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057 050 ステラとクエスト、マージベア
しおりを挟む「リドゥ、大変なことになった」
「ああ……。……そうだな」
山中。木々に囲まれた土の上で、ステラがこちらへ引き返してきて俺の背に回り込んだ。
目の前には黒い巨体。立ち上がれば恐らく俺の倍は高いだろうという姿。
「グルルルラァッ!」
異常に発達した爪と、真っ赤に光る目。マージベア。
冬には冬眠しており出会う機会の少ないこの魔物は、今の季節、徘徊していること自体は珍しくもなんともない。獣道を進む中で、どうやらこいつの縄張りに入ってしまったらしい俺たちは、威嚇による歓迎を受けていた。
俺の背にしがみついたステラがポツリと告げる。
「リドゥ、聞いたことがある。山の中で熊に出会ったら死んだふりをするといいらしい」
「ああ…………」
「やってみる」
そういうとステラは俺の背から手を離し、リュックを下敷きにして仰向けに倒れた。死んだふりらしい。
精一杯目をつむり、プルプル震える様子は、可愛らしいが死んだようには見えない。牙を剥いたマージベアも、一瞬その牙を引っ込める程に困惑している。
「ステラ…………」
「死んでるから話しかけないで」
「……」
俺はマージベアと目を合わせる。互いに目を合わせると、ステラから距離を取り向かい合った。
彼女から出来る限り離れると、マージベアが立ち上がって両手を上にあげた。巨体の影が俺を覆う。
返す俺も練術を込めた拳を握り、構える。
「グルルルァ!!」
「…………」
マージベアが俺へ爪を振る。だが、既に戦意の削がれた魔物の攻撃だ。とても遅い。
俺は練術を使ったままその爪を掌で受け止める。
熊の手と人間の拳がぺちりとぶつかる。
「…………」
「グル……」
「…………」
「グル……?」
「…………」
マージベアが困惑したように唸る。しばらくすると俺の匂いを嗅ぎ、その場をグルグルと歩き回り始めた。
俺は顔を上げてその様子を見ることが出来なかった。
「……お前は俺を助けようとして駆け付けてくれたんだ」
暫しの沈黙の後、俺はマージベアに言った。
「けど、その後何をしてもお前は黒くなってしまうんだ」
マージベアは困惑し、足を止める。
「色んなところからやり直したんだ。死霊術師を先に倒したり、他の魔物が近寄れないように洞窟を破壊して埋めたり、色んなことをしたんだ」
「……」
「だけどお前は俺を助けに来るし、変異体の引力からはそもそも逃げようがなかった。ステラの元に居ても、お前は黒くなるんだよ」
「……」
「お前がステラの元に居て、尚且つ死霊術師を先にやっつけて、その上で変異体に煌々練波を浴びせ続けて……それでも、ダメだったんだ」
マージベアは何かを察したように蹲っていた。
「もう、この場所しかなかった。ここからやり直す方法しか浮かばなかった」
「……グル」
俺は練術を解かない。
「お前との出会いをなかったことにする」
「グルル……!」
マージベアは牙を剥く。四つん這いのままこちらを睨みつけ、今にも食い掛らんばかりだ。
「来い、魔物め。倒してやるぞ」
「グルルルルラァ!!」
マージベアが飛び掛かって来る。俺は避けない。
爪が俺に振りかかる。俺は避けない。
牙が俺の顔面の前に。俺は避けない。
避ける権利なんてない。目を逸らすことも許されない。このマージベアは俺を知らない。だが俺は知っている。
こいつがただ魔物として俺を襲おうとも、俺はそれを享受したい。
怒りなんて感情をこのマージベアは覚えない。だけど、俺が俺を許せない。だから。
だから、一思いにやってくれ。
「グル」
「………………ジベ」
だが、俺の期待と裏腹に。
そのマージベアは俺の頬の雫を舐め取ると、踵を返して山の中へと帰っていく。
「ジベ……!」
本当は分かっていた。
こいつがもう、今の時点でステラのことを気に入っていて。俺のことも少し信頼し始めていた。
こいつが本当は、俺たちの冒険に付いてくると決めていたのを、俺は分かっていた。
「ジベぇ……っ!!」
マージベア。山の中にいる魔物で、それ程特別な存在でもないただの魔物。
冬には見かけず、それ以外の季節には割とどこでも見かけるような、ただの厄介な魔物。
その悪食からどんなものでも食べ、魔石を食らうと変異を起こして魔炎の元にまでなってしまう。ただの厄介で危険な魔物。
俺はそんな、かけがえのない存在との歴史を。
「なかったことにして、やり直す」
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