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003.

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 家から出て少しの場所にあるコーヒーショップで飲み物を購入してさらに車を走らせれば、いよいよドライブデートらしくなってくる。
 一般的なデートであればここで音楽やラジオでも流すのだろうが、瞳と円の空間にそれは不要と思われた。なにしろ、お互いがお互いを好き過ぎるなどと言われている2人だ。余計な音など入らない方がいいに決まっているのだろうが、そういったものを『邪魔』と感じてしまう点が周囲に生あたたかい視線で見られる原因だと気付いていないのが2人らしいところだとも言える。
 ステアリングを握る円をぼんやりと眺めて、瞳はため息をつくとコーヒーをひとくち飲んだ。大仰な仕草でなくとも、それを円が見逃すはずがない。

「どうしたの?」
「うん?」
「ため息。何かあった?」
「いや、何も。ムカつくほどイケメンだなと思っただけ」
「あはは。ありがと」
「褒めてないんだけど」

 褒めていないし、そう思ったのはただの事実だ。
 円は王子さま然としていて周りに騒がれるだけあって顔立ちも整っているし、人当たりもいいし何より優しいし紳士的だ。20代半ばにして将来性も有望だし、指輪はしているけれど相手の噂が聞こえてこない。酒は強いけれど付き合い程度にしか飲まず、タバコもギャンブルもしない。こんな男が黒のスポーツカーなど運転していたら、それは夢を見たくもなるだろう。
 そう思ったら、思わずため息が出たのだ。

「ふふ、知ってる。でもさ、瞳がそういう態度とか見せるの俺の前だけっていうのも知ってるから。俺だけ特別みたいな感じで嬉しいんだよね」
「……うるさい」

 ズバリと指摘されて恥ずかしくなり、赤面するのをグッと堪えようとしたけれど失敗したらしい。円がご機嫌だ。
 なんだか少し悔しくて、ごまかすように、ごし、と頬を擦った瞳は窓の外へと視線を向けた。
 完璧に見える円の難点を敢えて上げるとするなら、瞳に関する事に対しては良くも悪くも制御がきかないという所だろうか。
 もっともそれは、瞳や円とごく親しい人物しか知らないし、対象者本人である瞳はよく分かっていなかったりもするのだが。
 そんな瞳をチラリと見て、円はさらりと話題を変える。

「そういえば、瞳は温泉旅行とか行ったことあるの?」
「ない」
「ふは、即答だね」
「円と行ったことがなければ無いに決まってる。お前、昔のオレの話を聞いて知ってるクセにそういうの確認するな」
「ふふ、ごめん。これも俺の特権だからさ、つい」
「特権、ねぇ……」

 知り合ってからというもの、それぞれがそれなりに忙しくて、予定を合わせての旅行など滅多にできない。せいぜいが近場へ日帰りデートか、『仕事』のついでの外出だ。
 円が瞳の事情を何よりも優先するので一緒にいる時間は比較的長く取れているはずだとは思うけれど、如何せん瞳の『仕事』の内容がアレである。『謎の祓い屋』時代とは違ってイレギュラーな案件を受けることはないけれど、ギリギリまでスケジュールの見通しが立たない事実にはあまり変化がない。
 過去にも玄武あたりに散々言われたが、瞳は『甘い』のである。
 祐也とみどりにはきちんとした休暇を取らせるのに、瞳自身は、依頼人の希望がどうしてもということであれば休みを返上してしまう。上司としてあるまじき事だと瞳も理解しているし、円にも律にも透にも式神たちからも、自分の身体を大切にしろ、せめて代休をとれなどと言われているのだが、なんとなく気が引けてしまうのは『謎の祓い屋』時代の名残りなのかもしれない。

「話は飛ぶけど、結局まだ奈良に行けてないよね」
「あー……。その節は……」

 瞳が『仕事』で大怪我をして戻ったために、一旦キャンセルということになった『家族旅行のようなもの』であるところの奈良旅行は、延期になったままだ。
 あの頃は本当にいろいろあった。

「いろいろ……ご迷惑を……」

 ひたすら困ったように視線を泳がせ単語をひねりだそうとする瞳と、笑いを堪えきれないらしい円の雰囲気は、実に対称的だ。

「謝らないでよ。瞳はあの時、悪いことなんか何もしてなかったでしょ」
「それについては、なんとも言えないだろ……」

 第三者にどう見られるかは分からない。
 当事者の1人である瞳や、瞳に寄り添う円には、完全に俯瞰の状態から見ることはできない。
 それに、瞳はあの一件で円を変えてしまった自覚がある。
 あの一件は、今の瞳たちにとっては分岐点だったように思う。
 だからこそ、『もしも』を考えずにはいられない時もあったのだ。

「あの日……オレがあんなことにならなければ、円は『闇医者』になるなんて言わなかったかもしれないだろ……。そしたら、毎日こんなに忙しくなかったかもしれない。もっと身体的にも楽だったかもしれない、って思わないのか?」
「んー、今となってはきっかけかもしれないけどさ。それでもきっと、この現状は変わらないと思うよ。俺は瞳の力になれるなら何だってするつもりだったからね」
「……円」
「いつかは小田切さんに辿り着いたと思うよ。俺の行動力、舐めないでよね」

 なんでもないことのように告げるが、円が本当にとんでもないことをするというのは、瞳はその経験から知っている。

「うん、そうか……」
「そうそう! それより温泉楽しみにしてるんだけど。見せてもらった資料だと、たしか部屋に露天風呂ついてたよね?」
「ああ、うん。全室離れっていうのもすごいよな。お忍びデートで使われたりするらしい」
「ネットには載ってなかったよね?」
一見いちげんさんお断りらしいからな。今回はみどりさんの紹介なんだ」
「さすがお嬢様!」

 そう言う円も、いわゆる『お坊ちゃん』である。巨大企業の社長である父親を持つが、全ての権利を放棄した。
 理由は至極簡単だった。
 『瞳以外、いらない』。
 円は、瞳だけが欲しいと言って、それが許されるならば西園寺は全て真にくれてやると宣言した。
 その事に関してはほぼ解決しているが、問題が残っていないこともないのが頭痛のタネだった。

「そういえば、みどりさんが円に伝えることがあるから夕方にメッセージするって言ってたぞ」
「え? 伝言じゃないんだ?」

 いつもであれば、普通に瞳に伝言を頼んでいるような気がする。
 なんだろう、と円も考えてみるが見当がつかない。

「なんだ、浮気か?」
「そんなはずないでしょ。……って、楽しそうだね、瞳」
「ふは。ありえないって信じてるから言えるな、こういうのは」

 浮気など欠片も疑っておらず楽しそうに微笑む瞳が、円にとっては可愛くて仕方がない。そもそも、みどりにだって祐也がいるのだ。疑う要素がひとつもない。
 そうやってくるくると話題が変わって飽きることはなく、やがて目的のアウトレットモールの駐車場へと車は到着する。
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