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しおりを挟むしおどき【潮時】
ある事をするためのちょうどいい時期
────────────
花や旗で色とりどりに飾られた大通りを、狭い路地から眺める。
動線を囲うように集まった民衆に笑顔で手を振る男たちを目にして、僕は足音を立てないように踵を返した。
視界の端に一際目立つ赤い髪を捉えて、反射的に思い出すのはあの果実のような甘い香り。
いつだって不安定でぐらぐらしていた足元が、一瞬にして崩れた気がした。
これがきっと、潮時ってやつだろう。
"彼"と"僕"、誰がどう見たって住む世界が違う。
頭では分かっているのに震える手が僕の未練たらしい心情を表しているようで拳をきつく握って、蓋をした。
僕には広すぎる家に戻ってすぐ、ソファに放り投げていた鞄から所々皺の寄った書類を取り出す。
お気に入りの羽根ペンで《北》の文字を囲うように印をつけ、備考欄に《即日対応可》と書き込んだ。
書類を綺麗に折り直し封筒に入れ、魔力を纏わせた息を吹きかければ、封蝋に鉤爪が浮かび上がって封書が完成。
うちの管理課は少数精鋭、仕事が異様に早いことで有名だ。
窓の外を見ればまだまだ日が燦々と降り注いでいる。
梟に頼めば、十分程度で管理課に書類が届くし、《北》は慢性的、困窮的な人員不足。
《中央》のこの恵まれた環境で過ごす者の中で、わざわざあんな僻地に配属を希望する変わり者はいない。
今の僕を除いては。
二時間以内に書類は受理されて────もしかしてもうされたかもしれない────、夕方には僕の"希望"は現実へと動き出す。
「・・・荷物、まとめなきゃ。」
まとめると言っても僕の荷物なんて少し大きな鞄一つで事足りる。
だってもともとここは彼の家。
こんなにも立派な家を買った彼は職業柄、遠征も多く家を空けることが多い。
彼が気負いせず、家事を頼める相手が僕しかいなかった。
僕が家にいると恋人を招くこともできないだろうに、と余計な心配は、本当に余計で、彼は毎日帰ってくるのに夜は一度も家に居なかった。
「仕事が忙しくて」と言っていたけど、人気沸騰中の彼はどこへ行っても注目の的。
夜に出ていく先が騎士団の宿舎や詰所ではなく、夜の街だということは周知の事実。
気を遣わせて、彼に嘘までつかせてしまったことに罪悪感を覚えた。
苦い記憶を遡りながら、荷物を詰めた鞄の革紐をきゅっと引っ張り、準備は完了。
部屋を一周見渡せば、僕が来る前の部屋に元通り。
住んで二ヶ月は経ったと思うけど、ここにはテーブルと椅子、ソファくらいしかなく、食器や調度品はほとんどない。
好きなものを買って置いていい、と言われたけど、僕の好きなものなんて本ぐらい。
本や文献は最初から本棚にぎっちり揃えられていて、彼の意外な趣味にびっくりしたっけ。
休日はもっぱらこの家で本を読ませてもらっていた。
家にはこの部屋以外にも寝室が別にある。
だけどあんな立派なベッドを家主を差し置いて僕が使うわけにもいかず、いつもソファで就寝。
・・・もう思い返すのやめよう。
今夜彼がここへ帰ってくるかは知らないけど、掃除もしたし、スープも作ってある。(食べてくれるかは、また別の話)
魔法を掛けてあるから、しばらくは日持ちするはずだ。
よいしょ、と持ち上げた鞄は想像以上に軽い。
僕の気持ちと正反対なそれに、自嘲的な笑みが溢れた。
もし万が一、何か足りない物があったとしても新しい勤務地で見繕えばいいだけ。
「・・・行くとしますか、北の観測所へ。」
今日は実験室にでも泊まるとしよう。
今は"まだ"中央に配属中な訳だし、なんなら同僚ウルトは毎日そこで寝泊まりしている。
先ほど見た、騎士団の帰還パレードももう落ち着いた頃。
売れ残ったパンと串焼きでも買って、ウルトとの夕食にしようかな。
一歩、また一歩と玄関に向かう途中に後ろ髪を引かれ、もう一度部屋を見渡した。
僕の体の揺れと共に耳元で金属が擦れる音がして、大事な忘れ物を一つ思い出す。
そっと耳に手を伸ばし、少し冷たいそれを外して手のひらに乗せた。
「・・・ほんと、綺麗だな。」
魔石にしては珍しい白色をベースにした石は、日にかざすと何色にでも見える不思議で優美な色彩。
今まで見たどの宝石よりも美しい。
酒場で知り合った商人から強引に買わされたと言うこの高価そうなピアスを「俺には似合わない」からと、彼は僕に譲ってくれた。
ピアスをテーブルの中央に置く。
ここで向かい合って座ることはなかったけど、名残惜しくなるもんだな。
ピアスの隣に魔法で出した赤い花を一輪、そして今までの家賃分のお金を置いて、今度は振り返らずに部屋を出た。
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