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第二話

妖刀と名刀・中編

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 勧められるままに通り沿いを歩いて行くと、ほどなくして人々の騒めきや笛の音などが風に乗って聞こえてきた。

「兄者、祭囃子だ!」

 琥珀は待ち切れないというように走り出した。そんな彼女を、氷輪は目を細めて見つめる。少し前の元気のない様子を見せた琥珀を心配していただけに、その笑顔にホッとするのだった。見失ったら大変だと、足早に琥珀を追う。近づくにつれて、祭囃子の音の他に、人々の楽し気な笑い声や話し声も次第に大きくなっていく。

「さぁ、美味しい美味しい白米握りだよー!」
「甘い甘ーい饅頭だよ|」
「やわらかーいお餅だよ!」

 町人たちの元気に売り込む声。

「あれ欲しい!」
「買ってー!」

 と親の手を引っ張る子供たち。

「うわぁ、楽しそうだ!」

 琥珀は祭り会場につくなり立ち止まって氷輪を待った。そこは田畑が周りを囲んでいる広場になっていて、そこに餅や握り飯、団子や饅頭などを売る者たちが台を並べていた。

「兄者、あれ!」

 氷輪が追い付いてくるなり、琥珀は右斜め前方を指さす。氷輪が視線の先に目を向けると、木の杭四つと縄で場所を作り、派手な衣装に身を包み脳面を被った者が舞を披露していた。その後ろ側では黒衣に身を包んだ者が四名ほど控えている。内一人は右肩に鼓を抱えており、他の黒衣の者たちが唄ったり掛け声をかけたりするのに合わせて打っていた。観客たちは周りを囲うようにして並んで座っている。かなりの見物人だ。

「……猿楽能だな」

 と答えつつ琥珀の右隣に並ぶ。氷輪自身、生で見るのは初めてであった。知識として父親から手描きの絵で教わった事を思い出す。その絵の繊細な出来栄えを今更ながら再確認し、多才な父を誇らしく思う。自然に口元が綻んだ。

「ど派手な金ぴか衣装だよな。あの能面は幸成のおっちゃんのかな?」
「……可能性は、高いだろうな。見てみるか?」

……一族の長女なのだ。極上の舞を披露出来ねばな……

 ファサッと広がる桜色の扇に、そこはかとなく漂う桔梗の花の香り。白衣に身を包んだ、幼き自分。そして自分を優しく見つめる空色の二眸。柔らかな胡桃色の髪が微かに自分の頬に触れて……

「……琥珀、どうした?」
「ん? あ、いや……」

 氷輪の問いかけに、一瞬だけ己の過去が思い出される。慌てて打ち消し、誤魔化すように照れ笑いを浮かべる。

「へへへ……すまん、その、あれだ。能面見ててさ。何となく百夜のあねさん元気かなー、なんて思って
さ」

(琥珀、何があった? お前のその瞳に憂いの影を抱かせる正体は何だ? 私が消してやる事は出来ぬのか?)
「……まぁ、大丈夫だろう。幸成殿を始め、一族でとても大切にされているし。それに、今度何かあれば、百夜殿がしっかりと陰陽師殿に言うだろうし、今後はしっかりとその意思は伝わるだろうさ」

 ほんの僅かに、琥珀の瞳が虚ろになるのを見つめながら、それ以上立ち入れない己に苛立ち覚える。されど表面上は穏やかに、何も気づかない風を装う。けれども話しながら、百夜の物怖じしない真っすぐな気質と元気さに活力を分け貰った気がした。

「おう! そうだな」
(そうだ! あとどのくらい二人だけで一緒に過ごせるのか分からねーんだ。今この時を大事にしないとな)

 琥珀は氷輪の言葉に、その笑みに勇気を得る。そして左側で、子どもたちが何かに群がり始めているのを見つけた。

「俺、ホント言うとさ。猿楽能よりもさ、気楽に見ている皆と騒げる田楽能のが好みだな。それに、あっちのおっちゃんの『むかしかたり』ってのが聞きてーな。俺、まだガキだからよ。へへっ」

 と二ッと歯を見せて笑い、左手を指した。氷輪がその先を見つめると、木の枝を地に突き立て、紙に墨汁で『むかしかたり。妖刀ようとう名刀めいとう』と書かかれたものが立て掛けられていた。

「さぁさぁ! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 子供から大人まで、この語り部おきなのお話をどうぞお楽しみあれー!」

 人の良さそうな初老の男が、にこやかに声を張り上げた。頬がふっくらとしており、とれも親しみ易そうだ。何より声に張りがあって惹き込まれる。その声に引き寄せられるようにして、更に子連れの親子たちが何組かやって来た。

「そうか。田楽能の方が気楽に楽しめるか。確かに、そうだな」

 氷輪の脳裏に、田楽能と猿楽能の父が説明してくれた絵が甦る。自然に笑みが零れる。

「『妖刀と名刀』か。面白そうだな」
「な? だろ? 行こうぜ、兄者!」

 琥珀はそう言って、氷輪の左手を右手で掴んだ。互いの手の温もりを感じ、同時に恥ずかしそうに互いを見つめる。しっかりと手を握り合い、隣り合うようにして歩き始めた。
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