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第陸話

花の嵐・其の一

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 麗らかに晴れた日曜日の昼下がり。緑のトンネルに木漏れ日が燦々と降り注ぐ……そんな森の中。パッカパッカと軽快で規則正しい複数の馬の足音が響いて来ます。何でしょう? 音と共に砂埃も近づいて来ますよ。おう! お馬さんが二頭。そして……馬車です。何やら英国風でございますよ。御者台には深緑色の作業服に身を包んだ屈強な若い男が二人ほど、馬の手綱を握っております。うーん? 何やらぎこちなく見えるのは私の気のせいでしょうか? お美しいお嬢様方を乗せて走るっているから、緊張しているのかもしれませんね。まぁ、そのお気持ちは分かります。

 馬車は艶のある漆黒。上部には黄金色の蔓草が、お洒落に描かれております。客席には四人のお嬢様方がお乗りになっておられますね。お一人は紅い地に黄色と白の小花模様のお着物をお召しになっておられます。もう一人は薄青色のお着物を。三人目のお嬢様は桃色の地に白梅の模様のお着物を。四人目のお嬢様は一際光輝くようにお美しい……淡い緑色の洋装姿も絵になる、瑠璃子様でございました。

 さて、少し中の様子を拝見させて頂きましょう。こうしてみると、色とりどりの花が咲き誇っているように華やいでおりますね。御者が妙に緊張するのも頷けます。

「乗り心地も最高ですわ! 小説で読んで以来、馬車というものに憧れておりましたの」

 薄青色のお着物姿のお嬢様が、声を弾ませます。

「あたくしもですの。人力車は一般的ですけれど、なかなか馬車ってお見かけしないのですもの」

 と、桃色のお着物のお嬢様。

「私もでしてよ。朱鷺子様と瑠璃子様には本当に感謝ですわ! 貴重な体験をさせて頂けて」

 紅い着物のお嬢様が目を輝かせます。

「お役に立てたようで私たちも嬉しく感じていますわ。たまたま、英国風にとお父様が試験的に作らせていた馬車の試乗の日で。姉と二人だけで乗る予定でしたけど、こちらも良かったですわ。四人乗りの馬車ですもの。試乗は四人居た方が良いですもの」

 瑠璃子様が花のように微笑まれました。さて、肝心の朱鷺子様のお姿はと言いますと……

「朱鷺子様の乗馬姿、初めて拝見させて頂きましたけれど、素敵でしたわ」

 桃色のお着物のお嬢様がうっとりと空を見上げます。

「本当に。ぴったりとした黒のお帽子と、黒のドレス姿(※①)と乗馬靴がほっそりとしたしなやかなお体にお似合いで……」
「ええ、西洋人のように長い手足が本当にお美しい……」

 二人のお嬢様方も恍惚とした眼差しで空を見上げます。

(皆様に同意ですわ。自慢の姉ですもの)

 瑠璃子様は内心でほくそ笑まれました。けれども、次の瞬間、苦笑に切り変わります。

(どちらかと言うと、野生の黒猫……という感じに近いせいか。お父様は『はしたない!』と苦虫を噛み潰したようなお顔をなさっていましたけれども)

 と、今朝方のお父上と瑠璃子様のやり取りを思い出す瑠璃子様なのでございました。

 
 馬車の少し後から、パカッパカッパカッと軽快な馬の足音が響きます。艶々した栗色の馬に乗られた朱鷺子様です。深紅の鞍に全身黒づくめのお姿が、惚れ惚れするくらい映えますね。後ろで一つに束ねた鳶色の髪が、風に靡いて海のように波打っています。おやおや、元々目尻が上がり気味で、きつめに見える双眸がギラギラと怒りに燃えておりますね。

(……失礼な!)

 どうやらはらわたが煮えくり返っているご様子です。朱鷺子様の脳裏には、つい先程、森に出かける前に庭園で出会った見知らぬ男の態度に怒りを覚えておられるのでした。朱鷺子様の脳裏に浮かぶのは、漆黒の髪と瞳を持つ、野生的かつ個性的な美形男性のお姿です。

 うーん……これはとでも申しましょうか、何やら不穏な……嵐の予感がします。朱鷺子様をしっかりとお守りせねば! これは、心してかかりませんと。
 
 さて、朱鷺子様に何があったのか遡ってみましょう。




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(※①……当時の女性の乗馬服。ドレスの下に黒パンツを着ていた)
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