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031 ステラを救えた未来へ

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「ぐぅ……!」

 歴史が変わった。大量の情報が送られてきて、俺は頭を押さえる。バタフライエフェクトが抑えられているとは言え、それでも思い出の変化が大きい。
 ルーンとソリスはその影響がごくわずかな方らしく、ルーンからすれば俺は今唐突に練術を習得したように見えるらしい。歴史の中の俺は二人の前で練術を使っておらず、ネメアとゴブリンの出来事は特に変化はない。特にゴブリンの方は剣術の修行だから練術なんて使うはずないか……。
 今はルーンにトーキ婆さんの居場所を教えてもらったところだ。ギルドの扉が後ろでパタンと閉じ、日の光が俺を照らす。

「ステラに会いに行かないと……」

 呟くと、俺は額から手を離し歩き始める。街の様子に変化はない。歴史の変化は、初めてバタフライエフェクトを体感した時ほどは強烈ではなかったようだ。見た目にはわからない。記憶と言うのは覚えているが、わざわざ思い出そうとしなければ思い出せないものだ。
 思い出が大きく変化したことは理解できるが、それが何なのかはハッキリとわからない状態だった。
 商人たちがいる地区へとやって来る。たくさんの商人の中に彼女はいるだろうか。そもそも彼女の父が亡くなったことで、ステラは商人を目指したのではなかったか。父親を救った今、彼女が商人でいる可能性は限りなく低い。
 思い出を見返してみると、彼女とは結局7歳以降会ってないようだ。行商人の一行は俺の村にはもう来なかったということか。

「ステラ!!」

 そんなことを考えていると、見慣れたターバンの少女がそこに立っていた。砂漠でも旅をするのかという軽装に、日差し避けのマント。トレードマークの砂のような色のターバンは、相も変わらず彼女に似合っていた。
 俺の声に気付いた彼女が振り返る。彼女は無機物のようだった目の色から一転、その灰色がかった瞳を輝かせてこちらへ駆けてくる。よかった俺のことは覚えているよう――

「――ぐふっっ!!」

 そのままステラは俺の腹へタックルする。……いや、これは抱擁か。腕は俺の背にひしと回っている。
 彼女のターバンが俺の鼻をくすぐる。力いっぱいと言う様子で腕に力を込めているが、少女の力はそれほど強くはなく苦しくなることはない。

「会いたかった、リドゥ」

 俺の胸の中、彼女が相変わらず静かに、口数少なく告げる。そのまま上目遣いでこちらを見る。一瞬心臓が跳ねるが、俺は努めて冷静にほほ笑む。

「君がここにいてよかったよ、ステラ。元気にしてた?」
「してた。でもあなたに会いたくて大変だった」
「う……」

 言葉に詰まる。前の時との印象が違い過ぎる。あんなに冷たい目だったのに、今は俺を待ちわびていた犬のような目で見上げてくる。
 というか、俺は大変なことに気付く。15歳のステラは俺より10cm程低い150cmと言ったところか。少女特有の柔らかさと、育ち過ぎた母性の象徴が合わさっており、とんでもない破壊力になっている。その変化に気付いてしまってから、もう大変だ。内心のパニックを表に出さないようにしながらも、言葉が浮かばなくなる。

「お父さんに何度も村に行きたいと言った。だけど商売が大変だったから余裕がなかった。ここで会えてよかった、私はすごく幸せ」
「す、ステラ。ちょっと性格が変わり過ぎじゃないかな……?」
「そんなことない。これが普通。これでも控えめな方」
「これで……?」

 彼女は柔らかな部分を全力で押し付けてアピールしている。俺の思春期特有の勘違いだろうか。いやそんなわけない。
 ステラは一切手を緩めない。俺の目を見つめながらぐいぐいと体を押し付けてきている。
 こ、これで控えめって……本気を出されたら俺はどうなってしまうんだ……?

「リドゥも逞しくなった。今は冒険者……ランク2」
「あ、ああ。スモールドラゴンの討伐に行くんだけど、炎を防ぐ装備とかあればなーって……でも商人に対して信頼がないから情報すら教えてもらえないらしくて」
「誰がそんなこと言ったの。リドゥに信頼がないはずない。教えて、全力でやっつける」

 前の君だよ。とは言えず。

「ついてきて、リドゥは特別。教えてあげる」

 ここでようやく俺は熱い抱擁から解放された。もう少しあのままでも良かったと思わなくもないが、思春期にあれは厳しすぎる。
 彼女は俺の手を取って引っ張っていく。……なんで恋人繋ぎなんだ!!

「これ」

 そういってステラはテントの中に俺を連れていき、商品の一つを手に取った。
 真っ赤なマント。燃えるような赤は、どこかソリスの赤髪を思い出させる。

「……今別の女のことを考えた」
「い、いやそんなことないよ!?」

 じと、とした目でステラは俺を見る。なぜか否定しないとヤバいと思い、反射的に否定する。

「これはシルズフィアのマント。名前の由来は盾と炎だけど、この名前でちゃんと注文しないと買えない仕組みになってる」
「へえ……そうなんだ?」
「ギルドから言われた。そういうルール」

 曰く。
 ランク昇格において特定のアイテムが必要になることは多いらしい。そこで商人から簡単に情報を得られないように、ギルドから教えないよう通達が出ているらしい。正しく自分の欲しいアイテムを調べ、それを注文することで初めて商人から購入できる。ソリスが言っていた正しく能力を発揮するというのは、情報収集も含めていたのか。
 信頼を得るというのは情報を持っているということであり、そこを計るための試験でもあったのか……。随分解釈を間違えてしまった感は否めない。

「大丈夫。リドゥならきっと辿り着いてた。だから私が先に教えても問題ない。なのでこれを持って行っていい」
「え、タダで!?」
「タダ」

 ステラは頷く。いや商人としてダメだろ! 例え命の恩人だったとしても、そんなことしてたら商売が成り立たなくなるだろ!!
 俺は金ならたくさんあるんだ。タダで譲ってもらうのも申し訳なくて、ゴソゴソとポケットを探る。とりあえず手持ちの分は全部出そうと考えた。

「商人として、これでいい。リドゥはこれから高ランクになる。その時このマントを付けていてほしい。ここにうちの商団のマークがある」

 彼女は襟元を指さした。確かに星を象ったようなデザインがある。これがステラたちのロゴマークなわけか。

「……つまり広告ってことか? それならウィンウィンで有難いけど、俺が高ランクになるなんて保証どこにもないのに……」
「なる。商人は投資もする。価値を見極めるのも私の仕事。リドゥが高ランクになるのはもう決まっている」
「そ、そうかな……」

 薄暗いテントの中、彼女は俺の手を握ったままこちらをじっと見つめる。俺も外の喧騒が聞こえなくなるほど、彼女の瞳を見つめていた。
 思えばこんなに誰かに期待され、将来を信じられたのは初めてだった。ステラの真っすぐな瞳には、混じりっ気のない信頼があった。胸の奥から熱いものが込み上げる。
 俺はひ弱で、役立たずで、その癖生きていくのに食料を必要とする、ただのごく潰しだった。コンプレックスはやがて諦めになり、自らの境遇を呪うことさえしなくなっていた。そうでなければ耐えられなかった。人から期待されるなんて、意識する前から諦めていた。
 それが今。

「リドゥなら出来る。信じてる」

 彼女はそういうと、わずかに微笑んだ。

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