絶対殺すウーマンの幸せ結婚生活

茴香

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二章:不死身の魔王

不死身の魔王

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 その日の夜、ガルテンの王宮――ノイエパレの一室で、金色に輝く酒を満たした杯を片手に、一人の青年が窓の外に広がる夜景を見下ろししながら口元を釣り上げる。

「ふふっ……じゃじゃ馬慣らしも存外悪く無い、な」

「お戯れが過ぎますぞ、若。昼間のあれは流石に肝が冷えましたぞ」

 部屋の暗がりが一瞬歪み、次の瞬間、闇はその密度を高め徐々に一つの影となる。

「ピルツか……なあに、ちょっとした余興にと思ってな」

「全く若も素直ではないですな……。もっともミステルの連中がまさかハルトリーゲル姫を刺客として送り込んでくるとは思いもよりませんでしたが。仮にも王女を捨て駒に使うなど……一体ミステルは何を考えているのやら……」

 ピルツが拳を握りしめて声を荒げる。そんなピルツを横目にガデナーが肩を竦めておどけてみせる。

「それだけミステルの連中はこの戦争を終わらせたくない理由があるのだろう。もっともこれが戦争と呼べるものかどうかは甚だ疑問だがな。またはハルトリーゲル姫が邪魔になったか……もしくはその両方だろうな」

「邪魔……ですか。ハルトリーゲル姫の『ステンペル』の呪い……ミステル王家に伝わる吸魂の呪詛。触れた者の命を喰らうおぞましい呪い。依代になったものはその代償として神樹の力をその身に宿すという。しかしステンペルの呪いは伝承に過ぎず、いまだかつてその呪いが誰かに顕現したことはなかったはず。本当にハルトリーゲル姫はステンペルの呪いを身に宿しているのでしょうか?」

 ピルツが訝しげに首を傾げるが、一方のガデナーは何の事はないという様子で不敵な笑みを浮かべてみせる。

「それは間違いない。以前俺が直々に確認したからな。近くに置けば蝕まれ、触れれば魂を喰われる強力な呪詛だ。伝説だと思っていたが、まさかその呪いが実際に皇家の姫に現われるとはな、ミステル王家もさぞ持て余したことだろう。もっとも俺はそのお影でハルトリーゲルを側に置くことができるわけだがな」

「ふむ。なるほど、若の暗殺はミステルからすれば厄介払いも兼ねた上策、と。そう考えるとあの姫も哀れなものですな。皇女でありながら祖国から捨てられ、皇女であるがゆえに己が使命に縛られる」

 ピルツの言葉にガデナーはゆっくりと瞳を細めていく。

「しかしそんな人間の娘が欲しいとは若も酔狂でいらっしゃる。ただでさえ若が人間の娘を娶ることに八大竜王達が異を唱えているのに、これからが大変ですぞ」

「ふん……承知の上だ。奴らに文句は言わせん。それに全員が反対しているわけではないのだろう?」

 ガデナーはピルツを見つめるといたずらっぽく笑い、そんなガデナーを前にピルツが苦笑する。

「ともあれ若がそう仰るなら、私からは言うことはございません。それでは御前失礼」

 ピルツは小さく呟くと、再び部屋の闇に溶けて消える。ガデナーは机に置かれたグラスを手に取ると窓の外の夜景に視線を移す。その瞬間、部屋の扉を叩く音が響き渡る。

「来たか、入れ」

 ガデナーの言葉に扉が開き、そこには寝間着に着替えたハルトリーゲルが侍女に促されるように佇んでいた。その様子に思わずガデナーが感嘆の溜め息を漏らす。

「ほう……ドレスも美しいと思ったが、ハルトリーゲル姫は何を着ても美しいのだな」

 ガデナーの言葉にハルトリーゲルは何も答えず、ただ悔しそうに拳を握りしめていた。ガデナーはそんなハルトリーゲルを一瞥すると、怪しくほほえみながら優雅に腕を広げてみせる。

「妻を部屋の外で立たせたまま待たせるのはいかんな。さぁ、入ってくれ。俺の……いや、俺達の部屋だ」

 ガデナーがそう言うと、侍女達は小さく頭を下げそのまま廊下の奥へと消えていく。残されたハルトリーゲルが無言で部屋の前に立ち尽くしており、その様子にガデナーが悪戯っぽく口元を釣り上げると再び語りかける。

「聞こえなかったのか? 入れ」

「……」

 ハルトリーゲルは無言でガデナーの部屋に入るや、突然扉が閉まった。それに驚いたのかハルトリーゲルは咄嗟に扉に振り返り、射殺さんばかりの視線をガデナーに送る。

「くっ!」

「くくくっ……怖い顔だな、ハルトリーゲルよ。案ずるな、何もせんよ。そう睨むな」

 ハルトリーゲルはガデナーを睨みつけるが、ガデナーはそんなハルトリーゲルの様子にわざとらしく肩を竦めてみせる。

「これでは初夜を迎えるどころでは無さそうだな。では良い話を聞かせてやろう。姫の侍従達は数日のうちにミステルへ返してやる」

「えっ?」

 一瞬ハルトリーゲルが動揺した表情を見せ、そんなハルトリーゲルを見つめながらガデナーが口元をつりあげる。

「もっとも姫に自害をされては元も子もないのでな、少々保険をかけさせてもらった」

「保険? それは一体どういうことですの?」

 ガデナーの言葉にハルトリーゲルの瞳が細められ、一方のガデナーは相変わらずの笑みを浮かべたまま杯に注がれた酒を一気にあおる。

「何、姫が死んだら奴等も死ぬ。そういう呪いをかけた。安心しろ、あいつ等が死んでも姫には何も起こらない」

「なんと卑劣な……貴方はどこまでこの私を辱めれば気が済むのですか!」

 いきり立つハルトリーゲルをよそにガデナーは楽しそうに笑みをこぼす。

「だが姫のその美しい牙が鈍るのも忍びない。ならばここは一つ戯れをしようではないか」

 その言葉にハルトリーゲルがいぶかしげに問いかける。

「戯れ……ですって?」

 ガデナーは嬉しそうに首を縦に振り、壁にかけてあった一振りの長剣をハルトリーゲルに向かって投げ渡す。

「……どういうつもりですの?」

「隙あらば俺を殺してみろ。見事俺を殺せた暁にはその呪いは解ける。ミステルの悲願であるガルテンを打ち負かすことができるのだ。俺を退屈させてくれるなよ?」

「……その驕りがいつか貴方を滅ぼすと言いましたわよ?」

 ガデナーが言い終わった瞬間、ハルトリーゲルの体が淡く輝き、手に持った剣が光を放つ。その様を眺めたガデナーは嬉しそうに微笑み、そのまま窓の外を見つめながら楽しそうに呟いた。

「その意気だ。せいぜい俺を楽しませることだな」

 そう言うやガデナーの体がゆっくりと黒い霧に変わり、夜の闇に溶けて消える。ハルトリーゲルは険しい表情で窓の外を見つめると、小さく呟いた。

「……気まぐれでも構いませんわ。もはや自分の命に未練などない私ですが、ミステルだけは守らねばなりません。そのために、魔王がデナーを必ず……殺しますわ」



「それで……格好つけて部屋を出て来たは良いけど、自分の部屋にハルトリーゲルちゃんがいるから気まずくて戻れないと? とんだお馬鹿さんね、貴方って。いや、元から馬鹿だったわよね、貴方って」

「……」

 深夜のノイエ・パレの一室で、ザフトリングが燃えるような赤い長髪をたなびかせながら愉快そうに微笑んでいる。その脇には膝を抱えて座り込んでいるガデナーの姿があり、ザフトリングはそんなガデナーを眺めると口元を吊り上げながら語りかける。

「しかし結婚式でまさかいきなり首を刎ねられるなんて、貴方とことん嫌われているのね。これは愉快、愉快だわ」

「……」

 一瞬ガデナーの肩が大きく揺れ、見ればその体は小刻みに震えている。

「しかもせっかくの新婚初夜も無駄に格好付けてハルトリーゲルちゃんを煽って怒らせちゃうなんて。ひょっとしてあなたって、好きな子にはわざといたずらしちゃうっていうあれなの? 冗談よしてよ、良い年した大人が気持ち悪いわ。ああ、気持ち悪い……」

「……」

 ガデナーは動かない。ザフトリングは妖艶な笑みを浮かべながらガデナーの肩にそっと手を置き、耳元で小さく囁く。

「でもやっとハルトリーゲルちゃんに届いたんでしょう? 貴方はあの子と一緒になるためにここにいる。それは本当に立派だと思うわ。でも八大竜王がそれをよく思っていないのも事実。最悪、姫と貴方を倒して自分たちがガルテンの王に、と名乗りを上げる者も出てくるかもしれないわ」

「ザフトリング……お前はそうなると……?」

 突然膝を抱えていたガデナーが顔を上げる。その声は低く、そして怒気にも似た剣呑な気配が籠められている。同時に周囲に充満する濃厚な魔力の気配。膝を抱えて部屋の隅でうずくまっているガデナーの体から剣呑な気配がじわりと漏れ始める。その様子にザフトリングはガデナーを後ろから抱きかかえる様にして囁いた。

「やあね、私のことはザフトって呼んでっていつも言ってるでしょう。それに安心して。いくら私でもそんな無粋な事はしないわ。私はただ見てみたいだけ。貴方の想いの果てにたどり着く景色を。ただそれだけよ。分かっているでしょう?」

「……ふん、礼は言わんぞ」

「何を言ってるのかしら。 私たち友達じゃない。そんな友達から貴方に一つアドバイスをあげるわ」

「……何だ? 言ってみろ」

 ガデナーが小さく呟くと、ザフトリングは嬉しそうに口元を釣り上げて囁く。

「さっき貴方の部屋を――ハルトリーゲルちゃんを『視た』んだけどね、貴方……ものすごく嫌われてるわよ。むしろ憎まれていると言っても良いわ。貴方のお気に入りのベッドに剣が突き刺さっているくらいだもの。だから……その……まぁ、頑張りなさいな」

「くっ……」

 膝を抱えたガデナーの体が一瞬小さく震え、その唇は強く噛み締められる。そして頬から一筋の雫がきらめきながらこぼれ落ちた。







 翌日、ガデナーとハルトリーゲルは巨大な机を挟んで朝食をとっていた。どうやらハルトリーゲルはあのままガデナーの部屋で寝たらしく、その顔色は悪くない。もっとも敵地での食事という事もあり、出された料理を警戒してるのか一向に手を付けようとしない。

「どうした? 食べないのか? 安心しろ、毒を入れるような無粋な真似はしない」

 ガデナーのその言葉にハルトリーゲルは顔をあげ、一瞬驚いた様子を見せる。ハルトリーゲルが驚くのも無理も無い。何故ならガデナーの瞳は昨晩とは違い、まるで兎の様に赤く変貌していたからだ。その様子にハルトリーゲルが警戒気味に語りかける。

「……魔族は寝て起きると瞳の色が変わるのでしょうか?」

「ふん……何を言い出すかと思えばそんな事か。この瞳は高まる我が魔力に呼応してその色を変えるのだ」

「違うわよね? 昨日ハルトリーゲルちゃんに邪険にされて、更にハルトリーゲルちゃんにすごーく嫌われている事を知ってショックを受けて、一晩中泣きはらしたのよね。私の部屋で」

「ぶふっ!」

 いつの間にか食堂の扉が開いており、ザフトリングが陽気な表情でハルトリーゲルに向かって手を振りながら近寄って来る。突然のザフトリングの登場にガデナーは思わず口に含んだ葡萄酒を盛大に吹き出して立ち上がる。一瞬の間を置いてガデナーは椅子に腰をかけると、まるで何事も無かったかの様に優雅にハンカチを取り出し口元を拭う。

「どうした? 食べないのか? 安心しろ、毒を入れるような無粋な真似はしない」

「無かったことにしようとしても無駄よ……ガデナー」

 平静を装うガデナーをよそに、ハルトリーゲルは突然現れたザフトリングを警戒気味に見つめる。

「……貴女は?」

 ハルトリーゲルはザフトリングに向かって剣呑な気配を放ち、一方のザフトリングはまるでそれを気にしない様子で怪しい笑みを浮かべている。

「初めまして、ミステルの王女、そして『ステンペル』の姫、ハルトリーゲル殿。私はザフトリング。キルシュロッター・ザフトリング。ガルテンの宰相を任されている者ですわ。聞きたい事があったら私の年齢以外は何でも答えてあげる」

 ザフトリングは全身から妖艶な気配を漂わせながら優雅に一礼する。一方のハルトリーゲルはそんなザフトリングを一瞥すると、顔を顰めながら口を開く。

「では、先程の貴女の言葉は一体どういう意味なのでしょうか? 何故この男が泣く必要があるのですか?」

「……待て、ザフト。今は食事中だ。姫に失礼であろう」

 何やら不穏な気配を感じ取ったのかガデナーがグラスを片手に声をあげ、必死に片目で瞬きを繰り返しザフトリングに何やら合図を送っている。その光景は端から見れば異様そのものであるが、ガデナーはそれに気がつかない。

 そんなささやかなガデナーの抵抗虚しく、ザフトリングは満面の笑みを浮かべながらハルトリーゲルに語りかける。

「先程の話? 言葉通りよ。この魔王は私の部屋で一晩膝を抱えて泣きはらしたわ。そして次の質問ね。何故泣くのか、だったかしらね。それはガデナーが貴方の事を好き『にできなかったから苛ついていただけだ。他に他意はない。俺は怒りが貯まると泣いて発散する性たちでな』

 咄嗟にザフトリングの言葉にガデナーが被せ、口元に笑みを浮かべながら優雅にグラスを傾ける。一方のハルトリーゲルは突然会話に割り込んできたガデナーの言葉に驚いた様子を見せる。そして次の瞬間、ハルトリーゲルは怒りの形相で、ザフトリングは笑いを堪えた表情でガデナーに向き直る。

「……やはり貴方は下種ですわね。人質を盾に私を弄ぶつもりだったのでしょう。女を思い通りに出来ないからといって癇癪を起こすなど、その性根、虫唾が走りますわ」

「……いや、違うぞ?」

 咄嗟に失言に気がついたガデナーは動揺を悟られないように表情一つ変えずに答え、一方のハルトリーゲルはまるでガデナーを射殺さんばかりに睨んでいた。

「ぷぷぷっ……男って怖いわねぇ……」

「ふん……なんのことだ?」

 その横ではわざとらしくザフトリングが両手で自身の体を抱きしめながら笑いをこらえており、その言葉にハルトリーゲルが再びガデナーを睨む。一方のガデナーはまるでハルトリーゲルの態度を気にしていない様子でグラスを傾けながら優雅に微笑んだ。

「安心しろ。仮にも魔族を束ねる魔王たる俺は人間の女ごときに劣情を催す程落ちぶれておらん」

 その言葉に再び沈黙が食卓を包み、先に食事を終えたガデナーがゆっくりと席を立つ。

「どうやら姫は私といると食事が進まないようだ。残念だが私は先に退席させて頂くとしよう。それとお前は俺と来い、ザフト」

「嫌よ? 何で私も行かなきゃ行けないのよ? まだ朝食に手を付けてないわ」

「お前には言いたい事がある」

 半ば問答無用でザフトリングの腕を取り、二人は食堂から姿を消す。後に残されたハルトリーゲルは小さく溜め息をつくと、目の前に並ぶ食事に手を付ける。

「……美味しいですわね」

 誰もいない食堂に小さな声が響いた。



 ガデナーはザフトリングを連れて自室に戻って来ていた。

「ザフト! あれは一体どういう事だ! 姫の前でよくもあのような事を言ってくれたな!」

「あら、だって貴方って天の邪鬼だからどうせハルトリーゲルちゃんの前だと本音を言えないでしょう? だから私が変わりに言ってあげたのよ」

「ふざけるな! 俺が姫に懸想けそうをしてるなど言える訳ないだろうが! 仮に言ったとしても信じる訳がない!」

「でしょうね。さっきのやりとりでますます貴方はハルトリーゲルちゃんの中で最低な男に成り下がったでしょうし。女を好きにできなかったから泣いたって、さすがの私でもちょっと引くわよ、そんなこと言われたら。正直気持ち悪いわ」

「まて! あれはお前が変な事を言い出すからだろう!?」

「素直にあそこで好きと言っていれば良かったのにねぇ……。挙句の果てには上から目線で、ハルトリーゲルちゃんの体なんかには興味ないって言い切ってるし」

「何を言っている? あるに決まっているだろう? 正直我慢ならんぞ?」

 ガデナーの言葉にザフトリングはこめかみに手を当て大きなため息をつく。

「はぁ……とにかく、貴方はその七面倒くさい性格をどうにかしなさい。好きなんでしょ? なら抱きしめて押し倒して接吻の一つでもしなさい! 男でしょう!」

「ふん……誰に物を言っている。そんなこと、この俺にかかれば児戯にも等しい……と思うが、接吻はまだ少し早いのではないかな。まずはお互いをちゃんと理解してからの方がよかろう。無論抱きしめたいという気持ちは今にも溢れそうなくらいあるが……そろそろ我慢も限界に近いし正直いろいろ辛い」

「ちょっと! 本気で気持ち悪いからそれ以上近寄らないで!」

 ザフトリングが慌ててガデナーの頬をはたき、ガデナーの体はきりもみ回転しながら床に叩きつけられる。意図せず床に口づけをすることになったガデナーは血を流しながら小さく呟いた。

「やっと見つけた俺の心だ。決して手放すものか……」



「はぁ……そんなに警戒しなくても貴方には何も致しませんわ」

「ハルトリーゲル様はこのガルテンの王妃にございますれば、私が警戒することなどありえますまい」

「では私の勘違いですわね」

「そうなりますな……」

 昼食のために食堂に案内されたハルトリーゲルは小さくため息をついた。そこに本来いるべきガデナーの姿はなく、代わりにピルツが同席していたからだ。

 最初は二人で食堂でガデナーの到着を待っていたが、肝心のガデナーはいつまでたっても現れる気配を見せない。そんな中、押し黙ったハルトリーゲルを警戒しているのかピルツが剣呑な気配を放ち、それに呼応するかのようにハルトリーゲルの体に緊張が走る。いつしか食堂には突き刺すような緊張感が充満していた。

 そんな食堂の様子をよそに、当の本人は扉の外でザフトリングと押し合いをしていることはハルトリーゲルのあずかり知らぬことである。

「ちょっと! いい加減観念しなさい。見苦しいわよ!」

「馬鹿っ! 押すな! まだハルトリーゲル姫に何を言うか考えてないのだ。食堂に入れるわけなかろう!」

「入れるに決まっているわよ! 馬鹿なの? ねえ、ガルテンの王は馬鹿なの?」

「うっ……うるさい! それを言えば貴様は宰相ではないか! ならばここで一つ、気の利いた言葉でも考えて王である俺に進言してみせろ!」

「なんで食事の度にいちいち気の利いた言葉を考えないといけないのよ! もう知らないわ。先に行ってるから早く来なさいよ」

「あっ、まっ、待て! 置いていくな!」

「ちょっ……ちょっとくっつかないでよ! 服が伸びるわ!」

 熱中した二人の声は徐々に大きくなり、それは容易に食堂の扉の中にも届く。そんなやりとりが聞こえたのかピルツの額に青筋が浮かぶ。

 ようやく二人が食堂に姿を表した時には、ザフトリングの服は乱れ、ガデナーの息は心なしか荒い。邪推するつもりであれば、いくらでもその理由が思い浮かぶ二人の形なりにハルトリーゲルの瞳が細められる。まるで汚物を見るようなハルトリーゲルの視線をよそに、ガデナーが美しい黒髪をかきあげながら優雅に語る。

「ふむ、ハルトリーゲルよ。今朝はお互い不幸なすれ違いがあったが、昼食はお互い楽しもうではないか。もっとも我らがガルテンの食事が姫の舌にあえばいいのだがな」

 ガデナーはそう言うと席につき、ザフトリングがそれに続く。

「さて、皆の者。どうやら待たせてしまったようだな。政務に手間取ってな。無礼を許せ、ハルトリーゲル」

「ごめんなさいね、ピルツにハルトリーゲルちゃん。どこかのお馬鹿さんがカッコつけるんだって駄々をこねるから遅くなっちゃたわ……って多分聞こえてたから分かっていると思うけど」

「なんだと!?」

 ザフトリングの言葉にガデナーが驚いた表情で立ち上がり慌てて周囲を見渡す。視線が合ったピルツは気まずそうに視線をそらし、侍女たちもガデナーと視線を合わせようとしない。食堂は静寂に包まれれ、その様子にガデナーの額に玉のような汗が浮かぶ。

 そんなガデナーの様子を前に、ハルトリーゲルは内心で混乱していた。

 ガルテンの王――ガデナーと言えば、統一されていなかったガルテンの諸王を束ね、国を一つにまとめあげた恐るべき魔王である。その力は天を裂き、その頭脳はあらゆる未来を読む。まさに魔族の象徴たる男であると聞いていたからである。しかし目の前の男――ガデナーを見るとどこか違和感を感じるのだ。

 呆気に取られるハルトリーゲルの様子に気がついたのか、ガデナーが小さく咳払いをする。

「そういえば姫よ。俺を殺す算段はついたのか?」

 ガデナーは怪しく口元を歪ませながらハルトリーゲルを見つめる。そんなガデナーの様子に先ほどハルトリーゲルの脳裏に浮かんだ疑念は彼方へと追いやられる。

「私が『ステンペル』の呪詛を宿している事を知っているなら話は早いですわ。私が触れたものはそれだけで貴方を切り裂く刃となりますわ。例えばこのように!」

 ハルトリーゲルは言い終わらぬ内に、いつの間にか手に持ったナイフをガデナーに向けて投擲する。投擲されたナイフは光を纏い、真っ直ぐにガデナーに向かう。

「くくっ……そうこなくては」

 一方のガデナーはナイフが投擲されると見るや、瞬時に手に持つナイフを構え、飛来するナイフに合わせる。ハルトリーゲルの行動は常人では見きれぬ程の早さでなされたが、ガデナーもまた常人の域を大きく外れた者である。

「何だと!」

 次の瞬間、ガデナーが驚きの声をあげる。ハルトリーゲルによって投擲されたナイフは、ガデナーの合わせたナイフを音もなく削り取り――そのままガデナーの胸を貫いた。ガデナーの胸に大きな穴が穿たれ、ガデナーは思わず口から血を吐く。

「止めろ! ピルツ!」

 ガデナーは胸を貫かれながら叫ぶ。いつの間にかハルトリーゲルの首には黒い霧が纏わりついており、その霧はピルツから伸びていた。ガデナーの言葉に一瞬ピルツが顔を顰め、ゆっくりと首を横に振る。まるでそれに呼応するかのようにハルトリーゲルの首に纏わりついた霧が霧散する。

「俺が許した。姫には俺を殺していいと」

「若……お戯れが過ぎますぞ」

「構わぬ。全ては余興だ。楽しめればそれでいい」

 ピルツの言葉にガデナーは楽しそうに微笑んでみせる。一方のハルトリーゲルは胸に大きな穴を穿たれても平然としているガデナーを前に顔をしかめる。

「心の臓を貫かれても死なないとは……。ガルテンの民――魔族は我々ミステルの民に比べて強靭な生命力を持つと聞いていますが、首を刎ねても生きていることといい、まさか本当に貴方は不死身というつもりですか」

「くくくっ……さて、どうだかな」

 ガデナーはゆっくりと立ち上がるとハルトリーゲルに向かって歩み出す。その光景にハルトリーゲルの体が怯えるように小さく震えた。しかしガデナーは止まらない。

「怯えることはない。この俺が許したのだ。俺を殺して良いと。あの者たちを、国を守りたいなら本気で殺しに来るがいい」

「くっ……」

 ハルトリーゲルは憎悪にも似た眼差しでガデナーを睨みつける。

「だがこのまま姫がおままごとを続けるというのはいささか退屈だ。だから罰を設けるとしよう」

「……罰?」

 ガデナーの言葉にハルトリーゲルの瞳に恐怖が宿る。そんなハルトリーゲルの様子にガデナーがますます嬉しそうに口元をつりあげながら続ける。

「なに、案ずるな。所詮余興よ。姫を殺すような事はしない。だが罰は罰だ。多少の苦しみは我慢してもらうとしよう」

「下衆……ですわね」

「そういう気の強いところも気に入っている。せいぜい折れてくれるなよ」

 ガデナーが手を鳴らすと、侍女が現れ、ハルトリーゲルに退席を促す。

「何があろうとも……私は負けませんわ。私を生かしたこと、必ず後悔させてみせますわ!」

 去っていくハルトリーゲルの背中を見つめながら、ピルツがため息をつきながら疲れた様子で語りかける。

「若……立場と対面というものもございます。いくら承知していたこととはいえ、私も婦女子の首に手をかけるような真似はしたくありませんので……」

「くくくっ……その方が『それっぽい』だろう? 逆に」

「若がそう仰るなら……。しかし『ステンペル』の力とはなかなか凄まじいものですな。若の体をああも容易く傷つけるとは。さすが神樹ミステルの加護、といった所ですな」

「あれは加護などという生易しいものではない。あれはあらゆる命を飲み込む神樹の乾きそのものだ。だからこそ、ハルトリーゲルにはこの俺がふさわしい。そして俺にこそハルトリーゲルが必要なのだ。すべてが俺を祝福するようにうまく噛み合った。まさに僥倖といえる」

 ピルツの言葉にガデナーはいつの間にか傷が塞がった胸を撫でながら微笑み、そんなガデナーを見つめながらザフトリングが語りかける。

「……もう何も言うつもりはなかったけど、あなた、いつまで好きな子の前では素直になれない男の子を気取るつもり? そもそも初うぶっていえる年じゃないし、あれって成人した男がやるとものすごく鬱陶しいし、正直気持ち悪いわよ? それにハルトリーゲルちゃん、あの時完全に怯えていたわよ? 好きな子を怖がらせてどうするのよ?」

 ザフトリングの言葉にピルツが無言で首を縦に振り同意の意を示す。

「俺が……ハルトリーゲルを怖がらせた……だと?」

 ガデナーが表情を驚愕に染め、絞りだすように呟いた。その体は小刻みに震えており、必死に拳を握りしめている。そんなガデナーの様子を見たザフトリングが引きつった笑顔で語りかける。

「ちょっ……ちょっと? ガデナー? あなた……大丈夫?」

 しかしガデナーは答えない。ザフトリングが慌てて口早に語りかける。

「まっ……まぁ、あれよね。不器用さの中に可愛さがあるみたいな……」

 ガデナーはザフトリングの声が聞こえていないのか微動だにしない。そんなガデナーを見てピルツもさすがに焦った様子で語りかける。

「そっ……そうですぞ、若。若の芯が通った所など凡庸に真似はできますまい。いつかハルトリーゲル様にも若の魅力を理解していただける日が来ることでしょう。ええ、来ますとも!」

 ピルツの言葉にガデナーの震えが止まる。どうやらピルツ達の慰めの言葉が届いたらしい。総判断した二人はお互い顔を合わせ、小さく安堵の溜息をつく。

「はぁ……なんで貴方って毎回カッコつける癖にこんなに打たれ弱いのよ。大丈夫よ、時間があればなんとかなるわ。多分……多分だけど。大丈夫だから? ね? いい子だからまた頑張りましょ?」

 ザフトリングが駄々をこねる子供をあやすようにガデナーの肩を揺する。すると突然ガデナーが大きく立ち上がり朗々と叫んだ。

「見たか!? あのハルトリーゲルの怯えた表情を! 凛々しい瞳に宿った一抹の恐怖。まさに風に散りゆく花の儚さよ! ハルトリーゲルこそが可憐であり、可憐こそハルトリーゲルである。俺は……俺は……」

 感極まったのか興奮気味に息を荒げるガデナーの様子に思わずザフトリングが引きつった笑みを浮かべる。

「あっ……うっ……うん。そうよね」

「くく……ますます惚れたぞ。ハルトリーゲル!」

「でも貴方、今回のことでますます嫌われたわよね。憎しみが天元突破しそうな勢いだけど」

「まぁ、嫌われましたな。間違いなく」

 ザフトリング達の言葉にガデナーの瞳が赤く輝いた。

「ちょっ……ちょっと、ガデナー! ごめん、私が悪かったわ! だから泣かないでよ!」

 ガルテンは概ね平和であった。



 一方のハルトリーゲルは、そんなガデナー達の様子を食堂の外から聞いていた。

「私が『ステンペル』であるなら、どのような小さな音でも風さえ通れば拾えるというのに。迂闊ですわね、魔王……」

 ハルトリーゲルは廊下に立ち尽くし、困惑した表情を浮かべていた。

「随分と想像したのとは違う魔王でしたが、これではっきりしましたわ。あの魔王は……馬鹿なのですね」

 ハルトリーゲルは小さく笑みをこぼすと廊下の奥へと消えていった。
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