上 下
17 / 65

15・5

しおりを挟む
 ホーンドオウル侯爵家に来てから、随分と時間を過ごしたような気がするのに、実際には1カ月もたっていないのだから、俺はこの屋敷の中で居心地の悪い時間を過ごしているということなんだろう。
 侯爵家の次男であるアインの花嫁としてここにいる筈なのに、使用人達の俺への態度が「お客さん」のままで、なるべく部屋からは出ないようにと、声に出して直接言われた訳ではないが、態度がそんな感じだった。
 でも、俺専属のメイドが用意されていないことは有難い……一般的な令嬢ならば、それはあり得ないのかもしれないが、俺はひとりで服は着られるし、髪も梳かせる。
 コンコン。
 部屋の扉がノックされた。
 この屋敷に来てから俺の部屋をノックしてから入ってくる人物は、トリシュしかいない。
 侯爵の代理とかいった執事も、部屋の掃除をするといったメイドも、皆ノックはするが返事も聞かずに勝手に開けて入って来るから。
 「入って」
 許可が出るまで待っているのなんて、本当にトリシュしかいない。
 「失礼します」
 ほら、トリシュの声だ。
 可笑しいよな、本当に俺はどうかしてる……あの、太陽のような男が部屋を訪ねてくれたかもしれないとか思いつくのだから。
 気を取り直さなくては。
 「屋敷内にあの魔法使いはいないようだな」
 あの日、俺達の馬車を襲いホーンドオウル侯爵家にいる間は俺達の命を保証すると脅しをかけてきた、あの忌々しい魔法使い。
 大切な……大切なものを奪っていったあの魔法使い。
 「騎士団が3部隊存在しており、そのうち2部隊との顔合わせを行いましたが……あの時に聞いた声の主はおりませんでした」
 騎士団が3部隊いるとは聞いていたが、本当だったのか……流石侯爵領といった所だな。
 あぁ、森に魔物が出るから騎士が多いのか。
 「後の1部隊は?」
 俺よりも自由に侯爵家の内部を動けるトリシュが会ったことがないとなれば、本館にいるとか?
 「あの男が率いる部隊だそうで、ほとんど魔物の出る森にいるそうです」
 あの男?
 「それって、アインのこと?」
 侯爵家の次男に向かって不敬じゃないか?
 良いのかな?
 「あ……失礼しました。この屋敷にいる者のほとんどが、アイン様の名前を呼ばないので……」
 どういうことだ?
 「名前を、呼ばない?理由は分かるか?」
 アインというのが不吉な言葉だとか……なら名前として付けないよな。
 「本当の所は分かりませんが、かなり恐れられているようです。名前を口にすることすら嫌悪感があるようで……」
 恐れている?
 恐れている癖に“嫌悪感”は可笑しくないか?
 そもそも、あの太陽のような男に対して嫌悪?
 「それでトリシュにも呼ぶなと?」
 「はい。それに慣れてしまい……申し訳ありません」
 深く頭を下げているトリシュの頭を眺め、少し不思議に思う。
 俺はなぜこんなに不快なんだろう?
 なにに対しての不快感だろう?
 ホーンドオウル侯爵家の者達に?トリシュに?それとも、屋敷の中に俺を放っておくアイン本人に?アインについて行って中々帰って来なくなったレッドドラゴンに?
 「今から会いに行く」
 会いに来てくれないのなら、会いに行けば良いんだ。
 顔を見て、少し話をすればこの不快感の正体が分かる気がする……なんて、ただの言い訳なんだというのは自分でも分かってる。
 ただ、会いたいだけだ。
 恋人らしいことをしようって提案をしてからあまり会えていないし、アインが頑なに信じ込んでいる、俺がホーンドオウル侯爵家の長男を本気で好きとかいう酷い勘違いをどうにかしないと。
 魔法使いについて相談をするのは、その勘違いを改めてもらった後だ。
 トリシュに手伝ってもらいながら“姫様”の服装に着替えた俺は、やんわりと部屋に戻ることを進めてくるメイド達に笑いかけながら断り、危険だから屋敷から出ないでないで欲しいと言ってくるくせに一切護衛についてこようとしない騎士達を通り過ぎ、トリシュと2人で魔物が住んでいる森へ……アインがいる森へ向かった。
 アインは前に言っていたんだ、魔物のほとんどは夜行性だって。
 だから朝早くに訪ねて行けば会ってくれるんじゃないかって、そう思った。
 「あー……王女様。えっと、坊ちゃんはこちらです」
 坊ちゃんか……共にいる者達ですら名前を呼ばないのか?
 そして指示された方を見れば、座った状態で眠っている……のか?目を閉じたまま動かないアインがいた。
 確かに魔物が引いた隙に寝ているとは聞いていたし、前に来た時にはちゃんと横になっていたから分からなかった。
 アインの寝姿は、生きている人間という感じがしない。
 まるで、放り投げられたままの状態で放っておかれている人形のようだ。
 「ん……」
 あ……。
 風で木々が揺れたことで朝の光がアインの目に当たって、それを眩しそうに顔を背けて逃げるから、なんか一気に人間らしいや。
 手で影を作りアインの寝顔を眺めながら、トリシュとの話はやはり結婚の話題になっていく。
 「王は結婚式に参列するのでしょうか?」
 先日、俺の父でもある島の王から2通目の手紙が届いた。
 内容は1通目とほぼ同じで、「早く結婚をしたという知らせが聞きたい」というものだ。
 その内容からも分かるように、王は結婚をしたという知らせが聞きたいだけであって参席する意思は微塵にもないのだ。
 当然だ、居心地の良い自分の城から出て船に乗り、馬車に揺られ、何日もかけて第15王女の結婚式になど来る訳がない。
 それに、父はきっと俺達の名前も知らない。
 関心があったのは結婚することではなく、ホーンドオウル侯爵の血を引く者……カインだろう。
 そのカインが行方知れずとなってしまったのだから、王はホーンドオウル侯爵家との政略結婚をする建前として提案した事柄にすら興味を失くしたはずだ……大陸との貿易だなんて。
 ……父はアインの存在も知っていた筈なのに、何故カインだけだったのだろう?
 結婚の知らせを待っているとの2通目の手紙……アインに対して完全に興味がない訳ではない?
 「捨てるように嫁がせた王女のために島を出ることはないだろう」
 そうであると願いたい。
 3通目の手紙が届かないことを祈る。
 「……どう、なさるおつもりですか?」
 どうすれば良いのかなんて俺が聞きたいよ。
 魔法使いも見つからないし、父の動向も気になるし、ホーンドオウル侯爵家の人達とは馴染めないし、アインはこちらから会おうと思って行動を起こさない限り会えないし。
 だけど、ひとつだけハッキリしていることがある。
 ホーンドオウル侯爵家にいる間は、俺達全員の命の保証がある……本当かどうかなんてわからないけど、信じるしかないじゃないか。
 「当初の予定通り。俺は侯爵家にいられれば、それで良い」
 少なくとも、あの時の魔法使いを捕まえるまでは。
 「姫様!俺、姫様の恋を応援するよ!」
 突然、なんの前触れもなく飛び起きたアインは、高くなった日の光を顔に浴び、その眩しさに蹲ってしまった。
 慌ただしい人だと少し緊張がほぐれはしたけど、なに?俺の恋を応援する?
 この期に及んで、まだそんな勘違いをするのか?
 この間、あれだけハッキリ伝えたというのに何故わかってくれなんだろう……俺はホーンドオウル侯爵家にいなければならないのに。
 「う~~~」
 蹲って目を押さえているあの背中に飛び掛かってやろうか?
 きっとまた面白いほどにうろたえてくれるのだろうな。
 ようやく目が慣れたアインは、俺達を街に連れ出してくれて……それでトリシュの警戒は解れてしまったのか、魔法使いについて尋ねていた。
 細かな説明を、苦手そうにしながらも懸命に伝えようとするアインと、言葉を懸命に理解しようとするトリシュは、傍から見てみればお似合いだった。
 それならそれでトリシュとアインが一緒になったとしても、俺達がホーンドオウル侯爵家にいる状況に変わりがないんだし、それでいいはずだ。
 それで……いいはず……。
 「ちょっとついて来て。構築されている風魔法の中で、1番強力なものを受けてもらう」
 俺は一体なにを考えてるんだ。
 折角魔法使いに関しての手がかりなのに、こんな上の空でどうする。
 到着したばかりの街から離れ、人の気配のない場所で立ち止まったアインは、ひと声かけて来ると風魔法を使って見せてくれた。
 ビュゥーっと強めの風が吹いて髪が舞う。
 俺は、王家の色を引き継いでいる自分の髪が嫌いだ。王家の青を引き継いでいる目も、嫌いだ。
 「あの、これ以上の魔法はもうないのですか?」
 今日の俺はどうしたんだろう、考えなくて良いことばかりが頭に浮かんでしまう。
 折角今日は街まで来ているというのに、少しも楽しめていないじゃないか。こんなことではホーンドオウル侯爵家を追い出されてしまうのではないだろうか?
 もっと、もっと仲良くなって馴染まないと駄目なのに、どうして良いのかも分からない。
 「姫様、トリシュ、ちょっと……いや、かなり集中して風を感じて。瞬間最大風速を感じて。良い?本当に一瞬しか吹かないから頼んだよ!」
 「え……?あ、はい!分かりました!」
 「いつでも大丈夫です!」
 なにが始まるのかと身構えてすぐ、さっきまでのとはレベルが全く違う強風が吹きあがった。
 2秒くらい。
 舞う木の葉の向こう側に見えるのは、真剣な表情をしているアインの姿で、舞う木の葉がキラキラと光を反射するものだから、アインが輝いているように見える。
 やっぱり、太陽みたいな人だ。
 風が収まれば、またトリシュと魔法使いについて話し合うから、疎外感が凄い。
 確かに、そうなんだ……。
 俺なんかよりもトリシュを選んだ方が健全で、俺達の置かれている状況を説明すれば、きっとホーンドオウル侯爵だってアインとトリシュの婚姻を許可するだろう。
 トリシュは、王族の青を引き継がなかっただけで、王族なのだから。
 島では青を神聖な色として考えていて、そのため青を継ぐ王族に対しての信仰も厚い反面、王族は権威を保つために青を持つ後継者作りに余念がない。
 その結果、今の王……俺の父は完全な青であるアクアブルーの髪と瞳を持つ子を特級、青の髪と瞳を持つ子を1級、髪か瞳どちらかの場合は2級、どちらも持たない子は3級で王城への立ち入りは禁止されていて、多くの場合は騎士として育てられる。
 俺は1級の王族でトリシュは3級の王族であり、15王女の護衛騎士というだけ。
 「先になにか食べようよ、俺お腹空いたー……あ、なに食べたい?俺はガッツリいきたいから通りにある食堂に行くけど、大通り沿いにはカフェがあるから、軽食ならそっちの方がおすすめだよ」
 魔法の話しが終わって、なにか食べようということで訪れた食堂でのこと。
 周囲の人に「彼女同伴か」と冷やかされたアインはパッとトリシュの方を見て、
 「今日はおすすめメニューをおすすめするって約束だったのー。なっ!トリシュ」
 と、トリシュにだけ同意を求めた。
 疎外感が凄いなぁ……。
 そんなアインが俺の方を見たのは、食堂を出た後になってからだった。
 けど、すぐに空を見上げてしまった。
 「どうされましたか?」
 だから隣に立ち、同じように空を眺めてみたけど、そこに特別なものはなにもない。
 なにかがある?なにかが見える?
 「なんでもないよ。姫様、兄さんが贈った指輪ってどんな感じだった?」
 あぁ……そういう……。
 貴方はまた、俺の前でカインの名を出すのか。
 トリシュのことは親し気に呼ぶくせに、俺のことは未だに1度だって名前を呼ばないんだな。
 知ってるよ、分かってる。
 俺が可笑しいんだ。
 「えっと……そうですね……えっと……」
 そう、これは皆の命が守られるから、青を引き継いだ俺が花嫁になっただけ。
 落ち着いて、大丈夫。
 なにか適当に答えて置けば良いんだ。
 皆の命の保証があって、それで、俺は……。
 俺、なにやってんだろ。
 これで良かったのかな?
 分からないや。
 「……っ……」
 あぁ、最悪。
 「……アイン様、少し席を外していただけますか?」
 トントンと背中を叩いてあやされ、それがまた情けなくて泣けてくる。
 「俺、どうしたら良い?トリシュ……俺……分からないんだ……」
 もう全部説明したら良い?
 魔法使いに奪われたものを全て伝えれば良い?
 「……アイン様はともかくとして、ホーンドオウル侯爵家の人間を信じるには早いかと思います。ですので、私達だけで魔法使いを探しましょう」
 うん、そこは、俺も同意見。
 「ん……」
 「指輪は魔法使いに奪われたことに嘘はありませんので、ピンク色の宝石だったと特徴だけを伝えれば良いと思いますよ」
 確かに、指輪の詳細について尋ねられてないから、それで大丈夫そうだ。
 「んっ……」
 「他に、なにが分かりませんか?私に答えられることでありましたら、お答えいたします」
 他に分からないこと……。
 アインがトリシュにだけ親しいのが悲しい。
 名前を呼ばれないのが寂しい。
 会いに来てくれないのが嫌……。
 俺がカインを好きだという勘違いを止めて欲しい。
 トリシュ、この気持ちはなに?頭と心がグシャグシャになるこの感じは、なんなんだ?
 「……トリシュは、アインと結婚したい?」
 「いいえ。あ、申し訳ありません……ハッキリ伝えた方が良いかと思い、つい……」
 あ……そうなんだ?
 トリシュ、その答えを聞いて少し心が晴れたんだ。なぜだろう?
しおりを挟む

処理中です...