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021 商人の少女、ステラ

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「それではランク昇格試験を行います。こちらが依頼書になります」

 いつもの受付の女性が俺に言った。ランク昇格試験の内容は様々らしく、ギルド長との対面試験や、今回のような依頼書解決型などがあるそうだ。

『スモールドラゴンの討伐。報酬:ランク3への昇格。条件:昇格試験受講者以外の下位ランクの受注は不可とする』

 スモールドラゴン――小ドラゴンともいう――は定期討伐の対象で、街単位でギルドに依頼しているもののようだ。要は定期契約のようなもので、ギルドはそういう契約を取り付けて資金を得ていることもあるらしい。そしてその定期契約を昇格試験にも流用出来ているのが、今回の依頼書だ。

「小ドラゴンか……中々大変だねリドゥ」

 前回、ゴブリンの討伐を報告した。並みの冒険者なら20名程度の難易度のところを、六割程度を俺が討伐したことが評価され、早速昇格試験が組まれたわけだ。
 ルーンとソリスの待つテーブルに依頼書を置くと、二人はそれを覗き込んだ。

「小ドラゴンはネメアなんかよりは全然弱いわね。だけど魔法を使ってくるところが厄介で、アイツは炎を召喚してくる。それなりの準備が必要よ」
「そうか……」

 いつも通り二人がそれぞれに情報を伝えてくれる。俺が初めて二人と出会った時、彼らはランク3だった。もうすぐランク3になろうかという俺と、彼らでは持っている情報があまりに差がありすぎるように感じる。

「覚悟が違ったのよ。アタシは魔大陸に乗り込むことを決めていたから、かなり調べまわって勉強したわ」
「それに僕も付き合った。僕らの知識量は、確かにそこらのギルドメンバーより全然多いかもね」

 なるほど……。じゃあ俺も勉強が足りないな。

「それで、小ドラゴンの炎だけど商人が売ってくれる――」
「ちょっと待ってくれ」

 ルーンが説明しかけたところで、俺は彼を遮る。

「今回二人の知識に頼らずに行きたいと思うんだ。いつも二人に助けられっぱなしだから、自分の昇格試験の時くらい自分の力で乗り越えたい」

 俺がそういうと、ルーンはコーヒーを一口飲む。苦みに眉をひそめながらそれを置くとニコリと笑った。

「わかった。じゃあ今回君は一人で頑張るんだよ。くれぐれも大怪我のないようにね」
「大怪我くらいは平気よ! 死ななければセーフセーフ!」
「……ソリスはまあ、そうかもしれないけどね。リドゥの体はそこまでバケモノじみてないよ――あ、僕のコーヒ―飲まないでよ!」

 頼らない、とは言ったものの途中まで聞いてしまったこともある。炎召喚とそれを防ぐ為の何かを商人から買うんだろう。

「甘い! 飲めたものじゃないわ!!」
「飲み干しといてなんなんだ! もう、ちゃんとおかわり貰ってきてよね!」

 二人のやり取りに苦笑しながらその場を離れようとすると、二人は揃って親指を立てて見送ってくれた。 



 行商人は各地を転々と旅しており、俺の村にも何度か来たことがある。彼らは他地方の珍しいものを売っており、昔来た時は空飛ぶ絨毯なんかを売っていた。本当かどうかは知らないが。

「炎を防ぐ防具?」

 俺と同じ年頃の少女が怪訝そうに眉をひそめて、ギリギリ聞こえる声量で返した。頭にターバンを巻き、動きやすそうな懐の緩い格好をした少女。現在この辺りに拠点を構える行商人の格好だ。
 口元にも布を巻いている為表情はほとんど読めないが、彼女は俺のことをじっと見つめると、やがてネックレスを見て頷いた。

「……なるほど、ランク3への昇格試験。なら、それに合う装備はない。諦めて帰って、リドゥール」
「そんな、装備がないだなんて――って、ん!?!?」

 彼女は静かに呟いた。小さくて消え入りそうだが、確かに言った。リドゥール、俺の名だ。

「なんで俺を知ってる!?」
「……忘れたのならいい。防炎の装備もない、帰って」
「知り合いか!? ちょ、ちょっと待って」

 俺は目を瞑る。記憶を掘り起こす。商人の女の子だ。どこかに記憶の断片があるはず……。
 空飛ぶ絨毯の話を聞いたのはいつだ。俺の村に行商人が来たのは数回あるが、それら全て俺が幼い頃だったはず。7歳とか、9歳とか……。

「ステラ! ステラだ、君は! 7歳の頃に少しだけ遊んだ!!」

 記憶がバチっと音を立てて繋がる。この体の記憶だけじゃない、ひ弱だった一番初めの人生でも彼女に会っている。
 大人しくて、いつも静かだった女の子。商人の娘だが、その家業は継がせないと彼女の親が話しているのを聞いた気がする。その子がなぜ今、商人としてこの街にいる……?

「そうか、おっきくなったなぁ……」
「あなたはおじさん臭くなった」
「うぐ。いや、それにしても君のお父さんは? 遊んだ時に、君は商人にさせないと言っていたはずだったけど」
「7歳の頃に死んだ。あなたの村を出発した日に山賊に襲われた」

 山賊……そんなことがあったのだろうか。記憶を呼び起こしてみても思い出せない。つまり7歳の俺はその事件をそもそも認識ていなかったらしい。

「それは……」
「何も言わなくて、いい」
「そ、そっか……あの、炎を防ぐ装備は」
「今のあなたは信用がない。有無を知るにしても、情報を教えてほしければ人から信用を勝ち得ないといけない。それはどの商人も同じことを言う」

 実に商人らしく、彼女は告げた。ということは、この街にいる他の行商人に聞いても意味がないか……。
 背の低い少女はターバンとマスクの間の瞳をじっと俺に向ける。何か言いたげにも見えるし、何の感情もないように見える。ただ、大きくて丸いその目に俺は吸い込まれるんじゃないかと思った。灰色がかった瞳は美しく、そこに俺を写していた。

「仕方ない。一旦諦めてスモールドラゴンの討伐にいくか」
「……」

 相も変わらずこちらを見る少女を放って、俺は目的地へと向かった。
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