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028 習得、練術の基礎

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 意識が薄れている自覚がある。思考がまばらに飛び散り、まともな考えが出来ない。トーキ婆さんの言っていたことを思い出す。自然と一体になることだけを考えろ、と。
 自然……一体……俺の体が今物理的に自然と一体になっていることが、どうにも引っかかる。土から伝わる温度は温かく、じわじわと俺の体を温める。
 風が吹く。春の穏やかな香りが俺の傍を通り過ぎる。日差しも暖かで、和やかな空気を形成する一因だ。滝に奪われた体温を、土が、風が、日が俺に返してくれる。
 小鳥が唄う。雲が流れる。木々が香る。大地が囁く。
 俺はここにいて、自然もここにいる。どこを見渡してもそこにいて、どこを聞いてもそこにいる。五感が俺の意識に語り掛ける。感じる。目で、鼻で、耳で、舌で、肌で。自然がそこにいる。ずっとそこにいて、俺にはわからなかったものが、今本当に満ち溢れている。

「――この感覚は」

 エネルギーだ。気だ。俺には見える。
 光輝く何かが空間に満ちている。その中に俺も溶け込んでいる。
 思考は相変わらず一貫性を持たない。ただ、感覚だけは尖り続ける。この力だ。これが練術の基礎に違いない。

「随分早かったね」

 婆さんの声が後方から聞こえる。首をひねることは出来ず、見ることは出来ない。が、気が俺に近付いてくるのが見えた。
 そう、見えた。見えないはずの婆さんが見える。俺の体を流れるエネルギーの奔流と違い、自然にあるものと同じ洗練されたエネルギーの持ち主が後方からやって来ている。

「あんた、とんでもない才能だね。よっぽど感受性が豊かなのか、一度どこかの上位存在と接触したことでもあるのかね……よっと」

 体が土から引っこ抜かれる。ドロドロになった道着は更にボロく見え、俺も相当汚れているのだろうと苦い笑みが浮かぶ。

「第一関門は開いたね。ここからは練術の使い方を教えてやる……が、今日はもう休もうかね」

 婆さんは俺の顔を見ると少し微笑んだ。瞼が重い。ダメージと疲労がピークに達している。大人の体と違い、子供は体力が限界を迎えると一気にその全てを閉じてしまう。
 俺は担がれた感覚だけを最後に感じ、すぐにまどろみの中に溶けていった。




「あたしは魔大陸出身でね。練術も元々魔大陸の技術だから学べる環境はそこにあったのさ」

 シチューを口に運びながら、婆さんは俺に言った。

「あの場所はどの動物も魔物になっていて、魔力も充満していた。あたしには魔法の素質はなかったから得物を使おうとしたんだが、それも才能は無くてね。魔法を使う魔物相手に、小娘がどれだけ立ち向かえるか。想像に難くはないだろ?」

 彼女は微笑む。昼の激しさが嘘のように穏やかだ。昔話をする村のお婆さんたちと何も変わらない雰囲気がする。

「何度も何度も死にかけて、そこで練術の関門を自分で乗り越えた。自然の気なんて普通に生きていたら感じることなんて出来ないし、意識してもわかるもんじゃない。気付かないし、わからない。あたしにはきっかけがあった。死にかけて自我が崩壊しかけた時、冷たくなる自分の体が土に還ると自覚した時。壮絶な経験の中でやっと開く門のはずなんだがね」

 トーキの婆さんは俺を見る。俺だって滝の中で死ぬかと思ったし、土の中で自分が無くなる感覚に陥った。
 だが婆さんほどの経験をせずに行けたのは、なんというか……運が良かったのだろう。

「俺は必ず救いたい女の子がいるんだ。その子を救わないと人生に納得がいかない。夢を目指せない。だから必ず力が欲しいんだ」
「……あんたはまだ幼いはずなのに、なんとも重いものを背負ってんだねぇ。そうやって焦って生き急ぐ幼子は、流石のあたしでも心配しちまうよ」

 婆さんは俺の頭を撫でた。年齢を感じさせる硬さと柔らかさを持った手。決して心地よいわけではないが、安心感のある感触だった。
 俺はなんだか顔を見るのが恥ずかしくなり、シチューを掻き込んだ。

「美味いよ、婆さん」
「トーキさんと呼びな!!」





 次の日からの修行は大変だった。とにかく走る。走って走って、喉から血が出るほど走る。体を無理矢理疲労させた後、トーキさんと組み手をする。初めはかなりゆっくりと動きを教え込まれる。
 ソリスもそうだったが、とにかく力みを持たせないようにしてくる。力で体を制御するのではなく、あくまで全身を使えと教えられた。

「拳を突き出すのは肩の力じゃない、腰だ! その腰は足から力を伝わせなくちゃならない。足は大地から気を受け取る一番初めのところになる。大地の気を拳まで伝えるんだよ!」

 とは言うものの。自覚したからと言ってそれがすぐに使えることはなかった。見えている気を集めようと手を伸ばすと、溶けて散ってしまうような感覚になる。曰くガサツすぎるらしい。
 すごく軽い水を手で掬うような繊細さを、戦いながら行わなければならない。

「集めることは出来るようになったね。けどまだ体内の気が荒すぎて、自然の気が霧散しているよ! 気の奔流を抑えな! 関門を乗り越えた時のあんたの気は、今より幾分洗練されてたはずだよ!」

 少しずつ、ほんの少しずつ教わったことが出来るようになる。一日が過ぎ、二日が過ぎ、何日も何日も修行に明け暮れる。
 一か月を過ぎた頃、俺はかなり素早い動きの中で気を拳にまで伝えることが出来るようになっていた。

「次の段階は、その気を身体能力の向上に使うんだ。本当は目から始めないと動きが見えなくなるけど、あんたは目が良いから後でもいいさ」
「身体能力の向上……」

 ここに来てようやく欲しかった力が具体的に手に入り始める。集めた気を手に集中し、拳で打つと岩は爆散する。しかしそれは攻撃力が高まっただけで、俺の体が早く動いたり、防御力が上がったわけではない。
 俺が欲しいのは、大人にも対抗できる基礎身体能力の向上だった。

「気の捉え方をまた変えるんだ。今まで自分の体に受け入れていただけの気を、自分のものにするイメージさ。それが出来ると単純に気が増幅したのと同じになる。増幅した気は自然とあんたが許容できる量から散ってしまうから、それを体の周りに留める。そうすると自分の手足が太く、強くなったのと同じ効果になるのさ」

 その修行を更に一か月。この頃になると婆さんは俺の世話をしてくれなくなり、自分の飯を自分で取りに行かなければならなくなった。
 山の環境は子供には厳しい。特にこの山は村の周囲と違って自然の気が多く、魔力も満ちているようだった。魔力すら感知できるようになっていた俺は、魔物の存在に気付けたり、そのまま拳だけで討伐できるようになっていた。
 俺を食料調達に出させた理由がよくわかる。周囲を警戒しつつ、食料となり得るものを探すのは、生存本能を強く刺激された。狩猟本能と、生存本能。ソリスとルーンに守られていては決して身につかなかったであろう力が、今の俺には身についていた。

「あんたのピークがやってくる。それまでに全てを叩き込むからね」

 トーキさんは俺に告げた。

「とにかく基礎は6歳までに身に付けないと、あんたの体質はそれ以上成長できなくなる。派生技や応用技は大人になってからいくらでも身に付けられるがね」
「俺のピークって……いつ?」
「あと半年後。それを過ぎればあんたの才能は急激に衰え、新しいものを得られなくなる」
「半年……」

 彼女は俺の手首から手を離す。どうやら血流や脈拍から俺の体内の気を感知して、その才能を見ているらしい。どういうことか全く想像がつかないが、練術を極めるとそういうことが出来るようになるとかなんとか。

「さ、まだまだ行くからね。弱音吐くんじゃないよ!」
「はい!!」
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