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【後日談】草食系神様の備忘録【1】

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 朝陽と伊呂波はまた二人の『決まりごと』を作るべく、布団の上で膝を突き合わせていた。
 前にも見たような光景だが、今回は朝陽が自分自身の気持ちに気付いている分、議論が難航していた。
 そんな複雑な乙女心を理解できない伊呂波は現状が飲み込めず、とりあえず朝陽の言うことを聞いて、正座をさせられていた。

「今まで一緒に寝ていたけど、今日からまた部屋を分けようと思う」
「え、なんで!?」

 突然の宣告に伊呂波は身を乗り出した。朝陽はすかさず顔を背けて下を向いた。

「やっぱり、節度は大事だと思うから……」
「今まで一緒に寝てたのに? どうして今更?」

 納得いかない伊呂波は更に詰め寄った。朝陽は上目遣いで伊呂波を見ると、小さく口を開いた。

「だって……今までは、子どもの姿だったし…………」
「姿は変わっても僕は僕だよ?」
「知ってる、けど……」

 朝陽がなにを気にしているのか分からず、伊呂波は自身の身体を見回した。
 子どもの姿で現世に戻ってきた伊呂波は、徐々に力を取り戻し、朝陽の身長を越す程度にまで成長していた。人間で言えば十五歳くらいだろうか。大人でもなく、子どもでもない中途半端で無敵な時期だ。
 と言っても外見年齢でしかないので、中身は変わらず伊呂波のままなのだが、成長するにつれてなぜか朝陽は伊呂波から距離を置くようになった。

 訳も分からず距離を置かれ、極め付けには朝陽から提案してきた添い寝すらも拒否されてしまった。はい、そうですか、とお行儀よく納得できるはずがない。


「もしかして僕のこと嫌いになった!?」

 言ってから、伊呂波はハッとする。思い返してみれば、朝陽から好意を伝えられたことは一度もない。自分の思いが一方通行だったと言うことに今更気がついてしまい、愕然とする。

「そうじゃない! そうじゃないけど、今は無理!」

 今、とはいつまでのことを指すのだろうか。不服そうに居座ろうとする伊呂波を朝陽は無理矢理自室から追い出した。

 隣の部屋に追い出された伊呂波は、自分用の枕を抱き締め、口をへの字に曲げた。足元ではイタチ姿の玄がニヤニヤとしながら纏わりついてきていて、ざらざらとした毛並みがくすぐったい。腹立たしいことに変わりはないが、人間の姿に煽られるよりは幾分かマシに思えたので放置することにした。

「なんで急に……」
「それが分からないからいつまで経っても家族ごっこし続けてるんだろ」
「家族ごっこって! 僕と朝陽は正真正銘の夫婦だよ!」
「はいはい」
「そういう玄は、朝陽の気持ちが分かるの?」
「まぁな」

 勝ち誇ったような顔の玄に、悔しいが負けを認める。同じように人間に接してきたはずなのに、なぜか玄の方が人間についての造詣が深い。
 それでも、自分より玄の方が朝陽を理解している状況が気に入らない。
 どうにかして玄よりも優位に立たなくては。そのために手段は選んでいられない。

「ヒントかなにか……」
「自分で考えろ」
「えぇ……」

 呆れた様子の玄は纏わりつくのを止めると、ため息を吐きながら部屋を出て行ってしまった。プライドを捨てて聞いたのにあまりにも情けない。
 伊呂波は仕方なく、朝陽の部屋の隣で寝ることにした。壁の向こうで眠る朝陽に思いを馳せながら瞳を閉じた。

 自分はこんなにも朝陽を想っているのに、中々伝わらない。どこで間違ってしまったのだろう。
 ぐるぐると思考を巡らしながら、伊呂波は知らず知らずのうちに精神の中に深く沈んでいった。

***

 化け物、と血走った目の女に叫ばれた。長い髪を振り乱しながら向かって来る。初めて感じる人間からの強い拒絶に伊呂波は言葉を失った。
 女は手に持っていた茶碗を投げつけてきた。伊呂波の頭にぶつかり、床に落ちる。派手な音がして砕け散った様を見て、女は少しだけたじろいだ。
 伊呂波は痛みを感じていない自身の頭に触れ、次に心臓に触れた。投げつけられたのは頭なのに、どうしてか心臓の方が痛い。
 なんでだろう、そう考えているうちに、女は家から逃げ出してしまった。

 思えばあの時から、色々なことを諦め始めたんだな、と伊呂波はぼんやりと思った。
 人々に信仰され、人々に尽くすことが伊呂波の喜びだった。何百年もそうして自身の存在理由を肯定し続けてきた。しかし、女を筆頭に、人々は伊呂波を必要としなくなっていった。

 寂しい、と思っても、その声はどこにも届かなかった。否、届けてはいけないのだ。なぜなら神とはそういう存在で、時代の流れには決して逆らわず、その身を委ねなければいけない。

 このまま、誰にも必要とされずに消えていくのだと思っていた。天界に戻れば多少の時間的猶予は生まれると八千代から聞いたが、ずっと人間の傍にいた伊呂波にとって、最後の瞬間まで人間と共にいたいと思った。
 そして、そういう選択をした。

 衰えていく意識の中で、いつもと違う音を聞いた。それは自分のために催されている夏祭りの音だった。
 もう来年は聞けないかもしれない。そう思うと、自然に足が音の方へと動き出した。
 この時、伊呂波にはもう力が残っていなかった。本来の姿を維持するのは困難で、仕方なく子ども姿のまま会場に向かう。
 少しだけ見て、懐かしい気持ちに浸り、満足して帰ろうと思っていた。

 あの子に声をかけられるまでは。
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