上 下
26 / 33
第五章 家族の物語

第23話 明かされた真実

しおりを挟む
 父さんが住んでいる屋敷はセシリアが案内してくれた。
 彼女は随分怒っているようだった。

『ニナに唆されたとしても!
 息子を捕らえようとするなんて父親失格よ!
 落ちぶれるにもほどがあるわ!』
「セシリア。もしかして生前から父さんの事を知っているのか?」

 僕は彼女の口ぶりに違和感を覚えたので尋ねた。

『……今は言えないわ。
 それよりも、分かってるわよね。
 ニナは殺しちゃダメよ。
 怨霊が取り憑いているなんて証明できないんだしお尋ね者になっちゃう』
「分かっている。
 ニナだって被害者だ。
 元は忠義深くランパード家に仕えてくれた人だ。
 それを救えなくてどうする」

 復讐は最優先事項。
 だけど、手段は選ぶ。
 ザコルさんが生きている人間と関わるように言った理由が分かったかもしれない。

 生きている人間は誰かと関わっている。
 今の僕にとって最も深い関わりがあるのはアレク兄さん。
 僕が後先考えず暴れてしまえばそれは兄さんの不利益になるだろう。
 再会する前の僕ならばどうなろうと知ったことか、と割り切っていただろうが今はそうじゃない。

 兄さんは必死で生きていた。
 心の支えを失くしてもヤケにならず、新たに大切な人を見つけて。
 僕を許してくれた。
 家族として扱ってくれた。
 だから……僕も兄さんを大切に思っている。


 父さんが住んでいる屋敷は町の郊外にあった。
 昔住んでいたものと比べればこじんまりとしたものだったが兄さんもほとんど寄り付かず、ニナと二人きりで暮らすには十分過ぎる広さだろう。
 そして、外から見てわかるくらいの瘴気の濃さ……コナー村の怨霊の集合体でもこうはならなかった。

『来ると踏んでいたのかしらね。
 私が忍び込んだ時に比べて随分おもてなしに差があるじゃない』
「昔住んでいた屋敷にも大量に怨霊がいた。
 それが丸ごとお引っ越ししていたならこの密度もあり得るさ」

 狙うは最短距離。
 ニナに憑いている怨霊を祓う。
 その後に他の連中の掃討だ。

「行くぞ。無理はするなよ」
『誰に言ってるのよ。
 ようやく姫騎士セシリア・ローゼンの活躍を見せる時が来たわね!』

 霊体同士の戦いならセシリアも参戦できる。
 彼女の実力は先程対峙したジェニースを数段上回る。
 十分な戦力だろうけど……

「いや、父さんを守ってくれ」
『また戦力外!?』
「ニナから怨霊を追い出した後、父さんの体を利用される恐れがある。
 父さんは若い頃は騎士団長に次ぐ剣の使い手だった。
 怨霊による力の上乗せがあった場合、面倒なことになりかねない」
『うわー、なんて完璧な理由づけ。
 分かってるんだからね!
 私を戦いから遠ざけたがってるだけなんて!
 どうしてあなたたち親子はそういうところそっくりなの!』

 セシリアは小声でまくし立てる。
 もう小競り合いしている暇はない。

「分かった。好きにしなよ。
 父さんの部屋はどこ?」
『あの三階の出っぱったところ。
 あそこが寝室だから今頃――――」

 セシリアの首の後ろに魔力を当てて体を麻痺させた。

『な……に、を……』
「セシリアを危険な目に遭わせたくない。
 分かってくれないならこうするしかない」

 ちょうど良かった。
 ニナに憑いている怨霊が元凶なら僕は復讐心をたぎらせてそれを討つ。
 その姿はきっと悍ましいものだからセシリアには見られたくない。

『だ……め……怨霊の……ハナシ……きいちゃ……』

 振り絞るように僕に言うセシリアを抱き抱え茂みに隠した。

「助言は聴いておくよ。
 しばらくここでおとなしくしていてくれ」


 気配を完全に遮断し、運足術で音を立てず壁を登り、父さんの寝室の窓のそばにへばりついた。
 窓ガラスの向こうには分厚いカーテンがかかっていて中は見えない。
 僕は聴覚を研ぎ澄ます。
 すると針の中を通って耳に流れ込むように、若い女の甘い声と野太い男の猫撫で声が聞こえてきた。


「よくできたわね、ヴァーリ。偉いわ。
 実の子であっても容赦なく処断する。
 その強さ、騎士団長に相応しいわ」
「ボクはつよくなんてないんだよ、ニナぁ……
 アナの忘れ形見のふたりをうしなうなんてイヤなんだ……
 だけどふたりがボクのことをいじめるからぁ……」
「うんうん。ヴァーリは何も悪いことしてない。
 悪いのは息子たちよ。
 大丈夫。あとは他の人が上手くやってくれるわ。
 団長様もそう言ってくださったでしょう」
「うん。じゃあ……もうきにしない!
 ニナぁぁ! ぱふぱふしてぇ!」
「きゃっ! もう……お客様がいらっしゃってるのに」
「そんなのどうだっていいから!
 はやくぱふぱふ! ぱふぱふぅぅ!」

「アアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 窓ガラスを豪快に叩き割って部屋に侵入した。

 大きく豪奢なベッドの上では下着姿のニナと……それに覆いかぶさってよだれを垂らしている、パンツ一丁の父さんがいた。

「…………こんな形で再会したくなかった」

 六年ぶりの再会。
 少し老けてはいたけど父さんだと一目で分かった。
 だが信じたくなかった。

「あなたは本当にヴァーリ・ランパードかっ!?
 威厳と頼り甲斐のある立派な父親で勇猛な騎士だったあなたが何を子どものように娘のような年頃の女に甘えているんだ!?
 ぱふぱふってなんだよ、ちくしょうっ!!」

 兄さんやセシリアから前振りはされていたがまさかここまで酷いなんて思いもしなかった。
 母さんを喪った悲しみで頭がおかしくなったのだと思いたい。

 父さんは呆然とした面持ちでパクパクと口を開け閉めする。
 そして、

「あ、アナスタシア………?」

 と、呟き僕の肩にしがみついた。

「アナスタシア、アナスタシア……アナぁ!!
 会いたかったよ!
 僕のアナぁ!
 今までどこ行って――ブヘェっ!!」

 生まれて初めて父さんを打った。
 胸が痛むどころかせいせいした。

 さて…………

「僕の顔、覚えているかい?」
「ええ。忘れるはずがございません。
 臆病者で部屋から出ることもできない出来損ないの子。
 お兄様にいじめられてアナスタシア様に泣きついてばかりの甘えん坊。
 アリスタルフぼっちゃま。
 再会できて、ニナは嬉しいですよ」

 目の前で父さんが殴り倒されたというのに悲鳴一つあげない。
 それがどれだけ異常なことかは言うまでもない。

 均整のとれた肉付き、張りと柔らかさを見た目で感じさせる白い肌、上品そうな顔立ちが淫美に映るのは扇情的な黒い下着姿が故か。

 惜しいことをしているな。

 平時ならこんなエロい生き物を前にして欲望をぶつけずにいられないだろう。

 だけど、今はそんな気分になれないな。
 父さんの醜態を見せられた直後な上、ニナの背中にまとわりつくように揺れる黒い影が目障りすぎるからだ。

「ニナのフリをするのはやめろ。
 僕の目は誤魔化せないぞ、怨霊」

 そう言って凄むとニナは肩を震わせ、高笑いを始めた。

「ハーッハッハッハッハ!!
 相変わらず良い目をしているな!
 節穴の父とはえらい違いだ!」

 その表情に淑女はカケラも残っていない。
 人の不幸を食い物にする悪人の魂が取り憑いているんだろう。
 セシリアに言われずとも長々とおしゃべりしたくない相手だ。

「貴様、六年前に燃えたランパード家の屋敷にもいた奴だな」
「ああ。お前のことは産まれたその時から見守っていたよ。
 オレたちをジロジロと見回すその瞳が愛らしくて仕方なかった」
「なるほど、僕は見ないフリもできてなかったわけだ。
 まあいい、本題だ」

 僕は興奮と殺意を表に出さないように気をつける。
 待ち望んだ復讐の刻が訪れようとしている。

「あの日……屋敷に火をかけたのは貴様か?」

 怨霊はニナの唇を三日月のように歪め、首を傾け微笑ませる。
 口調を彼女のものに戻して答える。

「忘れちゃいましたか
 アリスタルフぼっちゃま?
 あの夜のことを」
「忘れてなんかない。
 あれからずっと犯人を殺すことを考え続けてきた。
 怨霊ならばこの世に残った事を後悔するくらい酷い目に遭わせてやろうと」
「じゃあ怨霊に唆されて悪意を持って火をつけた人間が犯人ならどうしますか?」
「その悪意が家を焼き、母さんを殺した!
 ならば同罪だ!
 お前の企みにニナが乗ったなら両方始末してやる!」

 クスクスと含み笑いをするニナ。
 不快さに僕は怒鳴り声を上げた。

「何がおかしい!?」
「可笑しくて仕方ないですわ。
 見当はずれの復讐心を支えに今まで生き永らえてきたなんて」

 その目は勝ち誇っていた。
 僕は何かを見落としている、そんな感覚に陥った。

「フフ、霊や魂のことは研究されたのですか?
 なら魂が人間を操るには制約があると推測できますよね?
 事実、私がニナの身体を好き勝手できるのはこの娘の願望を叶えるという条件の下に契約がなされているからです。
 あなたは私を怨霊と言いましたが、悪魔と言った方が近いかもしれませんね」
「ニナの願望?」
「ヴァーリ・ランパードの妻になる。
 この娘は元々、あなたの父親に恋焦がれていたんですよ。
 それが叶うなら私に肉体の主導権を与えてもいいと思うくらいにね」

 そう言って自分の肢体をまさぐるニナ。
 おとなしかった彼女が強かさと妖艶さを身につけて父さんを籠絡した。
 なるほど……そして、邪魔だった母さんを!

「お前が母さんを殺したんだなっ!!」

 断罪する僕。
 待ち焦がれた瞬間が訪れた。
 この時のために磨き鍛え上げた数多の技でヤツを叩き潰して————

「違いますよ。
 だから見当はずれだと申しているのです」
「なに」

 ニナは嗤った。

「屋敷に火をかけ、お母様を殺したのはあなたですよ。
 アリスタルフさま」

 ‥‥………… ……………… ………………は?


 僕が? 母さんを殺した?

 いつ? どこで? どうやって?


 …………そんな記憶は、存在しない!

「怨霊……くだらない嘘で混乱させようだなんてくだらない真似を」
「嘘じゃないですよ。
 まあ、あなたは記憶を失っているかもしれませんね。
 自分の手で最愛の母親を殺してしまったなんて罪に虚弱な子供が耐えられるわけがない。
 私に操られて意識が朦朧としていたことをいいことに忘れてしまったんでしょう。
 薄情ですねえ」

 だまれ————と叫ぼうとしたがこめかみに強い痛みが走った。
 壁にヒビが入るようなキシキシと広がるような苦痛に思わず顔を歪め頭を押さえる。
 ニナはそんな僕を見て楽しげに笑った。

「あはははは、そうですよね。
 忘れ去れるものではないですよね。
 海の底に沈めるようにして記憶を閉ざしても、なくなりはしませんよね。
 引き揚げ作業、手伝ってあげますよ」

 パチンッ、と指が鳴らされた。
 あらかじめ用意されていたのだろうか。
 一瞬にしてニナの背後に炎が高らかに燃え上がった。

 絨毯が燃える独特の香り、肌を焼く熱風、濁っていく空気。

 それは僕にあの日の記憶を想起させるためのものなのだろう。


 まずい! これ以上何かを思い出す前に怨霊を殺さなくては————と、足を踏み込もうとした瞬間、女の声が脳内に響いた。

『リスタ……やめなさい……』

「セシリア? いやこれは……」

『なんてことを……この……悪魔め……』

 この声は、聞こえているんじゃない。
 僕の記憶の中にある声だ。

 そのことを自覚した瞬間、僕の意識は六年前の燃えさかる屋敷のなかに引き戻された。
しおりを挟む

処理中です...