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第五章 家族の物語
第21話 兄を愛する人
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一夜明けたがセシリアは戻ってこなかった。
僕の頭も冷えて仲直りしたい気持ちが無くはないが、自分から探しに行く気にはなれなかった。
部屋を出ると若い女性が床の掃除をしている。
彼女は僕を見つけると小走りで駆け寄ってきた。
「アリスタルフさま、よく眠られましたか?」
「えっ、ああ……おかげさまです」
二十歳位だろうか。
痩せぎすで少し釣り目なのでキツそうな印象を受けたが、向日葵《ひまわり》のような健康的で眩しい笑顔を振り撒いている。
派手な美人ではないけれど素朴で暖かみのある好感が持てる女性だ。
「アレクサンドル様は騎士団の屯所に呼び出しがかかっているみたいですけど、できる限り早くこちらに来られるようです。
どうぞそれまでくつろいでくださいね」
「あ、はい。ありがとうございます」
丁寧な言葉遣いをしているが、どこか気安さを感じる。
平民が騎士爵の人間を相手にする時はもっと畏敬というか警戒して然るべきなのに。
…………僕がこういうことを考えているといつもならセシリアがあーだーこーだ言ってくれるんだよな。
早く慣れないと。
彼女がいない時間がいつか当たり前になる。
親からの子どもが巣立つように、親しい相手との別れを繰り返すことは通過儀礼なのだから。
「アリスタルフさま?」
ぼーっとしていた僕を気遣うように彼女は声をかけてきた。
彼女のオリーブ色の瞳から発される視線は柔らかく甘みを帯びていて、思わず胸が高鳴る。
「大丈夫です。
あの、お名前を……」
僕が尋ねると、彼女は襟を正すようにして自己紹介を始めた。
「申し遅れました。
オーガスタ伯爵領サラトの街の保安官セルゲイ・ファミルが次女、イリア・ファミルです」
「イリアさん、ですか。
改めて、僕はヴァーリ・ランパードが次男アリスタルフ……もっとも勘当されているので家名を名乗ることは許されていませんが」
「アレクサンドル様はあなたを弟だと言っておられました。
追い出してしまった弟が逞しくなって帰ってきてくれたと、それはもう嬉しそうに。
貴族様がたの事情は複雑ですけれど、きっと、お兄様はあなたによくしてくださると思います」
イリアさんの笑顔も心浮き立つような喋り方も、眩しすぎて目が焼かれる思いだった。
呪いの言葉を吐いて家族を仇ではないかと疑っている僕の醜さが際立つようで。
その後、イリアさんは朝食を出してくれて洗濯物もきれいに折り畳んで返してくれた。
姉と妹は既に他家に嫁いでおり、彼女が家事を切り盛りしているという。
テキパキと働きながら疲れている様子も見せず、くつろいでいる僕と目が合うと柔らかく笑いかけ会釈してくれる。
単純でどうしようもないけれど、僕は彼女のことが好きだと思い始めている。
「ひどいもんだな。
女の人を傷つけて追い出した翌日にこんな気分になるなんて」
セシリアが言葉を返してくれるわけでもないのに独り言を漏らす。
落ち込みそうになったその時、イリアさんが声をかけてくれた。
「アレクサンドル様の代わり……とはなりませんけど少しお茶でもいたしませんか?」
コケティッシュな微笑を浮かべる彼女に誘われて僕はホイホイと応接間に移動した。
紅く透き通る紅茶がカップに注がれ湯気を立てている。
イリアさんの手作りのビスケットと共にいただくと温かく満たされる思いだった。
「アリスタルフ様もビスケットがお好きなんですね。
お兄様そっくりです」
イリアさんは慈しむような笑みを僕に投げかける。
が、それよりもアレク兄さんの嗜好を知っているような口振りが気になった。
「兄ともお茶を?」
「ええ。身分違いとは承知していますがあの方が誘ってくださいますので甘えさせていただいています」
……ふーん、兄さんが、ね。
「兄さんとはどんな話をするんです?
騎士になるために生きてきたような人だから洒落た話はしないでしょう」
「そうですねぇ。
だいたい私の話を聞いて相槌を打ってくれる感じです。
騎士の方はプライドが高くて自慢話ばかりする方が多いですけどあの方はそうじゃないみたいです。
命懸けのお勤めをされていらっしゃる方ですから、ここでの時間が癒しや安らぎになればとは思っていますけれど……私の方が良いように使わせていただいてるかもしれません」
フフっ、と笑うイリアさん。
無防備に緩んだ表情は甘いお菓子のせいじゃない。
これはもしや、と思い口にする。
「イリア、さん……間違っていたら申し訳ありませんが――――兄と、恋仲なんですか?」
僕がそう言うとイリアさんはポッと顔を赤らめて鼻と口を手で覆って笑った。
「エヘヘへ……他の人に面と向かって指摘されると照れますね。
ええ。お慕いしています。
アレク様も私の気持ちに応えてくださっています」
「あーー、やっぱりぃ」
…………ちっくしょう。
考えればわかる様なことじゃないか。
兄さんが懇意だからこそ僕を預けたのだ。
なのに一人で舞い上がってバカみたいだ。
内心の独り相撲を悟られないよう呼吸を落ち着かせていく。
幸い、僕は他人の恋人を横取りしたがるような願望は一切ない。
兄さんの恋人と聞いた瞬間、盛り上がっていた感情が一気に引いてしまった。
「兄さんが恋人を作るなんてね……正直驚きです。
家の事とかを優先して父が持ってきた縁談を受けると思ってましたので」
だけど今の状況、イリアさんを自分で選んで愛して、それで添い遂げられるならその方が良いに決まっている。
と、僕が気持ちを緩めたところにイリアさんがとんでもない事を言ってのける。
「ああ、そこはそうですよ。
アレク様は騎士団長のイワーク様のご令嬢をお嫁さんにいただくようです」
「ブッ!?」
僕は驚きのあまり口に含んでいた紅茶を吹き出した。
イリアさんはクスクスと笑って僕のズボンに落ちた紅茶を丁寧に拭う。
「イワーク様と御父君は無二の親友といった間柄のようです。
その絆を強めるために血の繋がりで両家を結びたいのでしょう」
「信じられない……
アレク兄さんは婚約者がいる状態であなたを妾のように囲おうとしているのか!?」
僕がゲスな物言いをした瞬間、終始穏やかだったイリアさんの表情が険しくなり、声を荒げた。
「人聞きの悪いことをおっしゃらないでください!
アレク様はずっと前から私を選んでくださいました!
五年前、屋敷とお母様を亡くされて失意の中にいたあの方を慰め、励まし、支え続けて気持ちを勝ち取ったんです!
アレク様だって、私を嫁にもらってやるとおっしゃってくれていました。
それなのに……御父君が我が家では家格が釣り合わないと言って先の婚約を無理やり取り付けたのです!」
「なっ……!? 父さんが!?」
さっきからわけのわからない事ばかりだ。
父さんが騎士団長に気に入られているのは子供の頃から聞かされていた。
尊敬し慕っていることも。
だけど、父さんは自分の出世のために兄さんの結婚を利用するような人じゃなかったはずだ。
厳格な父親である反面、病弱な母さんに対してはガラス細工を扱うように丁寧に優しく接していたし、頭が上がらなかった。
それも全部母さんを深く愛していたから。
騎士は護るべき姫を心に抱くことで騎士たり得る――
当て擦られた古い価値観だけど父さんも兄さんもそれを信望していた。
なのに、どうして兄さんは護るべき姫を捨てる!?
父さんは兄さんから護るべき姫を奪う!?
何もかも納得が行かなさすぎる。
僕のズボンを拭き終わったイリアさんは立ち上がって背を向けた。
華奢な背中が震えているのを見ていたたまれなくなった。
「来月。アレク様は正式に婚姻を結ばれます。
この家に通うことも無くなるでしょう。
准男爵様が新妻を置いて平民の家に足しげに通うなんて風体が悪いですから」
それはそうだろう。
むしろ、今でも通っていることすら怪しいものだ。
そこに兄さんの捨てきれなかった執着を感じる。
カランカラン……
玄関につけられたベルが鳴る。
イリアさんは指で目元を何度か拭って、僕を置いて玄関に向かった。
玄関に現れたのは兄さんだった。
イリアさんが弾むような声で出迎える。
「早かったですね」
「ああ、くだらない報告仕事だけだったからな。
リスタは?」
「先ほどまで御相手させて頂いておりました。
お話に聞いていたとおり、お母様似の美形でずっとドキドキしてしまいましたよ」
「コイツめっ」
聞き耳を立てているだけなので何をしているのか分からないがイチャイチャしていることだけは分かる。
うらやましい。
なのにどうしてそんな大切な人をぞんざいに捨てられるんだ。
ギュッと拳を握り込んで苛立ちを噛み殺していると、
『……あのぉ』
「!?」
壁をすり抜けて僕の顔のすぐ横にセシリアが顔を出してきた。
「セッ…………かえってきたのか」
『……もう怒ってない?』
悪戯をした子どもみたいな顔というのだろうか。
僕の機嫌を窺っているようなセシリアの顔を見て反省する。
「怒ってない……というよりゴメン。
もっとちゃんと相談するべきだった。
あなたが救ってくれた命なのに、自分勝手な復讐に使おうとするなんて不義理だよな」
僕がそういうとセシリアは首を横に振る。
『リスタの生き方はリスタ自身で決めていいの。
私はリスタに何かして欲しくて助けたわけじゃないし、あなたが幸せになってくれればそれで十分。
その上で復讐はあなたのためにならないと思ってる』
「元よりセシリアが応援してくれるなんて思ってないよ。
一旦置いておこう。この話は。
ちょっとそれどころじゃないことが起こってそうなんだ」
『それっ! 私もそう言いたかったの!
ひとまず仲直りってことでいいわね!』
「ああ。お帰り。セシリア」
僕らは手を取り合って握手した。
兄さんのように生きている人間の恋人はいないけど、幽霊の恩人がいる。
友達のようで家族のようで恋人のようであるかもしれないセシリアがいてくれたことは僕にとって最高の幸運だった。
ザコルさんには怒られそうだけど、もう少しこのぬるま湯のような関係を続けていたい。
『……と仲直りしたということで、リスタ!!
大変よ! 本当に色々大変で何処から何を手につけていいのか!?』
「落ち着きなよ。
とりあえず、兄さんたちの前で独り言はマズイ。
二人きりになれるよう時間を作るから」
『早く! 早くね!』
セシリアはそう催促して僕の後ろに備える。
間も無くアレク兄さんとイリアさんが応接間に入ってきた。
テーブルを挟んで僕は二人と対峙する。
何処か緊張感を覚えるのはアレク兄さんが何か躊躇っているような顔をしているからだろうか。
「リスタ。今日、父上にお前がここにいることを話した。
会ってくれるようにお願いしたが、聞き入れてはもらえなかった。
すまない」
そう言って頭を下げる兄さんに僕は顔を上げてくれと言った。
しかし、
『お兄ちゃん……大事なことを何ひとつ伝えてないわねえ。
どうして聞き入れてくれなかったか、話すべきじゃないの?』
セシリアが凄むような口調で言った。
僕は彼女の代わりに尋ねる。
「……兄さん。
どうして父さんは僕に会おうとしないんだ?
勘当した息子に会いたくないから?」
「い……いや、そういうわけじゃなくて」
アレク兄さんが目に見えて困っている。
すると隣のイリアさんがため息を吐いた。
「隠さなくていいんじゃないですか?
アリスタルフ様ほど打ち明け話ができる人はいないでしょう」
「イリア…………だが…………」
口ごもる兄さんに痺れを切らしたようにイリアさんが僕に向かって言う。
「御父君は若い後妻にご執心でお勤め以外の時間はずっとべったりだそうです。
実の子のアレク様さえも屋敷に寄り付きたくないくらい」
「イリアっ! リスタには言うなと」
「アリスタルフ様は兄弟でしょう!
知るべきですし、話すべきです!
何もかも一人で抱え込んでそれで周りを助けられるなんて独善的すぎるでしょう!
あなたがアリスタルフ様を追い出したことを後悔しているなら隠し事はおやめください!」
強い口調で兄さんを嗜めるイリアさんを見て強い女性だなあ、と呑気な感想を抱いた。
それよりも、だ。
「父さんに後妻⁉︎
あの母さん一筋だった父さんに⁉︎」
「…………母さんが亡くなって一年は喪に服していた。
むしろ良いことだと思っていた。
父上の憔悴ぶりは目にあまったからな。
若い女でもなんでも、生きがいが増えることは良いことだと思っていた」
しかし、と前置きしてアレク兄さんは告げる。
「まさかあそこまで腑抜けになられるとは思いもよらなかった……
二十五、六の女に幼子のような言葉づかいで甘えて愛を乞うているんだぞ!
あの厳しかった父上が!」
『私も見てきたけど……正直、情けなさすぎて泣いてしまったわ』
赤の他人のセシリアが泣いてしまうってどんな状態なんだよ……
「……と、そういうわけだ。
すまんな。
すべて俺の役目だとは思わんが父上があのようになってしまうのを止められなかった」
「そんな……止めようもないじゃないですか。
どこの女かは知りませんが、父親の交際関係まで息子が把握できるわけでも」
「できたんだよ。
俺が気を配ってさえいれば」
兄さんは忌々しそうに吐き捨てる。
「メイドのニナのことは覚えているか?」
「ええ……金色の髪をした若い女の人ですよね。
物静かな感じの――」
「アイツだよ。
父上の後妻は」
……は!?
「えっ!? ちょっと待って!?
ニナがっ!?」
記憶の中にある彼女の情報を引き摺り出す。
僕が八歳の頃にやってきたメイドだ。
綺麗な人だった気がするがあまり目立たず、控えめな感じで声も小さかった。
使用人の中では一番若かったことが特徴でそれ以外はあまり覚えていない。
「い、いったいどうしてそんなことに?
まさか父さんが無理やり手篭めにしたり」
「バカなことを言うな!
劣情に負けて娘を襲うような方ではない……が、今のお姿を見ればそのほうがまだマシだったかもなあ……」
『骨抜きにされるにしても限度があるわよねえ』
セシリア……家族の会話に混ざってくるな。
うっかり反応してしまいそうになる。
アレク兄さんは忌々しげに呟く。
「今や俺は口うるさいと遠ざけられ仕事の席でしか言葉を交わせない。
まったく……母さんも草葉の陰で泣いておろうよ」
兄さん、母さんはいなかったよ。
もしかしたら屋敷の跡に母さんの幽霊がいるかもなんて期待をしていたけれど何も見つからなかった。
父さんがそんな風になっているところを見られずに済んだのは良かったのかもしれないけどね。
『あのー、リスタリスタ。
そのまま聞いてほしいんだけど』
セシリアが落ち着きない様子で僕に語りかける。
分かっている、そろそろ切り上げて二人に————
『ニナ――お父さんの愛人なんだけど、怨霊に憑かれてるわよ』
「ハアッ!?」
僕は兄さんたちの目の前で素っ頓狂な声を上げてしまった。
僕の頭も冷えて仲直りしたい気持ちが無くはないが、自分から探しに行く気にはなれなかった。
部屋を出ると若い女性が床の掃除をしている。
彼女は僕を見つけると小走りで駆け寄ってきた。
「アリスタルフさま、よく眠られましたか?」
「えっ、ああ……おかげさまです」
二十歳位だろうか。
痩せぎすで少し釣り目なのでキツそうな印象を受けたが、向日葵《ひまわり》のような健康的で眩しい笑顔を振り撒いている。
派手な美人ではないけれど素朴で暖かみのある好感が持てる女性だ。
「アレクサンドル様は騎士団の屯所に呼び出しがかかっているみたいですけど、できる限り早くこちらに来られるようです。
どうぞそれまでくつろいでくださいね」
「あ、はい。ありがとうございます」
丁寧な言葉遣いをしているが、どこか気安さを感じる。
平民が騎士爵の人間を相手にする時はもっと畏敬というか警戒して然るべきなのに。
…………僕がこういうことを考えているといつもならセシリアがあーだーこーだ言ってくれるんだよな。
早く慣れないと。
彼女がいない時間がいつか当たり前になる。
親からの子どもが巣立つように、親しい相手との別れを繰り返すことは通過儀礼なのだから。
「アリスタルフさま?」
ぼーっとしていた僕を気遣うように彼女は声をかけてきた。
彼女のオリーブ色の瞳から発される視線は柔らかく甘みを帯びていて、思わず胸が高鳴る。
「大丈夫です。
あの、お名前を……」
僕が尋ねると、彼女は襟を正すようにして自己紹介を始めた。
「申し遅れました。
オーガスタ伯爵領サラトの街の保安官セルゲイ・ファミルが次女、イリア・ファミルです」
「イリアさん、ですか。
改めて、僕はヴァーリ・ランパードが次男アリスタルフ……もっとも勘当されているので家名を名乗ることは許されていませんが」
「アレクサンドル様はあなたを弟だと言っておられました。
追い出してしまった弟が逞しくなって帰ってきてくれたと、それはもう嬉しそうに。
貴族様がたの事情は複雑ですけれど、きっと、お兄様はあなたによくしてくださると思います」
イリアさんの笑顔も心浮き立つような喋り方も、眩しすぎて目が焼かれる思いだった。
呪いの言葉を吐いて家族を仇ではないかと疑っている僕の醜さが際立つようで。
その後、イリアさんは朝食を出してくれて洗濯物もきれいに折り畳んで返してくれた。
姉と妹は既に他家に嫁いでおり、彼女が家事を切り盛りしているという。
テキパキと働きながら疲れている様子も見せず、くつろいでいる僕と目が合うと柔らかく笑いかけ会釈してくれる。
単純でどうしようもないけれど、僕は彼女のことが好きだと思い始めている。
「ひどいもんだな。
女の人を傷つけて追い出した翌日にこんな気分になるなんて」
セシリアが言葉を返してくれるわけでもないのに独り言を漏らす。
落ち込みそうになったその時、イリアさんが声をかけてくれた。
「アレクサンドル様の代わり……とはなりませんけど少しお茶でもいたしませんか?」
コケティッシュな微笑を浮かべる彼女に誘われて僕はホイホイと応接間に移動した。
紅く透き通る紅茶がカップに注がれ湯気を立てている。
イリアさんの手作りのビスケットと共にいただくと温かく満たされる思いだった。
「アリスタルフ様もビスケットがお好きなんですね。
お兄様そっくりです」
イリアさんは慈しむような笑みを僕に投げかける。
が、それよりもアレク兄さんの嗜好を知っているような口振りが気になった。
「兄ともお茶を?」
「ええ。身分違いとは承知していますがあの方が誘ってくださいますので甘えさせていただいています」
……ふーん、兄さんが、ね。
「兄さんとはどんな話をするんです?
騎士になるために生きてきたような人だから洒落た話はしないでしょう」
「そうですねぇ。
だいたい私の話を聞いて相槌を打ってくれる感じです。
騎士の方はプライドが高くて自慢話ばかりする方が多いですけどあの方はそうじゃないみたいです。
命懸けのお勤めをされていらっしゃる方ですから、ここでの時間が癒しや安らぎになればとは思っていますけれど……私の方が良いように使わせていただいてるかもしれません」
フフっ、と笑うイリアさん。
無防備に緩んだ表情は甘いお菓子のせいじゃない。
これはもしや、と思い口にする。
「イリア、さん……間違っていたら申し訳ありませんが――――兄と、恋仲なんですか?」
僕がそう言うとイリアさんはポッと顔を赤らめて鼻と口を手で覆って笑った。
「エヘヘへ……他の人に面と向かって指摘されると照れますね。
ええ。お慕いしています。
アレク様も私の気持ちに応えてくださっています」
「あーー、やっぱりぃ」
…………ちっくしょう。
考えればわかる様なことじゃないか。
兄さんが懇意だからこそ僕を預けたのだ。
なのに一人で舞い上がってバカみたいだ。
内心の独り相撲を悟られないよう呼吸を落ち着かせていく。
幸い、僕は他人の恋人を横取りしたがるような願望は一切ない。
兄さんの恋人と聞いた瞬間、盛り上がっていた感情が一気に引いてしまった。
「兄さんが恋人を作るなんてね……正直驚きです。
家の事とかを優先して父が持ってきた縁談を受けると思ってましたので」
だけど今の状況、イリアさんを自分で選んで愛して、それで添い遂げられるならその方が良いに決まっている。
と、僕が気持ちを緩めたところにイリアさんがとんでもない事を言ってのける。
「ああ、そこはそうですよ。
アレク様は騎士団長のイワーク様のご令嬢をお嫁さんにいただくようです」
「ブッ!?」
僕は驚きのあまり口に含んでいた紅茶を吹き出した。
イリアさんはクスクスと笑って僕のズボンに落ちた紅茶を丁寧に拭う。
「イワーク様と御父君は無二の親友といった間柄のようです。
その絆を強めるために血の繋がりで両家を結びたいのでしょう」
「信じられない……
アレク兄さんは婚約者がいる状態であなたを妾のように囲おうとしているのか!?」
僕がゲスな物言いをした瞬間、終始穏やかだったイリアさんの表情が険しくなり、声を荒げた。
「人聞きの悪いことをおっしゃらないでください!
アレク様はずっと前から私を選んでくださいました!
五年前、屋敷とお母様を亡くされて失意の中にいたあの方を慰め、励まし、支え続けて気持ちを勝ち取ったんです!
アレク様だって、私を嫁にもらってやるとおっしゃってくれていました。
それなのに……御父君が我が家では家格が釣り合わないと言って先の婚約を無理やり取り付けたのです!」
「なっ……!? 父さんが!?」
さっきからわけのわからない事ばかりだ。
父さんが騎士団長に気に入られているのは子供の頃から聞かされていた。
尊敬し慕っていることも。
だけど、父さんは自分の出世のために兄さんの結婚を利用するような人じゃなかったはずだ。
厳格な父親である反面、病弱な母さんに対してはガラス細工を扱うように丁寧に優しく接していたし、頭が上がらなかった。
それも全部母さんを深く愛していたから。
騎士は護るべき姫を心に抱くことで騎士たり得る――
当て擦られた古い価値観だけど父さんも兄さんもそれを信望していた。
なのに、どうして兄さんは護るべき姫を捨てる!?
父さんは兄さんから護るべき姫を奪う!?
何もかも納得が行かなさすぎる。
僕のズボンを拭き終わったイリアさんは立ち上がって背を向けた。
華奢な背中が震えているのを見ていたたまれなくなった。
「来月。アレク様は正式に婚姻を結ばれます。
この家に通うことも無くなるでしょう。
准男爵様が新妻を置いて平民の家に足しげに通うなんて風体が悪いですから」
それはそうだろう。
むしろ、今でも通っていることすら怪しいものだ。
そこに兄さんの捨てきれなかった執着を感じる。
カランカラン……
玄関につけられたベルが鳴る。
イリアさんは指で目元を何度か拭って、僕を置いて玄関に向かった。
玄関に現れたのは兄さんだった。
イリアさんが弾むような声で出迎える。
「早かったですね」
「ああ、くだらない報告仕事だけだったからな。
リスタは?」
「先ほどまで御相手させて頂いておりました。
お話に聞いていたとおり、お母様似の美形でずっとドキドキしてしまいましたよ」
「コイツめっ」
聞き耳を立てているだけなので何をしているのか分からないがイチャイチャしていることだけは分かる。
うらやましい。
なのにどうしてそんな大切な人をぞんざいに捨てられるんだ。
ギュッと拳を握り込んで苛立ちを噛み殺していると、
『……あのぉ』
「!?」
壁をすり抜けて僕の顔のすぐ横にセシリアが顔を出してきた。
「セッ…………かえってきたのか」
『……もう怒ってない?』
悪戯をした子どもみたいな顔というのだろうか。
僕の機嫌を窺っているようなセシリアの顔を見て反省する。
「怒ってない……というよりゴメン。
もっとちゃんと相談するべきだった。
あなたが救ってくれた命なのに、自分勝手な復讐に使おうとするなんて不義理だよな」
僕がそういうとセシリアは首を横に振る。
『リスタの生き方はリスタ自身で決めていいの。
私はリスタに何かして欲しくて助けたわけじゃないし、あなたが幸せになってくれればそれで十分。
その上で復讐はあなたのためにならないと思ってる』
「元よりセシリアが応援してくれるなんて思ってないよ。
一旦置いておこう。この話は。
ちょっとそれどころじゃないことが起こってそうなんだ」
『それっ! 私もそう言いたかったの!
ひとまず仲直りってことでいいわね!』
「ああ。お帰り。セシリア」
僕らは手を取り合って握手した。
兄さんのように生きている人間の恋人はいないけど、幽霊の恩人がいる。
友達のようで家族のようで恋人のようであるかもしれないセシリアがいてくれたことは僕にとって最高の幸運だった。
ザコルさんには怒られそうだけど、もう少しこのぬるま湯のような関係を続けていたい。
『……と仲直りしたということで、リスタ!!
大変よ! 本当に色々大変で何処から何を手につけていいのか!?』
「落ち着きなよ。
とりあえず、兄さんたちの前で独り言はマズイ。
二人きりになれるよう時間を作るから」
『早く! 早くね!』
セシリアはそう催促して僕の後ろに備える。
間も無くアレク兄さんとイリアさんが応接間に入ってきた。
テーブルを挟んで僕は二人と対峙する。
何処か緊張感を覚えるのはアレク兄さんが何か躊躇っているような顔をしているからだろうか。
「リスタ。今日、父上にお前がここにいることを話した。
会ってくれるようにお願いしたが、聞き入れてはもらえなかった。
すまない」
そう言って頭を下げる兄さんに僕は顔を上げてくれと言った。
しかし、
『お兄ちゃん……大事なことを何ひとつ伝えてないわねえ。
どうして聞き入れてくれなかったか、話すべきじゃないの?』
セシリアが凄むような口調で言った。
僕は彼女の代わりに尋ねる。
「……兄さん。
どうして父さんは僕に会おうとしないんだ?
勘当した息子に会いたくないから?」
「い……いや、そういうわけじゃなくて」
アレク兄さんが目に見えて困っている。
すると隣のイリアさんがため息を吐いた。
「隠さなくていいんじゃないですか?
アリスタルフ様ほど打ち明け話ができる人はいないでしょう」
「イリア…………だが…………」
口ごもる兄さんに痺れを切らしたようにイリアさんが僕に向かって言う。
「御父君は若い後妻にご執心でお勤め以外の時間はずっとべったりだそうです。
実の子のアレク様さえも屋敷に寄り付きたくないくらい」
「イリアっ! リスタには言うなと」
「アリスタルフ様は兄弟でしょう!
知るべきですし、話すべきです!
何もかも一人で抱え込んでそれで周りを助けられるなんて独善的すぎるでしょう!
あなたがアリスタルフ様を追い出したことを後悔しているなら隠し事はおやめください!」
強い口調で兄さんを嗜めるイリアさんを見て強い女性だなあ、と呑気な感想を抱いた。
それよりも、だ。
「父さんに後妻⁉︎
あの母さん一筋だった父さんに⁉︎」
「…………母さんが亡くなって一年は喪に服していた。
むしろ良いことだと思っていた。
父上の憔悴ぶりは目にあまったからな。
若い女でもなんでも、生きがいが増えることは良いことだと思っていた」
しかし、と前置きしてアレク兄さんは告げる。
「まさかあそこまで腑抜けになられるとは思いもよらなかった……
二十五、六の女に幼子のような言葉づかいで甘えて愛を乞うているんだぞ!
あの厳しかった父上が!」
『私も見てきたけど……正直、情けなさすぎて泣いてしまったわ』
赤の他人のセシリアが泣いてしまうってどんな状態なんだよ……
「……と、そういうわけだ。
すまんな。
すべて俺の役目だとは思わんが父上があのようになってしまうのを止められなかった」
「そんな……止めようもないじゃないですか。
どこの女かは知りませんが、父親の交際関係まで息子が把握できるわけでも」
「できたんだよ。
俺が気を配ってさえいれば」
兄さんは忌々しそうに吐き捨てる。
「メイドのニナのことは覚えているか?」
「ええ……金色の髪をした若い女の人ですよね。
物静かな感じの――」
「アイツだよ。
父上の後妻は」
……は!?
「えっ!? ちょっと待って!?
ニナがっ!?」
記憶の中にある彼女の情報を引き摺り出す。
僕が八歳の頃にやってきたメイドだ。
綺麗な人だった気がするがあまり目立たず、控えめな感じで声も小さかった。
使用人の中では一番若かったことが特徴でそれ以外はあまり覚えていない。
「い、いったいどうしてそんなことに?
まさか父さんが無理やり手篭めにしたり」
「バカなことを言うな!
劣情に負けて娘を襲うような方ではない……が、今のお姿を見ればそのほうがまだマシだったかもなあ……」
『骨抜きにされるにしても限度があるわよねえ』
セシリア……家族の会話に混ざってくるな。
うっかり反応してしまいそうになる。
アレク兄さんは忌々しげに呟く。
「今や俺は口うるさいと遠ざけられ仕事の席でしか言葉を交わせない。
まったく……母さんも草葉の陰で泣いておろうよ」
兄さん、母さんはいなかったよ。
もしかしたら屋敷の跡に母さんの幽霊がいるかもなんて期待をしていたけれど何も見つからなかった。
父さんがそんな風になっているところを見られずに済んだのは良かったのかもしれないけどね。
『あのー、リスタリスタ。
そのまま聞いてほしいんだけど』
セシリアが落ち着きない様子で僕に語りかける。
分かっている、そろそろ切り上げて二人に————
『ニナ――お父さんの愛人なんだけど、怨霊に憑かれてるわよ』
「ハアッ!?」
僕は兄さんたちの目の前で素っ頓狂な声を上げてしまった。
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