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終章

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 それから帰省まではあっという間だった。
 正確には、翔吾の帰省であり、オレにとっては初めて好きになった人の家への初めてのお泊まり、というシチュエーションなのだが。
 その翔吾の家は、閑静な住宅街にあった。
 が。

「どうぞ。ここだよ」
「え……」

 オレが言葉に詰まったのは、翔吾が誘導する家が周りの住宅よりも明らかに大きく、庶民のオレからしたらいわゆる豪邸の域に入るくらいな上に築年数が新しいのかデザインが洗練されていたからだ。

「真純?」

 門の所で再び怪訝そうに促され、オレは覚悟を決める。

「うん」

 これが翔吾の基準では普通なんだ、慣れなきゃ!
 そう自分に言い聞かせて、足を一歩踏み出した。

「どうぞ」

 翔吾の後について玄関まで辿り着き、まるで女の子をエスコートするみたいにドアを開けて中へと促される。

「こんにちは……」
「ただいま!」

 つい小声になるオレの精一杯の挨拶に、翔吾の堂々とした声が続いた。
 すると、すぐにパタパタて走ってくるような足音と共に翔吾のお母さんらしき人が現れた。

「おかえりなさい、二人とも! 暑かったでしょう?」

 ニコニコと微笑む女性。翔吾はお母さん似なのだとすぐに分かるくらいに顔立ちが綺麗で、それこそ化粧なんかいらないほどだった。
 肩にかかる黒髪は翔吾と同じでサラサラしていて、さわり心地が良さそうだった。いや、触らないけどね。

「あの、初めまして。古城真純です」
「挨拶は後でいいから。さ、早く上がりなさい。冷たい麦茶でも淹れるわ」

 オレの来訪は知らされていたのだから当然なのかも知れないけど、こんな外見のオレを実際に見ても嫌な顔ひとつ見せず、笑いながら来客用のスリッパを促してくれる。
 そのことだけでも、オレには涙が出るほど嬉しかった。
 でも、こんなところで泣いたら二人に不審に思われるからぐっと我慢する。

「ほら、真純」
「うん。ありがとうございます」

 二人に見守られ、オレはやっとのことで『高見家』に足を踏み入れた。
 案内されたのはリビングだった。
 エアコンで適温に設定された室内は快適で、翔吾が愛されている証なんだろうなぁと思った。

「二人とも、お昼は?」

 翔吾のお母さんが氷を入れたグラスに麦茶を注いで持ってきてくれながら聞いてくる。

「大丈夫、食べてきた」

 受け取ったグラスをオレに渡しながら翔吾が応じる。

「お夕飯は何にしようかしらね?」
「いつも通りで良いよ。張り切り過ぎると、この先が続かないよ?」

 思案顔のお母さんに、翔吾は少し呆れたような笑みを浮かべながら言った。

「そうね、そうするわ」

 ふふふ、と笑う翔吾のお母さんはなんだか楽しそうに見えた。
 この先……。この先があるんだ。
 そう思ったら、胸にじわりと込み上げるものがあった。

「二人とも落ち着いたらお部屋に荷物置いてきなさい。真純くんにはゲストルームを準備したから、翔吾が案内してあげてね」
「分かった。父さんは?」
「ちょっと散歩って言ってまだ帰ってこないのよ。緊張してるのかしらね」

 くすくすと楽しそうにこちらを窺われるが、どう反応したら良いのか分からず、なんとか微笑を返す。

「お夕飯までには帰ってくるわよ。気にしなくて大丈夫。お話があるなら後になさい」
「はいはい。真純、おいで」
「あ、うん」

 いつの間にやらオレの荷物まで持った翔吾が立ち上がっていて、オレを手招きする。

「真純くん、また後でね」
「はい」

 微笑みながらひらひらと手を振る翔吾のお母さんにペコリと会釈をして翔吾の後を追った。
 オレにあてがわれたゲストルームは二階だった。
 ドアを開けて中まで誘導してくれた翔吾に誘われるまま部屋に入ると、シンプルなんだけどどこか懐かしさを感じるような雰囲気にほっとした。
 ゲストルームだと言っていた割には広く感じるのは気のせいだろうか?

「気に入った?」

 そんなオレの様子を見抜いたように、翔吾が聞いてくる。

「うん」

 実はここまでずっと緊張していたオレは、やっと人心地ついた気分だった。

「俺の部屋は隣だから、何かあったら飛んでくるよ」

 ちょっと待ってて、と言い置いて、翔吾は自分の荷物を自室へと置きに出ていき、ゲストルームにはオレだけが残された。
 なんとなくベッドに座ると、硬すぎず柔らかすぎない適度なスプリングが効いていて寝心地が良さそうだなぁ、なんて考えた。
 とうとうここまで来ちゃったな、と、ぼんやりと思った。
 翔吾はああ言ったし、翔吾のお母さんも笑ってたけど、本当はどう思ってるんだろうかとか。お父さんの方はどうなんだろうとか。実際にオレを見たら反対するんじゃないかとか。
 不安は尽きない。
 でも。
 やっぱり、こんなネガティブな考えじゃダメだと思い直す。
 翔吾がオレを想ってくれてる気持ちは信じてる。だから、オレは翔吾を信じるだけだ。

「うん、大丈夫」

 ポツリ、と独り言を呟いたつもりが。

「何が大丈夫なんだ?」

 ちょうどのタイミングで部屋に入ってきた翔吾に聞かれていたことに、なんだか恥ずかしくなる。

「うん……なんかさ、いろいろ不安だったんだけど、翔吾がいれば大丈夫なのかなって!」
「そうだよ。不安になる必要なんてないよ」

 にこりと微笑みながら歩み寄ってきた翔吾にトンと肩を押される。

「うわ……っ」

オレはバランスを崩してそのままベッドに仰向けに倒れ込んだ。
 思わず閉じた目を開ければ、視界いっぱいに翔吾の綺麗な顔があった。

「しょ……っ」

 名前を呼ぶ間もなく唇を塞がれる。

「んぅ、……っふ、ま、まって……!」

 不自然な体勢で、思ったように抵抗も出来ないままキスだけで翻弄される。

「んぁ……っ、や……やだ、今日はダメ……っ!」

 やっとの思いでキスから逃れてそれだけ言うと、翔吾は困ったように微笑んでオレの頭をぽんぽんと撫でた。

「しないよ。真純が嫌がることはしない」
「翔吾……」
「ごめんな。家に真純が居るのが嬉しくて、つい」

 翔吾はオレの身体をギュッと抱きしめると、すぐに放して起き上がり、オレの身体も引き起こしてくれる。

「ここに来るまでに汗かいただろ。シャワー浴びておいで。案内するから」

 そう言った翔吾は普段の翔吾に戻っていて、オレは本当にワガママを許されているなぁと感じるのだった。

 二階にもあるというシャワーを借りて汗を流し、持ってきたシャツに着替えると少しさっぱりした。
 オレの後に翔吾もシャワーを使って、結局二人して翔吾の部屋で卒業アルバムを見たりして話をしていた。
 そして、あの時和巳ちゃんが言っていたことを実感したんだ。
 過去の翔吾が、執着心に欠けていたこと。
 無いんだ、何も。
 翔吾の部屋には、必要最低限の物しか無くて。
 例えば趣味の物とか友達との写真や思い出の品なんて物が置いてない。まるでモデルルームみたいだった。
 卒業アルバムですら、クローゼットの片隅に押し込んであるのをやっと見つけたんだ。
 そしてそれとは対照的に大切そうに見せられたのが、例の入試の時にオレが渡した安物のシャーペンだった。

「……捨ててくれて良かったのに」
「俺にとっては初恋の人からの贈り物なんだ。捨てられるはずないだろ?」

 オレが知らない、何事にも執着しない翔吾。
 そしてオレがよく知る、オレに構いたがる翔吾。
 和巳ちゃんが言ったように、もっともっと翔吾のことが知りたい。
 そう思った。
 寮から出ているということがあって、周りに気兼ねする必要がなかったからかもしれない。

「なあ、翔吾のお父さんて何やってる人?」
「うちは公務員だよ」
「公務員……」
「なんだよ?」
「いや、すごい立派な家だなぁ、と」
「ああ、じいさんが資産家だったらしいからな」
「へえ……」

 オレたちは、今まで聞けずにいたお互いのことや今の想い、進路のことなどを話していて、いつの間にか時間は過ぎていた。
 気付いた時には、翔吾のお母さんがドアをノックしていた。

「もうすぐお夕飯だから降りていらっしゃい」

 お父さんも帰って来てるわよ、という言葉に、またしてもオレの中で緊張が走った。
 翔吾に連れられて一階に降りると、ダイニングテーブルには既に料理が並び、翔吾のお父さんだと思われる男性がビールを飲み始めるところだった。

「父さん、こちらが古城真純くんだよ」

 翔吾が挨拶のきっかけを作ってくれて、オレは心臓が壊れそうなほどドキドキしながら頭を下げる。

「初めまして。古城真純です」

 翔吾のお父さんは、ちょっと怖そうに見えたけど、オレを見るとにこりと笑った。その目が、やっぱり翔吾に似ていて安心する。

「真純くん、よく来たね! 自分の家だと思ってゆっくりしていきなさい」
「はい、ありがとうございます」

 優しい言葉をかけられて、うっかりまた泣きそうになり、慌ててキッチンにいる翔吾のお母さんのところへ行く。

「何か手伝えることありますか?」
「あら。じゃあ、このサラダをこっちのお皿に盛り付けてもらえるかしら?」
「はい!」

 こんな風に誰かと過ごすのは本当に久しぶりで、なんだか胸がぽかぽかする。
 サラダを盛り付けてチェックしてもらい、オーケーをもらってテーブルへと運ぶと、ちょうど他の準備も整ったようだった。

「真純くんは翔吾の隣ね。さ、じゃあいただきましょうか」

 言われるままに翔吾の隣の椅子に座ると、あたたかいご飯に味噌汁、ハンバーグなど、家庭的で愛情がこもった料理が並んでいた。
 寮の風景に似てはいるけれど、何かが圧倒的に違う。

「では、いただきます」
「いただきます」

 翔吾のお父さんが言うのに続き、唱和して箸を取る。
 味噌汁に口をつけた時に、我慢していた涙が決壊した。
 あたたかい、優しい。
 こんな愛情を、オレは受け取っていいのだろうか。
 贅沢過ぎやしないか?
 ポロポロと止まらない涙に、オレも驚いていたし、翔吾も動揺していた。
 そんな中で翔吾のお母さんが席を立ち、オレを優しく抱きしめてくれた。
 ふわり、といい香りがする。
 香水だとかそういうのではない。『お母さん』の香りなのだと思う。

「頑張ったね。頑張ったね。……偉かったね」

 翔吾からいろいろ事情を聞いているのだろう。何も聞かず、ただそう言ってくれたことが、更にオレの涙腺を崩壊させる。

「すみません……すみません……」

 謝りながら、でも家庭のあたたかさに再び触れて涙の止まらないオレに、翔吾のお父さんが言葉をかけてくる。

「真純くん……。本当は二人が高校を卒業してからと思っていたんだが……どうかな」
「………?」
「我が家の家族にならないか?」

 泣いている頭では言葉の意味が分からなくて、頭が真っ白になる。
 今、この人は何て言った?

「……父さん?」

 助けを求めるように翔吾を見たけれど、彼も意味をはかりかねているようだった。

「翔吾が初めて執着した相手が異性だろうが同性だろうが構わない。翔吾と真純くんが幸せならそれでいいと、私たちは思っているんだよ」

 翔吾のお父さんがおもむろに語り始める。

「何にも深い感心を示さなかった翔吾が執着できる相手を見つけたことが、私たちは嬉しいんだ。ありがとう、真純くん。それで私たちに出来ることは何か考えた結果がこれだ。真純くんが天涯孤独だというなら、高見家に迎え入れようじゃないか。真純くん、養子縁組を受けてくれないか? 私たちと本当の家族になろう」

 翔吾のお父さんの表情も声も真剣だった。

「かぞく……?」

 オレが、翔吾の?
 『翔吾のお父さん』『翔吾のお母さん』じゃなくて、父さん母さんと呼んでも良い……? 本当に?

「とうさん……?」
「なんだ、真純!」

 泣いたままの情けない声で呼びかければ、力強い声で名前を呼ばれた。

「かあさん……?」
「そうよ、お母さんよ!」

 抱きしめられたまま首だけ向ければ、更にギュッと強く抱きしめられる。
 そっと翔吾に目を向ければ、彼も知らされていなかったことらしく、驚きつつも嬉しそうな様子が見て取れる。
 高見家の人たちは、オレに甘過ぎる。
 それでも、その甘さに身を委ねる幸せを知ってしまったら抗えるはずもない。
 養子縁組の件は、その場で快諾した。


 君に出会えたことは、オレにとって誇り。運命。


 君に出会えたことは、俺にとって最高の幸福。



【END】
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