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目が覚めたら王子さま顔がそこにあるという経験は、いったい何回目だろうか。
人が近付いてくる気配で目が覚めて、慌てて飛び起きようとしたけれど、円の腕がガッシリと瞳を抱え込んでいて少しびっくりする。以前ならなんとかなっただろうけれど、最近は円もかなり筋力がついてきた。無駄な体力は使いたくない。仕方がないので抜け出すよりも起こすことを目的にすることにした。
「円。おい、起きろ」
「んー、瞳?」
「うん」
答えれば、更に抱き込まれて頭にキスを落とされる。
「調子に乗るな」
声に怒気をはらませれば、パッと拘束が解けた。
「ごめん、あんまり可愛くて」
「それはどうでもいいけど」
「どうでもいいんだ……?」
「円のとち狂った審美眼には付き合ってられない」
「…………」
「それより、廊下に人の気配がしてきた」
「……ああ、そろそろ夕食かもね」
「え……」
瞳の身体がギクリと強ばるのと、円がベッドからするりと降りたのはほぼ同時だった。
そして数秒後に、コンコンと控えめにノックの音が響く。素早く円が対応に出るから、瞳はベッドの上であっけにとられた。いつものことではあるが、円の世話焼きっぷりが半端ない。
ドアの方から短いやり取りが聞こえてきて、どうやら夕食については給仕を断り、その代わりに片付けについてはタイミングを見計らってフロントへ連絡することになったらしい。本来であれば部屋食ではない食事を運んでもらえただけでもかなりの好待遇である。
大変ありがたいことであるのに、食事を乗せたワゴンを押してくる円の表情は不機嫌そのものだった。
「……どうした?」
さっきまで上機嫌だったのに、と。
ベッドの上で、もそりと身体を起こしながら聞いた。
そんな瞳の様子を見ながら、円は複雑な顔をする。
「え、なに。ほんとにどうした?」
「あのホテルスタッフ……」
「うん?」
「瞳の様子めちゃくちゃ気にしてて」
「うん」
「なんかすごいムカついたんだけど」
「は?」
「もう大丈夫だって言ってるのに瞳の様子を見たいとか……」
「いや待て。オレの体調が悪いって理由で部屋取ったんだから、それ当然だろ?」
「だってしつこい。俺が大丈夫だからって言ってるのにさぁ」
「別に顔を見せるくらい……」
いいだろ、と続けようとした言葉は声にならなかった。
つかつかと足早に歩み寄ってきた円に、文字通り口を塞がれたのだ。彼のかぶりつくようなキスによって。
「…………っ!?」
右手で顎をすくい上げられ、左手で身体を抱かれる。近過ぎて円の顔は見えない。
このくらいの拘束、全力でなくても逃れられる。それなのに振りほどけない。
(なんで……)
こわい。
瞳が動けなくなっているのをいいことに、円はゆるく体重をかけて瞳の身体を押し倒してくる。
その間にも唇は執拗に繰り返し瞳の言葉を奪い続けるけれど、合間にもれる吐息に甘い声が混ざり始めて困惑する。
円の本気が知れてこわいのもある。けれど、これを嫌だと思わない自分自身が一番こわかった。
「ま、て。……まって、まどか!」
カタカタと震えながら、シャツのボタンに手をかけた円に絞り出すような声で言った。
すると意外にも円はすんなりと動きを止めて、ふ、と笑う。
「やっと言った。止めてくれなかったらどうしようかと思った」
「……え」
す、と起き上がって瞳の事も引き起こしてくれながら、円は更に言う。
「なぁ。俺のお願い聞いてくれる?」
「お願い?」
最前のことなど忘れたような顔で、瞳が聞き返す。しばし思案して、出した結論は。
「……内容による」
「うん。今回の『お節介』さ。俺がちゃんと役に立てたら」
「うん」
「瞳が許せると思うところまででいい。触らせて」
「さわ……」
今のこの状態で、それが何を意味するのか。さすがに鈍い瞳でも分かっているつもりだ。思わず赤面してしまった瞳を誰が責められるだろう。
円はといえば真剣そのもので、目に宿るのは、欲情の炎。その目に、瞳はドキリとする。ふっと視線を伏せて、瞳は小さく「いいよ」と呟いた。
承諾をもらえるとは思っていなかったのだろう。円は「えっ」と小さく驚く。
「ほんとに!?」
「ただし! ちゃんと成功したら、だ!」
「わかった!」
「よし、メシ!」
「はぁい」
照れ隠しのように瞳が言うから、円はその件にはその後は触れないような会話をしてくれるのが救いだった。
食事は、さすが老舗ホテルというか豪華で、もちろん美味しかった。これは明日の朝食も楽しみである。
フロントに連絡をして食器を下げてもらうと、瞳は部屋に防音の結界を張った。これから深夜まで寝ずの様子見に加えて、浄化を行うのである。周りに迷惑をかけてはいけない。
「そういえば、円も学校サボることになるけど大丈夫か?」
「今更それ言う?」
「いやぁ、皆勤賞とか狙ってたら悪いだろ」
「そんなのより瞳が優先」
「あー、そ……」
「うん。でも美作には連絡しないとな」
「そうだよな。あと、トレーニングも休ませてもらおう。いろいろめんどくさい」
「おっけ」
これは通話の方が早いな、と独りごちて円はスマホを数回操作してタップすると耳にあてる。
通話の相手は美作だろう。今日の事情や瞳のことも報告しているようだ。ついでに明日の学校への欠席連絡も頼んでしまうあたりはさすがだ。
帰る前にまた連絡すると約束をさせられたようである。それはそうだろう。病欠した生徒がフラフラ出歩いていたらおかしい。駅まで迎えに来るということだった。
「美作さんにも悪いことしたな」
「ゆばでチャラにしてもらおう」
「チャラになるのかよ、それ……」
どう考えても割に合わないだろ、と瞳が言えば、円は大丈夫の一点張りだった。
そうして迎えた、深夜。午前1時過ぎ。いわゆる丑三つ時だ。
「そろそろ……寝たか?」
言った瞳は、禊代わりにシャワーだけ浴びて、服は昼間と同じものである。さすがに浴衣で『お節介』をするわけにはいかないだろう。
瞳はくつろいでいたソファから立ち上がり、床に片膝をついて手のひらで床に触れる。昼間の少女の気配を探る。どの部屋に居るかも分からない気配を探るのには少々骨が折れるらしい。円はそんな瞳をじっと見つめている。何か異変があればすぐに動けるように。
「……いた」
どうやらさすがに眠っているらしい。
瞳が少女の『邪念』だけを引き出すから、そこだけを切り落とせ、というのが瞳の円に対する指示である。
一条さやかの時とは違い、霊障を引き起こす程の『怨念』にはなっていない。まだ心を壊すことはない、というのが瞳の説明だった。
式神である椿たちは、実体の無いものを斬ることができる。ただし、霊力を込めすぎると人体をも傷付けることが出来るから加減を気を付けろ、とは言われた円である。
「円、準備」
「……椿」
円が呼べば、椿が刀の姿で顕現する。ぱしりと手に取ると、円は椿を構える。
「いくぞ」
「了解」
円が答えるから、瞳は更に集中する。
人ひとりの意識の中から邪念だけを抜き取るなんてそう簡単なことではない。
視えない者には何をしているか分からないだろうけれど、円は『視える』。だからこそ、瞳がどれだけ集中してどれだけの霊力を流し込んでいるのかが分かる。空気がビリビリと震える。
「捕らえた。引っ張りあげるぞ」
「いつでも」
ぞわり、と背筋に嫌なものが走るのが分かる。『嫌なもの』に触れたからだ。だから瞳はそれをつかんで引っ張り出す。それだけに集中する。
幸いと言うべきか、『邪念』はそれほど大きくはなかった。
ズルリ、と床から現れる黒いソレを、円は注意深く視る。「境い目がある」と瞳が言った、そこを見極めろ。
バスケットボールほどの大きさ、歪な形をしたソレが細くなり、繋がる、黒い邪気を纏わない部分。
「ここか!」
「斬れ!」
瞳に言われるまま、見付けた境い目をひと薙ぎにする。
切り落とされた『邪念』は歪み、形を変えながら部屋中を飛び回り、やがて力尽きたかと思うと、人のような形となる。まるで意志を持ったかのように瞳に襲いかかるのを、円がバサリと文字通り一刀両断にする。
ふたつに割れて、今度こそサラサラと消えていく黒いソレ。完全に消えたことを確認して、二人で同時にはぁー、と吐息した。
「さすがに最後のは変な汗かいた!」
「悪い、助かった。風呂、先にいいぞ」
「え……」
「オレはさっきシャワー浴びたから、後でいいよ」
「あ、うん」
正直なところ、この段階で約束を反故にされても別に構わないと思っていた円だったが。
シャワーで気持ちを切り替えて、アメニティーの浴衣を着て部屋に戻れば、瞳が入れ替わりに浴室へと入っていく。すれ違いざまに、「『お願い』覚えてるなら起きて待っとけ」などと言うものだから、もはや大パニックである。
そして瞳の方も、それなりの覚悟は決めたつもりだった。どこまで許せるとか、そんなこと分からないけれど。円に触れられるのは嫌じゃない。
とりあえずいつものようにシャワーを浴びて、浴衣を着てからタオルドライのままの髪でドライヤーを持って円の所へ行くことにする。
「円……?」
「うっわ瞳の浴衣姿ちょう貴重めちゃ可愛い写真撮っていい?」
瞳が姿を見せれば円が一息でそこまで言ってスマホまで構えるから「やめろバカ」と一蹴してやる。それでもカシャカシャとシャッター音が聞こえたのは気のせいじゃなかったはずだ。まあいいけど。
「それより、ドライヤーやって」
浴室から持ってきたドライヤーを円に渡し、瞳は円が使うベッドに背を預けるようにして床にペたりと座り込む。
「もー、ほんとにそういう所さぁ」
「ん?」
「なんでもない!」
円は何かを諦めるように吐息して、受け取ったドライヤーで瞳の髪を乾かし始める。
「瞳さぁ。前も言ったと思うけど、髪も綺麗なんだからちゃんと手入れしなよ」
「やだよ、めんどくさい。たまに円にやってもらうのが気持ちいいんだよ」
「俺はいつでも大歓迎だけど、あんまり心臓に悪いのは勘弁して」
「は?」
「無自覚こわい!」
「…………」
円の中では、瞳は『無自覚天然人たらし』認定済みである。
対する瞳は、本当に訳が分からない、といった表情で困ったようにするから手に負えない。
丁寧にブラシで仕上げをして、ドライヤーのスイッチを切る。
「はい、おしまい」
「サンキュ」
円が瞳の頭をぽんぽんと撫でてくるから、瞳は仰向いて笑う。そんな瞳の両頬を包み込むようにしながら、円は優しいキスを唇に落としてくる。
「ね、瞳……」
「うん」
いいよ、と言うが早いかグイとベッドに引き上げられる。ベッドの上で向かい合うように座り、円は瞳の方へ腕を伸ばす。首筋に、そっと触れるから、くすぐったくてピクリと震えた。
触れてきた手は、するり、と浴衣の内側へと入ってくる。肩。銃創を、そっと撫でる。
「ん……っ」
思わずもれた声に、自分が赤面する。両手で口を塞いだ。
「ちょっと、もー……」
「ごめん……」
「煽るようなことしないで」
「え?」
「こっちは結構ガマンしてるんですけど」
そう言いながら瞳の口元から両手を外させた円は、雄の目をしていた。
そのままどさりとベッドに押し倒される。しゅるりと帯が外されて、浴衣はただ羽織るだけのものと成り果てた。
額に、まぶたに、頬に。ちゅ、ちゅと触れるだけのキスを贈られるのはくすぐったくて。緊張していた身体から余計な力が抜ける。
「ふ……ぅ」
深く口付けられて、吐息とともに声がもれた。
背中をつぅっと撫で上げられて、ビクリと震える。
「うぁっ!」
「背中、弱い?」
鎖骨にちゅうっとキツく吸いつかれて、ふるり、と頭を振る。
「わかんない、けど」
「けど?」
「ぞわぞわする……」
「ふぅん?」
呟くように言った円は、瞳の身体をくるりと反転させる。無防備な背中が円の眼前にあると思うと、征服欲が頭をもたげる。
まずは、首にちゅ、とキスを落とされる。
「ひ……っ」
円の顔が見えないから、瞳は不安になり、ぎゅ、とシーツを握りしめる。
浴衣を脱がされながら、背中にキスを落とされる。
肩、肩甲骨、背骨をつぅと辿って脇腹へ。
いちいちビクビクと反応してしまう自分の身体が恨めしい、と瞳は思う。こんなの知らない。こんな自分も、雄の顔をした円も。知らない。こわい。
腰骨の辺りにぢゅとキツく吸いつかれて、さすがに羞恥心の限界だった。
「ぁ、……まって、ダメ! も、ダメ!」
涙目になりながら肩越しに振り返りつつ言うのは卑怯だ、と円は思う。
ガリッと歯を立てれば、瞳はビクリと逃げをうつ。
「やあぁっ!」
こわい。自分の身体がどうにかなってしまいそうでこわくて。円にストップをかけた瞳は小さく震えていた。ふわり、と背後から優しく抱きしめられて。
「ごめん。無理させた」
「さわるだけ、っていった……」
「うん。ここで、触っただけ」
円が、ちょん、と瞳の唇に人差し指をあてる。
「ずるい……」
「うん。ごめんね」
謝罪の言葉を乗せる声が、それでも完全には落ち込んではいなくて。むしろ嬉しそうな色を宿すから、瞳は真っ赤になるのを止められない。
心臓の音がうるさいと思ったけれど、自分のものと同時に円の心臓の音も聞こえてきて、やっぱり円もドキドキしているから、まあいいか、などと思ってしまう。
「ほら。もう寝よう? 今日は疲れたでしょ」
「ん……」
甘やかな円の声に、少しホッとした瞳はうとうとと眠りの世界に誘われる。
「円も、ちゃんと寝ろよ……」
「うん。大丈夫」
円のその言葉を聞いてから、瞳はすぅっと意識を手放した。
その円はといえば、もはや至福としか表現出来ない感情の中にいた。誰よりも何よりも愛しい瞳が腕の中で眠りに落ちている。顔が見えないことは幸いだった。寝込みを襲うようなことはしたくない。
今日だって、デートができればそれで満足だったはずなのに。欲が出た。
触れたい。そう思った。
もっと早くにストップがかけられると思っていたから、若干の戸惑いもありつつ、瞳の肌を堪能できたことに喜びを感じる。
寝ろ、と言われたけれど、まだもう少し眠れそうになかった。
人が近付いてくる気配で目が覚めて、慌てて飛び起きようとしたけれど、円の腕がガッシリと瞳を抱え込んでいて少しびっくりする。以前ならなんとかなっただろうけれど、最近は円もかなり筋力がついてきた。無駄な体力は使いたくない。仕方がないので抜け出すよりも起こすことを目的にすることにした。
「円。おい、起きろ」
「んー、瞳?」
「うん」
答えれば、更に抱き込まれて頭にキスを落とされる。
「調子に乗るな」
声に怒気をはらませれば、パッと拘束が解けた。
「ごめん、あんまり可愛くて」
「それはどうでもいいけど」
「どうでもいいんだ……?」
「円のとち狂った審美眼には付き合ってられない」
「…………」
「それより、廊下に人の気配がしてきた」
「……ああ、そろそろ夕食かもね」
「え……」
瞳の身体がギクリと強ばるのと、円がベッドからするりと降りたのはほぼ同時だった。
そして数秒後に、コンコンと控えめにノックの音が響く。素早く円が対応に出るから、瞳はベッドの上であっけにとられた。いつものことではあるが、円の世話焼きっぷりが半端ない。
ドアの方から短いやり取りが聞こえてきて、どうやら夕食については給仕を断り、その代わりに片付けについてはタイミングを見計らってフロントへ連絡することになったらしい。本来であれば部屋食ではない食事を運んでもらえただけでもかなりの好待遇である。
大変ありがたいことであるのに、食事を乗せたワゴンを押してくる円の表情は不機嫌そのものだった。
「……どうした?」
さっきまで上機嫌だったのに、と。
ベッドの上で、もそりと身体を起こしながら聞いた。
そんな瞳の様子を見ながら、円は複雑な顔をする。
「え、なに。ほんとにどうした?」
「あのホテルスタッフ……」
「うん?」
「瞳の様子めちゃくちゃ気にしてて」
「うん」
「なんかすごいムカついたんだけど」
「は?」
「もう大丈夫だって言ってるのに瞳の様子を見たいとか……」
「いや待て。オレの体調が悪いって理由で部屋取ったんだから、それ当然だろ?」
「だってしつこい。俺が大丈夫だからって言ってるのにさぁ」
「別に顔を見せるくらい……」
いいだろ、と続けようとした言葉は声にならなかった。
つかつかと足早に歩み寄ってきた円に、文字通り口を塞がれたのだ。彼のかぶりつくようなキスによって。
「…………っ!?」
右手で顎をすくい上げられ、左手で身体を抱かれる。近過ぎて円の顔は見えない。
このくらいの拘束、全力でなくても逃れられる。それなのに振りほどけない。
(なんで……)
こわい。
瞳が動けなくなっているのをいいことに、円はゆるく体重をかけて瞳の身体を押し倒してくる。
その間にも唇は執拗に繰り返し瞳の言葉を奪い続けるけれど、合間にもれる吐息に甘い声が混ざり始めて困惑する。
円の本気が知れてこわいのもある。けれど、これを嫌だと思わない自分自身が一番こわかった。
「ま、て。……まって、まどか!」
カタカタと震えながら、シャツのボタンに手をかけた円に絞り出すような声で言った。
すると意外にも円はすんなりと動きを止めて、ふ、と笑う。
「やっと言った。止めてくれなかったらどうしようかと思った」
「……え」
す、と起き上がって瞳の事も引き起こしてくれながら、円は更に言う。
「なぁ。俺のお願い聞いてくれる?」
「お願い?」
最前のことなど忘れたような顔で、瞳が聞き返す。しばし思案して、出した結論は。
「……内容による」
「うん。今回の『お節介』さ。俺がちゃんと役に立てたら」
「うん」
「瞳が許せると思うところまででいい。触らせて」
「さわ……」
今のこの状態で、それが何を意味するのか。さすがに鈍い瞳でも分かっているつもりだ。思わず赤面してしまった瞳を誰が責められるだろう。
円はといえば真剣そのもので、目に宿るのは、欲情の炎。その目に、瞳はドキリとする。ふっと視線を伏せて、瞳は小さく「いいよ」と呟いた。
承諾をもらえるとは思っていなかったのだろう。円は「えっ」と小さく驚く。
「ほんとに!?」
「ただし! ちゃんと成功したら、だ!」
「わかった!」
「よし、メシ!」
「はぁい」
照れ隠しのように瞳が言うから、円はその件にはその後は触れないような会話をしてくれるのが救いだった。
食事は、さすが老舗ホテルというか豪華で、もちろん美味しかった。これは明日の朝食も楽しみである。
フロントに連絡をして食器を下げてもらうと、瞳は部屋に防音の結界を張った。これから深夜まで寝ずの様子見に加えて、浄化を行うのである。周りに迷惑をかけてはいけない。
「そういえば、円も学校サボることになるけど大丈夫か?」
「今更それ言う?」
「いやぁ、皆勤賞とか狙ってたら悪いだろ」
「そんなのより瞳が優先」
「あー、そ……」
「うん。でも美作には連絡しないとな」
「そうだよな。あと、トレーニングも休ませてもらおう。いろいろめんどくさい」
「おっけ」
これは通話の方が早いな、と独りごちて円はスマホを数回操作してタップすると耳にあてる。
通話の相手は美作だろう。今日の事情や瞳のことも報告しているようだ。ついでに明日の学校への欠席連絡も頼んでしまうあたりはさすがだ。
帰る前にまた連絡すると約束をさせられたようである。それはそうだろう。病欠した生徒がフラフラ出歩いていたらおかしい。駅まで迎えに来るということだった。
「美作さんにも悪いことしたな」
「ゆばでチャラにしてもらおう」
「チャラになるのかよ、それ……」
どう考えても割に合わないだろ、と瞳が言えば、円は大丈夫の一点張りだった。
そうして迎えた、深夜。午前1時過ぎ。いわゆる丑三つ時だ。
「そろそろ……寝たか?」
言った瞳は、禊代わりにシャワーだけ浴びて、服は昼間と同じものである。さすがに浴衣で『お節介』をするわけにはいかないだろう。
瞳はくつろいでいたソファから立ち上がり、床に片膝をついて手のひらで床に触れる。昼間の少女の気配を探る。どの部屋に居るかも分からない気配を探るのには少々骨が折れるらしい。円はそんな瞳をじっと見つめている。何か異変があればすぐに動けるように。
「……いた」
どうやらさすがに眠っているらしい。
瞳が少女の『邪念』だけを引き出すから、そこだけを切り落とせ、というのが瞳の円に対する指示である。
一条さやかの時とは違い、霊障を引き起こす程の『怨念』にはなっていない。まだ心を壊すことはない、というのが瞳の説明だった。
式神である椿たちは、実体の無いものを斬ることができる。ただし、霊力を込めすぎると人体をも傷付けることが出来るから加減を気を付けろ、とは言われた円である。
「円、準備」
「……椿」
円が呼べば、椿が刀の姿で顕現する。ぱしりと手に取ると、円は椿を構える。
「いくぞ」
「了解」
円が答えるから、瞳は更に集中する。
人ひとりの意識の中から邪念だけを抜き取るなんてそう簡単なことではない。
視えない者には何をしているか分からないだろうけれど、円は『視える』。だからこそ、瞳がどれだけ集中してどれだけの霊力を流し込んでいるのかが分かる。空気がビリビリと震える。
「捕らえた。引っ張りあげるぞ」
「いつでも」
ぞわり、と背筋に嫌なものが走るのが分かる。『嫌なもの』に触れたからだ。だから瞳はそれをつかんで引っ張り出す。それだけに集中する。
幸いと言うべきか、『邪念』はそれほど大きくはなかった。
ズルリ、と床から現れる黒いソレを、円は注意深く視る。「境い目がある」と瞳が言った、そこを見極めろ。
バスケットボールほどの大きさ、歪な形をしたソレが細くなり、繋がる、黒い邪気を纏わない部分。
「ここか!」
「斬れ!」
瞳に言われるまま、見付けた境い目をひと薙ぎにする。
切り落とされた『邪念』は歪み、形を変えながら部屋中を飛び回り、やがて力尽きたかと思うと、人のような形となる。まるで意志を持ったかのように瞳に襲いかかるのを、円がバサリと文字通り一刀両断にする。
ふたつに割れて、今度こそサラサラと消えていく黒いソレ。完全に消えたことを確認して、二人で同時にはぁー、と吐息した。
「さすがに最後のは変な汗かいた!」
「悪い、助かった。風呂、先にいいぞ」
「え……」
「オレはさっきシャワー浴びたから、後でいいよ」
「あ、うん」
正直なところ、この段階で約束を反故にされても別に構わないと思っていた円だったが。
シャワーで気持ちを切り替えて、アメニティーの浴衣を着て部屋に戻れば、瞳が入れ替わりに浴室へと入っていく。すれ違いざまに、「『お願い』覚えてるなら起きて待っとけ」などと言うものだから、もはや大パニックである。
そして瞳の方も、それなりの覚悟は決めたつもりだった。どこまで許せるとか、そんなこと分からないけれど。円に触れられるのは嫌じゃない。
とりあえずいつものようにシャワーを浴びて、浴衣を着てからタオルドライのままの髪でドライヤーを持って円の所へ行くことにする。
「円……?」
「うっわ瞳の浴衣姿ちょう貴重めちゃ可愛い写真撮っていい?」
瞳が姿を見せれば円が一息でそこまで言ってスマホまで構えるから「やめろバカ」と一蹴してやる。それでもカシャカシャとシャッター音が聞こえたのは気のせいじゃなかったはずだ。まあいいけど。
「それより、ドライヤーやって」
浴室から持ってきたドライヤーを円に渡し、瞳は円が使うベッドに背を預けるようにして床にペたりと座り込む。
「もー、ほんとにそういう所さぁ」
「ん?」
「なんでもない!」
円は何かを諦めるように吐息して、受け取ったドライヤーで瞳の髪を乾かし始める。
「瞳さぁ。前も言ったと思うけど、髪も綺麗なんだからちゃんと手入れしなよ」
「やだよ、めんどくさい。たまに円にやってもらうのが気持ちいいんだよ」
「俺はいつでも大歓迎だけど、あんまり心臓に悪いのは勘弁して」
「は?」
「無自覚こわい!」
「…………」
円の中では、瞳は『無自覚天然人たらし』認定済みである。
対する瞳は、本当に訳が分からない、といった表情で困ったようにするから手に負えない。
丁寧にブラシで仕上げをして、ドライヤーのスイッチを切る。
「はい、おしまい」
「サンキュ」
円が瞳の頭をぽんぽんと撫でてくるから、瞳は仰向いて笑う。そんな瞳の両頬を包み込むようにしながら、円は優しいキスを唇に落としてくる。
「ね、瞳……」
「うん」
いいよ、と言うが早いかグイとベッドに引き上げられる。ベッドの上で向かい合うように座り、円は瞳の方へ腕を伸ばす。首筋に、そっと触れるから、くすぐったくてピクリと震えた。
触れてきた手は、するり、と浴衣の内側へと入ってくる。肩。銃創を、そっと撫でる。
「ん……っ」
思わずもれた声に、自分が赤面する。両手で口を塞いだ。
「ちょっと、もー……」
「ごめん……」
「煽るようなことしないで」
「え?」
「こっちは結構ガマンしてるんですけど」
そう言いながら瞳の口元から両手を外させた円は、雄の目をしていた。
そのままどさりとベッドに押し倒される。しゅるりと帯が外されて、浴衣はただ羽織るだけのものと成り果てた。
額に、まぶたに、頬に。ちゅ、ちゅと触れるだけのキスを贈られるのはくすぐったくて。緊張していた身体から余計な力が抜ける。
「ふ……ぅ」
深く口付けられて、吐息とともに声がもれた。
背中をつぅっと撫で上げられて、ビクリと震える。
「うぁっ!」
「背中、弱い?」
鎖骨にちゅうっとキツく吸いつかれて、ふるり、と頭を振る。
「わかんない、けど」
「けど?」
「ぞわぞわする……」
「ふぅん?」
呟くように言った円は、瞳の身体をくるりと反転させる。無防備な背中が円の眼前にあると思うと、征服欲が頭をもたげる。
まずは、首にちゅ、とキスを落とされる。
「ひ……っ」
円の顔が見えないから、瞳は不安になり、ぎゅ、とシーツを握りしめる。
浴衣を脱がされながら、背中にキスを落とされる。
肩、肩甲骨、背骨をつぅと辿って脇腹へ。
いちいちビクビクと反応してしまう自分の身体が恨めしい、と瞳は思う。こんなの知らない。こんな自分も、雄の顔をした円も。知らない。こわい。
腰骨の辺りにぢゅとキツく吸いつかれて、さすがに羞恥心の限界だった。
「ぁ、……まって、ダメ! も、ダメ!」
涙目になりながら肩越しに振り返りつつ言うのは卑怯だ、と円は思う。
ガリッと歯を立てれば、瞳はビクリと逃げをうつ。
「やあぁっ!」
こわい。自分の身体がどうにかなってしまいそうでこわくて。円にストップをかけた瞳は小さく震えていた。ふわり、と背後から優しく抱きしめられて。
「ごめん。無理させた」
「さわるだけ、っていった……」
「うん。ここで、触っただけ」
円が、ちょん、と瞳の唇に人差し指をあてる。
「ずるい……」
「うん。ごめんね」
謝罪の言葉を乗せる声が、それでも完全には落ち込んではいなくて。むしろ嬉しそうな色を宿すから、瞳は真っ赤になるのを止められない。
心臓の音がうるさいと思ったけれど、自分のものと同時に円の心臓の音も聞こえてきて、やっぱり円もドキドキしているから、まあいいか、などと思ってしまう。
「ほら。もう寝よう? 今日は疲れたでしょ」
「ん……」
甘やかな円の声に、少しホッとした瞳はうとうとと眠りの世界に誘われる。
「円も、ちゃんと寝ろよ……」
「うん。大丈夫」
円のその言葉を聞いてから、瞳はすぅっと意識を手放した。
その円はといえば、もはや至福としか表現出来ない感情の中にいた。誰よりも何よりも愛しい瞳が腕の中で眠りに落ちている。顔が見えないことは幸いだった。寝込みを襲うようなことはしたくない。
今日だって、デートができればそれで満足だったはずなのに。欲が出た。
触れたい。そう思った。
もっと早くにストップがかけられると思っていたから、若干の戸惑いもありつつ、瞳の肌を堪能できたことに喜びを感じる。
寝ろ、と言われたけれど、まだもう少し眠れそうになかった。
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だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
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閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
俺、転生したら社畜メンタルのまま超絶イケメンになってた件~転生したのに、恋愛難易度はなぜかハードモード
中岡 始
BL
ブラック企業の激務で過労死した40歳の社畜・藤堂悠真。
目を覚ますと、高校2年生の自分に転生していた。
しかも、鏡に映ったのは芸能人レベルの超絶イケメン。
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続編『元社畜の俺、大学生になってまたモテすぎてるけど、今度は恋人がいるので無理です』
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だが、大学という“自由すぎる”世界は、ふたりの関係を少しずつ揺らがせていく。
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【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
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