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第四章 生贄の村

第19話 巣立ちの刻

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 ものすごーーく、つかれた。

 修行中には感じなかった類の疲れに僕はノックダウンされ、クエルの町長宅のベッドで寝込んでいた。

『当たり前よ。
 トロルの群れと戦ってからずーっと、ほとんど休みなく働いていたじゃない。
 コナー村の人たちをここに送り届けるためにモンスターの間引きまでして。
 何日も寝ずに護衛してようやくこっちに着いたら着いたで町長やヨゼフ君相手に交渉に次ぐ交渉。
 いくら力が強くてもあなたは人間なんだから』

 お説教をしてくるセシリアにうんざりして僕は強い言葉を返す。

「そう思うなら出ていってくれ!
 あなたの言葉は頭に響くんだよ!
 調子の悪い時に相手したくない!」

 するとセシリアは、スン……と大人しくなり、申し訳なさそうな顔をして静かに部屋を出ていった。

『わーお。リスタ君どういう風の吹き回し?
 あんな傷心の女を俺の前に提供してくれるなんて』

 もっと煩いのが現れた。

「聞こえてたろう。
 放っておいてくれ」
『つれないこと言うなって。
 セシリア抜きで話せる貴重な機会だ。
 無理してでも相手しな。
 これが最後かも知れないんだし』

 不穏な言葉に僕は身を起こした。
 ザコルさんは頭をかきながら僕に笑みを向けた。

『どうやら俺が思っていた以上に、俺の霊魂も歳を食っていたらしい。
 俺は大した心残りがあるわけじゃないからな。
 ベントラやナラ爺と並べ奉られることで幽霊化できたようなものだし、祠から離れればそう長くは保たない。
 いずれ霧散し消滅する』
「そんな……だったらどうして」
『お前の旅についてきたかって?
 そんなの面白そうだったからに決まってるだろ。
 現にお前は俺が思った以上に英雄として機能している。
 生前のベントラやナラ爺ならトロルの群れは潰せたし、お嬢ちゃんの救出も上手くやったろう。
 だけど、あの怨霊たちを倒しきることはできず、村の儀式も止められない。
 さらなるスタンピードが巻き起こり、この辺りは更地に返る。
 初めて会った時の宣言通り、お前はお前にしかできない事をやってのける男になったってことだな』

 ニカっと笑って僕の頭をポンポンと撫でる。

 あー……もう、やめてくれ。
 疲れてるところに別れ話にお褒めの言葉なんて嫌でも泣けてくるじゃないか。

『俺のニコポ、ナデポは効くだろう。
 惚れていいぞ』
「台無しだよ、まったく。
 なんかはぐらかされた気がするし」

 へへっ、と誤魔化すように笑うザコルさん。
 もし、アレク兄さんと上手く関係が築けていればこんな風なやり取りをできることもあったのかもしれない。
 ……まあ、もう取り返せないことなんだけど。

 一瞬、兄さんの事を思い出してしまい心が冷たく固まる。
 そしてそれを見落とすザコルさんではなかった。

『厄介な持病を抱えているな。
 いや、呪いと言うべきかな?』
「なんのことです?」
『とぼけなくてもいい。
 お前が復讐の熱に浮かされていることくらい、ベントラもナラ爺も分かってたんだから』
「え————」

 虚をつかれた。
 驚き、というよりもわけがわからない。
 カマをかけているのか?
 もし最初からバレていたなら、どうして――

『次にお前は、どうして僕に力を授けたんだ、と言う』
「!?」

 焦りで口をつぐんだ僕を見てザコルさんは愉快そうに笑った。

『アッハッハッハ!
 まだまだ精神面は鍛える余地があるな。
 そして人間というものをさっぱり分かってない』

 僕の額に指先を当てて、芝居がかった仕草で語りかける。

『厳しい修行に堪える原動力は正義感、なんて本気で言う子ども信用できるかよ。
 そんな狂信者に力を授けて良いことなんて何もない。
 最愛のママを奪った相手を憎む気持ちを持ちながら優等生のフリをしている嘘つきのクソガキくらいの方がよっぽど見込みあるってもんだろう』
「全部わかった上で、僕を育ててくれたの?」

 僕の問いにザコルさんは照れ臭そうに手を払う。

『育てた覚えはないね。
 俺たちは鍛えただけだ。
 それも俺はひやかしみたいなもんだったし……あ』

 ザコルさんの手から少しずつ光の粒が離れていく。
 それが消滅の前兆であることは明らかだった。

『ま、そういうわけだから。
 最後にレッスンしておくぞ。
 リスタ。童貞なんてさっさと捨てちまえ』
「言うに事欠いてそれかい!?」

 ザコルさんはケラケラと笑う。

『バーカ、重要なことだぞ。
 俺が旅についてきた目的の半分はお前の卒業を見届けるためなんだから』
「バカはアンタの方だよ!
 そんなくだらんことのためにこの世に留まれる時間を使ったの!?」
『くだらなくはない。
 かわいい最後の弟子がやらなきゃならんことだからな』

 フッ、とおちゃらけていたザコルさんの表情が締まり、僕に対して圧力を放ち始める。

『下世話だけで言ってるんじゃない。
 ちゃんと生きている人間と関わりを持つんだ、リスタ。
 心を通わせあえる関係なら女でも男でもガキでも年寄りでも構わん』
「英雄は孤独だと……あなたたちが教えてくれたんじゃないか!」
『結果として孤独になるのと、ハナから諦めているのとは全然違う。
 セシリアにばかり話しかけるな。
 はたから見ればひとりごとばかり喋っているヤバいやつだぞ』
「それは……で、でも村で村人たちを説得したり、ヨゼフさんたちと交渉したり」
『英雄ヅラして言葉を投げかけるのは、心を通わせることの対義と言っていい。
 そんなことも分かってないから俺が教えてやってるんだ』

 ザコルさんが僕の両肩を掴んだ。
 その手から立ち上る光の粒が勢いを増している。
 彼の消失を急かすように。

『セシリアは優しくてお前を思ってくれるが、お前を幸せにはできない。
 無力で右も左も分からないお前を生かす役割を果たしてくれたが、昔の話だ。
 心の拠り所は生者に見つけろ。
 じゃなければお前もセシリアも不幸になる』
「セシリアも?」
『……幽霊になってこの世に残っている連中は怨霊じゃなくても不幸さ。
 何かしらの心残りがあってこの世を彷徨っているんだから。
 お前を育てることに夢中な内は良いが、このままお前が巣立つことなく甘え続ければ心残りを精算する機を逸する。
 セシリアにとってのハッピーエンドはお前が巣立つのを見届けて、そのことに満足して消えていくことだ』

 昔、セシリアが僕に言ってくれた言葉を思い出す。

『心配しなくても、あなたが沢山の人に囲まれるような立派な冒険者になるまで、いっしょに居てあげるってば』

 彼女なりの僕のハッピーエンド……いや、彼女の目標だったのかもしれない。
 気立の良い冒険者だったことはクエルの町で聞いた話からも明らか。
 無力な少年を救わずにはいられなかった気持ち、今の僕にも少し分かる。

「分かりました。
 僕は、セシリアも救います。
 それが恩返しになる」

 ザコルさんの顔がほころんだ。
 言葉一つで安堵してくれるくらい僕は信用されているのだ。
 この国を代表する大英雄に。


 翌日、僕は町長の屋敷から出立した。
 ザコルさんはもう姿を現さなかった。
 死に際を見せない猫のようにひっそり消えていて、鮮やかとすら感じてしまう。

 セシリアも悟ったのか知らされていたのか。
 慌てふためくことはなく、いつもどおり僕に他愛もない話をしてくる。
 いつもより寂しく思えるのはザコルさんがいないだけじゃなくて、セシリアもいつかいなくなることを意識し始めたからだ。
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