君がいた日の月影

春宮ともみ

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 掃除がしやすいようにと美琴が選んだ、脚が短めのキャスター付きのテレビ台。それを見つめながら細く長いため息を吐き出し、ガシガシと頭を掻いて小さく肩を落とす。

「みぃちゃん」

 名前を呼びつつ、彼女が最近お気に入りのテレビ台の裏をゆっくりと覗き込んだ。みぃちゃんは壁とテレビ台の背面の隙間にハマるように身体を丸めている。真横にピンと張られた、通称『イカ耳』が視界に映り込む。

「……ごめんって。いい加減出ておいで」

 猫は基本的におとなしく表情が乏しい生き物だ、なんて言われるけれど、ウソだと思う。こちらに向けられているのはまん丸に開かれた黒い瞳。今のみぃちゃんの表情に名前をつけるのならば、「ジト目」という名前を付けるのが正しい気がする。



 みぃちゃんと日々を過ごすようになって3ヶ月と少しが過ぎた。彼女を家族に迎えた時は猫の月齢平均体重に大幅に満たない体重だったけれど、今は2キログラムに近い。少し前の1度目のワクチン接種の際、獣医に健康状態のお墨付きももらえた。

 仕事から帰ると美琴の仏壇に手を合わせ、その後はみぃちゃんをリビングに連れ出し一緒に過ごす。そんな時間が俺の癒しになっていることは否定しようもなく、スマートフォンのフォトフォルダがどんどん埋まっていく。そろそろSDカードでも買うべきだろうかと悩ましい。

 こんなにもふにゃふにゃな生き物をきちんと育てられるのかという不安はあったが、みぃちゃん自身の生きようとする力に助けられ、すくすくと成長してくれている。かなり不安だったトイレもなんなくマスターしてくれた。爪とぎ用の段ボールで自ら爪とぎもしてくれている……が。



「みぃちゃん……ほら。おいで」

 その場に腰を下ろし、指先で床をトントンと叩き小さな音を鳴らす。その瞬間、みぃちゃんの視線が俺の指先に移ったような気がした。

 猫自身が日々爪とぎをしていても、先端は尖った状態のままだ。カーテンやカーペットに引っかけて爪を折りケガをする可能性がある。だから飼い猫の爪切りは猫自身を守るために必要な作業ではあるのだけれど、猫にとって爪の鋭利さは死活問題。外敵から爪で我が身を守り、狩りをして生きてきた歴史があるのだから、爪を切られるということは唯一の武器を失うことに直結する。嫌がるのも本能なのだ。

「ごめんってば。ほら……」

 床を叩き指先で鳴らす音を不規則に変化させる。しかし、みぃちゃんはじっと俺の指先を見つめたまま身じろぎひとつしない。前足を綺麗に身体の下に畳んでいる。まるで「もう足には触らせない」とでも言いたげな体勢だ。

「う~ん……」

 俺が自作したアルミホイルの玉のような細かく動くモノには即座に反応してくれるみぃちゃんが、全く反応を返してくれない。イカ耳も丸まった瞳も相変わらずだ。爪を切られたことをよほど怒っているのだろうか。

(……アレを出すか…)

 現状打開のため、キッチンに足を向ける。戸棚からウェットタイプのおやつが詰まったスティック状の袋を手に取り、テレビ台に戻りふたたび腰を下ろした。

「みぃちゃん。頑張ったから、おやつだよ~……」

 袋の先端を開き、腕を伸ばしてみぃちゃんの鼻先でその先端をふりふりと揺らす。俺の腕の動きに合わせ、ピクリとひげが動いた。

 袋を揺らしながら、そっと腕を引く。すると、みぃちゃんが丸めた身体を起こして一歩こちら側へ近づいてきてくれた。そのままゆっくりと手前に引き寄せていくと、彼女の全身をテレビ台の隙間から露出させることに成功した。

「えらかったね、みぃちゃん」

 胡坐をかいた俺の前にちょこんと座った彼女が、袋の先端をちろりと舌で舐めた。みぃちゃんが舐めとっていくスピードを観察しながら袋の中身を指先で少量ずつ押し出していく。

(お菓子で機嫌を取るなんて、美琴とケンカしたときみたいだなぁ……)

 どうやら、俺の周りのに対しては、この方策の効果は抜群らしい。花より団子という言葉が誰よりも似合っていた亡き妻の面影を見ているようで、思わず苦笑いを零す。


 そんな俺を横目に――おやつを食べ終えたみぃちゃんは、ごろごろと満足げに喉を鳴らし、「にゃぁ」と小さく鳴いた。
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