【R18】焦がれた麻痺の限界値

春宮ともみ

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I'll be by your side until you get there eternity.

◇ 17 ◇

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 リビングへの扉を開いた瞬哉の鼻腔をくすぐる、香ばしい卵の香り。ダイニングテーブルにすでに二人分のカトラリーが並んでいる様子を確認し、瞬哉はキッチンに足を向けた。そのまま、トースターから食パンを取り出している未来に歩み寄る。

「ミク、おはよ」
「! お、おはよう、ございます……」

 ボウルを傾けて溶かした卵液を流し込む未来が焦った様子で瞬哉に声をかける。あの件からもうすぐ半月が経ったというのに、互いに対する気恥ずかしさが抜けないのか、瞬哉も未来も未だに距離感のある反応をしてしまうことが度々あった。もっとも、初々しさのようなものを見せてしまう度にお互い顔を真っ赤にして明後日の方向を向いているため、周囲には微笑ましい光景のように映ってしまうのだが。

「す、すみません……もうすぐ作り終えるので。キッチン、空けますね」

 五感が特出している瞬哉は、鋭敏な嗅覚や味覚に合った専用の料理を常にストックしている。それらのほとんどがレトルト食品のため、湯煎するだけで調理できるような品が多い。そのため食事時になるとこうやって順番でキッチンを使用することが常になっていた。これまでの十年間、自分のことは自分でする、互いの生活に影響を及ぼさない……というルールを定めていたこともあり、これまで未来が瞬哉のために手間のかかるものを作ることはなかったし、瞬哉も彼女に自らの食事の準備を手伝わせることもしなかった。
 フライパンを傾け、スクランブルエッグと焼きたてのウインナーを皿に盛る未来は首筋まで赤くして視線をダイニングテーブルへと泳がせている。

「あー……ミク、その、」
「は、はい!?」
「悪い、ひとつ頼みがあるんだけど……」

 瞬哉の口ごもった様子を見て、緊張を帯びた声音で応えた未来の肩がびくりと震える。瞬哉もどう切り出せばいいかわからないまま、頬を掻いて視線を宙に彷徨わせた。普段からはっきりと物を言う瞬哉らしくない煮え切らない態度に、フライパンをコンロに置いた未来が首を傾げた、その刹那。

「俺も……食いたい。それ」
「――え?」

 瞬哉が紡いだ言葉の意味を瞬時に噛み砕けない未来は、ぱちりと瞳を丸くさせる。センチネルにとってはごく一般的な味付けをした料理でも濃く感じてしまうからこそ、専用のレトルト食品を口にする必要があるはずなのだ。未来の反応は至極まっとうなもので、瞬哉はその表情を眺めながら苦笑いを浮かべた。

「なんっつーか……その、あれだ。契約ボンドを結んでから、前よりも五感が落ち着いてる気がすンだ」

 あの夜に一度暴走させてしまったため、まだ完全に感覚が戻りきっていないのか時々鋭い頭痛は感じるが、それでも以前のように常軌を逸した五感の乱れは鳴りを潜めている気がしていた。この調子なら、もう少し普通の食事を摂っても大丈夫かもしれない。目の前にいる未来と――同じように。

「ミクと同じのを食うほうが、……多分、美味ぇはず、だから。その……料理、教えてくれないか? 今度」

 言葉がすらすらと出てきて内心自分でも驚いたが、取り繕うことはもうやめた。未来の想いを知らされた日から今まで散々彼女のことを避けていた自分の態度がどれだけ未来を不安にさせてきたか、あれからずっと考え続けていたからだ。それに――未来と同じ料理を食べることができたのならば、一体どんな気持ちになるのか、と。想像したら試さずにはいられなくなってしまった。
 未来と一緒に作る食事を、彼女と食卓を共にすることを、未来が許してくれるなら。それは――どんなに幸せだろう。
 耳たぶが熱くなるのを感じた瞬哉はいたたまれない想いを堪えるように視線を落としたものの、すぐに思い直し、ぐいと未来を見つめた。至近距離から見下ろされ、未来は呼吸を止める。
 ボンドを交わしたからと言って、ガイドである未来にはなにかしらの変化がもたらされたわけではない。もちろん瞬哉の体調が良くなったりセンチネルとしての能力が安定してきたのは喜ばしいことで、彼が日常を快適に過ごせるようになったのであればそれは未来にとって、とても嬉しいことだ。
 瞬哉の言葉を疑っているわけではないが、それでも自分と『同じ』ものが食べたいという彼の願いは、やはり瞬哉が未来に『合わせて』いるからこそなのではないか、という疑念を拭いきれなかった。

「…………」

 未来はじっと瞬哉の瞳を覗き込んだ。見上げた先の彼は真剣そのもので、その双眼には偽りの色は一切見えない。瞬哉の真摯な態度に、未来はぎゅっと拳を握りしめて唇を噛んだ。

(本当……に?)

 その言葉が喉元までせり上がってくる。本当は――瞬哉が合わせてくれているだけなのでは、と。そう思うたびに胸が痛む。
 瞬哉の望みを叶えることは、きっと簡単だ。けれど、未来自身としては瞬哉には無理をしてほしくない。生涯を共にする関係となった彼が、自分にあわせて無理をするような状態にだけは、なりたくない。

「……」

 未来が押し黙ってしまったことで沈黙が流れた。まだ具体的な言葉を口にしたわけでもないのに未来のこの反応から見るに、自分の希望がやはり叶えられなかったことを悟った瞬哉は心中でため息を吐く。
 だが、もう退くことはできない。これまで散々自分の本心を押し込めて未来と距離を取ってきたのだ。そうしなければ、居場所がなくなってしまうと思い続けてきたから。それが無駄だったということはすでに理解したし、それを教えてくれたのは未来だ。
 だから――瞬哉は彼女との関係をより深くしていくためにも、自分の弱さと向き合いたかった。

「ミク」
「……はい」

 真剣な眼差しで見つめ続ける瞬哉に根負けしたように、未来は小さく返事をする。まだ動揺で揺れる瞳を伏せ、刹那の間逡巡したあとで未来はおずおずと視線を上げた。そのまなざしとかち合った瞬哉は一瞬息を詰め、視線を絡めたまま僅かに背筋を正す。

「俺は……なんていうか。普通の恋人らみたいに、お前と一緒に飯が食いたいって……ずっと思ってた」

 一度唇を開いてしまったら、言葉が堰を切ったように溢れてきた。瞬哉は自らの想いをはっきりと声に出していく。未来はそれをどこか現実感のないような感覚で聞きながら、彼の放った言葉を頭の中で反芻した。

(恋人……みたいに)

 その言葉が指す意味を嚙みしめるほどに鼓動が大きくなってしまうのを止められないまま、未来は頬を赤らめて瞬哉を見上げる。彼の瞳に自分が映っていることがわかるほど間近で見つめることができるなんて、こんな日が来るなんて思ってもみなかった。

「お前が嫌だっていうなら……もちろん諦める」

 彼は嘘をつかない。だから、きっと本気でそう言ってくれているのだと思うと嬉しくて、口の端が緩んでしまうのを止められなかった。未来の態度に何かを感じ取ったのか、瞬哉の表情が少し明るくなる。その様子に胸の奥をきゅっと締めつけられながら未来は小さく頷いて口を開いた。

「……じゃぁ……午後の、羽田でのボディーガード任務が終わったら、一緒に買い出しにいきません?」

 今日から自分たちも屋外での任務に復帰する。今回の任務は、一年ぶりに来訪するアメリカのシンガーソングライターに対する警視庁身辺警護の補助だ。世界的人気を誇る彼女をひと目見ようと、羽田空港に大勢のファンが押し寄せてくることが予想されているため、それに対応することになる。とはいえ、任務帰りに一緒に買い出しに行く時間くらいは取れるはずだ。
 瞬哉が心からそう望んでくれるのなら。自分は彼に寄り添いたいし、彼と同じものを食べてみたい。できるならその味をふたりで共有したいとさえ思う。そう思わせてくれたのは、瞬哉だ。自分の本当の気持ちを伝えてくれた彼がいるから、自分も大切な気持ちを伝える勇気が持てたのだと未来は思う。

(……私も)

 彼が自分に合わせて無理をしているのかもしれないという疑念は心の片隅にあるけれど、それでも――少しずつでも自分たちらしい恋人になれたらいい、と、未来は思った。

「おう」

 未来からの了承を得て、ようやくほっと安堵したように息を吐いて表情を緩めた瞬哉が相好を崩して頷く。そのあどけない笑顔にどきりと胸を高鳴らせた未来は、彼を安心させるように笑顔を浮かべた。

「オムライスとか……どう、ですか? その、ほら……卵も使ってますし、なんならウィンナーを刻んで混ぜても……いいかな、って。午前中は鍛錬の予定ですし、きっと久しぶりの外の任務でクタクタになるでしょうから、しっかり食べれるものがいいかな、って……」

 瞬哉は未来が準備していた朝食を指さして食べたいと口にしたのだから、せっかくならば今しがた作ったばかりのスクランブルエッグと焼いたウィンナーを取り入れたメニューがいいのではないかと未来は提案する。

「うん、いいな……それが食いたい」

 頷いた瞬哉の表情がきらきらと輝いているように見えて、未来の胸がまた熱く締めつけられる。何度味わっても慣れない想いを抱えたまま、未来は彼に笑顔を向けた。花が咲くように柔らかく可憐な笑顔が、眦を下げる。

「じゃぁ……そうしましょう」
「おう」

 未来の返事に瞬哉はくしゃりと相好を崩し、心底幸せそうに吐息を漏らした。
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