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八千代チャレンジ

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「ちょっと人間! ちよは甘いものが食べたいって言ったの! こんなに黒くて得体の知れないものなんか怖くて食べられない!」

 八千代はテーブルに置かれた皿を指差し文句を言い出した。ダンダン、と両手で拳を作りテーブルを叩く。行儀が悪いことこの上無い。朝陽はため息をつくと、八千代の傍まで近寄った。

 八千代がこの家に突然やって来てもう三日になる。
 開口一番、人間が作ったものなんか食べないと、言い張っていたのにも関わらず、伊呂波が朝陽の用意した食事を美味しそうに食べるのを眺めていくうちに、段々と考えが変わったらしい。初めはそれとなく控えめに主張していたのに、今では大声で注文してくる。
 そんな態度も慣れてしまえば可愛く感じる。

「得体の知れないものじゃないですよ。おはぎって言います」

 朝陽は皿に乗ったおはぎを手に取り、安全性を主張するように一口食べた。背後で伊呂波がもう待てないといった様子でそわそわしている。

「はい、伊呂波の分」

 朝陽が伊呂波の分を取り分けると、目を輝かせた伊呂波はさっそく食べ始めた。
 兄の無邪気な様子に顔を顰めた八千代は渋々おはぎを手に取った。

 神様へのお供えものと言ったら、おはぎやお団子だよね、と伊呂波に和食を作った時のような決めつけで選んだが、このくらいの女の子だったらケーキの方が良かったのかもしれないと朝陽は思った。
 実年齢は知らないが、どうも八千代の好みは外見年齢に比例しているような気がする。

「不味い!」

 言いながら八千代は二個目に手を出した。ここまでくると愛しさしか感じない。どんなに憎まれ口を叩かれても顔が緩んでしまう。その緩んだ顔を八千代に見られた日には激怒されるだろう。朝陽はバレないうちに顔を引き締めた。

「本当に不味い!!」
「八千代……」

 憎まれ口は止まらない。伊呂波が朝陽の顔色を窺うように視線を寄越した。

「朝陽、ごめん……そろそろ八千代には帰って貰うから……」

 伊呂波が耳元で囁いてきた。突然の行動に反射で避けてしまう。
 大きな声が出そうになるのを我慢して、朝陽は八千代に聞こえないように声を落とした。

「だ、大丈夫! あたしが言い出したことだから最後まで頑張らせて」
「でも……」
「それに、あたし結構八千代ちゃんのこと気に入ってるんだ」

 朝陽が笑いかけると、伊呂波は意外そうな顔をした後、柔らかく笑った。
 伊呂波の笑顔が好きだと思う。
 最近はやけに伊呂波の好きな部分が目についてしまうようになった。行動を目で追っては、ここが好き、ここも好き、などとはしゃいでしまう。その好意はどういった種類のものなのか、朝陽は分からないまま保留にしている。

「朝陽がそう言うなら……」

 相変わらず伊呂波は朝陽を尊重してくれる。その優しさに応えたいと思う。

「人間!」
「八千代さま? あたしは人間じゃなくて朝陽って名前があるってお話ししましたよね?」
「ちよに名前を呼べと? 神であるちよに?」
「人間には人間なりに矜持がありますので」

 はっきりとした態度を示せば八千代はそれ以上食い下がってこない。下手に出続ければ調子に乗るところは本当に子どものようだ。

「じゃあ、あさ、おかわり!」
「あさ、って?」
「あさで充分でしょ」

 どうしても名前を呼びたくないらしい。しかし、本人は気にしていないようだが、ほぼ名前を呼んでしまっているのはいいのだろうか。
 朝陽はじわじわと込み上げてくる笑いを堪えながら台所に追加のおはぎを取りに行った。

 戻って来ると、八千代が伊呂波の腕に絡みついていた。
 状況が全く分からない。朝陽は首を傾げながら近付いた。

「八千代、ダメだって!」
「なんで!?」
「これは朝陽に貰ったものだから!」

 あたしがあげたもの?
 心当たりが一つしかないが、八千代はその心当たりを引っ張って伊呂波の腕から外そうとしてた。

「あさ、これ、ちよに頂戴!」

 八千代の手には茶色のヘアゴムが握られていた。とても女の子が欲しがるようなものには思えない。

「そんなヘアゴムが欲しいの?」
「そんなって……! これは僕の宝物だよ!?」

 伊呂波が欲しがった時も不思議だったが、神様は人間とは趣味が違うのだろうか。

「これは、外見を変えるものだろう?」
「うーん、まぁ、そうですかね」

 化粧やおしゃれに比べて、外見を変える力は弱いが、大きな括りで言えば、そういう部類のものだろう。
 そこまで考えて、朝陽は一つの結論に思い当たった。

「あっ、」

 朝陽は立ち上がると自分の部屋へと向かい、自分の荷物の中から小さなポーチを取り出してきた。黙って見ていた八千代だったが、朝陽がポーチから取り出したものを見て、あからさまに瞳を輝かせた。

「八千代さまにはこっちが似合うと思いますよ」
「朝陽? これはなに?」
「あたしが昔使っていた……シュシュっていう髪留めなんだけど、ちょっと年齢的に可愛過ぎる気がして使えなくなっちゃってて」
「年齢的にって? 朝陽は昔も今も可愛いよ?」

 伊呂波は意味は理解していないのにも関わらず、朝陽の卑屈な雰囲気を感じ取って即座に褒めてくる。
 伊呂波に他意はないのだからいい加減慣れないと、と思うのに中々上手くいかない。

「とにかく! どうかな?」
「ちよに使い古しを押し付けるつもり!?」
「そういうつもりはなかったのですが……でも、言われてみればそうですね。失礼しました」

 言いながら仕舞おうとする。と、腕を掴まれた。朝陽は悪い笑みを浮かべると手を止めた。

「どうしました?」
「これはどうするの?」
「そうですね、もう使う気はないので、捨てるしか──」
「ダメ!」
「でも、」
「ち、ちよは神だから人間の願いを叶えるのが仕事なの! あさがどうしてもって言うなら貰ってあげてもいいけど!?」

 やはり素直に欲しいとは言えないらしい。しかし、分かってしまえば八千代はとても扱いやすく、面白いくらい掌で転がせる。

「本当ですか? 嬉しいです」

 大袈裟に感謝すれば鼻高々で満足げに笑顔になる。一連の流れをハラハラと見つめていた伊呂波に隠れてピースをすると、噴き出すように笑った。
 今のあたし、八千代ちゃんと同じくらい誇らしげだったかも。
 少しだけ恥ずかしくなったが、伊呂波と八千代が楽しげにしている光景を見ていると、いつの間にか羞恥心は消えていた。
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