10 / 18
第一楽章 カルマファミリー編
8、初仕事・陽動のヨウ②
しおりを挟むーーひとまず、お守り代わりのトランペットを、邪魔にならないであろう足もとに置いた。
汗のにじむ手で、例の折り畳みホワイトボードを開いていく。
……ひととおりの準備はできた。
陽はゆっくりと深呼吸する。
「ご、ご来店中のみなさま! よってらっしゃい、みてらっしゃい!」
陽に向けられる、奇異の眼差し。
なんだなんだと寄ってくる人。
素知らぬ顔をして素通りしていく人。
(うぐぐ……! 頑張れ私!)
陽は自らにエールを送った。
「新製品をご紹介するため、カル……丸火通商株式会社からやってまいりました。
よ……コホン、広報担当の、日楽 陽と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
陽のプレゼンを聴きにきてくれたお客さんたちが、
ーーマルカ通商って知ってる?
ーー知らなあい。そんな会社、聞いたこともないわ。
と、こそこそ話し合っているのが聞こえてくる。
陽の唇から徐々に水分が失われていくのが、嫌でも感じられる。
「……っ、弊社の新製品というのが、こちらの、本国製のナイフになります」
もちろん実物なんて用意していないので、陽はホワイトボードの"片面"に、マーカーでイラストを描くことにした。
ーー海を越え遠路はるばるやってきた、美しい銀の調理器具を思い浮かべて。
(ここまでは、直前にボスたちと打ち合わせをした通りだ)
「なんとこのナイフ、切れ味もすごいんです! お肉にお魚。ケーキまで、なんでもすぱすぱーっと、ストレスなく切れてしまいます!」
TVショッピングのように、陽はちょっと大げさに、お客さんたちの前で手刀を切ってみせた。
周囲が、ざわざわとし始める。
どうやら、順調に人が集まってきているようだ。
そんな中。
背筋をぴしりと伸ばし、前の方で陽のプレゼンを聴いていた主婦の一人が、はい、と手を挙げた。
「あの、色々とすごいのは分かったのだけれど。肝心のナイフが見当たらないみたいね」
その主婦は、ふんっと鼻息を鳴らして一気にまくしたてた。
彼女の発言を皮切りに、陽のもとへ一斉に主婦が押しかけてくる。
ーーねえねえお姉さん、一体どんなナイフなの?
ーー何の材質でできてるの?
ーー実演販売して切れ味見せてよー
陽は主婦たちに問い詰められ、律儀にも一人ひとりに返答する。
ふいに、足もとに置いたトランペットを見やる。
「きらきらのナイフです」
「真鍮で、できておりますっ!」
「きっと良い音が出るでしょう」
陽は非常に分かりやすく、しどろもどろになっていた。
(聖徳太子ってすごい……!)
今さらながらそう思う。
(それにしても、みんな遅いなあ。もうそろそろ来てもいい頃だと思うんだけど)
場はすでに、暖かすぎるくらいに暖まっていた。
空気を読まず、陽の"らくらく薄型トランシーバー"が振動する。
差出人は、影助だった。
『おいヨウ、作戦の進捗状況はどうなってるーーなんかそっちからギャーギャー聞こえんだけど。
まあいいワ、密売人っぽいヤツ見つけたし、今からオレらァ物流倉庫で殺り合うから、一般人パンピどもテキトーに捌けさせとけよ、じゃーー』
「影助さん、ちょっと待っ……!」
ブツン、ツーツー。
と、虚しくも通信は切れてしまった。
(物流倉庫って、外、だよね。一階の……)
ハッとなる。
陽たちが今いるのは、ちょうど一階だ。
抗争なら、ほぼ100パーセントの確率で、銃などの飛び道具が使われるのだろう。
万が一、ということもある。もしも銃弾が、この中にいる誰かに被弾したらーー
陽はそう想像しただけでもぞっとした。
(とにかくみんなを守らなきゃ。プレゼンはもうみんな聴いていないし、どうすればーー)
陽は考えて考えて、考える。
その時だった。
「ちょっと、みんなどいたどいた。店長さん、連れてきたわよ」
先ほど手を挙げた主婦が、デパートのオーナーを呼び出してきたようだった。
「ほら店長さん、あの人ですぅ」
すみません、失礼ですがーーと陽はその男性に声をかけられる。
「身分証などお持ちでしょうか。加えて、他企業の移動販売の方は入館許可証も必要になりますので……」
今の陽を表すなら、まさしく背水の陣。
ーー私は何も聞かされていなかったんです。
違う。
ーー今から外で、マフィアの抗争が始まるんです。
これも違う。
堂々巡りをしていた途端、陽は気付く。
(私、嘘を吐きたくないんだ)
さっきのプレゼンのときも、そうだった。普段の陽ならもう少し、はきはきスムーズに発表を進められていたはずだ。
それができなかったということは。
(私は多分、上手に誤魔化したり、嘘を吐いたりすることができない)
だが、気付いたからと言って、無力の陽に何ができるというのだろうか。
みんなに、にじりにじりと詰め寄られ、陽のかかとはがつん、と楽器ケースに当たる。
もしかしてこのコならーーと陽は一瞬思う。
だって音楽は、嘘を吐かない。それに、みんなを避難させられるかもしれない。
ぶるぶると、ただの幻想にすぎない結末を打ち消すように首を振る。
(それに、長年のブランクもあるし)
けれど今、人の命に関わるこの状況で、そんなことを気にする余裕など、あるのだろうか。
陽は数秒、自分の気持ちと闘う。
(いや。そんなこと、気にしてられるか!)
陽は決心して、楽器ケースを開け、トランペットにマウスピースをはめ込む。
楽器店でメンテナンスはしていたので、オイルはちゃんと注してある。
乾いた唇を、ぺろりとなめた。
周りは当然のように、ぽかんとしている。
ーーチャンス。
(チューニングすら、してないけど)
陽はまず、ドレミファソラシドを上から下、下から上へと繰り返す。
high.♭Bまでいって、かすかに音が掠ってしまった。でも。
(思ったよりは吹けるものなんだなあ)
現役時代の思いが、逡巡してくる。
陽はエスカレーターを目指して走る。
「今からマーチングパレードをやります! 聴きたい方は私に着いてきてください!」
「! ちょっと君! 待ちなさい‼︎」
背後から聞こえる、オーナーの声。
みんなが陽に続き、エスカレーターめがけて駆け出す。調理器具コーナー以外のお客さんたちも、私も俺もと着いてくる。
ーーあー! はいはい! サッカーの。
ーーワールドカップのイタリア代表も、ちょーイケてたわよねぇ
(良かった。みんななんだかんだ言って、ちゃんと着いてきてるみたい)
高らかで優雅な、トランペットの音色。
お送りしますは、歌劇「アイーダ」より、凱旋行進曲。
0
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる