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嘘であってほしい ②
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緊張しつつゆっくりと足を踏み入れると、そこには見知らぬ顔が多く並んでいて明日香の緊張はさらに高まっていく。
フロアを見渡すと、二十代くらいの女性社員は明日香を含めて三人しかいなかった。そのうちの一人は明るい栗色の髪にオリーブ色のカラーコンタクトをした若い子だ。
「本日からお世話になります、森と申します。よろしくお願いします」
「初めまして。本日からこちらでお世話になります、麦沢明日香と申します。どうぞよろしくお願いします」
森と明日香が頭を下げると、室内にいるすべての人の視線がこちらに向けられた。一斉に注目を浴び、明日香は思わず身を固くしてしまう。
「よろしくお願いします、麦沢さん。私は通関士をしている高木と言います。彼女は糸川さん。女子三人、仲良くしましょうね」
ショートカットに赤い眼鏡をかけた女性が進み出て明日香に手を差し出す。明日香が戸惑いながら握手に応じると、高木はにっこりと微笑んだ。穏やかで優しげな雰囲気があり、話しやすそうな人だと感じる。
「私、最近結婚したばかりで、周りは私のことを『水野』って呼ぶと思うけど、気にしないでね。あっ、そうそう、私、兄が上場企業で通関士をしているの。兄が勤めている会社に負けないくらいにこのすばる国際ロジを大きくしていけたらと思っているから、麦沢さんみたいな英語に強い人がきてくれて嬉しいわ」
「……はい。精一杯頑張ります」
明日香が高木と握手をすると、高木から紹介を受けた糸川が席を立った。
「はじめまして、糸川です。一応、経理をしているので、わからないことがあったらなんでも聞いてください」
「はい……ありがとうございます」
糸川は明日香より二歳年上だそうで、肩にかかるくらいの長さで切りそろえられた栗色の髪を揺らしながら人懐こい笑みを浮かべている。社内には他に女子がいないこともあって、気兼ねなく話せそうな人だと思うと明日香の心が少し軽くなっていくようだった。
その後も一通り北斗物流からの社員と挨拶を交わし、デスクへ案内され、ひとまず高木から簡単な業務の引継ぎを受けた。引き継ぎといっても、ほとんどはメールやファイルでデータが送られてきているので、それをチェックして、必要に応じて資料を作成するという単純作業だ。
午前中はこのあと九時から新しく分社に就任した社長の訓示が予定されていて、午後になるといよいよ本格的に業務が開始されるらしい。北斗物流から移籍してきたメンバーは総勢十七名ほどで、ほとんどが男性。明日香と森を含めても二十人にもならない、小さな分社としてスタートするようだ。
「もともと北斗の貿易課は貿易営業と事務、経理しかやってる社員がいなかったから、総務経験者がいないんだ。森くんと麦沢さんには、ひとまず慣れている総務業務をやってもらいながらいろいろ実務を覚えてもらってもいいかな」
仁科がにこやかな表情で明日香と森に語りかける。その様子に、森だけでなくほかのみんなからも安堵したような空気が流れてくる。彼はいつもにこにことしていて頼りがいがあるように見えるが実は四十代半ばと意外に若く、その柔和な物腰に好感を覚える人が多いようだ。
――やっぱり不安だったのは、みんな同じだったのかもしれない……。
経営戦略の一環とはいえ、ひとつの部署がこうして独立会社となるなど、いったい誰が想像していただろうか。きっとこの場にいる全員も一抹の不安な気持ちを抱えつつ、それでも新しい仕事ができる喜びや期待感の方が勝っているから前向きなのだろうと思う。
「そろそろ……社長が来る時間かな。彼は神楽興産の常務もしてるから、あっちの定例会議に出てこっちに出社するって言ってたからね」
腕時計に視線を落とした高木が、デスクの上を形だけでも片付けるようにフロアの社員たちに促していく。てきぱきとした指示の様子から、彼女は貿易部の方でも管理職的立場にいたことが窺える。
「新しい社長って……どんな人なんですか?」
明日香の隣の席となった森が興味津々といった風に高木へと投げかけた。
フロアを見渡すと、二十代くらいの女性社員は明日香を含めて三人しかいなかった。そのうちの一人は明るい栗色の髪にオリーブ色のカラーコンタクトをした若い子だ。
「本日からお世話になります、森と申します。よろしくお願いします」
「初めまして。本日からこちらでお世話になります、麦沢明日香と申します。どうぞよろしくお願いします」
森と明日香が頭を下げると、室内にいるすべての人の視線がこちらに向けられた。一斉に注目を浴び、明日香は思わず身を固くしてしまう。
「よろしくお願いします、麦沢さん。私は通関士をしている高木と言います。彼女は糸川さん。女子三人、仲良くしましょうね」
ショートカットに赤い眼鏡をかけた女性が進み出て明日香に手を差し出す。明日香が戸惑いながら握手に応じると、高木はにっこりと微笑んだ。穏やかで優しげな雰囲気があり、話しやすそうな人だと感じる。
「私、最近結婚したばかりで、周りは私のことを『水野』って呼ぶと思うけど、気にしないでね。あっ、そうそう、私、兄が上場企業で通関士をしているの。兄が勤めている会社に負けないくらいにこのすばる国際ロジを大きくしていけたらと思っているから、麦沢さんみたいな英語に強い人がきてくれて嬉しいわ」
「……はい。精一杯頑張ります」
明日香が高木と握手をすると、高木から紹介を受けた糸川が席を立った。
「はじめまして、糸川です。一応、経理をしているので、わからないことがあったらなんでも聞いてください」
「はい……ありがとうございます」
糸川は明日香より二歳年上だそうで、肩にかかるくらいの長さで切りそろえられた栗色の髪を揺らしながら人懐こい笑みを浮かべている。社内には他に女子がいないこともあって、気兼ねなく話せそうな人だと思うと明日香の心が少し軽くなっていくようだった。
その後も一通り北斗物流からの社員と挨拶を交わし、デスクへ案内され、ひとまず高木から簡単な業務の引継ぎを受けた。引き継ぎといっても、ほとんどはメールやファイルでデータが送られてきているので、それをチェックして、必要に応じて資料を作成するという単純作業だ。
午前中はこのあと九時から新しく分社に就任した社長の訓示が予定されていて、午後になるといよいよ本格的に業務が開始されるらしい。北斗物流から移籍してきたメンバーは総勢十七名ほどで、ほとんどが男性。明日香と森を含めても二十人にもならない、小さな分社としてスタートするようだ。
「もともと北斗の貿易課は貿易営業と事務、経理しかやってる社員がいなかったから、総務経験者がいないんだ。森くんと麦沢さんには、ひとまず慣れている総務業務をやってもらいながらいろいろ実務を覚えてもらってもいいかな」
仁科がにこやかな表情で明日香と森に語りかける。その様子に、森だけでなくほかのみんなからも安堵したような空気が流れてくる。彼はいつもにこにことしていて頼りがいがあるように見えるが実は四十代半ばと意外に若く、その柔和な物腰に好感を覚える人が多いようだ。
――やっぱり不安だったのは、みんな同じだったのかもしれない……。
経営戦略の一環とはいえ、ひとつの部署がこうして独立会社となるなど、いったい誰が想像していただろうか。きっとこの場にいる全員も一抹の不安な気持ちを抱えつつ、それでも新しい仕事ができる喜びや期待感の方が勝っているから前向きなのだろうと思う。
「そろそろ……社長が来る時間かな。彼は神楽興産の常務もしてるから、あっちの定例会議に出てこっちに出社するって言ってたからね」
腕時計に視線を落とした高木が、デスクの上を形だけでも片付けるようにフロアの社員たちに促していく。てきぱきとした指示の様子から、彼女は貿易部の方でも管理職的立場にいたことが窺える。
「新しい社長って……どんな人なんですか?」
明日香の隣の席となった森が興味津々といった風に高木へと投げかけた。
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