奇跡を呼ぶ旋律

桜水城

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 一晩明けた後に、初めて見たミラの顔は、疲れた様子が幾分あったが、晴れやかだった。その理由は見当がつかなかったが、母親を中途半端に目覚めさせてしまったことにある種の罪悪感を抱いていた私は、その笑顔に救われた。それでも一言謝ろうかと思い、声をかけようとしたのだが、「仕事が終わってからな」というミラの言葉にあえなく引き下がるしかなかった。
 そして夜、仕事が終わった後、私の部屋にミラは来た。
「まあ、あたしが来た理由はわかっていると思うけど……」
 ためらいがちに話し始めたミラを私は見つめた。
「私が、朝に話しかけようとした件だろう?」
 にっこり微笑んだ彼女の表情は、何か裏があるように思えた。
「ああ、それはなんとなくわかったから別に言わなくて良いよ。どうせ、昨日の件で自分が悪いように思っちゃったんだろ? そんなことの謝罪なんていらないさ」
 まったくの見当違いなら怒れたところだが、あいにく図星なのだ。私は、ほほを熱くしてこめかみ辺りを掻いた。
「そ、そうか……。じゃあ、何の用なんだ?」
 ミラは私から視線を外して、ベッドの支柱のてっぺんに手を置いた。
「一晩考えたんだ。で、あんたの楽器に賭けてみることにした。あんたのその楽器はどこへ行けば直せるんだい?」
 私は考えをめぐらせた。大商人シュブラースカはどこにいるだろう。そして、仕える楽器職人もいったいどこに……。
「わからないが、セインテ国外へ出る必要があるかもしれない。長い旅になるな」
 ミラは目を伏せた。睫毛が長いのがわかる。綺麗な瞳だ。
「そう……。じゃあすぐにでも旅に出てくれ。支度はこっちで揃えてやるから」
 私は仰天した。すぐ旅に出る? 私が? 
「い、いや、待て。まだ私は借りを返せていないのに!」
 ミラは私を見て目を細めた。少々馬鹿にされているように感じるのは、私の気のせいではあるまい。
「あんた……。あたしがあんたにしてやったことの礼を皿洗いをちょっとするくらいで返せるとでも思ってるのかい?」
 目が怖い。
「い、いや、しかし……」
 しかし、その台詞はとてもじゃないが、リザーナやルーヴァたちには聞かせられない。彼女たちだって、自分の仕事に誇りを持っているだろう。それも並々ならぬほどの。
 だが、ミラの言うことにも一理ある。何しろ彼女は私の命の恩人なのだから。
「旅に出て、楽器を直して、無事に帰って来て、また母さんの前で歌ってくれよ。もしかしたら、本当に呪いが解けるかもしれない」
 ミラの瞳は真剣だ。真剣に私の可能性に期待している。
 それは旅の成果か、楽器の音色にかは知らない。しかし、とにかく私は彼女の提案を受け入れないわけにはいかない。
「わかった。じゃあ支度を頼む」
 私は次の朝にでもすぐ出発するつもりでそう答えた。だが……
「いいよ。そうだな……3日後くらいには準備できると思うよ」
 拍子抜けした。私が自分で準備をして旅に出るのにはそんなに時間はかからない。
「そんな悠長なことでいいのか? 一日でも早くおふくろさんの元気になった姿を見たいんじゃないのか?」
 ミラはキッと私を睨みつけた。そんな厳しい表情で責められるとは思っていなかった私は面食らった。ミラは低い声を響かせる。
「早く出発したからって早く帰って来られるなんて保証はどこにもないだろ? どんな旅になるかはわからないんだ。万端に準備して行った方がいいに決まってるだろ!?」
「だけど、何も3日もかけなくたって。そんなに何を念入りに準備するって言うんだ」
「じゃあ不十分な準備のまま行けばいいじゃないか!! あたしは知らないからね!!」
 むくれてしまった。彼女が、だけではない。不覚ながら私もなのだ。
 私はそのまま、仕事に出る気にもなれず、あてがわれた部屋にこもった。
 そんな私に食事など出るわけもなく、私は腹の虫が鳴くのを聞きながら、ひたすら食欲を我慢した。
 
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