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第五章 家族の物語

第20話 帰郷

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 五年ぶりに僕はランパード家の屋敷跡に足を踏み入れた。

 火事で焼け落ちた建物は再建されず、残骸もきれいに片付けられていて石垣一つ見つからない。

 まるで何もなかったかのように。


 何もなかったことにできるものか。

 母さんの命を奪ったあの火災。
 屋敷が焼け落ちるほどの火災だったのに、死んだのは母さんだけ。
 忠臣たる我が家の家人は誰一人助けに行かず、僕はまるで記憶が残っていない。

 不自然すぎるあの事件が誰かの悪意によるものなら、僕は————


『リスタ、リスタ。
 早く宿を取らないと日が暮れちゃうわよ!』

 セシリアが口やかましく喚くから集中力が途切れた。

「静かにしてくれ。気が散る」
『何をしてるの?
 お屋敷があった場所だからセンチメンタルになるのも分かるけど、誰も住んでないし用はないでしょう』
「僕は邪魔しないでくれと言ったんだけど」

 冷たく言い放つとセシリアはぷーっと頬を膨らませて怒り出した。

『なにさ! ちょっと最近冷たくなってない!?
 ザコルがいなくなったから?
 クエルやコナー村の事件を解決して英雄扱いされて天狗になっちゃった?
 まだまだひよっこのくせにえらそーに!』

 なんとでも言ってくれ。
 どうせこの人は復讐に燃える僕の気持ちなんて理解してくれない。
 というより、否定しかしないだろう。
 そんなことより楽しいことしよう、とかなんとか言って僕を復讐から遠ざける。
 他人からすれば復讐なんて危険なだけで無意味なことだからだ。

 だけど僕にとって復讐心は心の支えだ。
 三英傑との厳しく辛い修行も復讐を完遂するという明確な目標があったから耐え抜くことができた。
 赤の他人を守ったり救ったりすることだって、復讐という私的な理由で英雄の力を使ってしまうことに対する弁明の一環。
 僕の力や正義の根底にあるのは復讐心だ。


 セシリアの声を無視して神経を研ぎ澄ませる。
 外の世界を旅して分かったことは、幽霊や怨霊の類は極めて数が少ない。
 クエルの町全体で二体しかいなかったし、それも大人しく弱々しい者だった。

 しかし、ランパード家の屋敷で暮らしていた頃、目撃した幽霊は10や20ではない。
 たった一棟の屋敷に町の十倍の幽霊が住み着いていたのはどう考えてもおかしいし、中には怨霊化しているのもいた。
 屋敷が崩れたと同時にどこかに消えてしまったのかもしれないが、何か残り滓でも見つけたい。

 感覚を研ぎ澄ませ、それを探る。
 すると、怨霊の気配は感じ取れなかったが別の懐かしい気配が近づいているのを感じた。
 隠れることも考えたが、その必要もないと彼が到着するのを待ち構えた。

『あっ……』

 僕と彼が目を合わせた瞬間、僕たちよりも先にセシリアが何故か驚きの声を上げた。

 五年の歳月を経て、少年だった彼は面影を残したまま大人になっていた。
 僕の方は変わってしまっているから分からないだろうし、そもそも生きているとすら思われていないだろうとたかを括っていたけれど――――

「まさか……アリスタルフ?
 リスタなのか!?」

 まるで幽霊を見たかのような顔で彼は僕に問うた。

 最後の記憶は「母殺し」と罵られ斬り殺されそうになったという殺伐としたもの。
 引きこもりで家の恥とされていた僕のことは嫌悪して当然。

 それなのに、長い間会っていなかった血の繋がった家族との再会に僕の胸は熱くなる。

「ご無沙汰しております。
 アレクサンドル……兄さん」

 屋敷も何も残っていない場所に戻ってきても得られなかった懐かしさが彼にあった瞬間、押し寄せてきたこの瞬間、僕は帰郷したのだと実感した。

 


 僕とアレク兄さんは屋敷から少し離れた民家に身を寄せた。
 彼が普段から懇意にしている家らしい。
 平民格だろうがそれなりに裕福であることが堅実な家造りから察することができた。

 その家の応接間で僕たちはテーブルを挟んで向かい合った。
 意外だったのは、彼の物腰が記憶にあるものより遥かに柔らかだったことだ。

「一目見た瞬間、お前がリスタだと分かったよ。
 遠目だと見間違うくらい母さんにそっくりだもんな」
「そうかな?
 母さんはもっと丸っぽい感じだったと思うけど」

『リスタ、女性を太ってるとかブタだとか言わないの。
 若いうちや身体動かしているうちは良いけれど歳を取ったり動かなくなるとすぐお肉がついちゃうんだから』

「ハハ、それはお前を産んだ後にずいぶん肥えてしまったからな」

『お兄ちゃんまで!!
 お母さん聞いたら泣いちゃうよ!?』

 いつになくセシリアが騒がしい。
 でもアレク兄さんには当然届くことなく、彼はしんみりとした様子で言葉を続ける。

「俺が幼い時の記憶にある母さんはスラリとしていて、でも身体は弱くてガラスでできた女神像のような儚さだった」

 詩的な表現まで使って母さんを思い出すアレク兄さん。
 そう。兄さんは母さんを愛していた。
 僕を虐めていても母さんが止めに入るとすぐにやめた。
 母さんに良い子であることをアピールするために。

「……兄さん、五年前のこと――――」
「すまなかった!
 あの時は俺が言い過ぎた。
 母さんが死んで動揺していたとはいえ、子どものお前に責任を押し付けたり、あまつさえ手をかけようとするなんて騎士として恥ずべき行為だ。
 もし、今もあの言葉が棘のようにお前の心に刺さっているなら、忘れてくれ。
 アレはどうしようもないことだったんだ。
 お前のせいなんかじゃない」

 ……想定外だ。
 まさか謝られるとは思っていなかった。
 アレク兄さんは尊大で僕のことを見下している記憶しかなかったから。

 いや、五年も経ったんだ。
 大人になったんだろう。
 良くも悪くも――――


「ところでその剣に体つき……
 だいぶ鍛えたようだな。
 もしかして冒険者でもやっているのか?」

 アレク兄さんは話題を変えた。
 すべてを話すことも考えたが、三英傑のことや怨霊のことを抜きに説明すると無理があるので誤魔化すことにした。

「うん。まあ、そんなところ」
「ふーん、その割には薄汚れてるわけでも顔つきが険しくなっていない。
 どことなく余裕があるから底辺冒険者というわけではないだろう。
 愛剣もなかなかの業物のようだし、それなりに活躍できているみたいだな」

 目利きに自信がある、と言わんばかりの表情。
 まあ微妙にズレているのだけれど、とりあえず褒めておこうか。

「さすがの眼力だね。
 兄さんは立派に騎士としての務めを果たしてくださっている。
 きっと父上もお喜びでしょう」

 恭しいくらいに持ち上げる言葉を選んだが、アレク兄さんは喜ばず表情に翳りを見せた。

「兄さん? 父上になにか————」
「壮健だ。団長の出世に連れ添って、もうすぐ准男爵に引き上げられる。
 これでランパード家もれっきとした貴族の仲間入りだ」

 めでたいことのはずなのに明らかに不機嫌になったアレク兄さん。
 彼はテーブルに身を乗り出し僕に問う。

「お前、父上に勘当を解いてもらうために戻ってきたのか?」

 その目は僕の内心を見透かそうと力が込められている。
 ザコルさんに比べれば児戯のレベルだろうが、正直に答えようか。

「……いいや。
 別に今更貴族の身分に未練はないよ。
 准男爵に上がるというなら尚更。
 ランパード家の受け継ぐものは全部兄さんにお任せする。
 僕は外の世界でなんとかやっていくさ」

 僕の答えにアレク兄さんは満足したようだった。

「すまないな。
 察してくれた通り、色々と事情がややこしいんだ。
 とはいえ、手ぶらで追い出すのも心苦しい。
 数日待ってくれればある程度は用立てられると思うが」
「いいよ。路銀には困ってない。
 こうやって歓迎して、会う事を許してもらえただけで十分だよ」
「……まったく。
 良い師匠に恵まれたようだな」

 アレク兄さんは酒の入ったグラスを呷ってどこか寂しそうな笑みを浮かべた。
 それからしばらくして、この家の従僕らしき人が兄さんに耳打ちし、それがお開きの合図だった。

「この家の主には事情を話している。
 実家と思って寛いでくれたら良いとさ」
「任務ですか?」
「ん、まあそんなところだ。
 急ぐ旅でないならしばらく滞在して行ってくれ」

 アレク兄さんはそう言い残して部屋を出て行った。
 彼の気配が遠ざかったのを確認して僕は告げる。

「セシリア。
 アレク兄さんを尾行してくれ」
『はーーい……って!?
 尾行!? お兄ちゃんでしょう!?』

 表面的にはとても感じ良く接してくれた。
 だけどそれと信頼は別の話だ。

「アレク兄さんは何かを隠している。
 父さんのことは一切話さなかった」
『それは、リスタが聞かなかったからでしょう!?
 聞けば良いじゃない!
 家族なんでしょう!』
「家族だからって信用できるわけじゃない。
 むしろ、父さんと兄さんが怪しいと思っている」
『怪しいって……なにが⁉︎』

 言葉を重ねるほどに、悪いことばかり思い浮かぶ。
 生きているくせに怨霊みたいだな、と自嘲してしまう。

「僕が住んでいた屋敷に火をかけて、母さんを焼き殺した犯人の可能性があると言うことさ。
 理不尽なまでに僕を責め立てて追い出したのも、傷ついたあまり錯乱した被害者を強調する芝居だったかもしれない」

 そう口にすると、凍りついたように表情豊かなセシリアの顔から色がなくなった。

『り、リスタ…………あなた、何を言っているか分かっているの?』

 彼女の感情はどのようなものだろうか。
 責めるものか、憐れむものか。
 どちらにしても碌なものではないだろう。

 これはいずれ起こる破局だったんだ。
 僕が力を得て、復習の準備を始めた瞬間、その運命は決まっていた。
 多分、ザコルさんもそれを理解していたからセシリアと距離を置くように言っていたんだろう。

「僕は力が欲しかった。
 理由はたくさんあるけど、一番の理由は母さんを殺したヤツを殺すためだ。
 簡単には殺さない。
 苦痛と絶望をたっぷり味合わせて、殺してくださいと懇願するまで追い詰める。
 そして、死んだとしても逃さない。
 魂を捕まえて蝕み続けてやる。
 もし、その犯人が父さんや兄さんだとしても————


 パアンッ!



 頬に痛みが走った。
 僕だからそれくらいで済んだ。
 普通の人間なら首が折れてる。

「…………セシリア」

 僕を叩いた平手を宙に浮かせたまま、セシリアは目を真っ赤にしていた。

『どうして……どうしてなの?」
「…………僕にとって、母さんはすべてだった。
 霊が見えるせいで何もかも諦めなきゃならなかった僕が、唯一手放したくなかったものが母さんだった。
 母さんだけが僕に優しかった。
 その母さんを奪ったヤツからすべてを奪いたいって思うのは自然なことだろう?」
『実のお兄ちゃんやお父さんを疑うなんてどうかしてる。
 私は、そんなことをさせるためにあなたを育てたんじゃない』

 感情の昂りを見せるセシリアに対して僕の心は冷めきっていく。

 この人はなにも分かっていない。
 僕は英雄なんかに程遠い。
 この世のなによりも自分の復讐を果たすことが大事でそのためなら手段を選ばず、情も捨てる。

「あなたの理想を押しつけるな。
 僕は母さんのカタキを取ることがなにより大事だ」
『そんなのお母さんはなにも嬉しくない!
 母親ってね、子どもに何かしてもらえるより自分自身のためになることをしてほしいと思うもの――
「もう黙れよぉっ!!
 お説教なら聞き流すけど母さんを使って何か諭すならあなたでも許さない!!」

 僕は怒鳴ってセシリアの胸ぐらを掴み上げた。
 初めて彼女に手を上げた。

 セシリアはビックリして顔を強ばらせたかと思うと、ポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。
 普段よりずっと幼い少女のような顔をしていて、僕の胸を罪悪感が掻きむしった。

 手を離し彼女を解放する。

 これ以上罪悪感に苛まれたくないので僕は背を向けた。


『私が……最初から全部間違っちゃってたんだね。
 ゴメンね。リスタ』


 本当にセシリアのものかと疑うほど弱々しくてしおらしすぎる言葉。

 人の心に傷をつけた時は鈍い手応えと耐え難い不快感に苛まれることを僕は知った。


 セシリアの気配が消えて、僕は一人きりになった。
 もしかすると、もう二度と戻ってこないかもしれないという不安がよぎる。

 きっとザコルさんもこんなに下手くそな別れ方をするなんて思っていなかったろうな。
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