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嫁小姑問題
しおりを挟む日中の激務でへろへろになりながら、やっとの思いで帰宅し、家のドアを開けると、中学生くらいの見た目をした女の子が目の前に仁王立ちしていた。
だ、誰だろう…………?
黒のおかっぱが印象的で、迂闊に触れてはいけないような、不思議な雰囲気を纏っている。きっちりと着こなした派手な柄の着物が更に現実味を無くし、直感的に伊呂波絡みの存在なのだろうと感じる。
「………………へ?」
女の子は朝陽を一瞥し、一回大きく舌打ちをすると奥へと駆けて行ってしまった。
対面でこれほどの態度を取られた経験は多くはない。朝陽は言葉を失った。
何か気に触るようなことをしてしまったんだろうか。
「あ、おかえりなさい」
唖然として立ち尽くしていると、部屋から伊呂波が顔を出した。伊呂波はいつもと変わらない。
そもそも伊呂波は何があってもそうそう態度を変えることはないので、あてにはならないが。
朝陽は説明者を求めるべく、茶色のイタチを探した。が、視界にそれらしい影は見当たらない。割と伊呂波の傍にいる印象だったが、今はどこかに行ってしまっているようだ。
仕方ない。
朝陽は伊呂波に質問を投げかけた。
「今、女の子が居たんだけど……」
「うん。八千代(やちよ)が遊びに来てる」
「八千代……ちゃん?」
「そう。僕の末の妹」
「妹………………」
まず初めに、朝陽は伊呂波に兄妹がいた事実に驚いた。イタチである玄のことを『家族』と言っていたくらいだし、同属の家族がいるとは思っていなかった。よく考えれば古今東西様々な神様には家族がいることが多いが、伊呂波はそんな素振りは一切なかった。そもそも伊呂波が自分のことを話すことはあまり無く、話したくない理由でもあるのかもしれないと、朝陽も話題に出さなかった。
そうやって、無意識に線引きをされていたのだと少しだけ寂しくなる。
「あ、そうなんだ」
卑屈になりそうになるのをなんとか堪え、出来るだけ笑顔で相槌を打つ。これに関しては聞かなかった朝陽にも原因はある。
「少し騒がしくなっちゃうかもしれないけど、すぐに帰らせるつもりだから──」
ここは元は伊呂波の家なので、追い出すつもりは毛頭ない。いくら初対面で舌打ちをかまされたからと言って、形式上ではあるが、夫の兄妹を邪険にはできない。
あれ? 伊呂波の兄妹ってことは。
朝陽は思い付いたように息を吐いた。
もしかして、これが世に言う嫁小姑問題か!?
しかも、余りの衝撃に流してしまっていたが、伊呂波は、僕の『末の』妹と言っていた。
つまり、朝陽には現在複数の小姑が存在していることになる。
「…………」
結婚した友人からそれに関しての愚痴は散々聞かされていた。もしかしたらいつかは自分もそうなるのかもしれないと、ぼんやり思っていたが、いざその現実を突き付けられるとどうしたら良いのか分からない。
友好的な関係を築こうにも、既に特大の舌打ち先制攻撃を食らっていて先行きは不安だらけだ。
それでもなんとか、友好的、とまではいかないまでも知り合い、くらいの立ち位置では収まりたい。そう思った朝陽は心を決めて伊呂波に笑顔を向けた。
「じゃあ、あたし、何か作るね! 八千代ちゃんは何が好きか教えてくれる?」
「朝陽は気を使わなくていいよ! 八千代がいきなり来たんだから」
「でも、ちゃんとおもてなししたいし。今、家にあるものだと用意できるものも限られちゃうけど……」
朝陽は冷蔵庫の中身を確認するべく、靴を脱いで家に上がった。すると、伊呂波の背後から八千代が顔を出した。
「ちよは人間の作ったものなんか食べない」
「八千代!」
「そもそも食事なんて必要ないのに、くだらないことに付き合わされて、兄様可哀想」
必要ない、って……?
「兄様は優しいから断れなかったのね……」
「そんなことは……!」
否定する伊呂波の声が段々と小さくなっていく。否定するならもっと力強く否定して欲しい。そう思うが、これは伊呂波が嘘がつけない裏返しでもある。
つまり、伊呂波に食事は必要なかった。
人間ではないのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、伊呂波は一言も言ってはくれなかった。
その事実が重くのしかかる。
もしかしたら、八千代の言う通り、今まで無理強いをしてしまっていたのかもしれない。
今までの行いが全て無駄だと分かってしまった時の虚しさで心臓が痛い。
「違うよ! 僕は朝陽の料理いつも楽しみにしてたよ!」
「でも、必要もない食事を勝手に用意して、人間はいつも見返りを求めるじゃない。そんな茶番に付き合わされるのって迷惑よ」
「僕は迷惑だなんて思ってない」
ショックを受ける朝陽に伊呂波は大きな声で反論する。もちろん、そこに嘘は混じっていないだろう。伊呂波の必死な形相に朝陽は胸打たれた。
今はとにかく伊呂波の言葉を信じるしかない。八千代がなんと言おうと、一番最初に耳を傾けるのは伊呂波しかいない。
朝陽は唇に力を入れた。
「じゃあ、他に八千代さまが好きなものってありますか?」
「…………え?」
「…………え?」
朝陽の思いがけない質問に、高飛車な態度を取っていた八千代が虚をつかれたような顔をした。伊呂波も同じく固まり、一気に静まり返った。
「料理はいらないとの事なので、他に何かできないかなと思いまして」
こんな嫌味の一つや二つに負けていられない。ここで朝陽が喧嘩腰になってしまえば、それこそ相手の思う壺だ。意地でも友好的な態度を貫いてみせる。
「何かないですか?」
声が出ない八千代に遠慮なく詰め寄る。八千代が気圧されている、そう感じると朝陽はどんどん調子に乗り始めた。慌てる八千代の顔は外見の年相応で少し可愛く思えてくる。
「言ったな、人間!」
追い詰められて爆発したのか、八千代は突然大きな声を出した。八千代の反撃に朝陽は少し怯む。
「じゃあ、ちよが満足するまでもてなしなさい!」
何を言われるのかと構えていたが、どうやらまだプランは決まっていないらしい。大きな態度の割には行動が幼く可愛い。小姑として見ていて緊張していたため、どう接したらいいのか迷っていたが、子ども相手だと思えば気が楽になる。
朝陽は少し見えた勝ち筋を頭の中で描きながら力強く返事をした。
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