしは意外だった。

「じゃあ……制服だとまずいかな。そうだ……あの服……試着してみないかい?」

「えっ……?」

振り返ると、ブティックのショーウィンドウで綺麗な真っ白いドレスが輝いていた。





その日、そうあの菊珂との結婚を雪花一族の前で公表した翌日。

僕は会長から呼び出しを受けた。

「わかっているだろう?何の話か」

「菊珂さんとのことですか」

会長は頷いた。僕は答えた。

「私と菊珂さんは愛し合っています」

「私が言っているのは、そんなことではない」

「ええ。わかっていますよ」

僕がけろりとして答えると、彼は小さく唸った。

「ここに、小切手がある。好きな額をいいたまえ。

これは慰謝料としてくれてやる。だから、この社から……菊珂の前から消えろ」

「嫌……と言ったら?」

「何?」

会長は白髪交じりの形のよい眉を吊り上げた。

「ふふふ……。そう。そのセリフ……すっかりお返ししても構わないくらいですよ?会長」

「きさま……何を……」

僕は確信した。

時は熟した。

今こそ、切り札を使う時!!

僕は怒りをあらわにした会長の目の前に一枚の写真を突きつけた。

「これは……」

さすがの会長も、この写真には色を無くしていた。

それはそうだろう。

これは、見知らぬ男の死体とうろたえる雪花兄妹の姿。

僕はあの時、携帯のカメラでその風景を撮っていたのだ。

「差し上げますよ。まだまだいくらでもコピーは可能ですからね」

「これは……どういうことだ……」

「ご覧の通りです。その男の素性はわかりません。

ただ、僕がお話できるのは、菊珂さんに乱暴を働こうとして返り討ちにあった哀れな男ということだけです」

「なっ……」

「菊珂さんの運命……いや……この雪花一族の命運は、この僕が握っているですよ」

そう。この僕が。

「この僕がね?」

僕は会長の端正な顔立ちを真っ直ぐに見据えて言い放った。

「おわかりになられましたか?会長。あなたは、この僕を雪花一族に加えなければならない。

これは、もう絶対的な決定事項なのですよ。あなたが破滅を望まない限りね」







「ご試着ですね。どうぞ、こちらへ」

満面の営業スマイルの店員さんに促され、わたしは試着室に押し込まれた。

わたしに手渡されたのは、あのショーウィンドウに飾られていたドレス。

綺麗な白い色……。

まるでウェディングドレスみたい……。

わたしは、胸の高鳴りを感じながら、おあつらえ向きにぴったりのサイズのそれに袖を通す。

カーテンを開けるのが、ちょっと怖い。目を閉じ、思い切って一気に開けた。

「あの……どうですか」

わたしは目を閉じたまま、聞いた。

すごく恥ずかしい。でも、すごく嬉しい。

そんな不思議な気持ちで顔を上げると、海杜さんは、眩しそうな目で私を見つめていた。

「よく、似合ってるよ」

「あ、ありがとうございます……」

わたしが頭を下げると、彼はとんでもないことを言い出した。

「これもらえますか?」

「ええっ!?」

慌ててタグを見ると、途方もない桁の数字が……。

「わ、私、こんなに高価な服……もらえません!!」

「いいんだよ。いつも菊珂がお世話になっている分だよ。それに……君のお兄さんにも随分、世話になっている」

「でも……」

「いらないなら、後で捨ててもらって構わない。今だけ、受け取ってもらえないだろうか」

「えっ……?」

なんて……真剣な目……。

どうして……?

気が付くとわたしはその服を着せられたまま、海杜さんの車に乗せられていた。

「あの……すみません。本当にこんなに高価な服……あの……ところで……これから、どこに行くんですか?」

ふと時計を見ると、お昼近くになっていた。

「とりあえず、食事にしよう」

海杜さんはそう言うと、アクセルを踏み込んだ。






「ああんっ!!ああっ!!」

僕は声を上げて喘いでいた。

遠くで響く罵声を感じながら。

資料をしどどに濡らしながら。

どうにでもすればいい。

あんたを含めて雪花一族の命運は。

今、この僕の手中にあるのだから。







「えっ……ここ?」

着いたのは、高級ホテル。わたしは驚いて、海杜さんを見上げた。

海杜さんは、わたしにウインクを返した。

「さあ、どうぞ、お姫様」

恭しく手を差し出す海杜さんのの様子に、思わずわたしは吹き出していた。

現れたボーイさんによって、窓際の席に案内される。

「いい景色……」

わたしは思わず呟いていた。

まもなく、豪勢なランチが始まった。

「どうしよう。さぼってる人間が、こんなに美味しい物を食べていいのかしら」

罪悪感が押し寄せる。

本当に困り顔のわたしを見て、海杜さんは微笑んだ。

「遠慮はいらないさ。息抜きも必要だよ。それにね、これはお祝いをかねているんだよ」

「えっ……?お祝い?」

「今朝、君の推薦人の僕の元に知らせが届いた。それを君に早く伝えたくてね」

「えっ……その知らせって……」

わたしの胸は高鳴った。それは……。

「そう。つまり……君はコンクールへの出場資格を得たということだよ」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ。おめでとう」

彼はにっこりと微笑んだ。その光に映える眩しい笑顔に、ちょっと気恥ずかしくなってわたしは料理に集中することにした。

わたしは、下を向いたまま答えた。

「あ、ありがとうございます!!」

顔……赤くなってないかな?だったら、すごく恥ずかしい……。

やがてランチが終わり、食後のコーヒーも飲み終えると海杜さんは、

「さて、次はどうしようか」

とわたしを見た。

「今日は君の行きたいところに付き合うよ」

「えっ……あの……。じゃ……じゃあ……」








「きゃあああああっ!!いやああああっ!!」

「ははは……。美麻ちゃん、自分で乗りたいって言ったんじゃないか」

そんなこと言ったって……こんなに怖いって思わなかったんだもん!!


ジェットコースター……。


わたしと海杜さんは、某遊園地でジェットコースターに揺られていた。

それより、どうしよう……遊園地なんて言っちゃって……。

わたし、きっと呆れられてる……。咄嗟にここしか思いつかなくて……。

でも、ここはわたしの思い出の場所でもある。

お父さんとお母さんが生きていた季節。

わたしは家族でここを訪れた。

まだ小さかったわたしは、ジェットコースターに乗りたかったんだけど、

身長制限にひっかかってしまって乗せてもらえなくて、泣いてしまったんだった。

今はそんなこともなく、こうして乗っている。わたしもそれだけ成長したんだ。

でも、すごく怖くて……これじゃあ、きっと夢でもうなされてしまう。

あの頃、乗らなくてよかったって……思うけど。

「大丈夫かい?気分はよくなったかな?」

「はい……それよりすみません……。

遊園地に行きたいなんて……子供っぽいこと言ってしまって……退屈ですよね」

「そんなことないよ。とても楽しいよ。……君がいるからね」

「えっ……?」

今のは……幻聴?

顔を上げると、逆光でよく見えないんだけど、ちょっと顔を赤くした海杜さんが、

「……さ、次はどうしようか。あれなんかどうだろう。あれなら、君も怖くないだろう?」

と言ってそびえる観覧車を指差した。





遊園地か。

もう随分、久しぶりだ。

よく菊珂を連れてここに来ていた。

私自身が連れて来られたことは皆無だった。

父も母もそういう人ではなかったから。

私はもっぱら誰かをここに連れてくる。そういう役回りだった。





「あら。また勉強しているの?」

少年は学習帳から顔を上げた。目の前には、一人の美しい女性がいた。

「駄目よ。小学生が勉強ばっかりしていたら。ほら。立って。あなたを連れて行きたい場所があるのよ」

「えっ……?」

「ほら。早く早く」

「あっ……。ちょっと待って」

やがて少年が連れて行かれたのは、不思議な世界だった。

どれもこれもが少年にとって未知のものだった。

「ほら。好きなのに乗っていいのよ?……どうしたの?あ、もしかして、ジェットコースターが怖いの?」

「僕……初めてだから」

「えっ……?遊園地……来た事がないの?」

少年はこくんと頷いた。

「ダメね。お父様にちゃんと言っておくわ。父親なら、子供を遊園地くらい連れて行きなさいって。うふふ」







「次ぎの方~。どうぞ」

間の抜けた係員の呼び出しを受け、美麻と箱に乗り込んだ。

私は観覧車の扉が閉じると同時に切り出していた。

「この間のこと……聞きたくてね」

「この間……あっ!!」

この間のこととは、美麻のあのキスの訳だ。

だが、そんなこと聞いて私はどうするというのだろう。

今の私には、この子の気持ちを受け止めることなどできない相談だ。

だが、この問いをせずにはいられなかった。

美麻は急に黙り込むと、俯いた。

彼女の栗色に光るセミロングの髪が彼女の表情を隠していた。

「……すぐに忘れてくれますか?」

「えっ?」

「私がこれから言うこと……すぐに忘れてくれますか?」

美麻は顔を上げた。その顔は涙に濡れていた。

「でないと、私……言えません。海杜さんに……迷惑がかかってしまうことだから。言えません……」

「美麻……」

私はその言葉から、自分の予感が真実だと悟った。

「約束して下さい。でないと……私。言えません」

卑怯だと思う。だが。

「約束は……できない」

すると、美麻も「じゃあ、私も……言えません」と再び俯いた。

沈黙が箱の中を支配する。

そうだ。聞く訳にはいかない。

美麻の気持ちを知ってしまった今は……なぜなら……。

やがて、箱は地上へと舞い戻り、私たちは沈黙の空間を抜け出した。

「あ、すみません。海杜さん。ちょっと待ってて下さい」

そう恥ずかしそうに言うと、美麻はぱたぱたと走り去った。

あの様子だと、トイレにでも行ったのだろう。私は手持ち無沙汰に辺りをみまわした。







「待ってて」

そう笑いかけると、彼女は走り去ってしまった。

少年は初めて訪れた遊園地という場所で、いきなり一人にされて、ひどく不安だった。

見知らぬ人々の笑い声。

華やかなアトラクション。

高鳴る心臓の音は、まるで耳元で響いているかのようにおおそろしない音を立てている。

わっと泣き出しそうになった瞬間。

少年の頬に冷たい痛みが走った。

「!?」

「びっくりした?うふふ……」

そこには花のように笑う彼女がジュースを持って……。







突然頬に感じる刺すような冷たさに、私は思わず振り返っていた。

「あ、びっくりさせちゃいました?」

そこには、はにかむように笑う美麻がいた。

手には缶ジュースを持っている。

「これ、お礼です。今日の。……すみません。こんなことしかできなくて……」

「いや。ありがとう」

私は美麻からコーラの缶を受け取った。

美麻は嬉しそうに自分の分の缶のタブに指をかけた。

ほぼ同時に私たちは缶を開けた。その時。

「きゃあああっ!!」

美麻の叫びと同時に缶から泡が勢いよく吹き出した。

「やだ……振っちゃったみたいです……。私……」

泡まみれになった私と美麻は互いを指して笑い転げた。







「今日は、本当に楽しかったです!!まるで……夢でも見ているみたいで……。

それに……こんなに高価なドレスも……ありがとうございました!!」

車から降りると美麻は飛び跳ねるように運転席の私の方にやってきて、言った。

「いや……楽しんでもらえたなら、よかった。僕も楽しかったよ」

「本当ですか?」

美麻は少し不安気に私を見下ろした。

「もちろんだよ。楽しい休日を……ああ、君は違ったかな?でも、ありがとう」

美麻は嬉しそうににっこりと笑った。

「それに……コンクールにも……海杜さんのおかげで出られるようになって」

「ああ……」

これが正しいやり方かどうかはわからない。

だが、私にはこれしか償いの方法が見つからないのだ。

「私、一生懸命頑張ります。海杜さんの優しさに報いる為にも……」

そんな風に笑いかけないでくれ。

私は君の両親を……。

私はアクセルを踏み込んだ。

バックミラーに目をやると、美麻が笑顔で手を振っていた。

夕暮れに白いドレスが映える。

この美麻の姿を私は永遠に目に焼けつけようと思った。

これが美麻との別れとなるだろう。

なぜなら……。







「父さん。お話とは……なんでしょうか」

私はその夜、父の書斎にいた。

「海杜。この間の見合い……先方から断りの連絡があった」

羽鳥未央との件だ。

「は、はあ」

「お前は本当に不器用な男だな。これもお前の仕事の一環だということが、お前にはよくわかってはいないようだ」

「はい。面目ありません」

私は素直に頭を下げた。

謝る意外に私には方法がない。

これは一種のミッションの失敗なのだ。

「海杜。お前。意中の相手がいるな?」

「えっ……?」

私はいきなり振られて思わず顔を上げていた。

「そんな……そんなことはありませんよ」

「お前は嘘も下手だな。海杜」

父はそう言うと、煙草に火を付けた。

「咲沼美麻と言ったか。毎日ここに練習に通っているそうじゃないか。熱心なことだ」

「あっ……」

「熱心なのはその娘だけではないな、他ならぬお前の方でも随分入れ込んでいるようじゃないか」

「それは……」

誤解ですと言おうとしたが、言葉にならなかった。

「まあ、お前が入れ込むのも無理はない。あの娘は……あの女にまるで生き写しだからな」

「!!」

「お前はあの女を好いていたようだからな。あんな子供の分際で」

「やめて下さい。……もう、過去のことです」

「だが、咲沼美麻の件は現在進行形のことだろう」

私は黙った。

「聞くところによると、あの娘はお前の秘書の妹だそうじゃないか。お前は未だに自分の地位がよく飲み込めていないようだな」

「地位……?」

「そうだ。お前は雪花コーポレーションの代表だ。そんなお前が、一介の秘書の妹と一緒になれるとでも思ったのか?」

「そんなことは……」

そんなことなどはじめから思ってなどいない。

なぜなら。

私は……あの子の憎むべき敵だからだ。

それは……あなたとて同じことでしょう?

私は喉元まででかかった言葉を飲み込んだ。

父にあの兄妹の本当の素性は知られるべきではない。そう思ったから。

「まあ……次の見合いでは……お前はどうしても断ることなど叶わないだろうな」

「えっ……?」

どういうことだ?

なんだ?

この父の自信は。

「次の……見合いですか?」

「ああ。もう決まっている」

そう言うと、父はこちらに写真を放って寄越した。

「これは……!!」

そこで艶やかに微笑むのは、莢華だった。

「どういうことです!?お父さん!!」

狼狽する私に、父はさらりと言い放った。

「お前が今見ているままの状態だ」

「えっ……?」

「お前の次の見合い相手は莢華だ」

「そんな……!!私は莢華とは……」

「結婚する意志がない……。そう言いたいのか?だがな。お前はYESと言わざる負えないだろう」

「えっ……?」

「そう言えば……綾小路君はあのコンクールの支援者とは親しい仲だったようだな」

「!!」

「咲沼美麻をこのまま潰してもお前はかまわないのか?」

まさか……!!

「察しがついたか?そうだ。咲沼美麻をコンクールに出したければ……お前は莢華との縁談を受け入れる。それが先方の出してきた条件だ」

「なん……ですって……」

「莢華とお前が結婚すれば綾小路財閥との提携が叶う。こちらとしても悪い話ではない。どうする?海杜。お前はまた破談にする気か?」

父はそう言うと、にやりと笑った。

私はきつく目を閉じた。

まぶたには美麻の笑顔が……。


美麻……!!


「承知……しました」







今日はちょっと奮発していろいろ作ってみた。

今月の後半は切り詰めないと……。

でも、今日だけ特別……いいよね?お母さん。

前菜に生ハムサラダ、オードブルは鮭のムニエル、鴨肉のソテー。

スープはかぼちゃのポタージュ。

デザートにはチーズケーキも作っちゃった。

お兄ちゃんは目を丸くしてテーブルの上を見ている。

「へえ?今日はずいぶんご馳走だね。何かあったのかい?美麻」

「う、うん……」

わたしは全ての準備を整え、エプロンを外し、テーブルについた。深呼吸をひとつ……。

「お兄ちゃん!!き、聞いて欲しいことがあるの」

「なんだい?」

お兄ちゃんは力んだわたしの様子がおかしいのか、苦笑しながら言った。

「あのね……。私、全日本ピアノコンクールに出場できることになったの……」

「えっ?」

このコンクールについては、お兄ちゃんも知ってる。

わたしが何度も憧れだって言って教えたから。

「どうして……?あのコンクールには、選ばれたプロ予備軍の人しか参加できないんだろう?」

「それがね……。海杜さんが、私をバックアップしてくれたの」

「雪花社長が……?」

わたしは、そう聞き返したお兄ちゃんの顔を見た瞬間、背筋が冷えた。

お兄ちゃん……なんて冷たい目。

なんて怖い顔……。

まるで……別の人みたい。

でも、それは一瞬のことだった。次の瞬間にはお兄ちゃんの笑顔があった。

「そうか……。せっかくの社長のご好意だ。頑張りなさい」

「は、はい……」

わたしは胸に言い様のない不安が広がるのを禁じえなかった。

お兄ちゃん……どうして……?







いつもの放課後の「ひまわり園」。

わたしは女の子に絵本を読んであげてた。

「美麻ちゃん、本当によかったわね。全日本ピアノコンクールに出場が決まって」

「はい」

「ねえ、美麻お姉ちゃん。ピアノコンクールって、なあに?」

「えっとね……。ピアノが大好きな人が集まってみんなでピアノを弾くのよ」

なんかちょっと違うんだけど……まあ、いいか。

「ふ~ん。由香ちゃんもコンクールに出たいなぁ」

園長が優しく微笑みながら、

「そう。由香ちゃんもじゃあ、一生懸命ピアノ練習すれば、きっと出られるわ。美麻お姉ちゃんみたいにね」

と言うと、女の子は何度もうんうんと頷いた。

ふと、わたしは時計を見上げた。

「先輩……遅いですね」

「そうねえ……。槌谷君、今までボランティアの時間……遅れたことなんてなかったのに……」

心配げな園長の顔を見ると、わたしの中で不安の種がむくむくと育っていく。

何かあったの?

まさか……事故に!?

わたしは思わず立ち上がっていた。

「え、園長!!私……先輩に電話してみます!!」

その瞬間、

「あ~!!お兄ちゃん。いらっしゃい~!!」

「うわ~っ!!すご~い!!」

と玄関の方から子供たちの歓声が上がった。いったい、どうしたんだろう。

「みんな、どうしたの?」

そう廊下を進み、玄関に着くと、わたしは思わず声を失っていた。

「やあ。美麻ちゃん。ごめん……まだ外にあるんだ。手伝ってもらえないかな?」

見ると、大量のお菓子やジュースを抱えた槌谷先輩が立っていた。

「ええっ!?先輩!!ど、どうしたんですか!?」

「いや……さっき園長から連絡もらってね。美麻ちゃん……全日本ピアノコンクールに出るんだろう?

だから……みんなでそのお祝いパーティしようと思ってさ」

槌谷先輩は少し恥ずかしそうに頬を染めると、にっこりと微笑んだ。

「あっ……」

まるで自分のことのように喜んでくれる先輩の顔を見るのが……少しつらい。

こんなに先輩は優しいのに……。

こんなに……。

「うわっ!!美麻ちゃん、どうしたんだい?これ、ハンカチ」

「ありがとうございます。先輩……。私……私……」

「槌谷君……。よかったわね。美麻ちゃん。私も本当に嬉しいわ。

あなたなら、きっと夢をつかめるわ。私は信じてる」

「僕もだよ。美麻ちゃん。君なら、絶対優勝間違いなしさ。さ、泣いてる暇はないよ。

ほら。みんな、パーティが始まるのを待ち焦がれてる顔してる」

見ると、子供たちがにこにことわたしたちを取り囲んでいた。







「ほんと、急にどうしちゃったのかしらね?美麻ちゃんに出場するようにって上から直々にお達しがあるなんて」

受話器の向こうの柚生は、心底不思議そうな声を上げた。

私は答えられなかった。

「でも、よかったわ~。上もようやく美麻ちゃんの素晴らしさがわかったのね。

あの子、素人出場枠候補っていうより、優勝候補の筆頭よ。

そんな才能を訳わかんない理由で潰されちゃあ、黙ってる訳にはいかないわよ。うん」

柚生は一人で勝手に納得したのか、うんうんと何度か頷いた。

「そうだ。海杜君。君、来るんでしょう?当日応援。日曜日よ。

休日なんだから、まさか来れないなんて言わないでしょうね」

「あ、ああ……。行くよ」

「そうよね。コンクールには、あんたの秘蔵っ子の莢華ちゃんも出るんだし」

莢華。

その名を聞くと、胸に痛みが走る。

あの子が悪いのではない。

あの子にあんな行動を取らせてしまった。

そこまで追い詰めた、私の責任なのだ。

だから、これは私の当然の報いなのだ。

あの子との結婚は。

「じゃ、当日会場でね。寝坊とかして、遅刻しないでよ」







「で?いい加減に聞かせてもらえないかしら?」

あたしは、優雅な仕草でティータイムにふける変態監察医に言った。

「えっ?何?仕事の話は抜きにして欲しいね。今は見ての通り、休息中だから。

あ、君も冷めないうちに飲みたまえよ。今日はハーブティーなんだ。僕の家の庭で取れたんだよ」

そう言うと、熊倉は自作のスコーンを満足げに頬張った。

「あのねぇ。あたしがあんたの研究室にわざわざ遊びに来てるとでも思ってる?」

「はれ?ちがふの?」

「それ、飲み込んでから発言してもらえる?ただでさえ理解不能な言語がますます意味不明になるから」

熊倉は悪びれる様子もなく、スコーンを飲み込むと、紅茶を一口すすった。

「で?なんだい。君の用件っていうのは」

「あのF埠頭の遺体で、あんたが気になるって言ったこと」

「あ、ああ~。あれね。なんだ。そんなことか」

「そんなことって何よ」

「それは……」

「あ~っ!!先輩!!どこ行ったのかと思ったら、こんなとこでお茶飲んで、お菓子食べて!!ずるいです~!!」

そこには予想通りの闖入者が。


な~え~こ~!!


あたしは、目の前の骨格標本に拳を叩き込んだ。







「あっ……はあんっ……」

真昼間にも関わらず、暗い部屋。

そこで繰り返される男と女の行為。

高まる快感に震えながら、吉成水智は何度目かのセリフを繰り返した。

「ねえ……。私のこと、愛してる?」

哀願するように男を見つめる。

だが、男は無言で愛撫を繰り返した。

それが答えだとでも言うように。

「本当?本当よね?私……あなたの為に……こんな危ない橋……渡ってるのよ?

全部、全部あなたの為なんだから。ねえ?わかるでしょう?」

男は答えない。代わりに激しくなる行為。

「ちゃんと言ってくれなきゃ……嫌……」

男は水智の肌から唇を離すと、彼女の耳元でそっと囁いた。

偽りの愛を……。







「ねえ……私のこと、愛してる?」

俺はいい加減聞き飽きた女のセリフにウンザリしながら、身体を起こした。

「ったく……うるさい女だな。お前も。さんざん可愛がってやったじゃないか。

それとも足りないのか?女ってのは、どうして言葉で言わなきゃわかんない動物なんだろうな」

傍らの女――吉成水智は「途中でやめないでよ。恭平」と頬を膨らませた。

普段会社ではお堅いひっつめ髪のエリートという印象しかないが、

こうしてみるとこいつもただの女にすぎないということがよくわかる。

俺は煙草に火を付けた。

「うるさいわね。……そういう日だってあるのよ。私だって女なんだから。

それに、あなたの為に危ない橋だって渡ってるの。それくらい言ってくれたっていいじゃない」

水智は長い髪を掻き揚げた。

「ああ、愛してる、愛してるよ。それより……ちゃんと調べておいてくれたんだろうな。専務殿」

「……ええ」

答えると、水智は枕元に転がるバックに手をかけた。

俺は、銜えタバコでそれを素早くひったくると、中をまさぐった。

水智はため息混じりに毛布を引き寄せた。

「感心、感心。さすがキャリアウーマンはやることが早いね」

「当たり前でしょう。私を誰だと思ってるの?それより恭平……どうする気なのよ」

「面白いことになる。お前もせいぜい楽しみにしてればいい。そうだろう?お前を袖にした男の苦しむ様を」







「未央君。八つ当たりは良くないなあ。標本だって、馬鹿になんないくらい高いんだよ?」

熊倉はなぜか木工ボンドで割れたしゃれこうべの修復をしながら言った。

「そうですよ。先輩。何が気に入らないか知りませんけど、警察官が大学の備品破壊しちゃ、いけませんよ」

苗子はそういいながら、熊倉特製のスコーンにこれまた自家製らしい苺ジャムをたっぷり塗って頬張った。

「あ、おいひ~♪」

「わかるかい?嬉しいなあ。全部僕の手作りなんだよ。そのジャムもね。庭で取れた苺から……」

なんとも形容し難いほのぼのメルヘンチックな空気に、あたしの忍耐は限界を期した。

「ちょっと!!今日という今日は聞かせてもらうわ。F埠頭の遺体の気になる点ってなんなのよ!?」

「未央君……今日は迫力が違うね……」

「先輩~怖いです~」

熊倉と苗子はしょんぼりと小さくなった。







「あのF埠頭の遺体にはね。二つの傷があったんだよ」

熊倉は紅茶を一口飲むと、口を開いた。

「二つの傷……?」

「そ。普通は気が付かないだろうな。その点、僕はほら、優秀な監察医だから」

と熊倉は誇らしげにカップを掲げた。あたしは、「はいはい」と先を促した。

「まあ、ほぼ同じ部分に付けられているからね。

まず、被害者を昏倒させたと思われるごく浅い傷。そして、致命傷となった傷」

「それは……海に落とされてからついた傷ではないの?」

「それはありえない。これらの傷には生活反応がある。

一方、海に投げ込まれたのは100%死後だ。あの遺体は水を飲んでいないからね」

「これ……どういうことなんでしょうか?」

苗子はこんがらがったらしく、あたしと熊倉を交互に見た。

「簡単に言えば、一回目の殴打で気絶させ、二回目でトドメを刺したってとこじゃないのかな?

まあ、そんなに珍しいことではないんだけどね。事例的に見れば……。

一撃で殺せるってことの方が……珍しいと言えば珍しいしね」

「じゃあ、何がそんなに引っかかるんですか?」

質問しつつ、苗子はあたしのスコーンに手を伸ばした。

あたしが目でじろりと牽制すると、小さく舌を出して手を引っ込めた。

「ただ僕が気になるのはね。……どうやら……殴られた凶器が違うみたいなんだよ」

「なんですって?」

「ああ、この写真見てもらえるかな?」

そう言うと、熊倉はよく整頓されたファイルから数枚の写真を取り出した。

「これ。ここ。よく見て。この傷の具合とこっちの傷。あ、こっちが致命傷だね。その傷の違い」

そう言われたって、あたしには、両者の傷の違いがわからない。

「ま、この遺体一昼夜海を漂っていた訳だからね。素人さんにわかんないのは無理ないけど」

「悪かったわね」

「気になった僕は、傷をよ~く調べた。そしたら、案の定。最初の方の傷は石のような丸っこくてごつごつしたもので付けられた傷。

そして、こっちの致命傷となった傷はもう少し重い平べったい鈍器……ブロックか何かかな?そういうもので付けられたものだった」

熊倉は監察医の目になってあたしを見下ろした。

「それって……どういうことなの!?」

「さあねぇ……。まあ、加害者が一撃で被害者を殺し損ねて、

追っかけられるとかして第一の凶器を落としてしまい、

新たに別の凶器で殺したとかって感じじゃないのかな。

なんか回りくどい説だけどね。現場、埠頭だったでしょ?

ああいうところは、石やらブロックやら、凶器だらけだからねぇ。

監察医としてのご指南は以上。こっからは君たちの領域じゃないのかな?未央君」

そう言うと、熊倉は流し目でいかにも美味そうに紅茶を飲み干した。







「明日だね」

わたしは仕度を終えると、いつも通りお兄ちゃんの向かえの席に座った。

「ああ」

いよいよ、明日。お兄ちゃんは菊珂ちゃんと結婚する。

そして……このマンションを出て行くんだ。

今夜が二人きりの最後の夜。

いつか……こんな日が来るって覚悟してた。

いくら兄妹だからって……ずっと一緒にいられないってこと……わかってたから。

別に一生お別れする訳じゃないのに、なんだかいろいろな思いが胸いっぱいに広がって、

せっかく一生懸命作った最後の夕餉も味がちっともわからない。

強くならなくちゃね。わたし。

お兄ちゃんに……もう一人でも大丈夫だよって……ちゃんと伝えなきゃ。

「お兄ちゃん……ありがとう。本当に、今までありがとうね」

だから、今は笑っていなきゃダメなのに。

わたし、ダメだね。また涙が出ちゃう。

「馬鹿だな。泣く奴があるか。今生の別れじゃあるまいし」

優しくお兄ちゃんが前髪をくしゃってしてくれる。

きっと、これももう最後。

もう、お兄ちゃんはわたしが独り占めできる存在じゃなくなってしまったんだね。

「ごめんね。私……もう大丈夫だから。本当にありがとうね」

「だから。これが最後じゃないんだから。これじゃあ、まるで本当に最後のお別れみたいじゃないか」

「だって……」

「こ~ら。なんて顔してるんだよ。それが僕に対する餞なのかい?」

優しいお兄ちゃん。

大好きよ。

でも……少し不安になることもある。

最近のお兄ちゃん……少し変。

なんだか、すごく思いつめていることが多い。

今も少し、暗い目をしてる。

考えてみると、お父さんとお母さんが死んでしまったあの日から、

わたしはお兄ちゃんの本当に笑った顔を見ていない気がする。

ううん。笑顔なんて……見せてる暇なんてなかったよね。

あの日から、お兄ちゃんはわたしを育てる為に必死になって戦ってくれていたんだから。

今の高校だって、わたしには場違いなくらいの名門女子高校だし。

おかげで菊珂ちゃんとも知り合えた。

こうやって施設を出て暮らしていられるのも……全部全部お兄ちゃんのおかげ。

お兄ちゃんがわたしの為にしてくれたことなんだ。

わたしが施設出身だからっていじめられていた時も、真っ先に駆けつけて助けてくれたね。

大勢のいじめっこ達相手にあんなに華奢な身体でわたしの為に戦ってくれた。

「美麻。すまない。僕が働けるようになったら、絶対にもう……こんな思いはさせやしないから」

あの時、傷だらけで、そうわたしを抱き締めてくれたお兄ちゃんの目には、微かに涙が光っていた。

ありがとう、お兄ちゃん。

わたし、お兄ちゃんにいっぱいいっぱい迷惑をかけてきたね。

ごめんね。でも、もういいんだよ。

兄ちゃんは自分の幸せを菊珂ちゃんと一緒に掴んでね。





ピアノの音……?


誰?


誰が弾いているの?


誰かがわたしを手招きしている。


そうだ。あれは……。


音楽の天使……。







視界が開けると、不思議なものが見えた。


風鈴?

ずいぶん大きな風鈴なのね。


えっ……?

違う……。

これは違う……。


なあに?

これは……。


見覚えのある靴下。

エプロン。

作業着。


ゆるゆると顔を上げると……。


お父さん……?

お母さん……?


二人がゆらゆらと……。



どうしてそんな格好をしているの?


まるで風鈴みたいに。


でも、これは鳴らない風鈴なのね?


これは……。


チ……リン―――


遠くで風鈴の音がした。


い……いやああああああっ!!







自分の悲鳴で目が覚めた。

「美麻!?」

ふいにドアが開くと、お兄ちゃんが飛び込んできた。

「あ……う。……お兄ちゃん」

「どうした?またあの夢を見たのか?」

わたしはただ頷くことしかできなかった。

身体ががたがたと震える。

口の中がカラカラに乾いて、手足が氷のように冷たい。

舌先が痺れて、うまく言葉が出ない。

心臓が飛び出しそうなくらい鳴っている。

涙が止まらない。

どうしよう……。

わたし!!

「大丈夫。あれは過去のことだ。もう終った。何も恐れる必要はないんだ」

お兄ちゃんはわたしを優しく抱き締めた。

「うん……。うん」

暖かなぬくもり。

明日には……別の人のものになってしまうぬくもり。

「やれやれ。僕を不安にさせないでくれよ。これじゃあ、明日僕はここを安心して去ることができないじゃないか。

……美麻。やっぱり、君も一緒に雪花家に……」

雪花家……。

あの人がいる家。

駄目……。

同じ家に暮らすなんて……今のわたしには……耐えられない。

だって……。

そんなに近くにあの人を感じてしまったら……。

わたしはきっと……。

「ごめんね。ごめん……。もう大丈夫だから」

笑顔を返さなくちゃ。

でも、うまくいったか自信がない。

「さ、眠りなさい。明日は早くから忙しくなる……」

「うん……」

お兄ちゃんはそっとわたしの手を握った。

「大丈夫。君が眠るまで……ここにいる」

お兄ちゃんの瞳に優しい光が燈る。

いつもどれだけお兄ちゃんに励まされてきたんだろう。

今まで、本当にごめんね。

そして、大丈夫よ。

わたし……きっと強くなるから。







ようやく寝入った美麻の手を、そっと毛布に戻した。

父と母の心中という地獄風景。

美麻はあの出来事の直後、失語症を発症した。

それと同時に、あの前後の記憶を失った。

失語症は三ヵ月後回復したが、記憶は未だに戻らないままだという。

ただ、皮肉なことに、もっとも忘れなければならないはずの、あの鴨居からぶら下がる父と母の姿だけは、

その真っ白なキャンバスに明確に焼き付けられているのだという。

それはこうして、時折悪夢としてフラッシュバックされてくる。

この子はその地獄風景によって、13年も苦しんできたのだ。

悪夢にうなされ、恐怖と戦いながら、その小さな胸を痛めてきたのだ。


すべてはあの一族のせいだ。


僕は安らかな寝息を立てる美麻の髪をそっと撫でた。

「美麻。早く忘れるんだ……。その代わり……」


あの頃と変わらない、無邪気な寝顔。


「お兄ちゃんが……忘れないでいるからね」








「本当に!?本当なのね!?」

いつになく、興奮気味に頬を高揚させた綾小路莢華に、河原崎唯慧かわらざき ゆえは無言で頷いた。

「海杜お兄様は……あの話を受け入れたのね?」

あの話とは、咲沼美麻のコンクール出場の交換条件のことだった。

美麻をコンクールに出場させたければ、雪花海杜は莢華との結婚を承諾する。

その条件を海杜は呑んだというのだ。

裏返せば、彼は咲沼美麻の為に将来の自分の身の振り方を決めたことになる。

だが、今や有頂天となった莢華には、そのことが見えていなかった。

唯慧にはそんな莢華が堪らなく哀れに思われ、同時に堪らなく愛しく思えた。

彼女の父は忠誠心に服を着せたように実直な男であった。

彼はその人柄を見込まれ、この綾小路家の執事を任されている。

母もまた、この綾小路家の使用人だった。

唯慧は夫妻の間に遅く生まれた子供だった。

すでに初老という年齢に差し掛かった父と母は唯慧を可愛がった。

だが、同時に彼女に「綾小路家への忠誠心」を植え付けた。

彼女が5歳になった春、同い年であった綾小路家の一人娘・莢華の遊び相手として唯慧は初めて綾小路家を訪れた。

初めて目にした莢華は子供ながらに利発で、神々しいばかりに美しい少女であった。

財閥の令嬢として生れ落ちたというその環境が、確実に彼女の自信と結び付き、彼女の華やかさを引き立てていた。

唯慧はすぐに莢華の持つ、その独特のオーラの虜となった。

莢華は確かに高飛車な面は多々ある。だが、基本的に唯慧のことは大切に扱った。

同級生というより、唯慧を妹のように可愛がり、何かと世話を焼きたがった。

自分が着飽きた洋服なども、ぽんぽんと気前よく唯慧に与えた。

だが、その度に両親が莢華に見苦しいまでの御礼を行うのは、少々気持ちのよいことではなかった。

どんなに親しくなろうとも、所詮、自分と莢華は決して同じライン上にはいない。

そのことを嫌というくらい思い知らされるようで。

やがて、二人は同じ名門中学に入学を果たした。

同じ空間で同じ授業を受け、同じ時間を過ごす。

それは唯慧にとっては眩暈がする程の幸福であった。

だが、そんな唯慧の小さな幸福は、ある日突然、小さな不安へと姿を変えた。

あれは中学にあがったばかりのことだったと思う。

日曜日になると、決まってやってくる人物。

莢華の従兄弟―――雪花海杜と言う青年だった。

彼は莢華にピアノの稽古を付けにやってきていた。

なぜか、莢華はこの青年がやってくる時は唯慧を自室に入れようとしなかった。

唯慧は中の様子が気になり、お茶を運ぶという口実を作って、静かにドアをノックした。

「お茶をお持ちしました」

「ああ、ありがとう。そこに置いておいて頂戴」

いつもでは考えられないほどの突き放したその口調に、思わず唯慧は顔を上げていた。

そして、ふとあることに気が付いた。

なんだろう。この違和感は……。

そうだ。

莢華がいつもとは違う雰囲気をまとっているのだ。

笑う仕草。

声の調子。

上目遣いの眼差し。

明らかにそこには莢華の「女」の部分が滲んでいた。

「次はもう少し先まで行ってみようか」

「ええ。海杜お兄様。でも……私、自信がありませんわ」

「大丈夫。僕も途中まで手伝うよ」

触れ合う二人の指先。

微笑みあう二人。

鍵盤から零れる二人の旋律。

決して、自分には向けられないその微笑み。

その時、唯慧は初めて嫉妬という思いを経験した。

嫉妬。

ふと頭を過ぎったその言葉を慌てて唯慧は振り払った。

なんと、おこがましいく、浅ましいことを。

でも……。

莢華へのこの思いは、愛などとは違う。

恐らく、この感情に無理やり言葉を当てはめれば……それは『忠誠』なのだと思う。

小さな頃からこの家に仕えてくることを教え込まれてきた唯慧にとっては、莢華は何よりも優先すべき最大の存在であるのだ。

そう。両親からあの言葉を植え付けられてから……。


『莢華様をお守りするように。……お前の命に賭けても。』


呪文のようなその言葉が、常に唯慧を縛り付けていた。

莢華は守るべき存在。常に自分の高みにあり、決して同率視することのできない存在。

だが、同時に堪らなく狂おしい思いが自分を支配していることも確かだった。

「ああ、なんて嬉しいんでしょう。海杜お兄様と結婚できるなんて……。

ねえ、聞いて。唯慧。あなたなら、きっとわかっているでしょうけど、私、ずっとお兄様の花嫁になるのが夢だったのよ。

ねえ、あなたも喜んでくれるでしょう?」

そう目を輝かせる莢華は、いつものような威厳のある美しい姫ではなく、その辺の女子高生となんら変わらなかった。

唯慧の心はかき乱されていた。

また、あの男のせいで。







久しぶりの非番。

駅で待ち合わせ。(これもずいぶん、久しぶり)

うっすらと薄紅色に染まる空が綺麗。

おろしたての靴とお気に入りのワンピ。

綿飴みたいな髪をむりくりセットして、フローラルの香水をひと噴き。

まるで遠足にでも行く子供みたいに胸が高鳴る。

真幸苗子は、そわそわと時計と辺りを交互に見回した。

その時、待ち焦がれていたシルエットがゆっくりと手を挙げた。

「英葵~!!5分遅れだぞ~!!」







「今日は美麻ちゃん来れないの?」

「ああ、美麻は明後日のコンクールの為にピアノのレッスン中なんだ」

「ピアノのコンクール?ああ、美麻ちゃん、ピアノ得意だったもんね」

そっか……。

今日、美麻ちゃん来ないのか。

急に苗子はそわそわした。美麻が来ないということは、今日は英葵と二人きりということになる。

これでは、まるっきりデートではないか。

なんとなく「美麻ちゃんも一緒に」と言ったつもりだったが、正直なところ、

それは英葵と二人きりになるのが気恥ずかしかったことが事実だった。

実際、再会した英葵はびっくりするくらいの美青年になっていたし、

大会社の社長秘書なんて要職について、すっかり男らしくなっていた。

苗子が知っている英葵は、どこか女の子のような優しくて可愛らしい少年だったから、

そんな英葵の変化に戸惑ってしまったくらいなのだ。

ありがたいことに、苗子の性格は取り調べ中の容疑者とでも仲良くなってしまうくらい、

のほほほんとした明るいものだったから、この間は内心の動揺を見透かされないことに成功したけれど、

二人きりで食事となると、正直自信がなくなった。

結局、悩んだ挙句、苗子が選んだ店は、行き着けの居酒屋だった。

パートナーの羽鳥未央に教えてもらったというか、いつも二人で利用している小さな居酒屋である。

今日もいつも通り、炭火臭い中にど演歌が流れている。

我ながら、ムードもへったくれもないチョイスだと苗子は思う。

もし、美麻が一緒だったら、赤坂のイタリアンレストランにしようと思っていたのだが、

なんとなく英葵と二人でそんなお洒落なところに行くには気が引けた。

臆病なんだ。自分は。苗子は自分にそう毒付いて、カウンターを英葵に勧めた。

「おじさ~ん!いつものお願いね~!!」

「おっ。苗子ちゃん、今日は男のお連れさんかい?もしかして、苗子ちゃんの彼氏かい?」

「ええっ!?」

苗子は一気に顔が硬直するのを感じた。隣の英葵の反応が怖い。

恐る恐る横を見ると、英葵はただにこにこと笑っていた。

「お、おじさん!!そんなんじゃないよ!!英葵はただの幼馴染みだよ~!!」

「おっ。ムキに否定するところが怪しいね」

「も~!!ね。英葵。何食べる?ここはね。こんな風にオヤジさんは悪いけど、美味しいものばっかりだから」

「そうだな……。苗子。君に任せるよ」

「そ、そっか。わかった。おじさん。今日のオススメ適当にぶちこんで!!」

苗子がそう叫ぶように言うと、英葵はぽつりと言った。

「こういう店もずいぶん久しぶりだよ」

「あ、そ、そうだよね。こ、こんなとこ……こ、来ないよね。ご、ごめんね。こんなとこ連れてきちゃって……」

今頃、店のチョイスに不安が湧いてくる。やっぱり、赤坂にしておくべきだったか。

「いや。なんとなく落ち着く。よく……苗子と二人で近所のたこ焼き屋に行ったこと……思い出した」

「あ。よく行ったよね。放課後に。おばちゃんが気前よくサービスしてくれてさ」

「あの店、今はどうなったんだろう」

「あ……今はもうないよ。……五年前におばちゃんが亡くなって……店畳んじゃったんだ」

「そうか……」

英葵は小さく呟くと、そっと視線を落とした。

時は残酷に流れている。

もう二度とあの頃に戻れない。

あの頃に置いてきた何かに思いを馳せるように、しばし二人は無口になった。

やがて、料理がどんと目の前に置かれ、苗子はいつものテンションを取り戻し、よく食べ、よく飲み、よく笑った。

「あ~っ!!今日はよく食べたな~。……っと、ごめんね。英葵。ごちになっちゃって」

「いいんだよ。今日は楽しかったから。そのお礼」

「今度はさ、あたしが奢るから!!って。英葵行き着けの超高級レストランっとかやめてね。

公務員、これでもなかなか金欠なんだから」

そう言うと、苗子はべっと舌を出した。

「ね。英葵……」

「うん?」

「あっ……なんでもない……」

今、自分は何を言おうとしたんだろう。

『これからも、よかったら一緒に食事したりしよう?』

『今度こそ、美麻ちゃん連れてきてね。』

ううん。そんなことじゃなくて……。

「苗子……これからは……こうやって食事する機会をなかなか設けられないかもしれない」

「えっ……?なんで?」

「……結婚するんだ」

苗子は一瞬、英葵が何を言ったのか理解できなかった。

結婚……?

結婚って……。

「社長の妹さんと……結婚することになった」

「そ、そっか……おめでとう。よかったね。英葵。すごいじゃない。しゃ、社長の妹さんと結婚なんて」

苗子は急に足元から寒気を感じた。

語気が震える。

「す、すごい……た、玉の輿だよ!!あ、あははは……はは」

「だから……」

「わかったよ。わかってるって。私、本当に嬉しいんだよ。英葵……

すごく頑張ったんだね。私、本当に嬉しい。よかったね。英葵」

いつの間にか……生暖かいものが頬を伝う。

「苗子……?」

「ごめん……。あんまり嬉しくてさ。涙出てきちゃったよ~!!この~幸せ者!!このこの!!

っと、私は行こうかな?明日……実は朝早いんだ。早番ってやつ?これが結構大変なんだ~。私、低血圧だから!!きゃはは!!」

くるりっと後ろを向けると、苗子は踊るような足取りで駆け出した。

その瞬間、涙が一気に溢れ出した。

「上をむ~いて~あるこ~ぉ~♪あはは~!!」

どうしてこんなに涙が出るのか、苗子にはわからなかった。







菊珂は卒業を待たずに、英葵と籍を入れた。

これで晴れて彼は雪花一族の一員となった訳である。

ただ、式については来年に行われることとなった。

菊珂と英葵の結婚に関して、一族間に波紋が広がったのは事実だったから、

その収束にはそれなりの期間が必要だろうという判断からだった。

実際、菊珂と九十九家の御曹司・出君との縁談は、菊珂の意思はそっちのけで、ほぼまとまりかけていた。

だが、こうして二人の結婚が受理された今となっては、それも無に帰したことになる。

九十九財閥との提携が叶わなかったことは、雪花コーポレーションにとっては、痛手以上の何ものでもない。

あれだけ乗り気だった九十九家との縁談を蹴ってまで、父が二人の結婚を許したことが私にはひどく気がかりだった。

菊珂はそれでも満足なようだった。何はともあれ、こうして菊珂と英葵の結婚は決まったのだった。

彼は私の家族となった今でも、変わらずに私の秘書を務めていた。

もちろん、彼は今、この雪花家で寝起きしている。

ただ、妹の美麻は以前のマンションに住んでいる。

英葵は美麻に一緒に来るように勧めたようだが、彼女が承知しないのだという。

恐らく、それは私のせいだろう。

そう思うと、今隣りの部屋から聞こえる美麻の楽しげな声も、もの悲しく私の胸に突き刺さる。

美麻はピアノの練習を兼ねて、毎日我が家に遊びに来ていた。

考えてみれば、菊珂と美麻は義姉妹になったことになる。

今日もこの書斎の隣の菊珂の部屋から楽しげな笑い声が聞こえる。

私はその明るい声を聞きながら、資料整理をしていた。

父の代から使われている莫大な書物がここには納められているのだ。

休日とは言え、商談のメールはひっきりなしに私を急き立てる。

この資料整理も、なんとなく、先方からのメール待ちの間、手持ち無沙汰ではじめた作業だったが、

いつの間にか熱中している自分に気が付いて苦笑した。

「ねえ。お義兄さん」

ふいに声に顔を上げると、今は私の義弟となった咲沼―――いや、雪花英葵の姿があった。

「休日だというのに……お忙しいのですね」

彼はややラフな私服姿で微笑んだ。

こうして見ると、まだあどけなささえ残る繊細な顔立ちのこの青年が「復讐者」だとは、一種の白昼夢ではないかとさえ思わされるほどだが。

「いや……何かしていた方が落ち着くんだ。もう……職業病だろうかね」

「僕にも何か手伝えることはありませんか。僕も落ち着かなくて……どうやら、あなたの手伝いをするという職業病らしいです」

そう笑いながら言うと、美しい義弟は滑り込むように書斎に入ってきた。

「本当にすごい蔵書ですね。圧巻だ」

「一生かかっても、読みきれる自信が僕にはないよ」

「そうですね」

そう言うと、英葵は突然、私に抱きついた。

私の手から本が滑り落ちた。

右足に強烈な痛み(恐らく、本だろう)を感じたが、その痛みはあっさりと別の苦痛に摩り替えられた。

「何を……」

回答はない。代わりに英葵の指がそっと私の素肌に滑り込む。

「やめてくれ……ここは……」

「ここは……なんです?ここは僕とあなたの家です。

いわば、完全なプライベート空間です。そこで僕達が何をしようと……関係ないのではありませんか?」

「違うっ……!!隣には……ああっ!!」

英葵の愛撫が私の琴線に触れた。思わず私は書架にしがみ付いていた。

まずい……。

もう、立っていられない!!

薄暗い書斎に、激しい行為とは裏腹な英葵の冷たい声が響く。

「隣には……なんです?」

「美麻ちゃんだって……いるんだ……。君は……自分の妹に……こんな……」

すると、英葵はにっこりと微笑んだ。いつも通り、息を呑むほどに、美しい笑み。

「そうですねぇ。特に美麻には、あなたのこの声はじっくり聞いて欲しいですね。あの子もあなたの被害者だ。聞く権利がある」

「そんな……っああっ!!」

その瞬間、ノックの音が響いた。

「お兄様。何かしましたの?」

「き……菊珂……」

「ああ。菊珂さん。何でもありませんよ」

私の声を遮るように、英葵は答えた。その声は「優しい夫」のものだった。

「そう……何でも……ね?お義兄さん」







「これも……運命かしらね」

綾小路莢華は、プログラムを握り締めた。

「私は負けない。ピアノも恋愛も……あの子には」

皺皺になったプログラムには、綾小路莢華と次の番号にクレジットされた咲沼美麻の名前が記載されていた。







ついに、この日が来てしまった。

遠くからピアノの音が微かに聞こえる。

この重厚な扉の向こうでは、わたしの夢が広がっているのだ。

既にコンクールは始まっていたけれど、わたしは客席にも控え室にもなんとなく行けなくて、ロビーでぼんやりと椅子にもたれていた。

今朝はなんだか妙に力んでしまって、無意味にハムエッグやサラダやフレンチトーストやコーンスープとかいろいろ作ったのに、

結局何も喉を通らなくて、牛乳をコップ一杯飲んだだけだった。

しかも、持ち物チェックとかいろいろしないとならないことがあったのに、

何も手に付かなくて、そわそわと部屋を行ったり来たりしていると、いつの間にか時間だけが過ぎ去って、

お兄ちゃんと菊珂ちゃんが迎えに来てしまったという有様。

すっかり、気合から回り。

どうしてわたしってこんなに要領が悪いのだろう。

ああ……今頃、おなかすいた。

荷物を置きに一足先に控え室に行ったお兄ちゃんと菊珂ちゃんから離れて、

しょんぼりとロビーに佇んでいると、「いたいた~!!」と聞きなれた声が響いた。

「美麻ちゃ~ん!!」

見ると、槌谷先輩と美作園長だった。

二人の顔を見ると、なんだかほっとして、一気に脱力してしまいそうになった。

「応援に来たのよ。美麻ちゃん。はい、これ」

そう言うと、美作園長はわたしに大きな花束を渡してくれた。

「ありがとうございます」

「美麻ちゃん……いよいよだね。大丈夫。君なら、優勝間違いなしっさ!!」

そう言うと、槌谷先輩はわたしの肩をぽんと叩いてウインクしてくれた。

「おや?晴れの舞台だっていうのに、ずいぶん、元気がないなぁ。……さては、美麻ちゃん。朝ごはん、ちゃんと食べてきていないな?」
「あ……当たりです」

そう言うと、槌谷先輩は「あはは」と笑って、

「だと思って、そこでパン買ってきたんだ。はい」

とコンビニのビニール袋から、クリームパンを差し出した。

「あ、ありがとうございます」

わたしは早速そのパンに齧りついた。

「あらあら。花束より美麻ちゃんの大好きな焼きそばパンの方がよかったかしら?」

「むぐっ!!園長先生~!!」

「うふふ……よかった。緊張して青い顔していたみたいだったから、心配したんだけど……これなら大丈夫ね」

「美麻おねえちゃ~ん!!そろそろ控え室に来てって菊珂おねえちゃんが言ってるよ~!!」

廊下の向こうから聞こえた夕貴君の声に、わたしはパンをくわえたまま立ち上がった。







控え室はまるで戦場みたいな有様で、多くの参加者とその付き添いの人々でごった返していた。

ピアノコンクールという優雅な表側の印象とはだいぶ違う……。

「うわぁ……。こいつはすごいなあ……」

「ほ、ほんと……」

「じゃ、わたし達は行きましょう。槌谷君。こんな寿司詰め状態のところにいたら、邪魔になるだけよ」

「はい」

そう立ち上がりかけた園長が、ふと思い出したように振り返った。

「英葵君」

「はい?」

「よく……頑張ったわね。美麻ちゃんをここまで育て上げて……」

「ありがとうございます……」

「じゃあ、美麻ちゃん。客席で応援しているわ」

「あ、はい……」

「あ、美麻ちゃん……」

槌谷先輩が、ごそごそとポケットをまさぐった。

「あ、あったあった」

そう言って彼が取り出したのは、朱色のお守りだった。

「えっ……?」

「これ、お守り。近所の神社で買ってきたんだ。気休めにしかならないかもしれないけど……よかったら、持っていて欲しい」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあ、頑張って!!」

そう言うと、槌谷先輩はもみくちゃになりながら控え室を後にした。

「よかったね。美麻」

お兄ちゃんが二人を見送りながら、言った。

「うん」

「美麻、そろそろ着替えた方がいいわ」

菊珂ちゃんが、時計を見ながら言った。

あと二十分……。

「うん。わかった」

「はい。美麻、ドレス。私が貸してもよかったんだけど……。あなたはこのドレスがいいんでしょう?」

そう微笑みながら菊珂ちゃんが取り出したのは、あの日、海杜さんからもらったドレス……。

海杜さん……。

どうか、わたしに勇気を下さい。







「お兄様……いったい、どうしたのかしら」

「あら、菊珂ちゃんじゃないの」

菊珂が振り返ると、海杜のピアノ仲間・澤原柚生の姿があった。

「あら、柚生さん。審査員なのに、こんなところにいてよろしいの?」

「まあね。今、ちょうど10分休みなのよ。ところで……海杜君見なかった?」

「それが……まだ来ていないようなんですの」

菊珂が答えると、柚生が目をむいた。

「なんですって?……もう。寝坊して遅刻するなって言っておいたのに」

菊珂は柚生の冗談に真面目に答えた。

「お兄様、朝は早くから起きていらしたのに……。どうしたのかしら」

今日は美麻の大切な晴れ舞台だというのに。

菊珂は大きくため息をついた。

「もう……。何やってるのかしら……。お兄様……」








菊珂ちゃんが控え室に帰ってくると同時に、わたしはカーテンを開けた。

「わ~っ!!美麻お姉ちゃん、すごく綺麗だね!!」

夕貴君が真っ先に大声を上げたので、わたしは思わず赤面してしまった。

「よく似合ってるわ。美麻。これなら、莢華にだって見劣りなんてしないわ」

「あ、ありがとう……」

「そうだ。美麻、これ、貸してあげる」

見ると、可愛らしい真珠のイヤリングとネックレスが菊珂ちゃんの手のひらの中にあった。

「菊珂ちゃん……」

「このドレス、胸元が寂しいでしょう?だから、持ってきたの。付けてあげる」

そう言うと、菊珂ちゃんはネックレスをわたしにかけた。

「うん。思ったとおり、いい感じね」

にっこり微笑む菊珂ちゃんにネックレスと一緒に、勇気をもらった気がする。

「ありがとう……菊珂ちゃん」

その時、夕貴君がなぜかもじもじと恥ずかしそうにしているのが目に入った。

「夕貴君……?」

「夕貴。美麻に渡すものがあるんでしょう?」

菊珂ちゃんが優しく問いかけると、夕貴君は小さく頷いた。

そして、小さな手のひらをわたしの前で開いた。

「あっ……」

そこには、ビーズでつくったブレスレットが乗っかっていた。

「これ、わたしに?」

夕貴君は顔を真っ赤にして、うんうんと頷いた。

「ありがとう……」

わたしは胸がじんわりと暖かくなるのを感じながら、それを受け取った。

「ねえ、似合う?夕貴君」

わたしがそれを腕にはめると、夕貴君は嬉しそうに何度も頷いた。

沢山の人に支えられて、わたしは今、ステージに上がるんだよね。

本当に、みんな……ありがとう……。

その時、ドアが開いて、ステージ裏へ来るようにと指示が出された。







ここからは、わたし一人の戦い。

みんなとは、ステージ手前で別れた。

「お姉ちゃん!!頑張ってね!!僕、客席から応援しているよ!!」

夕貴君がにっこりと微笑んで、大きな声で言った。

「うん。ありがとう。夕貴君」

お兄ちゃんが、無言でわたしの肩をぽんと叩いてくれた。

お兄ちゃんらしいエール。

頑張らないと。

履きなれないパンプスがちょっと痛い。

つまづかないように、薄暗い道を歩く。

やっとの思いでステージ裏に付くと、見慣れたシルエットにぶつかった。

「あら、咲沼さん。ごきげんよう」

それは、綾小路莢華さんだった。







「あら、菊珂さん、おかえりなさい。どうでした?美麻さんの様子は……」

ひとり客席番をしていた里香が、心配気に小首を傾げた。

「緊張していたみたいですけど……いつもの調子を取り戻せば……きっと大丈夫だと思いますわ」

そう言って菊珂はにっこりと微笑んだ。だが、なんだかそわそわとした里香の様子に微かな違和感を感じた。

「そうですの。それは……よかったですわね」

里香はそう言うと、また落ち着かないようにハンカチを握り締めた。

里香の気がかりは、海杜のことだった。

最近決まった莢華と海杜の婚約。

海杜がたとえ莢華と結婚しても、それはただのカタチだけの夫婦に過ぎない。

言うなれば、ままごとのようなものだ。

海杜の妻という座。

カタチの上では、公然と海杜に愛される存在。

それは、この上ない魅力だ。

だが実際は、そんなもの里香にとってはなんということでもない。

本当に恐ろしいのは、海杜が本気で愛する相手が現れること。

そのもっとも恐れていた事態が、今、確実に起きつつある。

一人の少女の出現によって……。

今、目の前のステージに立とうとしている少女。


咲沼美麻……。


海杜が咲沼美麻を見る時の柔らかな視線。

この上なく穏やかで優しい瞳。

里香には一度も向けたことのない種類の眼差し……。

それは、里香にある答えを突き付ける。

それを思うと、里香はどうしようもない思いに駆られる。

まるで、嵐の海に浮かぶ小船に命を預けているような、心もとなさを感じる。

こんな思いに駆られるのは、あの日以来だ。

あの日とは、海杜の大学合格の発表日のことだった。

喜びを口々にのぼらせる人々の中で、ひとり、里香だけは恐怖に震えていた。

海杜の大学合格。

それは、家庭教師としての自分の役目の終わりを意味するものだから。

自分は海杜にとって、必要のない人間になってしまう。

もう、この家に出入りする理由がなくなってしまう。

彼との糸がぷっつりと切れてしまう。


そんなこと……耐えられない……。


ただ、海杜の側にいられればいい。

彼の姿を見られる距離に自分を置いていたい。

そういう思いで里香は自分の一生を愛してもいない男……しかも愛する男の父親に捧げた。

ただ海杜の側にいられれば、それだけで……。

だが、側にいればいるほど、彼への欲望は強くなっていく。

深みにはまっていく。

まるで無限の蟻地獄のように。

この上なく甘美で、この上なく残酷な距離。

手が届くところにありながら、届かないもどかしさ。

そんな想いに身を焦がしながら、里香はある種の快感を感じていた。

それも海杜が誰に対しても、恋愛感情というものを持たない性格の持ち主だったからというのが強い。

それが里香の心に余裕をもたらしていた。

海杜は、なぜか人を愛するということを恐れているふしがあった。

誰かが彼を愛しても、彼自身の感情は、どこかにすり抜けてしまうような、そんな不思議なところがあった。

それは海杜の穢れを知らない、少年っぽい硝子のような魂がそうさせているような気がした。

繊細すぎるその精神が、愛というものの重みに耐えられないと悲鳴を上げるかのように……。

何かを恐れるかのように禁欲的な生活を送る彼を知っているからこそ、

里香は安心して、ただ海杜の側にいるというだけで満足していたのだ。


そして、誰にも真似できない切り札。


それがあるだけで、里香は優越感を感じていられた。

だが、それもあの少女の出現で歯車が狂いはじめていた。

確実に海杜は美麻を愛し始めている。

それを本人も自覚しはじめている。

里香はそれがこの上なく恐ろしかった。

口惜しかった。

だが、海杜は必死にその想いを断ち切ろうとしてる。

それも里香には痛いほどわかっていた。

海杜は繊細だが、意志の強い人間だ。

だから、決意したのなら、彼はきっと美麻を諦める。

里香はそう自分に言い聞かせた。

美麻の晴れ舞台。

今、この場に海杜がいないということ。

それだけが、今の里香の微かな期待をつなぎとめていた。

菊珂の後ろから夕貴がちょこんと顔を出した。

「ママ。英葵お兄ちゃんがジュース買ってくれたよ」

「まあ、英葵さん。ありがとう」

里香は自分の感情を繕うように、笑みを返した。

「いえ……。ああ、そろそろ休憩時間……終わりのようですね」

ゆっくりと照明が落ちる。

「あら……。そうですわね……」

その時、里香は空席だった隣に気配を感じた。

里香が顔を向けると、意外な人物がそこに座っていた。

思わず、彼女は声を上げていた。

それは、他ならぬ里香の夫・雪花幸造だった。







「あら。咲沼さん。ごきげんよう」


綾小路莢華さん……。


黒い光沢のあるサテンのドレスに、揃いのハイヒール。

大きな翡翠のイヤリングがショートカットによく似合う。

「まさか、あなたと私の演奏順番が前後だとは思いませんでしたわ。

これも何か運命の悪戯というものかしら?まあ、お互い正々堂々、実力を出し切りましょうね」

わたしが言葉を返そうとした瞬間、「第三十四番、綾小路莢華」とアナウンスがステージに響いた。

「じゃあ、咲沼さん。お先に失礼」

そう言うと、莢華さんは華やかな笑顔を残してステージへと上がった。

黒いビロードのようなドレスが、ライトを受けてひるがえる。

観客席へ向けられた、輝くような笑顔。

洗練された立ち振る舞い。

なんて自信に満ちているんだろう。

気鋭の天才少女。

優勝候補No.1……。

いろいろ新聞に書いてあった。

そして。

海杜さん直伝のピアノ……。

いったい、どんな演奏なんだろう。

わたしの不安と期待が最高潮に達すると同時に、莢華さんの細い指が鍵盤に降り立った。

「えっ……!?この曲は……!!」

同じ曲……!?

わたしと同じ曲!?

どうして……!?

そして、そうだ。この弾き方は前に海杜さんが弾いていたのと同じだ。

すごい迫力……。

まるで機械みたいに精密な調べ。

ここからは見えないけど、雰囲気で観客が圧倒されているのがよくわかる。

「わたし……わたし……あんなに上手く弾けない……」

私は思わず声を上げていた。

身体が震える……。

どうしよう……。

堪らなく、怖い……。

ああ、どうしよう。指先が冷たい。

思うように弾けなかったら……。


怖いよ……。

誰か!!助けて!!


その瞬間。

背中から感じられる暖かなぬくもり。


えっ……?

わたし、抱き締められてる?


わたしが首を曲げると、すごく近くに海杜さんの優しい顔があった。

「あ……か、海杜さん?」

「遅れて……ごめん」








本当は、来ないつもりだった。

あの日、美麻とは別れを決意したはずだったから。

だが。

私は結局、ここに来ずにはいられなかった。

情けないことに、私の決意は一週間ほどで脆くも崩れ去ったことになる。

その引き金になったのは、プログラムだった。

莢華の直後に記載された美麻の名前。

私はそれを目にした瞬間、運命のあまりの残酷さに眩暈がした程だった。

前後の出場者は嫌でも互いにステージ袖で顔を合わせなければならない。

そして、互いの演奏をじっとその特等席で聴かなければならない。

まして、美麻の方が後攻なのだ。

美麻が一人不安に震えているかと思うと、私はいてもたってもいられなくなった。

本当にどうかしていると思う。

私がどうしたってこの状況は変えられないというのに。

だが。

気が付いたら、車中にいた。

スピード違反ギリギリの速度で愛車を飛ばしていた。

止められなかった。

客席で菊珂を見つけると、美麻はすでにステージ裏に行ったという。

今のアナウンスの番号は三十三番。

次が莢華で……次が美麻か。

三十三番手の青年が拍手で送られるのと同時に、私はそっとステージ裏に侵入した。

私が出場した時もこの会場だった。

なんだか、ふいに懐かしさが込み上げる。今はそんな感傷に浸っている場合ではないのだが。

暗闇を進むと、ステージから漏れる明かりに見慣れた影が佇んでいた。

その小さな影は可哀想なほどに小刻みに震えていた。

やがて、その影がわっとしゃがみ込もうとした瞬間、私はその華奢な背中を抱き締めていた。





「海杜さん……」

わたしは思わず泣き出しそうになった。

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彼の言葉はまるで呪文のようにわたしから一気に不安を取り去った。

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私が抱き締めると、美麻は私の腕に自分の腕を絡めた。

震えるような吐息がゆっくりと静かになる。

ふと顔を上げると、演奏を終えた莢華の驚愕と嫉妬の入り乱れた表情にぶつかった。

私はゆっくりと美麻の身体から離れた。だが、美麻は私の手を離さなかった。

つながれた二人の指先に、莢華の目が釘付けになる。

燃えるような莢華の目。

美麻が決意するように一度、力強く私の手を握り返した。

そして、ゆっくりと離れる彼女のぬくもり。

これが……きっと、本当に最後だ。

美麻は振り返らなかった。

美麻はそのまま、ゆっくりと光に吸い込まれた。





美麻の指先が鍵盤に降り立った瞬間。

誰もが息を呑んだ。


まるで、美麻の奏でる旋律以外、この世から音という音が消えたようだった。


まるで、爆風が駆け抜けるような衝撃。

観客たちは、圧倒され、容赦なく席に沈められる。


私はこの感覚を確かに感じたことがある。

あれはもう遠い昔の……。


そう。


あの時と同じだ。


眼前に広がる、デ・ジャ・ヴュのような光景。


目の前の美麻の背中が、横顔が、あの人に重なる。


急速に失われる色彩。


そこに広がるのは……モノクロームの世界。


今、ここにいるのは……誰なのだ?


軽い眩暈。


だが、神は私が呑まれるのを許さなかった。


莢華が私の腕に倒れ込んできたのだ。

彼女はこの奇跡のような光景に、完全に引き込まれているようだった。

莢華は私に身体を預けたまま、まばたきさえ忘れたように、一心にステージを凝視していた。

そして、その細い身体はいつしか小刻みに震えていた。


演奏が終った瞬間。

この世から本当に音が消えた。

そして、次の瞬間、失われた音は割れんばかりの拍手を連れて、この世へと帰ってきたのだった。







わたしはステージの隅でしゃがみこんでいた。

目の前では、今まさに各賞の発表が行われている。

「努力賞」「敢闘賞」「準優勝」……。

どれにもわたしの名前が呼ばれることはなかった。


怖い……。


足が震えて、立っていることさえできなかった。

組み合わせた両手が芯まで冷えて、感覚さえ持てなかった。

怖くて怖くて、目も開けられなかった。


怖い……。


わたしの夢。

神様……。

どうか、叶えて!!


「優勝は……三十五番・咲沼美麻」


「えっ……?」


これは……夢?


「優勝者は前へ……。あのう……咲沼さん?いないのですか?」


ぽかんと惚けていると、客席から慌てたような槌谷先輩の声がした。

「美麻ちゃん!!美麻ちゃん!!君のことだよ!!」


えっ?わたし?


わたしはバネ仕掛けの人形みたいに飛び上がるように立ち上がると、

まるで、雲の上を歩いているかのようなおぼつかない足取りで、

蹴っつまづきながら前に出て、ただ呆然と優勝の盾を手にした。


夢じゃないよね?


わたしは思わず、自分の頬をつねっていた。


痛い……。

すごく、痛い……。


夢じゃ……ない!!


途端にわたしは言いようのない喜びに包まれた。

「やった!!美麻ちゃん!!やったよ!!」

ばたばたとステージに駆け上がってくる先輩や菊珂ちゃんや園長。

菊珂ちゃんはいきなりわたしに抱き付いた。

「美麻、信じてたわ。あなたなら、きっとやれるって!!」

菊珂ちゃんは、うっすらと涙を浮かべていた。

菊珂ちゃんの後ろでは、お兄ちゃんがただ一言、

「よく頑張ったな」

とわたしの前髪をくしゃっとしてくれた。

わたしはその瞬間、思わず泣き出していた。


わたし、本当にやったんだよね?

夢じゃないんだよね?


わたしはふと辺りを見回した。

「いない……?海杜さん……」

わたしが会場中に視線を泳がせていると、目の前に真っ白い百合の花束が差し出された。

園長だった。

「おめでとう。美麻ちゃん」

「花束……?」

園長先生からの花束なら、さっきもらったばかり……。

「ああ。この花束ね。海杜君からなの」

「えっ……?」

「海杜君も……自分で渡せばいいのにねぇ」

そう園長は苦笑した。

海杜さんから?

見ると、カードが入っていた。

わたしは、震える指先でそれをそっと開いた。


『美麻ちゃん。優勝おめでとう。

君なら、きっとやってくれると信じていました。

君は私の夢です。

君が手にした希望の翼は、君だけでなく私の夢でもあるのです。

君は私の希望の光なのです。

君がこれから、その光を灯し続けてくれることを信じています。

この先、たとえどんなことがあっても、それは変わることはありません。

どうか、そのことだけは忘れないで欲しい。

ウィーンでは身体に気をつけて、更なる飛躍をして下さい。

君の活躍を祈っています。


                          雪花海杜』


「どうしたの?美麻。お兄様、なんて?」

わたしにはそう問いかける菊珂ちゃんの声が、ひどく遠く思われた。


海杜さん……?

どうして?

まるでお別れみたいな……。


「海杜さん……」

わたしがそう呟くと、ふと、辺りが静かになった。

不思議に思って顔を上げると、ステージ袖から、ゆっくりと細いシルエットが現れた。

「莢華……さん」

莢華さんはゆっくりとわたしの目の前に来ると、にっこりと微笑んだ。

「おめでとう。咲沼さん。素晴らしい演奏でしたわ」

「あ、ありがとうございます」

「あなたは素晴らしい素質をお持ちなのね。感心致しましたわ。私の完敗ですわね。

どうぞ、副賞の留学でその才能を開花させて下さいな。私も楽しみですわ」

そう言うと、彼女はそっと右手を差し出した。

「莢華さん……」

わたしはその手を握り返した。

「うふふ……。あなたはピアノを手に入れた。そして、私は……これで、おあいこということですわよね?」

「えっ……?」

どういう意味だろう?

「では、どうぞお元気でウィーンに行ってらしてね。咲沼さん」

そう言うと、莢華さんは優雅にステージを後にした。

なぜか、わたしの胸の中には言いようのない不安がインクを溢したかのようにじんわりと広がった。







今日はウィーンへ出発する日。

待ち遠しくてしかたがなかったけど、いざこの日がきてしまうと、寂しい。

だって、もう一年も日本には帰ってこられないんだから。

空港にはお兄ちゃんと菊珂ちゃん、そして、槌谷先輩が見送りに来てくれていた。

「美麻。応援してる。毎日電話するから」

菊珂ちゃんはそう言うと、きつくわたしの手を握り締めた。

「美麻ちゃん。君は僕の誇りだよ。本当に君はすごい。こうして夢を叶えたんだからね。

僕も君に負けないように頑張るよ。そして……君を待ってるから」

「うん……。ありがとう。菊珂ちゃん。槌谷先輩」

ふいに二人の後ろから見慣れた優しい顔が覗いた。


お兄ちゃん。


考えてみると、こんなに長い期間お兄ちゃんと本当に離れ離れになるのは初めてのことだ。

いつだってお兄ちゃんはわたしの側にいて、いつだって私を守ってくれた。

「美麻……くれぐれも気をつけて。何かあったら、すぐに連絡するんだよ」

「お兄ちゃん……。ありがとう。私、頑張るね。

きっと、素敵なピアニストになって帰ってくるから。

お兄ちゃんも……菊珂ちゃんのこと、お願いね」

わたしがそう言うと、お兄ちゃんは微笑んで、

「ああ。わかってるよ……」

と言った。菊珂ちゃんは、少し頬を赤くしている。

「美麻……」

ふいに後ろから声が響いた。

「なにはともあれ、美麻ちゃんが語学が得意で助かったわ。

新人さんにはピアノだけでなく、語学も教えなきゃらないって覚悟してたから、手間が省けたって感じかしら。うふふ」

そう言うと、柚生さんはにっこりと笑ってわたしにウインクしてくれた。

心強いことに、留学には柚生さんも付いてきてくれるのだ。

というか、わたしは留学の間、柚生さんのウィーンのコテージに居候させてもらう。

もっとも柚生さんもピアニストとして忙しいから、いつも一緒にいられる訳ではないけれど。

「いえ……。私、他にもいろいろ……ご迷惑、いっぱいかけてしまうと思います……」

「やだ。それは、お互い様よ。同居人って訳だしね。これから、よろしくね。美麻ちゃん。あら?どうしたの?元気ないじゃない」

「あの……いえ……なんでもないんです」

菊珂ちゃんが、わたしの心の中を見透かすように言った。

「美麻……もしかして、お兄様のこと?」

「……うん……。海杜さん、忙しいものね、仕方がないよね?」

「もう。お兄様……この大事な時に……。待っててね。美麻、今、携帯で怒鳴りつけて呼び出してあげるから」

「いいの。いいんだよ。菊珂ちゃん。私、平気」

「でも……。これから一年間も会えないのよ?」

「いいの……。わかってたから」

そう。わかってる。

海杜さんは、ただの好意でわたしをコンクールに出場させてくれたんだってこと。

だって、わたしは海杜さんとぜんぜん釣り合わないし、わたしの片思いだってこと、よくわかっているもの。

「あ、こんな時間!!もう行かないと……。さ、美麻ちゃん」

「美麻……。気をつけて行ってきてね?」

「うん。ありがとう。菊珂ちゃん」

「美麻ちゃん、気をつけて」

「ありがとうございます。先輩……」

「美麻……」

「お兄ちゃん……」

嫌だな。涙で霞んでみんなが見えない。

「さ、美麻ちゃん。涙は門出には似合わないわよ?笑顔で行きましょう!!」

「はい!!」

わたしは涙を拭うと、搭乗口へ駆け出した。







爆音と砂煙を巻き起こし、鉄の鳥がゆっくりと大空にその羽を広げる。

フェンス越しに見守る私に叩きつけるように旋風が襲い掛かる。

規則正しく並ぶ、蟻の様に小さな無数の窓。

あの窓から美麻は輝かしい未来へと思いを馳せているのだろうか。

一目会っておきたいと訪れたこの場所。だが、結局、この花束も渡せずじまいだった。

私は渡せなかったそれを鉄の鳥に向かって大きく振った。

赤い花弁が風に舞い散る。

その時、胸ポケットの携帯が不快な唸り声を上げた。

ボタンに指をかけると聞きなれた声が響く。

「海杜お兄様。今夜の婚約披露パーティのことですけど……。お兄様?聞いていらっしゃいます?」

私はゆっくりと携帯の電源を切った。

今だけは、そっと別れをさせて欲しい。

雪花コーポレーションの社長でもなく。

莢華の婚約者でもなく。

ただの一人の男として。

輝かしい未来へと旅立ったあの子との……。

美麻を乗せた翼が太陽を反射し、銀色に輝いた。

「さようなら。美麻……」
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