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第十八話

道連

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「あーーーーーもう! 危なっかしいなぁ」

 炎帝は頭を抱えて叫び、地団太を踏んだ。水晶玉に映し出される氷輪の言動、その一部始終をがそこに映し出される。

「呑気にじゃれ合ってるがこの半妖が性悪で、刀とか蜂比礼とか銭とか根こそぎ盗まれたらどうするつもりなんだよー」

 心配で堪らないというように水晶を見つめる。翡翠の瞳に映し出される氷輪は膝を抱えて木の幹み背中を預けて眠っていた。その右隣に、横になって眠っている琥珀の姿があった。野武士を避ける為、炎は消したようだ。

「少し心配し過ぎではないか?」

 月黄泉命は呆れたように声をかける。炎帝は空を漂う彼を見上げた。

「いや、普通は心配になるだろうよ。あんたは神様故に高みの見物って感じだろうが」

 と睨みつける。

「まぁ、翠白とやらの守りもあるし、そう心配せずとも何とかなるだろうて。どの道、私たちには何も出来ないのだから。それに、旅の最初の段階で助けた半妖に裏切られたくらいで終わるというなら、宿世など変えられる筈もなかろう?」

 月黄泉命は、にべもなく言い捨てた。炎帝は何も言い返せず、力なくこうべを垂れる。

グォ――――――ッ

 その時、地の底より不気味な咆哮が鳴り響いた。炎帝はキリリとした朱の眉をしかめ、「チッ」と舌打ちする。「はいはい、今行くよ!」

 と叫ぶと同時に、断崖に向かって大地を蹴った。ふわり、ふわりと紅い曼珠沙華の花びらが舞う。

(こんな不条理、俺の代で止めなけりゃ……)

 まっさかさまに奈落の底に落ちながら、強くそう感じるのだった。



「……ええ、もう無一文でして。子供の病気さえ、医師に見せるお金もなく、この通りおっぬのを待つばかりでして……」

 男が身に着けている紺色の直垂は着古してボロボロだった。痩せた体にへばりつくように身に着けている。男が腕に抱いている幼子は、四歳くらいの男児と思われた。男の同じ色の直垂に身を包み。ぐったりとしている。髪はもつれてパサパサしており、一つにまとめる紐もないのか肩の下あたりまで伸び放題となっていた。
  
 氷輪は気の毒そうに男を見つめ、心配そうに男児を覗き込む。

(おいおいおい、兄者! 水や食べ物ならともかく、まさか銭でもやろうってんじゃないだろうなぁ?)

 雲水の姿に身を包んだ琥珀は、氷輪の後ろからハラハラしながら成り行きを見つめていた。氷輪との今朝のやり取りを思い返す。


 琥珀が目を覚ますと、氷輪は爽やかな笑みを浮かべ

「おはよう、琥珀」

 と声をかける。

「あ、お、おはよ……」

 その笑顔があまりに眩しくて、どぎましながら応じた。既に網代笠を被り、旅の身支度は整えてあるようだ。

「そこを少し歩いた先に、小さな川が流れていた。顔を洗って、ここに水を汲んで来ると良い」

 そう言って、竹筒を手渡す。釣られるようにして受け取りながら、琥珀は呆れたように溜息をついた。

「……兄者、やっぱり良いところの出だろぅ?」

 と問いかける。

「ん? 何故そう思うのだ?」

 不思議そうに問い返す氷に、琥珀は苦笑した。

「人を疑わなくても良い環境で育ったんだろうな、て思ってさ」
「どうしてそう思うのだ?」

 キョトンとしている氷輪に、琥珀は可笑しくなってハハハと声に出して笑った。

「だってさ、夜寝ている間に、俺が食べ物とか武器とか銭を根こそぎ盗んで行方をくらますかもしれない、なーんてこれっぽっちも思わなかったんだろ?」

 一瞬、何を言っているのか理解出来なかった様子の氷輪だが、意味を悟ると柔らかな笑みを浮かべた。朝日が差し込む森の木々の隙間は木漏れ日となって彼の頭上に降り注いでいる。琥珀にはそれが後光が差しているように神秘的で慈愛に満ちた菩薩の笑みのように見えた。視線がくぎ付けになる。

「あぁ、そういう事か。ははは、全く気付かった。でも、こうしてわざわざ忠告してくれるんだ。琥珀は大丈夫さ」

 と自信たっぷりに言うではないか。思わず口をあんぐりと開けて呆れる琥珀。

「……駄目だこりゃ」

 琥珀は大げさに肩をすくめ、首を横に振った。

「兄者には俺がついてないと、危なっかしくて見ちゃいられねーや」

 と照れたように言った。目を丸くして驚いたように見つめていた氷輪は、

「あぁ、宜しく頼むよ、琥珀」

 そう言ってふわりと笑った。

(花が笑うような微笑み、て。こんな感じの笑いだろうな)
 
 と琥珀は思いながら、

「おう! 任せとけ、兄者!」

 と二ッと笑って胸を張ったのだった。二人で西を目指して旅立ってしばらくしての事……。道端で幼子を抱いてうずくまり、「坊、坊! しつかりしておくれ」と悲痛な声を上げている男に出会ったのだ。

 そして我に返る。

(……兄者め、お人よしそうだからなぁ)

 案の定、氷輪は腰を下ろし、荷物の中を探っていた。

「駄目だって、兄者!」

 琥珀は居ても立っても居られなくなって氷輪の前に飛びだした。
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