【R18】焦がれた麻痺の限界値

春宮ともみ

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I can’t imagine my life without you.

◇ 9 ◇

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 未来の視界に映ったのは、壁に凭れ掛かり今にも倒れそうな瞬哉の土気色をした顔。何が起こってこんなことになっているのか、事態を把握できないままに未来は瞬哉に駆け寄った。

「な、どうしたんで……ッ!?」

 上擦った声で紡がれる未来の問いかけを最後まで聞き届ける事なく、瞬哉は無い力を振り絞り駆け寄ってきた未来の腕を勢いよく引っ張った。薄れては鮮明になる視界の中で、未来の身体をその胸にありったけの力で掻き抱く。
 瞬哉の胸に去来する、大きな安堵感。あの男から施されたガイディングのダメージで先ほどから強い動悸がおさまらないが、あの男ジルも瞬哉を圧倒した男と同じくガイドで、未来も強引なガイディングを施されていたということを瞬哉は一瞬にして察していた。自分の一言で未来がこちらに戻ってきてくれたということに、震えながらも大きなため息を吐き出した。

「っ、あ、の……」
「もう、少し……このまま、で……いて、くれ」

 唐突に抱き締められた未来は混乱のままに、ドクドクと強い鼓動を刻む瞬哉の心臓の音を聴いていた。なにがどうなっているのかさっぱりわからない。だが、鉄のような独特の血の香りに交じり、鼻腔をくすぐる瞬哉自身の香りに、自分の中になだれ込んできたジルの黒い靄がゆっくりと薄れていくような気がする。強張った心がほぐれていくような感覚に、未来もそっと手を伸ばし瞬哉の服を握り締めた。

「こ……の、ビルの屋上……街が見渡せた、だろ……」

 どれくらいの間、ふたりは抱き合っていただろうか。瞬哉が途切れ途切れに言葉を吐き出す。未来は瞬哉の言いたいことが理解できず、ゆるゆると瞬哉の胸の中で顔を上げる。

「その、裏口から……屋上に、行け、る、……朝比奈が言ってた、気がす、ンだ……」

 抱きしめたままだった未来の身体を解放した瞬哉は、それでも未来の腕を掴んだままよろよろと壁から身体を起こす。瞬哉はジル兄弟、そしてここでクスリを購入していた人間たちが一目散に走っていった、目の前の部屋から繋がる裏口を睨みつけるように見つめていた。
 朝比奈が瞬哉に教えたらしい屋上の存在。未来は瞬哉がその場所を目指すつもりなのだと察し、ひゅっと息を飲む。瞬哉はその屋上で能力を展開し、ジル兄弟の行方を追う気だ。なにが起きて瞬哉がここまで疲弊してしまっているのか未来は理解できていないが、こんな身体でこれ以上任務を続けさせ、能力を使い続けさせるわけにはいかない。コンビを組む者として、そして密かに恋慕を寄せる女として――慌てて瞬哉の肩を掴みその行動を制止する。

「だっ……だめです!! 無理しちゃ、」
「いいからっ……! 黙って、俺を連れていけっ……!!」

 瞬哉は未来の制止を振り切り、引き攣るように声を上げた。ジルは未来を瞬哉から、いや、ノアから奪おうとしている。瞬哉にとってこれほど許せない出来事はない。ジルが未来を狙う理由まではわからないが、このまま見過ごすわけにはいかない。未来をアイツらに渡してなるものか――そんな思いで、瞬哉は震える脚を叱咤し一歩を踏み出した。よろめく瞬哉の身体を未来は慌てて支える。

「あ、いつらを……放置、してたら……ノアにとっても、よく、ねぇ気がすンだ……たの、む」
「……で……でも、レンとか、リュウ、とか」

 それでもなお納得できない未来は、チームメンバーの名前を出しふたたび瞬哉に食らいつく。今回の任務はインカムをつけていない。龍騎・蓮コンビはまだまだ熱気が立ち込めているあちらのフロアで調査にあたっているはずだ。このまま自分たちが屋上に行けば、彼らは瞬哉たちの挙動が把握できなくなる。

「俺の、血の匂いで……ぜってぇ、レンが俺らの居場所、把握、して、くれっから」

 今にも泣きそうな未来の表情を見遣った瞬哉は、自分の首筋を指さしながらふっと口の端に笑みを浮かべた。そこにはあの男が残した刃物の痕。首筋を伝う赤い雫。瞬哉がセンチネルだからこそ、同じ立場である蓮に対して抱いている絶対的な信頼。五感が常人離れしたセンチネルの嗅覚は、僅かな血の香りすら捕捉する。

「頼む、ミク……いまは、黙って……俺を、屋上、までっ……」
「……」

 判断に迷い、立ちすくむ未来に縋るように瞬哉は声を上げる。懇願にも近いその声色は未来の心を大きく揺さぶった。いつも、どんな任務もそつなくこなすあの瞬哉が、ここまで追い詰められている。こんなに必死な瞬哉の姿を未来はこれまでの10年間で一度も見たことがなかった。

「…………」

 ほどなくして未来はぐっと唇を噛み締めた。本当は瞬哉の願いを聞き入れたくはない。こんなにもフラフラの身体で無理をさせたくはない。想いを寄せている人間を、これ以上の危険に晒したくない。
 だが、想定外の事態が起きたのだ。ノアに所属していない能力者の存在を確認してしまった。瞬哉がノアのためを思って行動している、その意思も汲み取りたい、と……長い長い葛藤の末に。

「……行き、ますよ」

 未来は腹を決め、瞬哉の片腕を自分の肩に乗せた。



 ***



 未来の肩を借り、屋上に辿り着いた瞬哉はよろよろとフェンスに近寄りそれをぎゅうと握り締めた。瞬哉は大きく深呼吸をし、屋上から街全体を見下ろした。ハロウィーン当日の夜。日付をまたぎ、仮装した人々が徐々に捌けていく時間帯。騒めく街は次第に平穏を取り戻していく。瞬哉にとって、好都合だった。


 目を閉じた瞬哉は聴覚だけを研ぎ澄ませていく。その様子を、未来は瞬哉の後ろで不安げに見守った。

 血流が瞬哉の全身を巡る。指の先まで、つま先まで、肌感覚が研ぎ澄まされていく。
 ざわざわとした喧騒が、聴力だけを解放した瞬哉の鼓膜を震わせていく。


「あん? もう帰んの?」
「え~、だってもう2時だよ。そろそろあたし帰る」

「おやっさん! 生ビール、追加でちょーだい!」
「あいよ! 飲み過ぎんなよ~」

「すみません、八丁堀までいいですか」
「はい、わかりました」


 瞬哉の聴覚を刺激する、街中の声、声、声。……その中で。


『……兄さん、本当に放ってきてよかったのか? あのセンチネルの男も、ガイドの女も』
『問題ない。言ったろう、まだ準備が出来ていないのだから。今はとにかく、未覚醒者レイタントをノアに渡さないことが先決だ』


 雑踏の中で交わされるジル兄弟の声を、瞬哉が捕捉する。ぐわりと瞬哉の感情を支配する淀んだ赤い色。閉じた目を勢いよく開き、瞬哉はジル兄弟の声の余韻を辿る。

「っ! 駅前! あいつらだ!」

 瞬哉が勢いよく身体を前に突き出した。ガシャン、とフェンスが強い音を立てる。聴力を全開にしたまま視力と視野を一気に広げた瞬哉は、駅の正面口に向かう兄弟の背中を視界に捉えた。アタッシュケースを持ちそのまま改札を通り過ぎたのを確認する。

(朝比奈の野郎に頼めば、)

 これで、駅前の防犯カメラであいつらの消息を追える。瞬哉が心の中でそう呟いた刹那、瞬哉は全身から血の気が引くのを感じた。ふらりと身体が左右に揺らぐ。

「やっ、べ……」
「あっ……!」

 地面に向かって背中から倒れていく瞬哉の身体。未来は慌てて自分の身体を瞬哉の身体の下に滑り込ませた。どすん、と鈍い音が未来の呼吸を止める。
 先ほどの瞬哉のように複数の能力を一度に使うことはセンチネルの肉体にとって非常に負担のかかる行為だ。このままでは能力の暴走を招いてしまう。

「聞、こえます、かっ……?」

 カチリ、と、瞬哉の脳内で小さな音がした。能力の暴走、それに伴う精神崩壊を防ぐため、未来が瞬哉にガイディングを施し始めたのだ。

「だからっ、無理しちゃだめだとっ!」

 未来は滲む視界を堪え、瞬哉の身体を抱き締めたまま瞬哉へと感情を流し込み、声をかけた。やはり瞬哉の願いを聞き入れるべきではなかったと脳内の隅で考えながら、未来は必死にガイディングを続ける。

(もう……暴走、しかかっちゃって、るっ……!)

 瞬哉にガイディングを始めた未来は瞬時に察した。能力は暴走してしまった後なのだ。倒れたのはその代償。暴走した能力は身体機能に影響を及ぼし、最悪の場合、生命の灯火すらも消し去ってしまう。このままガイディングに失敗してしまえば瞬哉は自我を失って廃人となってしまうかもしれないという恐怖に、堪えていた涙がはらりと未来の頬を伝う。

 瞬哉の意識は薄れ、次第に遠のいていく。未来が紡ぐ必死の声はぼんやりとした水の中で伝わる音のようで、瞬哉には届かない。

(……ミ、ク……)

 未来が落とした涙が、瞬哉の頬を濡らす。熱いその感覚に瞬哉は小さく愛おしい人の名前を呼ぼうと唇を動かした。だが、限界を迎えた瞬哉の身体は、小さく吐息を落とすだけしかできなかった。

(ち……くしょ……)

 やがて――――ふつり、と。瞬哉の意識が途切れた。
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