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002.
しおりを挟む「う……ん」
土曜日の朝。瞳はすぐそばにあるはずのぬくもりがないことに気が付いてまぶたを開けた。
「あれ?」
円が、居ない。
瞳はもそりと起き上がり、裸の身体にシャツを羽織って寝室を出る。
キッチンの方から気配と物音がするので、なんだろうとこっそりと覗いて見たが、すぐに円に見つかってしまうのはいつものことだ。なぜバレるのだろうか。
「あ。もう起きたの? おはよう、瞳」
「ん、おはよう円。何やってるんだ?」
「うん、ちょっとね。朝食の準備するから、先にシャワー浴びておいで」
「……そうする。そうだ、円の部屋入ってもいいか?」
「うん? 珍しいね。いいよ」
「ありがとう」
ふわりと笑うと、瞳はキッチンを離れて円の部屋へと移動する。ふむ、と考えてちょっと失礼してゴソゴソと物色し、目当ての物を見つけるとそれを手にしたまま自分の部屋に入った。それから、簡単にシャワーの準備をして浴室に向かう。
いつも通りの入浴を済ませ、髪にドライヤーをかけてからダイニングに向かえば、ちょうどのタイミングで朝食が出来上がる。
毎日とは言わないが、円はこれで通常運転である。それが8年も続いているのだ、ドッキリでも何でも仕掛けて温泉旅行くらいプレゼントしたくもなる。まあ、瞳が一緒ではいろいろな意味で『ただの旅行』という訳にもいかないが、そこは目を瞑ってほしい。
ふたり揃ったところで朝食を食べ始めて、先に切り出したのは円だった。
「ねぇ、瞳。今日って移動日だよね?」
「あー、うん。まあ、そうなるな」
「他に何か予定入れてる?」
「予定はないけど、どうした?」
「うん。じゃあさ、少し早く出て、デートしよ」
にこりと相変わらずの王子さま顔で笑う円に、瞳は少しだけ驚いて見せ、それから嬉しそうに微笑んだ。
「実はオレもそのつもりだった」
着替えなどの荷物は昨日のうちに旅館に送ってしまったので、今日は身軽なものだ。そしてせっかくの土曜日である。ふたりの時間を満喫しなければ、もったいない。
同じことを考えていたのがなんだか嬉しくて、くすくすと笑いあった。
それからゆっくりと食後のコーヒーまで終わらせると、円は早々に片付けに入りつつ、瞳が猫部屋に入るのも許さずに部屋へと追い返した。
ダイニングから追いやられた瞳の方は少し思案するが、歯磨きだけ済ませて部屋に戻るとおとなしく着替えを始めた。けれどいざ支度が整うと、本当にこれで大丈夫かと悩んでしまう瞳は、未だに自分の容姿にあまり興味がない。これまでさんざん痛い目を見ているというのに変わらないのは、これはもはや性格というしかなかった。
瞳に自覚はなかったが思いのほか時間がかかっていたらしく、既に支度を済ませた円が心配してドアをノックしてくる。
「瞳? 大丈夫?」
「あ、悪い! いま行く!」
慌てて返事をするとバタバタとバッグに必要な物を詰め込んで部屋を出た。
ガチャリとドアを開けると、待っていてくれたらしい円の驚いた顔に鉢合わせる。
「……え」
「え?」
「瞳、それ……」
「うん?」
スッキリとシンプルなシャツとパンツにさらりとした素材感のジャケットを羽織った円はイケメン王子健在という出で立ちだった。その円が食い入るように見ている瞳はと言えば、こちらもシンプルなシャツにサマーカーディガンを羽織り、細身のパンツにトートバッグ。しっかり筋肉が付いているとは言え、どちらかと言えば細いすらりとした瞳に、それは似合っていた。問題なのは、そのシャツとカーディガンだ。オーバーサイズで瞳が着こなすそれに、円は見覚えがあった。
「もしかして、俺の……?」
「うん。いいだろ、『彼シャツ』」
「その通りなんだけど!」
まさに『彼シャツ』である。ふざけてポーズを取って見せる瞳に、円はすかさずスマホを向けてシャッターを切るから、今度は瞳が真顔になる。
「消せ」
「やだ」
こんなサービスしてくれる瞳は貴重だもん、などと言いつつ、円は画像をあちこちに保存しているようだ。それが終わると、今度はぎゅっと瞳を抱きしめてくる。
「円?」
疑問符を付けて名前を呼べば、円ははぁー、とため息をついた。
「ごめん。嫌だったなら着替える」
そう告げて円の腕の中から逃れようとすれば、更に強く抱き込まれて瞳は困惑した。
「嫌じゃないよ。そうじゃなくてさ」
「うん?」
「こんな可愛いことされたら家から出したくなくなるし、誰にも見せたくないと思うでしょ」
「……は?」
「誰にこんな入れ知恵されたの」
どう考えても瞳の発想ではない、と思いながら円が聞くと、思った通りの名前が瞳から聞かされる。
「えっと、律さんに相談して……」
「なんで律なの。俺に聞いてよ」
「ごめん……。円を驚かせたくて……」
「うん。めっちゃびっくりしたけど」
「……なぁ。やっぱり着替えた方がいいか?」
「んーん。そのままがいい。その代わり、貴人に結界張ってもらって」
「え? いいけど……」
欲目でも贔屓目でもなく、今の瞳はいつもの数割増しで可愛いと円は思う。いつもはどちらかと言うと格好いい部類に入る瞳だが、なまじ綺麗な顔をしているものだから、ゆとりのある円の服が瞳の身体の細さを強調して『可愛い』に比重が偏ってしまっている。本人がそれについて無頓着なのが本当に厄介だ。
「はぁー、ホント心臓に悪い……」
「円、そろそろ苦しい」
「もうちょっと」
「ええぇ……」
高校生で成長が止まってしまった瞳と違い、円は大学生になってからも身長が伸びた。出会った頃は同じくらいだったはずなのに、今では瞳は円を少しだけ見上げるような身長差になってしまったのだ。別に不満はないけれど、ほんの少し悔しいと瞳は思ってしまう。なんだか複雑な気分になるのだ。
円に抱きしめられたまま彼の好きなようにさせておけば、満足したらしい円が身体を離して瞳の額にキスを落としてくる。
「おい……」
「ん、ありがと。じゃあ行こうか」
そう言って当然のようにすっと差し出された手を、瞳はぺしりと叩き落とす。
「この手は要らない」
「あはは、残念」
「お前、楽しんでるだろ」
「瞳が一緒で楽しくないはずないでしょ」
「そういう意味じゃない」
むすりとしながら玄関に向かえば、ぽつんとクーラーボックスが置いてあった。
「あれ? 円、荷物?」
「うん、ちょっと思い立ってね。大丈夫、大した荷物じゃないし、車に載せておくから」
「そうか? 円がそう言うなら、まあ。さて、大裳、貴人」
式神の名前を呼べば、ふわりと顕現するのはいつも通り。
「すまない、ネロとピノの世話を頼む。円と外泊になるんだ。戻りは明日だ」
「朝ごはんはあげてあるから」
「かしこまりました」
「あと、貴人は結界の方も頼む」
「はい?」
「瞳が目立ちすぎないようなやつ」
「ああ、なるほど。かしこまりました」
「貴人、同じのを円にもよろしくな」
「2人分ですね、了解しました」
納得して頷き、結界を施す貴人を横目に、円はなにやら不満顔だった。
「俺には必要なくない?」
「指輪しててもナンパされまくってるヤツが何を言ってるんだよ」
これに関してはいつものやり取りなので、式神は聞かぬ振りである。
美作夫妻には「仲が良い」などと言われそうだが、祐也には「イチャつくのも大概にしてください」と一蹴されそうだ。
正直な話、視線を集めるのは瞳の方だが声をかけられる率としては円の方が高い。
つまるところ、どっちもどっちであるのだが、式神たちは一切指摘をせずに見守る体勢だ。
「お待たせしました。よろしいですよ」
「すまないな、貴人。じゃあ、行ってくる」
「いってきまーす」
「いってらっしゃいませ」
大裳と貴人に見送られ、瞳と円がエレベーターで降りるのは地下の駐車場である。免許証取得前は気にもしていなかった瞳であるが、聞けばしっかりと2台分の駐車場が確保されていたようで、ここでもまた両親の予見に舌を巻いた。
「待て、円。お前、そっちの車で行く気か?」
瞳がストップをかけたのは、円が何食わぬ顔で自分の車のキーを取り出したからだ。
「え? ダメなの?」
「いや。ダメとは言わないけど……。でも、コイツもたまには走らせてやらないと、エンジンに良くないんだけど?」
瞳がコツンとボディを叩いて見せるのは、普段は近距離移動にしか使われない瞳の車。スポーツワゴンで積載量も大きい車は、主に瞳の通勤と買い物の時に使われる。対する円の愛車は、王子さま顔を裏切らないスポーツクーペ。こちらも主に通勤用だが、2人の大きな違いは職場までの距離だ。
円の場合は、大学病院までそれなりに遠い上に公共機関では時間がかかり過ぎるため順当にマイカー通勤だけれど、瞳の場合は円に説得されて渋々というパターンだ。当然だ、徒歩でも行ける距離だ。防犯面という部分が理由で、円は瞳が徒歩で事務所へ行くことを良しとしなかったのだ。
一度、九条という不審者が出た例もある。特に瞳は変質者に遭遇しそうだと、円は全力で説得した。その甲斐あってか、瞳はまだ変質者には遭っていないし事件にも巻き込まれたりはしていなかった。
「ん、分かった。じゃあ瞳の車で行くけど、運転は俺がするからね」
「……信用ないな?」
「違うよ。瞳はたまには休んで」
「円こそ少しは休めよ」
「俺は日々癒されてるからいいんです」
「理不尽……」
「なんとでも言って。ほら、キー貸して」
「はいはい……」
はぁ、とため息をつきながら瞳が円にキーを渡して助手席側に回る。その間に円がロックを解除して後部座席にクーラーボックスを積み込んだ。座席シートに身体を落ち着けたのはほぼ同時だった。円がエンジンをスタートさせてカーナビを起動させると瞳に問いかける。
「どこか行きたい場所とか決まってた?」
「いや、別に。円と一緒ならどこでも良かったし」
「…………、うん。じゃあ、ここは? アウトレットモール。観光地だからそれなりに人はいるだろうけど今はまだシーズンじゃないし。それに夏休みとかよりはいいでしょ。疲れたら休む感じで」
「それでいい」
マップを探る指が一瞬止まったから瞳はまた失言をしてしまったことを自覚するが、何が円の琴線に触れるか分からないあたりは相変わらずだ。
瞳が頷くのを見て、円は手早くカーナビを操作して目的地を設定する。
「よし。じゃあ、行くよ」
「頼んだ」
瞳の声を受けるように、車はゆっくりと動き出した。
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