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136.

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 目を開けてもぼんやりとして意識が上手く浮上してこないのは、いったいどれくらいぶりだろう。


「瞳?」


 目の前の王子さま顔が名前を呼ぶけれど、上手く反応ができない。


「あ……」


 ぼんやりと返した声は掠れていて、ほんのりと色香をまとっていた。
 昨日は、朝に引き続き夜にも円に抱かれて気を失ったのだ。


「……円?」
「うん。瞳、大丈夫?」


 問われて、身体の状態を確かめる。
 声は掠れているけれどそのうち治るとして、まあ良し。頭がぼんやりとするのもだいぶしっかりしてきたし、腰の違和感はいつものことなので、良しとする。


「ん。たぶん、大丈夫」
「良かった……」


 ホッとしたような表情の円と、行為の最中の円の顔にギャップを覚えて瞳はくすくすと笑った。


「え、なに?」
「なんでもない」


 こんなことは瞳だけが知っていればいい、と。円にさえ言うのが惜しくて黙っていることにした。
 円も瞳に対して全く同じ思いなのだということには、全然気付いていないけれど。
 この日の午前中、瞳は主に腰から下に力が入らず、結局は円に細々と世話を焼かれることになった。昼を過ぎたあたりからだいぶ歩けるようにはなったけれど、いつも通り、という訳にはいかなかった。

 それから翌日の月曜日。
 二人はゆったりと歩きながらスーパーに買い出しに出かけた。
 その道すがらだった。


「円、ストップ」
「え?」


 円に声をかけた瞳は、立ち止まり、周囲に警戒した視線を回して不審人物が居ないことを確かめた。


「不審物。不自然なダンボールが置いてある」
「マジ?」


 対象物までは15mといったところか。今度はそのダンボールに目を凝らし、耳をすませる。爆発物でなければいい。警察に届けるか、そう思った時、異常に気付いた。


「生き物……? 小動物……、いや、猫か!」


 呟き、瞳は今度はダンボールへと走り寄る。小さな、使い古しのダンボール。閉められたフタを開ければ、そこには生まれて1ヶ月くらいの仔猫が二匹折り重なるようにしてうずくまっていた。黒猫と三毛猫。寒さのせいか、弱りきっているように見える。申し訳程度に敷かれたペットシーツと、缶詰めのエサ。


「円! この辺りに動物病院はあるか!?」
「待って、調べる!」


 瞳が自分で調べるより速い。そう判断して円に任せると、事務所の近くにあるらしい。


「今日は診察は……」
「してない……みたいだけど、電話してみる!」


 円が言うから、瞳は仔猫を見た。そっと触れれば、あたたかく、生きていることだけは分かるけれどほとんど鳴きもしない。相当弱っているのだろう。
 こんなの動物虐待ではないか、と瞳は舌打ちをしたくなる。
 そうしているうちに、円の電話が繋がったようだった。状況を説明する円に、先方が来るように言ってくれたらしい。通話を切って、円が瞳を見る。


「休診日だけど、診てくれるって。個人のとこみたい」
「場所は? 分かるか?」
「うん。こっち」


 下手に抱き上げてしまって病気を感染させてしまっては大変なので、瞳はダンボールごと抱え上げた。


「瞳、俺が持つ」
「大丈夫だから、道案内のほう頼む」
「……わかった」


 円が地図を確認しながら事務所近くの動物病院まで行けば、出入り口には院長らしき男性が立って待っていてくれた。
 瞳たちの姿を認めると、手を上げて合図をくれる。
 仔猫たちがいるため走る訳にもいかず、瞳と円はゆっくりと男性のもとに歩み寄る。


「突然すみません」
「いや、ウチは動物病院が自宅を兼ねてるから、急患も受けてるんだ」
「だいぶ……元気がないんです」
「分かってる。診るから、中へどうぞ」


 促され、病院の中に入った。あまり大きくやっている訳ではなさそうだが、清潔感のある病院だった。


「こっちの診察室に入って」


 ふたつ並んだ診察室の片方に入るよう指示される。


「診察台に置いて。君たち、ペットは飼ってる?」
「いいえ」
「そうか、それなら良かった。こういった捨て猫の場合、寄生虫につかれてることも多いからね。危ないんだ」


 そう言いながら、男性はまず体温を計り便を検査する。寄生虫が居ないことを確認すると、触診をして怪我がないか、体調はどうかなどを様子見している。


「まだ捨てられてそう時間は経ってなさそうだ。寒さに凍えてるだけで、風邪の心配もないよ。それにしても、両方オスとは驚いたな」
「え?」
「黒猫も三毛猫も、オスは珍しいんだ。黒猫の方はまだハッキリしないけど、たぶんオッドアイだな、これは」
「そうなんですか?」
「三毛猫のオスは、3万匹に1匹と言われてるよ」
「そんなに?」
「で、どうする? この子たち、飼うのか、里親を探すか」
「あ……」


 とにかく仔猫たちを助けたくて、そればかり考えていたせいか、飼うかどうするかは決めていなかった。
 少し考えて、瞳は円を見る。


「どうする?」
「え、俺?」
「この前、飼いたいって言ってたろ? これも運命なんじゃないか?」
「でもさ、いいの?」
「なにが」
「猫は爪とぎとかそういうので家をキズつけるだろ?」
「別に構わないだろ。お前がどうしたいんだ?」
「……飼いたい。ううん、一緒に生活したい」
「じゃあ、決まりだな」


 瞳は円に頷き、診てくれた男性の方へと視線を戻す。


「うちで引き取ります。ただ、準備などもあるので、少しの間だけ預かってもらえませんか?」
「入院ではないから、別途ホテル代がかかるけど?」
「構いません」
「わかった、預かろう」
「お願いします」


 瞳と円はぺこりと頭をさげた。


「ところで、その様子だと名前はまだだな?」
「……そうですね」
「じゃあ、引き取りに来る時までに決めておいて。その時に診察券を作ろう」
「はい」


 それから、最低限準備しなければならないものを聞いて書き出し、診察代だけ支払って動物病院を後にする。


「とりあえず、病気とかないみたいで安心した!」
「そうだな。それにしても、アレは動物虐待だろ。酷いな、捨てるなんて」
「そうだよね。でも、俺たちと運命の出会いができたと思えばいいんじゃない?」
「お前、めちゃくちゃ可愛がりそうだよな……」
「ん? うん。瞳以上に可愛い子なんていないけどね」
「……ばか」


 とりあえず、明日は美作に頼んで車を出してもらおうと、二人で話してスーパーに向かった。
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