姫国あやかし絵封録

蒼村嬉享

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◆第四章 存在の善悪◆

第十六話 領域浄化

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 幼少の多田比呂人は父を失い悲しみに暮れていた。

 牧場経営は父の力が大きかったものの、幸い多くの者達からの助けもあり維持は可能だった。多田は子供ながらに自分も牧場を支えるつもりだった。

 数年が経過した折、母が再婚した。相手は同じ競走馬の育生を行う牧場主。

 義父となった男は普段は優しく大人しいのだが酒癖が悪く、酒を飲んでは暴力を振るった。多田も後に知ることだが酒が原因の暴力沙汰で服役したこともある男だった。
 多田は母を守り殴られた。いや……母を守る為に戦った。酒を止めねば殺すと脅しナイフを持ち出したこともあった。

 それを努力の甲斐と言うべきではないのだろうが、結果多田の義父は酒を絶つことに成功した。しかし、それ程に拗れた親子関係がまともに修復できる訳もなく、多田は全寮制の高校に進学しそれ以来ほぼ帰郷はしなかった……。

「……不幸な生い立ちから大学院の研究室に入るまでになったのは心の強さか」

 賢雲は同情しつつも感じ入るものがあったのだろう。数珠を取り出し拝み始めた。そんな賢雲を横目にスミジは話を続ける。

「呪詛は何が原因なんですか?」
『ここまでの中で多田比呂人は義父の暴力を一身に受けた。母の為そうするよう仕向けた賢しさは成る程子供ながらに大したものと言える。しかし……やはり精神は子供には違いない。身体の大きな大人から振るわれ続ける暴力により精神は少しづつ病んでいった』

 多感な時期である子供時代……家庭のことだけでなく学校の友人など様々な環境の影響を受ける。そんな多田が辿り着いたのは行き場の無い憤り……つまりは精神の抑圧される環境。

 結果──。

『多田比呂人は心を分けた。立ち向かう心と暴力を受ける心……』
「二重人格……」
『通常の二重人格と違うのはもう一つの人格が呪詛を宿したことだ。これは前例がない特殊なもの』
「呪詛……。原因は一体……」
『心の弱き人格は捌け口を更に弱きものへと向ける。初めは虫を殺し、小動物、そして……』

 子馬……多田の裏の人格は子馬を虐待し殺害していたと馬頭は告げた。賢雲は掌を胸の前で立て力強く一礼。悲しげな表情を浮かべる。

「いたたまれぬ話ですな……」
『うむ。多くの命を奪えば何等かの反動がある。多田の場合は生き物を故意に苦しめた。故に怨念が溜まった訳だが……それだけではない』
「それは……?」
『呪術師……つまり、そなた達のいう【咎憑とがつき】が遺した呪法書を近年多田比呂人は手に入れた。それは本当に偶然のこと……だが……』

 【咎憑き】の多くは人格破綻者でもある。まともな物を遺す訳もなく、敢えて間違った呪法で被害が拡大するように記されていたのだ。

「それが呪物……ですかな?」
『正確には“呪物を造る知識の元”となった。多田比呂人自身は呪法が誤りだということを知らぬ。そして多田の本当の人格は己が行っていることにすら気付いていない』
「故に裁くに裁けなかった訳ですな……」
『多田比呂人は罪を自覚していないのでな。当然、罰を与えようもない。それに、たとえ異界領域となろうと現世うつしよに私が干渉するのは躊躇われる。現世のことは現世の者に任せるのが筋であろう』

 だから馬頭は周囲に被害が出ないよう多田を見ていた。最終的には呪物のみを浄化するつもりだったそうだ。

『だが、祓い師たるそなた達が現れた。後は任せて然るべきだろう』
「承知いたしました。どうかお任せを」

 賢雲の言葉に馬頭は納得したように頷いた。

『では、最後に一つだけ忠告をしよう。多田比呂人と呪物は繋がっている。呪物を祓えば多田の人格の片方が幽世かくりよに引かれる恐れがある。そうなると……』

 人格は二つでも魂は一つ。最悪の場合、多田は魂が消え死ぬことになるだろうと馬頭は告げた。

「むぅ……。咎憑きどもめ……厄介な呪法を遺しおって……」

 賢雲は忌ま忌ましそうにそう呟いた。一方、馬頭はスミジが思索している様子に気付く。

『……。若き祓い師よ……そなたには何か策ある様だな?』
「えっ? ああ……策ではなくて当てがあるので……。まさか、本当にアイツ頼りになるとは思わなかったんですけどね……」
『ふむ。ならば、後は任せることとしよう。幽世に帰るついでだ。領域内に溢れた我が眷属達は全て引き連れて行く……そなた達は多田比呂人のみに尽力するが良い』
「感謝致します、馬頭観音様」

 馬頭は賢雲の言葉に頷くと、深く息を吸い込み高らかにいなないた。学園に淀んでいた領域の気配は一瞬でほつれ清浄なる空気に変化。学園は馬の怪異から解放された。

『では、任せたぞ。祓い師達よ』

 ゆらりと輪郭が不安定になった馬頭はそのまま世界に融ける様に姿を消した。

「……。流石は観自在菩薩《かんじざいぼさつ》の一形態……まさか一瞬で学園を浄化するとは思いませんでした」
「うむ……儂も少し驚いたわ」

 神仏の『悟り』が何を意味するのかスミジにはわからない。しかし、仏に仕える存在はそれを目指し修行しているのだという。
 悟り──つまり神の世界は幽世の更に向う側……それは最早人智の及ばぬ領域。そこを目指す存在である馬頭は、幽世でもやはり格が違うということなのだろう。

「さて……馬頭観音様に御配慮を頂いたのだ。事を果たさねば面目が立たぬぞ、道祖土スミジよ?」
「スミジで良いですよ。……。そうですね……。とにかく、多田比呂人を祓いましょう」
「それで……算段は?」
「鍵は御門です。私も手の内を全て知っている訳じゃありませんが、まぁ大丈夫でしょう。おっと……その前に三条さんに連絡を入れないと」

 これにより学園に残る怪異は多田比呂人に関するもののみとなった。

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