【R18】星屑オートマタ

春宮ともみ

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26.音色が差し込む先の景色

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「私はAliceアリスさんのインディーズの頃の『復讐』という楽曲がとても好きでして。『私が見ていた空洞の世界 浸っていた悲しみの沼の底 漆黒の日々を打ち砕く準備はもうとっくに出来ている』という歌詞、あの一文に衝撃を受けました。……当時19歳であった少女が、どういった人生を生きてきたらこのような一文が出てくるのだろうと」
「あぁ、あれ! う~んと…あたしは自分で歌詞を書いているので、歌詞やタイトルに織り込んだある意味センセーショナルな言葉で誰かにメッセージをするのが……あたしなりのやり方というか」

 男女問わず若年層から支持を集めている若手ロックシンガーAlice。20歳でメジャーデビューを果たし、その類いまれなる声質で時代の寵愛を受けている。腹から響く迫力のある歌声からウィスパーな歌声までを網羅した圧倒的な歌唱力は世界中を魅了し、今年の夏からは日本武道館を皮切りとした世界ツアーを控えている。特筆すべきはビジュアルを一切出さないということだ。ライブ時でも照明を背中から当て、逆光が落とす彼女の影しか見せない。テレビや動画配信サービスでの音楽番組への出演もひな壇には座らず、トークは一切公開しない――謎のヴェールに包まれたロックシンガーなのだ。
 そんな彼女は今年デビュー1周年を迎え、どの雑誌もここぞとばかりにインタビューを申し込んでいた。写真を撮らないというのがどの雑誌にも提示された条件だったそうで、それは私が所属する星霜出版社へも同様だ。そのため、今回はカメラマンを同行せず私一人での取材となった。
 大人の女性をターゲットにしたライフスタイルマガジンの担当である私は、既存の音楽雑誌とは違う着眼点でのインタビューを立案していた。そんな企画である以上、何度も投げかけられた一辺倒な質問では彼女も回答に困るだろうと考え彼女の原点であるインディーズ時代の楽曲を聴きこんでいたが、どうやらその選択は正解だったらしい。投げかけた質問に、強めに引かれた黒いアイライナーが印象的な彼女がそっと微笑んだ。

「選べなかった道を後悔しないためにも……選び取った道に、掴み取った日々に胸を張りたい。あの楽曲はあたしなりの、過去のあたしとの決別の歌です」
「と、いいますと……」
「人生って、選択の積み重ねですよね。人生を送るにあたって、たくさんの分岐があって。幾億、幾兆の選択の上に成り立っている」

 整えられた黒のネイルにラインストーンが煌めく指先が、ふい、と虚空を彷徨う。

「あたしは『諦める』ということをしたくないんです。でも、人生の中で何かを『諦める』選択をすべき瞬間も、往々にしてあると思っています」
「……」

 艶めいたワインレッドの唇から紡がれる相反する言葉。一回り下の女性から飛び出てきたとはおよそ思えない、哲学的な言葉に私は息を飲んだ。意思の強い黒々とした瞳が困ったように緩やかに細められる。

「あたしの生家は家業をしていて。あたしは3人姉妹の長女だったので、幼い頃から後継ぎとして育てられました。顔出しをしないのは、生家に迷惑をかけないことが父から厳命されたデビューの条件だったからです」
「そのために……SPセキュリティポリスまで雇っていらっしゃる、と」
「はい。彼は父が手配したSPなんです。プライベートまで監視されていていろいろ口うるさいので、ほんっとうに鬱陶しいと思っちゃいますけどね」

 悪戯っぽく微笑むAliceさんの後ろに控えたぴっしりとしたスーツの男性が、ごほんとわざとらしく咳き込んだ。憮然たる面持ちの彼の瞳が剣呑な光を宿し、じとりとAliceさんを見つめている。その視線を感じ取ったAliceさんはふたたび困ったように肩を竦め、ゆっくりと息を吸い込んだ。

「……1つ下、双子の妹たちはパテシエやデザイナーという夢を追い大学や専門学校に進学して羽ばたいていっているのに、あたしの歌手になりたいという夢は親から否定され地元に残り後継ぎをすることが定められて……。お恥ずかしながら、妹ふたりに恨みつらみの感情も、もちろんありました。短大を卒業する間際、20年間努力して『小説家』としてデビューされた先生の記事を拝読し、ひたすら夢を追い続けて努力されてきた先生のお姿に、うじうじと燻っていたこれまでのあたしを恥ずかしく思いました。インターネットが発達した今はデビューの門戸も昔に比べてかなり大きく開かれていて、今からだって夢を追いかけることはできるのだと勇気をいただきました。過去を悔い、恨み、変にくすぶらず、うずくまらず、真っ直ぐに生きていきたい、と。だからこそ……『諦める』ということをしたくない」
「だから……『復讐』。これまで『諦めてきた』人生を『打ち砕く』ための、『復讐』」
「そう! そうなんです。『諦める』って、出来たはずの選択を自ら捨て去るってことですよね。本当は出来たはずだけど、『諦めた』……なんか負け惜しみのようでカッコ悪いって思いません?」
「……た、しかに」

 諦める、という日本語の意味を、私はこれまで深く考えたことはなかった。『言葉』を『歌』に乗せて言霊としてきた彼女だからこそ、辿り着いた彼女の信念。メモを取ろうと視線を落とすと、記事に起こすために回し続けているボイスレコーダーの緑の光に、ふっと……千歳を取材した時のこと、そして先週、待ち伏せをされていた時の記憶が脳裏に蘇る。


 ――あ。ボイスレコーダー、エラーになってませんか
 ――僕は、ずっと探してた。やよさんのこと
 ――ごめん。でも、僕はどうしてもやよさんを諦めたくない
 ――そんなことある。僕がどれだけやよさんを想ってるか、ずっとやよさんを見てきたか。やよさんがそれを知らないだけ


 奥の奥まで射抜かれるような千歳の視線を思い出し、どくん、と心臓が強く収縮した。


 先週顔を合わせた千歳からは連絡はないままだ。あの夜に偶然割って入ってくれたマスターからも。
 あの時、マスターが千歳を引っ張っていってどんな話をしたのかはわからない。千歳が私に執着しているということはあの場面を見たきっとマスターは理解してしまっただろう。『やよいを諦めろ』という話を千歳にしたのだろうか。そう考えると眦が熱くなってしまうから、ずっとずっと――あの夜のことを考えないように、と、この一週間を過ごしてきた。


(……あき、らめ)

 変わらなければ。楽な方向に逃げるのは、もう終わりにしなければ。そう思っていたのに、結局は自分が置かれた環境を憂い、彼と自分の立ち位置に惑い、彼の想いを無視すると決めた。これは、単なる諦めではないのだろうか。逃げ、ではないのだろうか。

(Aliceさん、は)

 過去の自分と決別し、自らの足で、歌で――この世界に爪痕を残そうとしている。うまく言葉にできない何かが、私の心の奥深くに渦巻いているようだった。



 ***



 Aliceさんへのインタビューを終え、彼らがにこやかに会釈をして黒いワンボックスカーに乗り込んでいく様子を見送り、小さく吐息を落とす。

 インタビューを通し、これまで知らなかった業種や人々に触れることで新たな価値観を得ることも多い。ここ最近の取材では本当にそう思う。Ryuさんの時も、千歳の時も、そして今のAliceさんも。今の私に足りない、足りていない何かしらを……私の心に落として、遺していく。
 ふたたび小さくため息を落とせば、思考にちらちらと千歳のくしゃりとした笑顔が浮かぶ。今は彼のことを考えたくはない。

(……そうも、言ってられないのだけど、ね……)

 オフィスビルを目指して歩きながら自嘲気味に肩を落とし、鞄の外ポケットから引き出したスマートフォンにイヤホンを繋げる。音声アプリを開き、そっと再生ボタンをタップすれば。

『私どもの仕事は全て『個人』に帰着すると考えています、と、先ほどお話ししましたよね。僕はその概念を父の背中から受け取ったのです』

 耳元で流れる、千歳の声。ぎゅう、と、胸の奥が締め付けられる。Ryuさんのインタビュー記事を起こし、初稿として今朝編集長に回した。次は、千歳のインタビュー記事を起こす番なのだ。取材対象者の声で頭をいっぱいにして文章を書くという自分で定めたルーティンを恨みそうになる。

 コツコツとヒールの音を響かせながらオフィス街を歩く。業務に追われ足早に歩く人たちの中、足取りが重い私。人生の縮図みたいだ、と小さく心の中で呟いた。
 私は何をするにも迷って、立ち止まってばかりだ。数多の選択を重ね、普通のスピードで人生を歩いていく人たちの中、スローペースでのろのろと歩いている私。流されて、諦めて生きてきた人生の代償なのだろうか。
 そんなことを考えていると――――唐突に。

「鷹、城さん」

 背後から、僅かばかり強い力で腕を掴まれた。びくりと身体が揺れる。誰かに呼び止められたと理解するまでに数秒の時を要した。誰だろうかと恐る恐る振り返ると、そこには。

「……えっと……靏田、さん?」

 走ってきたのだろうか、額に汗の玉を浮かべ、肩で息をする千歳の秘書である靏田さんがそこにいた。数週間前に顔を合わせた時は穏やかだった彼の表情。だというのに、今は眉間に皴を寄せ、厳しさをみせた表情を浮かべている。

「ど……う、されたのですか」

 差し迫った彼の表情。掴まれたままの腕は痛みさえ覚える強さ。なにが起きたか把握できないままその場に立ちすくんでいると、トン、トン、と、軽やかな革靴の音と、渋みのある声色が耳朶を打った。


「初めまして、鷹城さん。千歳の父の――景元千耀ちあき、です」
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