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第2章 2日目①
目が覚めた時、ひんやりとした空気にブルッと震えた。
あー、もう。クーラー効き過ぎ。
傍らのぬくもりに、オレは擦り寄った。
そうしたら、ふわっと抱きしめられて。
「おはよう」
なんてあいさつされて。
声がした方を見たら高見が微笑んでた。
高見の額が、コツン、ってオレの額に触れて。
「熱は下がったみたいだね」
なんて。
(うわぁ……)
一瞬見惚れた綺麗な顔から、慌てて視線を逸らした。
だって。
(恥ずかしいじゃんか!)
オレってば、顔赤くなってるかも。
明るくなった部屋の中で、おでこくっつけて。そういうスキンシップは、嫌いじゃないけど、慣れてないから恥ずかしい。
しかも、一緒に寝てた事をすっかり忘れていたオレにしてみたら、不意打ちもいいところだ。
そりゃあ、恥ずかしさ倍増ってワケで。
そんなオレの反応を楽しんでるんだろうなぁ、やっぱり。高見はくすくす笑って、オレの頭をポンポンと撫でてくれた。
ホント、子供じゃないんだってば。
でも実際、オレの熱は下がってたんだ。
そういえば、あの後は悪夢も見なかった。っていうか、普通の夢さえ見なかったんだけど。
ぐっすり眠ったおかげで、身体の痛みもほとんどない。まあ、打ち身のトコとか傷になってるトコは、さすがに触ると痛いけど。
朝食は、橋本が持ってきてくれて。
橋本のルームメイトを含めた四人で、オレたちの部屋で食べる事になった。
ピクニックにでも行くのかと思うようなメニューは、たぶん特別仕様なんじゃないかと思うんだけど。
だってさ。
おにぎりにサンドイッチ。唐揚げと卵焼きがあって、ポテトサラダなんかもあるし。デザートにフルーツ付き。更に水筒にドリンクが入ってて。しかも、おにぎりとサンドイッチの中身っていうのが、一種類じゃないんだよ。盛り付けもキレイだし。
もう、気合い入りまくりの豪華版お弁当って言ったらいいのかな。
その辺を橋本に聞いてみると。
いわく。
「古城が怪我で絶対安静だから、古城と高見の分の食事を部屋に持って行きたい。食べやすい物の方が助かるかもって言ったら、こうなっただけだよ」
だそうだ。
いいのか、これで?
しかも、ここの調理師さんって、たしか、問題が起きたら困るからって理由で男の人だけだったような気が……。
いいのか、こんなんで? 本当に、これでいいのかっ!?
「真純クンと翔吾クンってば、愛されちゃってるから」
なんてセリフを笑顔で吐いてくださったのは、橋本のルームメイトの北原和巳だ。
これがまた、オレが仲間意識を覚えるほど可愛らしい顔をしているんだ。身長も同じくらいだし。長い睫毛に縁取られた瞳が、素直そうで。艶のある黒髪はサラサラしてて。
ああ、羨ましい。
ホント、黒髪には憧れてるんだ。
って、羨ましがってる場合じゃなくて。
「和巳ちゃ~ん?」
何言っちゃってるのかな、君は?
オレは思わず、引きつり笑いを浮かべていたんだけど。
「真純クンってファン多いんだよ?」
キョトンと首を傾げながら言われてしまって。
いや、そうじゃなくてさ。
好意は嬉しいんだけどさ。
なんて言ったらいいのかな。
(オレ、そんな大した人間じゃないよ……)
そんなたくさんの人に好意を寄せてもらえる程、大したヤツじゃない。
これは、罪悪感?
オレって本当はヤな奴なんだよ、って。
オレはオレの事が嫌いなんだよ、って。
(言えない、よな……)
「和巳、そういうどうでもいい事は教えなくていいから。古城は、もっと食う。ちゃんと食わないと、高見が心配するから」
橋本に言われて高見を見ると、穏やかに微笑まれた。
橋本って、うまい。
こんな風に誘導されたら、誰でも『食べなきゃ』って気になると思うよ。
ってワケで、オレはまんまと橋本にのせられたんだった。
朝からこんなに食って、オレの胃、大丈夫かよ……。
カロリー消費に、歩きたいよぅ。
彼が部屋を訪ねてきたのは、橋本と和巳ちゃんが部屋に戻ってすぐだった。
「こんにちは。翔ちゃん、います?」
明るい声と共に姿を見せたのは、その声を裏切らない、可愛らしい容姿をした人物だった。小さな顔に、大きく澄んだ瞳。額に、綺麗な黒髪がサラサラと落ちている。
「瀬名? どうした?」
名前を呼んだのはもちろん高見で。突然の訪問に、さすがに驚いたみたいだった。
「真純ちゃん、ゴメン! ちょっとだけ翔ちゃん借りてもいいかな?」
両手を合わせて、拝むみたいにしてオレを見ながら言う。
いや……、オレじゃなくて、高見本人に言うべきなんじゃないのか?
オレは、苦笑を返す事しかできなかった。
「ここでは話せない事なのか?」
「うーん、ちょっと相談事。できれば、聞かれたくないかな。5分で終わる」
高見の表情を窺うようにしている様子に、なんだか助け船を出したくなった。
「行ってあげなよ、高見。オレは大丈夫だからさ」
「……分かった」
小さくため息をついた高見と微笑んだオレを交互に見ながら、瀬名は少し怪訝そうな顔をしていた。
けれど。
「じゃあ、ちょっと出てくるから。すぐ戻るよ」
そう言った高見に腕を引かれ、瀬名はぎこちない笑みをオレに向けながら部屋を出て行ったのだった。
高見と瀬名が出て行って、一人になると、部屋が妙に広く感じられた。
何をするでもなく、ぼんやりとしていた時だった。
コンコン、とドアをノックされて。
「こんにちは」
って、知らない顔がのぞいて。
「……えっ?」
オレはうろたえた。
(だ、誰っ?)
オロオロと、視線を彷徨わせる。
高見がいない時に、困るよっ!
オレは、目の前の人物に文句を言いたくなるのをぐっとこらえた。
一言で表現するなら、インテリ系の美形。
銀色のフレームの眼鏡が、ちょっと冷たい印象もあるけど。少しクセのある黒髪が、額に流れ落ちてる。なんか、生徒会長とかやってそう。人望とかありそうな人なんだよ。
「僕の事も、覚えてないのかな?」
ちょっと寂しそうに聞かれて、驚いた。
「えっ? あの……?」
オレの記憶後退の事は、高見たちしか知らないと思ってたから。
「少し、時間もらえるかな?」
「は?」
一応、疑問形で聞いてくれたはずなのに、オレの返事は待たずに、腕を引かれて部屋から連れ出されていた。
つまり。
拉致、にかなり近い。
(なんなんだよっ、もうっ!)
すごい力で腕を掴まれて、引っ張られて。
コンパスの大きさが違うもんだから、オレは走るみたいにしないとついていけなくて。
そんな風にして連れて行かれたのは。
(お、屋上っ!?)
こんなモンまでありやがるのか、この寮はっ!?
いや、そうじゃなくて。
なんだって、こんな所に連れてこられなきゃならないワケ!?
あーっ、もう! 横暴過ぎっ!
(減点、30!)
って勝手に点数つけて。
やっと放してもらった手をさすりながら、オレは相手を睨んでやった。
くそー、掴まれてた手首が痛い。ゲッ、手の跡ついてるっ。
「なんだっていうんですかっ!?」
殴ってやりたい思いを堪えながら、一応敬語で怒鳴った。
だって、上級生っぽいんだもん。
「水沢」
「はっ?」
「水沢滋。2年で、生徒会長をやっている」
「はあっ?」
いきなり自己紹介なんかされて、オレはかなり間の抜けた声を上げてしまった。
あ、でもやっぱり生徒会長だったんだ。しかも2年。殴らなくて良かった。
って、そうじゃなくて。
「どうして、こんな所に連れて来られなきゃならないんですか?」
非難を込めて、睨みながら言った。
だけど。
「君が僕を忘れてしまったというなら、もう一度、じっくり話し合おうと思ってね」
ニッコリ笑いながら、しれっと言われて。
「……は?」
なんなんだ、コイツ。
そう思わずにはいられない。
この笑顔がくせ者だ。絶対、何か企んでる顔だっ。
しかも、拉致した事に対しての謝罪はナシかよっ!?
(減点、25っ!)
「君と僕の仲なんだから、遠慮なんかしなくていいのに」
……はい?
「ど、どんな仲?」
恐る恐る聞いたら、ニヤリって笑われて。
ヤバイ?
もしかして、ヤバイ事聞いた?
ものすごく嫌な予感がするんですけど。
「付き合ってるんだよ、僕たち」
サイアク。
やっぱり、って感じの答えが返ってきて、オレは青ざめた。
知らないよっ、そんな事っ!
しかも、そのいやらしそうな顔は減点対象だっつーの!
(15点減点っ!)
「冗談、ですよね……?」
いつでも逃げ出せる体勢で、微笑みを浮かべてオレは言った。頬の辺りが、たぶん引きつってたけど。
「冗談なんかで、こんな事は言えないだろう?」
そう言いながら、じりじりと。生徒会長はオレの方に近付いてくる。
オレは間の距離を保つように後退った。
この時点で、完璧に失敗していた。
勢いがなかった分、逃げ出すタイミングを逃していたんだ。
(ちょっと、ヤバイかも……)
付き合ってるって言われて、『はい、そうですか』なんて受け入れられるワケがない。
この手の話に抵抗がないどころか、慣れてしまっている自分自身が、ちょっとカナシイけど。
こんな風に、男に告白されたり迫られたりするのは、初めてじゃないから。
だけど今の状況、かなり不利だよ。
屋上から逃げるには、ここに来た時の階段を降りるしかない。その出口は、ひとつしかない。
しかも。
(オレってば、出口から離されてるし)
生徒会長の肩越しに、出口である階段に続くドアが見える。
確実に、階段から遠ざけられてる。
わざと? これ、わざとなのか?
性格悪いよ、この人……。
(減点、10点)
って減点した時。
背中が、かしゃんと音を立ててフェンスにぶつかった。
やばい……っ!
そう思った瞬間、生徒会長の腕がフェンスに伸びて。オレは、横に逃げる事もできなくなってしまった。
「どうして逃げるの?」
自分の身体を檻にしながら、捕らえたオレの顔を覗き込んでくる。
どうして、って。
オレは生徒会長の顔を見上げながら、指先に触れたフェンスを握り締めてた。
「僕が、恐い?」
少し困ったように微笑みながら、生徒会長が聞いた。
オレの身体がピクンと震える。
そうだよ、恐いよ。
恐いに決まってるじゃないか。
オレにとっては初対面の男に、拉致られたうえに、こんなふうに……。
何をされるか分からない。
そういう恐怖感があっても、おかしくはないと思う。
だけど素直にそう言えず、オレは瞠目したまま動けなかった。
そんなオレを見ながら、生徒会長はクスっと笑う。
伸ばしたままだった腕を曲げて身体を密着させて。
「怯えた顔も可愛いよ」
なんてふざけた事を耳元で囁かれて。
ムカつくっ!
こいつ、絶対性格悪いっ!
(減点、15点)
そんな事言われて、嬉しいワケないだろうがっ!
「いい加減にして下さい」
できるだけ穏便にすませようと、感情を押し殺して言った。
覚えてない関係にまで、今は責任とってられないし。とにかく、この場を切り抜けたかった。
それなのに。
「何がだい?」
なんて、すっとぼけられて。
その上、フェンスを掴んでたはずの生徒会長の腕が、オレの身体に絡んできて。
「ちょ……っ、なに……?」
抗おうとした時には、手遅れだった。
身体を押し戻そうとした腕を、難なく封じ込まれた。フェンスと生徒会長の身体に挟まれ、押さえ付けられて、身動きが取れなくなる。
覚えのある、危機感と恐怖。
「や……っ」
顔を背けた瞬間に耳朶を咬まれた。
「いた……っ!」
不意の痛みに不平を洩らした。
「恐がらないで。恐い事しないから、拒まないで」
「なに、言って……!」
顔を背けたまま視線だけで睨みつけた。
この状況、マジやばい……!
頬にキスされて。
「やだ……って!」
腕から逃れようと抗った。
抱きすくめられて、首筋に吸い付かれた。
「ちょっと…、やっ……」
本当に嫌だった。
顎を掴まれて、顔を引き戻された。
視線が、絡んだ。
「放して下さい……」
「いやだね」
オレの訴えを一言で却下してくれて。
(ちくしょ、ふざけんなっ!)
怒りのゲージが上がった瞬間。
いきなり、唇を塞がれた。
「んぅ……っ!」
抗議の声も呑み込まれてしまう。
顎を掴まれたままだから、逃げる事もできない。
この野郎……っ!
(40点減点!!)
100点満点から始まって、トータルで、マイナス35点!
(ゲーム・オーバーだっ!!)
自分の中だけで結論付けて、本格的な抵抗の開始を決定した。
上級生だからって、生徒会長だからって、遠慮なんかするもんかっ!
その瞬間だった。
ゾクリ、と背筋を戦慄が走った。
歯列をこじ開けて、オレの口の中に舌先が潜り込んできたんだ。
口腔内で蠢く、その感触に、全身が総毛立った気がした。
………嫌だ……、嫌だっ!
頭の中が真っ白になって。
(─────違うっ!)
それはたぶん、直感だった。
次の瞬間。
気が付いたらオレは、オレの舌を絡めとろうとしているものに噛み付いていた。生徒会長が驚いた隙に、自由な方の腕でグイッと押しやって。オレとヤツの間に隙間ができた所で、思い切り蹴り飛ばしてやったんだ。
奇襲みたいな形で生徒会長の撃退に成功したオレは、迷いもせずに、その場から駆け出していた。
帰巣本能っていうのか、それとも、身体が覚えていたのか。
ちゃんと戻れるかどうか不安だったけど、オレは迷う事無く部屋に帰ってくる事ができた。
ドアを閉めて、付いてることがありがたかった鍵をかけて。
ほうっと安堵の息をついた。
「……古城?」
部屋の中から声をかけられて、ギクリとして。
「どこ行ってたんだ?」
声の主が高見であることに気付いて、ほっとした。
「なんで、鍵かけたの?」
不思議そうに聞きながら、高見が近付いてきて。
「あ……あのっ……」
オレは思わず口ごもった。だって、生徒会長に襲われそうになったなんて、簡単に言えると思うか?
だけど、高見が優しく促すみたいに見つめてくるから。
「え……と、生徒会長……に……」
正直に打ち明けてしまったんだ。
「水沢会長?」
「うん」
「会長に?」
「屋上に、連れて行かれて……」
そこまで言った時。
ドアの外に人の気配がして。コンコンとノックされた。
オレは無意識に身体をビクンと反応させてしまっていた。
「古城? いるんだろう? 開けてくれないか?」
聞こえてきたのは、予想した通りの水沢会長の声で。
(冗談じゃないっ!)
開けたら、今度こそ何されるか分からないじゃないかっ。
やばい、どうしよう、という思いが、顔に出てたのかもしれない。
高見が、部屋の中の、ドアの辺りからは死角になるベッドの陰にオレを連れていってくれて。
「ここで、じっとしてて」
内緒話みたいに囁いて。一緒に微笑みもくれて。高見はドアの方に戻って行った。
で、ガチャってドアの開く音がして。
「どうしたんですか、水沢会長」
穏やかな、高見の声が聞いた。
「おや、高見。僕は古城に会いに来たんだけれどね」
って、なんか水沢会長の声にトゲがあるような気が……。
「今更、彼に何の用ですか」
「君には関係ないだろう? 僕と古城の問題なんだから」
「どこからどんな情報を仕入れたのか知りませんけどね。あなたには今更関係ないはずでしょう?」
なんだか挑発するみたいな水沢会長の言い方に、高見の声音が微妙に変わった。
「関係ない事はないさ。僕は今でも、古城が好きだよ」
って、なに恥ずかしい事言ってるんだよ、この人はっ?
「それが迷惑がられてるって事に気付いてないんですか? ああ、それとも厚顔無恥を地でいってるだけですかね」
ハッキリ言って、恐い。気のせいか、高見の声も、なんか刺々してきた。
「君も、人の事は言えないと思うが? それより僕は、古城を探してるんだよ」
「今はちょっと出てるみたいですよ。ところで水沢会長。今の言葉は聞き捨てならないんですけど」
「何がだい? 君も、僕と同類だろう?」
どこが? どのへんがっ?
高見とあんたじゃ、全然違うよっ。
って怒鳴りたくなるのを、オレは必死に堪えた。
こいつ、マジむかつく!
「君の独占欲には、いくら僕でも適わないと思うね」
「─────っ!」
って、高見が息を呑むのが分かって。
(高見……?)
「もし、彼が君から離れて行ったら。君は一体どうなるんだろうね?」
からかうみたいな水沢会長の言葉に。
「何が言いたいんですか?」
高見の、感情を押し殺したみたいな声。
もしかして、怒ってる?
「別に。ただ、彼が何らかの理由で君から離れたら、君はどうするのかと思ってね。君の独占欲はただ事じゃないからね」
水沢会長は、くすくすと笑ってるみたいだった。
「あいつに、余計な事を吹き込んだら、許しませんからね」
(あいつ……?)
「さすがに、無理矢理さらうような事はしないから安心しなさい」
って、オレを拉致した上に襲ってきたヤツのセリフじゃ信用できないって。
「そんな事したら、あんた殺されますよ」
「誰に?」
「もちろん、俺に」
こ、恐い……。
二人とも、どんな顔して会話してるんだろう。真面目な顔でも笑顔でも恐いけど。
「君とこんな話をするために来たんじゃないんだよ。古城もいないようだし、僕はこれで退散するよ」
「二度と来なくて結構です」
「やれやれ。御挨拶だね」
そんなやり取りが聞こえて、ドアを閉める音がして。
ベッドの陰から顔を覗かせると、高見が戻ってくるのが見えた。
「行った?」
口だけ動かして声は出さずに聞いたら、高見はふわっと笑って。
「大丈夫だよ」
って言ってくれた。
良かった。高見、元に戻ってる。
「助かったぁ~」
オレはベッドの上にくてっと伸びた。
あー、緊張した。気付かれたらどうしようって、息を潜めてたから、疲れたよ。
自分のベッドの上で、ころんと仰向けに転がって。
「ありがと、高見」
お礼を言って、微笑んだ。
「どういたしまして」
高見が近付いてきて、ベッドに転がってるオレの退路を塞ぐように両手をついて。オレに覆い被さるようにして、オレの身体を膝で跨いだ。二人分の体重を受けて、ベッドが軋んだ。
「た、高見?」
その行動に、ちょっと焦った。
「それで?」
「え?」
やばい。戻ったと思ってた高見の声が、やっぱりまだ少し怒ってるみたいだった。でも何に対して怒ってるんだ? 怒りの矛先が分からないから、不安になる。
「あの人に、何された?」
問われて、屋上でのキスを思い出した。隠すみたいに、手の甲を唇に押し当てる。
「何も……」
視線を逸らしながら呟いた。
「嘘ついてもダメだよ」
即座に見破られて、心の中でため息をついた。
だって、高見、大切な人が他にいるのに。それくらい、さっきの会話から想像できるもん。オレなんかに構ってるヒマないはずじゃん。
「俺がいない隙に、あの人に連れ出されたんだろう?」
オレのことなんか、心配してくれなくていいのに。
「屋上で、何があった?」
高見が怒ってるのは、水沢会長と高見自身に対してなんだって、なんとなくだけど分かってしまった。
だから、言えない。
言ったら絶対、高見はもっと自分を責めるじゃないか。
そんなのは嫌だった。だって連れ出されたのは、オレに隙があったからなんだ。
「何も、ないよ……」
微笑んで、言ってやった。
だけどやっぱり、高見は納得してくれなかった。
「そんなにはっきり指の跡つけられて、何もなかったはずないだろう?」
「………っ!!」
しまった!
そうだよ。忘れてたけど、手首を掴まれた時の指の跡!
かなりはっきり分かるあの跡を、高見は見逃してはくれなかったらしい。
オレは慌ててもう片方の手で隠したけど、それは無駄な抵抗ってヤツだった。
「古城」
静かに名前を呼ばれて。
高見の顔から目を離せなくなった。
見慣れてきた、優しい笑顔じゃなくて。見てるこっちが苦しくなりそうな、自分を責めてるような辛そうな表情。
「ごめん。俺の注意が足りなかった。会長を甘く見すぎてた。まさか、今更こんな事になるとは思ってなかったんだ。ほんと、ごめんな」
謝ってもらう資格なんか、ないのに。
あれは、オレが悪かったんだから。
タイミングさえ逃さなかったら。オレがもっと、しっかりしてたら。
そうすれば、未遂ですむ程度の事だったんだから。
だから。
「頼むから、謝ったりすんなよ」
高見は、悪くない。
困ったように、微笑んで見せながら。
オレは観念して、ため息をついた。
「……キスされただけだから」
なんでもない事のように告げる。
「キス?」
納得できなさそうな顔をされて。
「いきなり手ぇ掴まれて屋上に連れて行かれて。恋人同士なんだって言われて、キスされた。それだけだよっ」
捲くしたてるように説明してやった。さすがに、無理矢理って単語は省いたけど。
「なんで追われてたの?」
って聞かれて。
「蹴り飛ばして逃げてきたから」
オレもバカだから素直に答えて。
「じゃあ、無理矢理だったんだ?」
「あ……」
なんて誘導尋問に引っ掛かっちゃって。
せっかく隠してた言葉を、あっさり引き出されちゃダメじゃん。
「でもキスだけ。それはホント」
ヘタに隠し事してもダメなんだって分かって、オレは仕方なく認めてやった。
本当はキスだけでも嫌だったんだけど。
会長の事はキライじゃないけど、それとこれとは別問題だ。
「……古城」
優しく囁くみたいに呼ばれて。
「え……?」
高見の綺麗な顔がゆっくり近付いて。
「……たか……」
名前は、最後まで呼べなかった。
柔らかく唇を塞がれて。
(……えっ……?)
予想もしていなかった展開に、オレは瞠目したまま、高見の顔を間近に見つめた。
押さえ込まれてる訳じゃない。
それなのに、身体が動かなかった。
押し退けようと思えば、押し戻せる。
逃げようと思えば、逃げ出せる。
そんな状況で動けずにいる自分を不思議に思って。だけど、すぐに違うって事に気付いた。
拒絶できない訳じゃないんだ。
だって、オレは高見が嫌じゃない。
それは、昨夜抱きしめられた時にも感じていたこと。
ゆっくりと瞼を閉じて、オレは高見のキスを受け止めていた。
舌先で輪郭をなぞられて、震えるように開いた唇から潜り込まれた。
「……ん……」
思わず洩れた声が、信じられないほど甘くて驚いた。
忍び込んできた舌に、口腔内を舐められ貪られて。舌を絡め取られた。
「……ぁ……っ…」
優しく、ゆるやかに動かれて、喘ぎにも似た声が洩れてしまう。
いっそ、奪うようなキスだったら、抵抗することもできるのに。
「ん……、んぅ……っ」
眩暈がするほど優しいキスに翻弄されて、呼吸が乱れてくる。
「……んんっ」
息苦しさを訴えて、喘ぐように首をのけ反らせて。
「……ふ……っ」
解放されで肺が空気を求めた。荒い呼吸を繰り返して、間近にある顔を見上げた。
「たかみ……?」
疑問を込めて名前を呼んだ。
だって、キスの意味が。泣きたくなるほど優しかったキスの意味が、オレには分からない。
高見は何かを堪えてるみたいな苦しそうな表情で、オレの唇を指でそっとなぞった。
そして。
「ごめん……」
呟くように、謝ってきて。
(……え?)
オレは、胸がズキンと痛んだ。
高見が無理矢理、微笑んで。逃げるように部屋から出ていくのを、オレは止められなかった。
ドアが閉まる音を、どこか遠くに聞いていた。
「なんなんだよ、もう……っ」
ベッドの上に仰向けに寝転がったまま。
オレは両腕を顔の上で交差させた。
今更だけど、涙が溢れてきたんだ。誰が見ている訳でもないけど、何となく隠したかった。
涙が零れる理由が、自分でも分からなかった。
(オレ、おかしいよな……)
水沢会長のキスは違うとか思ったのに。
高見にキスされた時はイヤじゃなかった。
状況は、二人とも似たようなものだったはずだ。水沢会長の時は拉致されて、かなり頭にきてたから、印象サイアクだったけど。
高見の時も会長の時も、ほとんど不意打ちだったもん。
それなのに、水沢会長は『この野郎っ』とか思って蹴り飛ばして。高見の時は素直に受け入れてた。
キスの直後、高見に謝られた時は、胸が痛んだし。
なにがなんだか、分からない。
もう、頭ン中ぐちゃぐちゃ。
一人取り残された部屋の中で、オレはボロボロと涙を零してたんだ。
あー、もう。クーラー効き過ぎ。
傍らのぬくもりに、オレは擦り寄った。
そうしたら、ふわっと抱きしめられて。
「おはよう」
なんてあいさつされて。
声がした方を見たら高見が微笑んでた。
高見の額が、コツン、ってオレの額に触れて。
「熱は下がったみたいだね」
なんて。
(うわぁ……)
一瞬見惚れた綺麗な顔から、慌てて視線を逸らした。
だって。
(恥ずかしいじゃんか!)
オレってば、顔赤くなってるかも。
明るくなった部屋の中で、おでこくっつけて。そういうスキンシップは、嫌いじゃないけど、慣れてないから恥ずかしい。
しかも、一緒に寝てた事をすっかり忘れていたオレにしてみたら、不意打ちもいいところだ。
そりゃあ、恥ずかしさ倍増ってワケで。
そんなオレの反応を楽しんでるんだろうなぁ、やっぱり。高見はくすくす笑って、オレの頭をポンポンと撫でてくれた。
ホント、子供じゃないんだってば。
でも実際、オレの熱は下がってたんだ。
そういえば、あの後は悪夢も見なかった。っていうか、普通の夢さえ見なかったんだけど。
ぐっすり眠ったおかげで、身体の痛みもほとんどない。まあ、打ち身のトコとか傷になってるトコは、さすがに触ると痛いけど。
朝食は、橋本が持ってきてくれて。
橋本のルームメイトを含めた四人で、オレたちの部屋で食べる事になった。
ピクニックにでも行くのかと思うようなメニューは、たぶん特別仕様なんじゃないかと思うんだけど。
だってさ。
おにぎりにサンドイッチ。唐揚げと卵焼きがあって、ポテトサラダなんかもあるし。デザートにフルーツ付き。更に水筒にドリンクが入ってて。しかも、おにぎりとサンドイッチの中身っていうのが、一種類じゃないんだよ。盛り付けもキレイだし。
もう、気合い入りまくりの豪華版お弁当って言ったらいいのかな。
その辺を橋本に聞いてみると。
いわく。
「古城が怪我で絶対安静だから、古城と高見の分の食事を部屋に持って行きたい。食べやすい物の方が助かるかもって言ったら、こうなっただけだよ」
だそうだ。
いいのか、これで?
しかも、ここの調理師さんって、たしか、問題が起きたら困るからって理由で男の人だけだったような気が……。
いいのか、こんなんで? 本当に、これでいいのかっ!?
「真純クンと翔吾クンってば、愛されちゃってるから」
なんてセリフを笑顔で吐いてくださったのは、橋本のルームメイトの北原和巳だ。
これがまた、オレが仲間意識を覚えるほど可愛らしい顔をしているんだ。身長も同じくらいだし。長い睫毛に縁取られた瞳が、素直そうで。艶のある黒髪はサラサラしてて。
ああ、羨ましい。
ホント、黒髪には憧れてるんだ。
って、羨ましがってる場合じゃなくて。
「和巳ちゃ~ん?」
何言っちゃってるのかな、君は?
オレは思わず、引きつり笑いを浮かべていたんだけど。
「真純クンってファン多いんだよ?」
キョトンと首を傾げながら言われてしまって。
いや、そうじゃなくてさ。
好意は嬉しいんだけどさ。
なんて言ったらいいのかな。
(オレ、そんな大した人間じゃないよ……)
そんなたくさんの人に好意を寄せてもらえる程、大したヤツじゃない。
これは、罪悪感?
オレって本当はヤな奴なんだよ、って。
オレはオレの事が嫌いなんだよ、って。
(言えない、よな……)
「和巳、そういうどうでもいい事は教えなくていいから。古城は、もっと食う。ちゃんと食わないと、高見が心配するから」
橋本に言われて高見を見ると、穏やかに微笑まれた。
橋本って、うまい。
こんな風に誘導されたら、誰でも『食べなきゃ』って気になると思うよ。
ってワケで、オレはまんまと橋本にのせられたんだった。
朝からこんなに食って、オレの胃、大丈夫かよ……。
カロリー消費に、歩きたいよぅ。
彼が部屋を訪ねてきたのは、橋本と和巳ちゃんが部屋に戻ってすぐだった。
「こんにちは。翔ちゃん、います?」
明るい声と共に姿を見せたのは、その声を裏切らない、可愛らしい容姿をした人物だった。小さな顔に、大きく澄んだ瞳。額に、綺麗な黒髪がサラサラと落ちている。
「瀬名? どうした?」
名前を呼んだのはもちろん高見で。突然の訪問に、さすがに驚いたみたいだった。
「真純ちゃん、ゴメン! ちょっとだけ翔ちゃん借りてもいいかな?」
両手を合わせて、拝むみたいにしてオレを見ながら言う。
いや……、オレじゃなくて、高見本人に言うべきなんじゃないのか?
オレは、苦笑を返す事しかできなかった。
「ここでは話せない事なのか?」
「うーん、ちょっと相談事。できれば、聞かれたくないかな。5分で終わる」
高見の表情を窺うようにしている様子に、なんだか助け船を出したくなった。
「行ってあげなよ、高見。オレは大丈夫だからさ」
「……分かった」
小さくため息をついた高見と微笑んだオレを交互に見ながら、瀬名は少し怪訝そうな顔をしていた。
けれど。
「じゃあ、ちょっと出てくるから。すぐ戻るよ」
そう言った高見に腕を引かれ、瀬名はぎこちない笑みをオレに向けながら部屋を出て行ったのだった。
高見と瀬名が出て行って、一人になると、部屋が妙に広く感じられた。
何をするでもなく、ぼんやりとしていた時だった。
コンコン、とドアをノックされて。
「こんにちは」
って、知らない顔がのぞいて。
「……えっ?」
オレはうろたえた。
(だ、誰っ?)
オロオロと、視線を彷徨わせる。
高見がいない時に、困るよっ!
オレは、目の前の人物に文句を言いたくなるのをぐっとこらえた。
一言で表現するなら、インテリ系の美形。
銀色のフレームの眼鏡が、ちょっと冷たい印象もあるけど。少しクセのある黒髪が、額に流れ落ちてる。なんか、生徒会長とかやってそう。人望とかありそうな人なんだよ。
「僕の事も、覚えてないのかな?」
ちょっと寂しそうに聞かれて、驚いた。
「えっ? あの……?」
オレの記憶後退の事は、高見たちしか知らないと思ってたから。
「少し、時間もらえるかな?」
「は?」
一応、疑問形で聞いてくれたはずなのに、オレの返事は待たずに、腕を引かれて部屋から連れ出されていた。
つまり。
拉致、にかなり近い。
(なんなんだよっ、もうっ!)
すごい力で腕を掴まれて、引っ張られて。
コンパスの大きさが違うもんだから、オレは走るみたいにしないとついていけなくて。
そんな風にして連れて行かれたのは。
(お、屋上っ!?)
こんなモンまでありやがるのか、この寮はっ!?
いや、そうじゃなくて。
なんだって、こんな所に連れてこられなきゃならないワケ!?
あーっ、もう! 横暴過ぎっ!
(減点、30!)
って勝手に点数つけて。
やっと放してもらった手をさすりながら、オレは相手を睨んでやった。
くそー、掴まれてた手首が痛い。ゲッ、手の跡ついてるっ。
「なんだっていうんですかっ!?」
殴ってやりたい思いを堪えながら、一応敬語で怒鳴った。
だって、上級生っぽいんだもん。
「水沢」
「はっ?」
「水沢滋。2年で、生徒会長をやっている」
「はあっ?」
いきなり自己紹介なんかされて、オレはかなり間の抜けた声を上げてしまった。
あ、でもやっぱり生徒会長だったんだ。しかも2年。殴らなくて良かった。
って、そうじゃなくて。
「どうして、こんな所に連れて来られなきゃならないんですか?」
非難を込めて、睨みながら言った。
だけど。
「君が僕を忘れてしまったというなら、もう一度、じっくり話し合おうと思ってね」
ニッコリ笑いながら、しれっと言われて。
「……は?」
なんなんだ、コイツ。
そう思わずにはいられない。
この笑顔がくせ者だ。絶対、何か企んでる顔だっ。
しかも、拉致した事に対しての謝罪はナシかよっ!?
(減点、25っ!)
「君と僕の仲なんだから、遠慮なんかしなくていいのに」
……はい?
「ど、どんな仲?」
恐る恐る聞いたら、ニヤリって笑われて。
ヤバイ?
もしかして、ヤバイ事聞いた?
ものすごく嫌な予感がするんですけど。
「付き合ってるんだよ、僕たち」
サイアク。
やっぱり、って感じの答えが返ってきて、オレは青ざめた。
知らないよっ、そんな事っ!
しかも、そのいやらしそうな顔は減点対象だっつーの!
(15点減点っ!)
「冗談、ですよね……?」
いつでも逃げ出せる体勢で、微笑みを浮かべてオレは言った。頬の辺りが、たぶん引きつってたけど。
「冗談なんかで、こんな事は言えないだろう?」
そう言いながら、じりじりと。生徒会長はオレの方に近付いてくる。
オレは間の距離を保つように後退った。
この時点で、完璧に失敗していた。
勢いがなかった分、逃げ出すタイミングを逃していたんだ。
(ちょっと、ヤバイかも……)
付き合ってるって言われて、『はい、そうですか』なんて受け入れられるワケがない。
この手の話に抵抗がないどころか、慣れてしまっている自分自身が、ちょっとカナシイけど。
こんな風に、男に告白されたり迫られたりするのは、初めてじゃないから。
だけど今の状況、かなり不利だよ。
屋上から逃げるには、ここに来た時の階段を降りるしかない。その出口は、ひとつしかない。
しかも。
(オレってば、出口から離されてるし)
生徒会長の肩越しに、出口である階段に続くドアが見える。
確実に、階段から遠ざけられてる。
わざと? これ、わざとなのか?
性格悪いよ、この人……。
(減点、10点)
って減点した時。
背中が、かしゃんと音を立ててフェンスにぶつかった。
やばい……っ!
そう思った瞬間、生徒会長の腕がフェンスに伸びて。オレは、横に逃げる事もできなくなってしまった。
「どうして逃げるの?」
自分の身体を檻にしながら、捕らえたオレの顔を覗き込んでくる。
どうして、って。
オレは生徒会長の顔を見上げながら、指先に触れたフェンスを握り締めてた。
「僕が、恐い?」
少し困ったように微笑みながら、生徒会長が聞いた。
オレの身体がピクンと震える。
そうだよ、恐いよ。
恐いに決まってるじゃないか。
オレにとっては初対面の男に、拉致られたうえに、こんなふうに……。
何をされるか分からない。
そういう恐怖感があっても、おかしくはないと思う。
だけど素直にそう言えず、オレは瞠目したまま動けなかった。
そんなオレを見ながら、生徒会長はクスっと笑う。
伸ばしたままだった腕を曲げて身体を密着させて。
「怯えた顔も可愛いよ」
なんてふざけた事を耳元で囁かれて。
ムカつくっ!
こいつ、絶対性格悪いっ!
(減点、15点)
そんな事言われて、嬉しいワケないだろうがっ!
「いい加減にして下さい」
できるだけ穏便にすませようと、感情を押し殺して言った。
覚えてない関係にまで、今は責任とってられないし。とにかく、この場を切り抜けたかった。
それなのに。
「何がだい?」
なんて、すっとぼけられて。
その上、フェンスを掴んでたはずの生徒会長の腕が、オレの身体に絡んできて。
「ちょ……っ、なに……?」
抗おうとした時には、手遅れだった。
身体を押し戻そうとした腕を、難なく封じ込まれた。フェンスと生徒会長の身体に挟まれ、押さえ付けられて、身動きが取れなくなる。
覚えのある、危機感と恐怖。
「や……っ」
顔を背けた瞬間に耳朶を咬まれた。
「いた……っ!」
不意の痛みに不平を洩らした。
「恐がらないで。恐い事しないから、拒まないで」
「なに、言って……!」
顔を背けたまま視線だけで睨みつけた。
この状況、マジやばい……!
頬にキスされて。
「やだ……って!」
腕から逃れようと抗った。
抱きすくめられて、首筋に吸い付かれた。
「ちょっと…、やっ……」
本当に嫌だった。
顎を掴まれて、顔を引き戻された。
視線が、絡んだ。
「放して下さい……」
「いやだね」
オレの訴えを一言で却下してくれて。
(ちくしょ、ふざけんなっ!)
怒りのゲージが上がった瞬間。
いきなり、唇を塞がれた。
「んぅ……っ!」
抗議の声も呑み込まれてしまう。
顎を掴まれたままだから、逃げる事もできない。
この野郎……っ!
(40点減点!!)
100点満点から始まって、トータルで、マイナス35点!
(ゲーム・オーバーだっ!!)
自分の中だけで結論付けて、本格的な抵抗の開始を決定した。
上級生だからって、生徒会長だからって、遠慮なんかするもんかっ!
その瞬間だった。
ゾクリ、と背筋を戦慄が走った。
歯列をこじ開けて、オレの口の中に舌先が潜り込んできたんだ。
口腔内で蠢く、その感触に、全身が総毛立った気がした。
………嫌だ……、嫌だっ!
頭の中が真っ白になって。
(─────違うっ!)
それはたぶん、直感だった。
次の瞬間。
気が付いたらオレは、オレの舌を絡めとろうとしているものに噛み付いていた。生徒会長が驚いた隙に、自由な方の腕でグイッと押しやって。オレとヤツの間に隙間ができた所で、思い切り蹴り飛ばしてやったんだ。
奇襲みたいな形で生徒会長の撃退に成功したオレは、迷いもせずに、その場から駆け出していた。
帰巣本能っていうのか、それとも、身体が覚えていたのか。
ちゃんと戻れるかどうか不安だったけど、オレは迷う事無く部屋に帰ってくる事ができた。
ドアを閉めて、付いてることがありがたかった鍵をかけて。
ほうっと安堵の息をついた。
「……古城?」
部屋の中から声をかけられて、ギクリとして。
「どこ行ってたんだ?」
声の主が高見であることに気付いて、ほっとした。
「なんで、鍵かけたの?」
不思議そうに聞きながら、高見が近付いてきて。
「あ……あのっ……」
オレは思わず口ごもった。だって、生徒会長に襲われそうになったなんて、簡単に言えると思うか?
だけど、高見が優しく促すみたいに見つめてくるから。
「え……と、生徒会長……に……」
正直に打ち明けてしまったんだ。
「水沢会長?」
「うん」
「会長に?」
「屋上に、連れて行かれて……」
そこまで言った時。
ドアの外に人の気配がして。コンコンとノックされた。
オレは無意識に身体をビクンと反応させてしまっていた。
「古城? いるんだろう? 開けてくれないか?」
聞こえてきたのは、予想した通りの水沢会長の声で。
(冗談じゃないっ!)
開けたら、今度こそ何されるか分からないじゃないかっ。
やばい、どうしよう、という思いが、顔に出てたのかもしれない。
高見が、部屋の中の、ドアの辺りからは死角になるベッドの陰にオレを連れていってくれて。
「ここで、じっとしてて」
内緒話みたいに囁いて。一緒に微笑みもくれて。高見はドアの方に戻って行った。
で、ガチャってドアの開く音がして。
「どうしたんですか、水沢会長」
穏やかな、高見の声が聞いた。
「おや、高見。僕は古城に会いに来たんだけれどね」
って、なんか水沢会長の声にトゲがあるような気が……。
「今更、彼に何の用ですか」
「君には関係ないだろう? 僕と古城の問題なんだから」
「どこからどんな情報を仕入れたのか知りませんけどね。あなたには今更関係ないはずでしょう?」
なんだか挑発するみたいな水沢会長の言い方に、高見の声音が微妙に変わった。
「関係ない事はないさ。僕は今でも、古城が好きだよ」
って、なに恥ずかしい事言ってるんだよ、この人はっ?
「それが迷惑がられてるって事に気付いてないんですか? ああ、それとも厚顔無恥を地でいってるだけですかね」
ハッキリ言って、恐い。気のせいか、高見の声も、なんか刺々してきた。
「君も、人の事は言えないと思うが? それより僕は、古城を探してるんだよ」
「今はちょっと出てるみたいですよ。ところで水沢会長。今の言葉は聞き捨てならないんですけど」
「何がだい? 君も、僕と同類だろう?」
どこが? どのへんがっ?
高見とあんたじゃ、全然違うよっ。
って怒鳴りたくなるのを、オレは必死に堪えた。
こいつ、マジむかつく!
「君の独占欲には、いくら僕でも適わないと思うね」
「─────っ!」
って、高見が息を呑むのが分かって。
(高見……?)
「もし、彼が君から離れて行ったら。君は一体どうなるんだろうね?」
からかうみたいな水沢会長の言葉に。
「何が言いたいんですか?」
高見の、感情を押し殺したみたいな声。
もしかして、怒ってる?
「別に。ただ、彼が何らかの理由で君から離れたら、君はどうするのかと思ってね。君の独占欲はただ事じゃないからね」
水沢会長は、くすくすと笑ってるみたいだった。
「あいつに、余計な事を吹き込んだら、許しませんからね」
(あいつ……?)
「さすがに、無理矢理さらうような事はしないから安心しなさい」
って、オレを拉致した上に襲ってきたヤツのセリフじゃ信用できないって。
「そんな事したら、あんた殺されますよ」
「誰に?」
「もちろん、俺に」
こ、恐い……。
二人とも、どんな顔して会話してるんだろう。真面目な顔でも笑顔でも恐いけど。
「君とこんな話をするために来たんじゃないんだよ。古城もいないようだし、僕はこれで退散するよ」
「二度と来なくて結構です」
「やれやれ。御挨拶だね」
そんなやり取りが聞こえて、ドアを閉める音がして。
ベッドの陰から顔を覗かせると、高見が戻ってくるのが見えた。
「行った?」
口だけ動かして声は出さずに聞いたら、高見はふわっと笑って。
「大丈夫だよ」
って言ってくれた。
良かった。高見、元に戻ってる。
「助かったぁ~」
オレはベッドの上にくてっと伸びた。
あー、緊張した。気付かれたらどうしようって、息を潜めてたから、疲れたよ。
自分のベッドの上で、ころんと仰向けに転がって。
「ありがと、高見」
お礼を言って、微笑んだ。
「どういたしまして」
高見が近付いてきて、ベッドに転がってるオレの退路を塞ぐように両手をついて。オレに覆い被さるようにして、オレの身体を膝で跨いだ。二人分の体重を受けて、ベッドが軋んだ。
「た、高見?」
その行動に、ちょっと焦った。
「それで?」
「え?」
やばい。戻ったと思ってた高見の声が、やっぱりまだ少し怒ってるみたいだった。でも何に対して怒ってるんだ? 怒りの矛先が分からないから、不安になる。
「あの人に、何された?」
問われて、屋上でのキスを思い出した。隠すみたいに、手の甲を唇に押し当てる。
「何も……」
視線を逸らしながら呟いた。
「嘘ついてもダメだよ」
即座に見破られて、心の中でため息をついた。
だって、高見、大切な人が他にいるのに。それくらい、さっきの会話から想像できるもん。オレなんかに構ってるヒマないはずじゃん。
「俺がいない隙に、あの人に連れ出されたんだろう?」
オレのことなんか、心配してくれなくていいのに。
「屋上で、何があった?」
高見が怒ってるのは、水沢会長と高見自身に対してなんだって、なんとなくだけど分かってしまった。
だから、言えない。
言ったら絶対、高見はもっと自分を責めるじゃないか。
そんなのは嫌だった。だって連れ出されたのは、オレに隙があったからなんだ。
「何も、ないよ……」
微笑んで、言ってやった。
だけどやっぱり、高見は納得してくれなかった。
「そんなにはっきり指の跡つけられて、何もなかったはずないだろう?」
「………っ!!」
しまった!
そうだよ。忘れてたけど、手首を掴まれた時の指の跡!
かなりはっきり分かるあの跡を、高見は見逃してはくれなかったらしい。
オレは慌ててもう片方の手で隠したけど、それは無駄な抵抗ってヤツだった。
「古城」
静かに名前を呼ばれて。
高見の顔から目を離せなくなった。
見慣れてきた、優しい笑顔じゃなくて。見てるこっちが苦しくなりそうな、自分を責めてるような辛そうな表情。
「ごめん。俺の注意が足りなかった。会長を甘く見すぎてた。まさか、今更こんな事になるとは思ってなかったんだ。ほんと、ごめんな」
謝ってもらう資格なんか、ないのに。
あれは、オレが悪かったんだから。
タイミングさえ逃さなかったら。オレがもっと、しっかりしてたら。
そうすれば、未遂ですむ程度の事だったんだから。
だから。
「頼むから、謝ったりすんなよ」
高見は、悪くない。
困ったように、微笑んで見せながら。
オレは観念して、ため息をついた。
「……キスされただけだから」
なんでもない事のように告げる。
「キス?」
納得できなさそうな顔をされて。
「いきなり手ぇ掴まれて屋上に連れて行かれて。恋人同士なんだって言われて、キスされた。それだけだよっ」
捲くしたてるように説明してやった。さすがに、無理矢理って単語は省いたけど。
「なんで追われてたの?」
って聞かれて。
「蹴り飛ばして逃げてきたから」
オレもバカだから素直に答えて。
「じゃあ、無理矢理だったんだ?」
「あ……」
なんて誘導尋問に引っ掛かっちゃって。
せっかく隠してた言葉を、あっさり引き出されちゃダメじゃん。
「でもキスだけ。それはホント」
ヘタに隠し事してもダメなんだって分かって、オレは仕方なく認めてやった。
本当はキスだけでも嫌だったんだけど。
会長の事はキライじゃないけど、それとこれとは別問題だ。
「……古城」
優しく囁くみたいに呼ばれて。
「え……?」
高見の綺麗な顔がゆっくり近付いて。
「……たか……」
名前は、最後まで呼べなかった。
柔らかく唇を塞がれて。
(……えっ……?)
予想もしていなかった展開に、オレは瞠目したまま、高見の顔を間近に見つめた。
押さえ込まれてる訳じゃない。
それなのに、身体が動かなかった。
押し退けようと思えば、押し戻せる。
逃げようと思えば、逃げ出せる。
そんな状況で動けずにいる自分を不思議に思って。だけど、すぐに違うって事に気付いた。
拒絶できない訳じゃないんだ。
だって、オレは高見が嫌じゃない。
それは、昨夜抱きしめられた時にも感じていたこと。
ゆっくりと瞼を閉じて、オレは高見のキスを受け止めていた。
舌先で輪郭をなぞられて、震えるように開いた唇から潜り込まれた。
「……ん……」
思わず洩れた声が、信じられないほど甘くて驚いた。
忍び込んできた舌に、口腔内を舐められ貪られて。舌を絡め取られた。
「……ぁ……っ…」
優しく、ゆるやかに動かれて、喘ぎにも似た声が洩れてしまう。
いっそ、奪うようなキスだったら、抵抗することもできるのに。
「ん……、んぅ……っ」
眩暈がするほど優しいキスに翻弄されて、呼吸が乱れてくる。
「……んんっ」
息苦しさを訴えて、喘ぐように首をのけ反らせて。
「……ふ……っ」
解放されで肺が空気を求めた。荒い呼吸を繰り返して、間近にある顔を見上げた。
「たかみ……?」
疑問を込めて名前を呼んだ。
だって、キスの意味が。泣きたくなるほど優しかったキスの意味が、オレには分からない。
高見は何かを堪えてるみたいな苦しそうな表情で、オレの唇を指でそっとなぞった。
そして。
「ごめん……」
呟くように、謝ってきて。
(……え?)
オレは、胸がズキンと痛んだ。
高見が無理矢理、微笑んで。逃げるように部屋から出ていくのを、オレは止められなかった。
ドアが閉まる音を、どこか遠くに聞いていた。
「なんなんだよ、もう……っ」
ベッドの上に仰向けに寝転がったまま。
オレは両腕を顔の上で交差させた。
今更だけど、涙が溢れてきたんだ。誰が見ている訳でもないけど、何となく隠したかった。
涙が零れる理由が、自分でも分からなかった。
(オレ、おかしいよな……)
水沢会長のキスは違うとか思ったのに。
高見にキスされた時はイヤじゃなかった。
状況は、二人とも似たようなものだったはずだ。水沢会長の時は拉致されて、かなり頭にきてたから、印象サイアクだったけど。
高見の時も会長の時も、ほとんど不意打ちだったもん。
それなのに、水沢会長は『この野郎っ』とか思って蹴り飛ばして。高見の時は素直に受け入れてた。
キスの直後、高見に謝られた時は、胸が痛んだし。
なにがなんだか、分からない。
もう、頭ン中ぐちゃぐちゃ。
一人取り残された部屋の中で、オレはボロボロと涙を零してたんだ。
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