上 下
84 / 110
第七話

伊勢の国とモフモフと・その五

しおりを挟む
 信濃国、二階堂一族の領地……。

 蒼天の下、村人たちが田楽能を見物しながらやんややんやと共に踊って盛り上がっている。

「母ちゃん、団子食べたい」
「はいよ」

 団子や饅頭が立ち並ぶ場所には親子連れが多く、新鮮な野菜や農具、家事に使う用具などが並ぶ場所では夫婦、または友人同士連れ立って見ている者が多い。少し先では、語り部の翁が子供達を前にお伽話を披露している。

 誰も彼もが笑顔で祭りを楽しんでいる。そこへ、複数の馬の軽快な足音が響く。

「民たちは、つつがなく祭りを堪能している様子です」

 藍色の直垂姿の従者と、枯草色の直垂姿の従者達がそれぞれ栗毛の馬に乗って佳月の前に報告をした。漆黒の馬に跨った佳月の隣には、白馬に乗った椿が寄り添う。紅葉色の小袖姿と、後ろに一つに束ねた長い漆黒の髪が、白馬に映えて目にも鮮やかだ。草色の狩衣姿の佳月と、まるで一対の絵のようによく似合っている。

「そうか、ご苦労だった。小半時ほどしたらまた見回りを頼む。その間、お前たちも祭りを楽しんで来ると良い」

 佳月はそう言って柔らかく微笑んだ。

「し、しかし……」

 従者達は戸惑う。

「構わん。楽しんで盛り上げてやった方が良い。これは豊かな恵みと繁栄を神に捧げ、讃える為の祭りなのだから」

 佳月の言葉に、ハッとした様子の従者達。

「行ってらっしゃい。小半時後、またお願いね」
 
 夫の言葉をそのまま後押しるように、椿は言葉を添えた。

「では、お言葉に甘えまして」

 従者達は馬からおり、頭を下げる。そしてそれぞれ馬を引いて去って行った。彼らを見送った後、佳月と椿は互いを見つめ、微笑み合った。

「これからは有恒に卜わせ、最適な時に祭りを開いて行こう。それで神に感謝の意を伝えていく。それと、月に一度は民全員で神に祈りを捧げる時を設けようと思う」
「ええ、良いと思います。そして私たちは毎朝毎晩、祈りを捧げる時間を設けましょう」
「あぁ、そうしよう。私たちも共に……」

(息子と共に戦おう)という言葉は心の中でそっと呟いた。椿にはその事がひしと伝わった。先日、夕星が佳月の夢枕に立った。人々の欲望と人柱の均衡が崩れ、炎帝一人では耐え切れない状況ある事を伝え聞いた。目を覚まし、すぐに陰陽師の有恒を呼び、どうしたら炎帝の負担を少なく出来るのか相談、卜わせた。敵わぬまでも、少しでも息子の力になりたかった。その流れの一環で、急遽祭りを開く事にしたのである。

「はい!」

 椿はしっかり応じ、強い眼差しで夫を見つめた。




「まだたべるの! おなかいたくしないでね!」
 
 四歳くらいの女児が、目を丸くして目の前のまん丸いフサフサしたものを見ている。女児の肩の辺りで切り揃えられた髪が、動く度にサラサラ音を立てる。
 目の前のそれは鋼色の柔らかな毛を持つ生き物だ。両手で大きなすずしろをしっかりと持ち、葉の部分からカリカリカリカリと無心で食べ続けている。

「よく食うなぁ! よっぽど腹が減ってたんやな!」

 六歳くらいだろうか? 男児が感心したように言った。

「お前たち、少しそっとしといてやりな!」

 子供たちの母親と思われる女が、台所で米を研ぎ乍ら声をかけた。そう、子供たち二人に捕まってしまった風牙は空腹のあまり目を回して倒れ、そのまま家連れて来られたのだった。目を覚ますなり、室内にあったすずしろに飛びついた風牙に、女はすぐに腹が空いているのだろうと察し、そのまま食べさせた。今、三本目に突入している。夢中で腹を満たす事に集中していた。



「兄者、今朝からぼんやりする事が多いけど、何かあったのか?」

 琥珀の問いかけに、我に返る氷輪。一瞬、今自分がどこにいるのか把握出来なかった。

(そうか、宿を出て神宮を目指しているところだったな)
「あ、いや。少し妙な夢を見て熟睡出来なくてな」

 咄嗟にそうこたえて誤魔化す。

「悪い夢かよ? 衣を裏返して寝ると悪い夢を食べてくれるって言うぜ?」

 本気で心配そうに覗き込む琥珀に、何故か一種の後ろめたさを覚えた。今朝方、漆黒の髪と惹き込まれそうな程黒々とした瞳を持つ美しい女が夢枕に立ったのだ。何故か、懐かしい気がした。人目見た途端、強く惹かれた。その瞬間、己の目的や今までの記憶全てが消えてしまった。目を覚ましてもその感覚は残り、己の感情を持て余していた。

「有難う。まじないだな。でも、何の夢か忘れてしまって。それがまたもどかしいような気がしてな」

 口先だけの言い訳が虚しく響く。酷く心苦しかった。
しおりを挟む

処理中です...