相槌を打たなかったキミへ

ことわ子

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相槌を打たなかったキミへ【3‐3】

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「あー、もうそろそろいい時間か……」
「え、もうそんな時間……?」
 
 腕時計を見ると、十八時を過ぎていた。
 今日はお店は定休日だと言っていたが、夜から約束があるとも言っていた。
 俺はカメラのレンズにキャップを被せ、帰り支度をし始めた。
 と、苗加のジャケットのポケットからスマホの通知音がした。

「あれ? マナーモード切れてる……」

 言いながら、苗加はスマホを取り出した。画面に映し出された文字を確認し、一瞬僅かに瞳を見開いた。

「急がないとまずいとか? あれだったら先に帰ってて貰っても大丈夫だけど……」

 俺が言い終わる前に、苗加はスマホから視線を外すと首を振った。

「あ、ううん。大丈夫。……ちょっと返信だけしちゃうね」

 もう撮影は終わったのだから、先に帰って貰っても一向に構わなかったのだが、苗加はその場でスマホに視線を移した。
 俺はカメラをバッグにしまうと、持ってきた機材を見た。またあの大荷物を持って歩くのかと思うと気が滅入る。しかも今回に至っては何一つ使わなかった。まさにお荷物。
 げんなりしながら苗加の方を見ると、何やらまだやりとりをしている。少しだけ焦っているように見えたのは俺の気のせいだろうか。

「ごめん、待たせちゃった」
「大丈夫だけど。話纏まった?」
「あー……うん」

 歯切れの悪い返答に、心配の言葉をかけようとして、やめた。

「じゃあ行くか」

 俺は機材を全て担ぐと歩きだした。そのすぐ後ろを苗加が付いてくる。
 来た時と全く同じ状況になんだか面白くなる。
 雑木林を抜けて、神社の正面に出る。この辺りまで来ると夕方の散歩中の老人や部活帰りの高校生たちの姿が見え始める。日中よりもむしろ活気づく境内にお祭にも似た空気を感じる。
 苗加はというと、この雰囲気にもう慣れたのか、スマホを覗きこみながら俺の横を歩いていた。
 歩きスマホは危ないな、と思いつつ、俺が見ていれば大丈夫か、と気に掛けていると、苗加が突然大きな声を出した。

「え!?」
「うわ、なに!?」
「あ、ごめん……」

 驚いた俺に一応は謝ったが、それよりも気もそぞろな様子で辺りを見回した。

「なに? どうした?」
「いや、ちょっと……」

 苗加が何か言うのを遮るように背後から声が掛った。

「ヒロム!」

 え、と思う間もなく、横にいた苗加がすばやい動きで振り向いた。
 遅れて、俺も声がした方を向く。

「あ……」
「ここにいたんだ」

 優しそうな笑みを浮かべて、俺たち近付いてくる男の人は、五十そこそこの見た目をしている。神社の境内にそぐわない上下黒のスーツに太めの金のネックレスは、一目で苗加の仕事の関係者だと分かる。
 年の印象の割には背筋がぴしっと伸びていて、そこはかとなく威圧感すら感じる。

「オーナー……」

 苗加の呟きを拾ってようやくこの人が誰なのか理解する。
 苗加のお店のオーナー、つまり間接的に今回の撮影の出資者だ。

「あ、」

 挨拶をしようと口を開けると、オーナーと呼ばれた男は俺にわき目も振らずに苗加の前に立った。

「なんで、場所……」
「ん? アプリ入れておいたから」
「あ、そうなんですか……」

 オーナーはぼそぼそと話す苗加とは間逆に、穏やかな声でしれっとそう言う。
 従業員の管理の一環なのか? とも思わないでもないが、少しやりすぎな気もする。
 まぁ、夜の世界のことは俺には分からないから、もしかしたら常識なのかもしれない、と流すことにした。考えたところで真実は分からない。
 会話の内容に付いていけない俺が気まづそうに突っ立っていると、ようやく俺のことを認識したのか、オーナーがこちらを向いた。

「あ、こちらカメラマンの都井さんです」

 苗加の随分と他人行儀な紹介の仕方に違和感を覚える。

「ああ、君が! この前のヒロムの写真、すばらしかったよ!」
「ありがとうございます」

 そう言えば、この間の写真が評価されて今回の誕生日会の写真を撮ることになったのだと思いだす。
 人から評価されるということは何回経験しても舞い上がってしまう。仕事に繋がったとなれば尚更だ。
 何だか妙な雰囲気な人だと思っていたことも忘れて、俺は笑顔を向ける。

「私はヒロムの店のオーナーをしている江草です。今日もヒロムがお世話になったみたいだね」
「あ、いえ。ヒロムさんは、被写体としてすごく優秀なので撮り甲斐があります」
「そうでしょう、そうでしょう!」

 自分の店の従業員が褒められたからなのか、江草さんは大きく頷きながら笑った。
 ホストクラブのオーナーはもっと、言ってしまえば反社のような人物を想像していた。が、目の前にいる江草は人当たりが良く、おっとりとしている。

「もし都井くんさえよかったら、今後もうちの店の子を紹介してもいいかな?」
「え、本当ですか!?」
「腕のいい人材には予約を入れておかないとね」

 大口の客が釣れたと内心ガッツポーズをする。苗加との再会に感謝の気持ちを噛みしめる。

「そろそろ時間だ。行こうか」
「あ、はい……」

 言うなり、江草さんは苗加の腰に腕を回した。
 突然の光景に思わず声が出てしまった俺は、慌てて口を塞いだ。
 江草さんはふふ、と笑って小さく口を開いた。
 
「そういうことだから、内緒ね?」
「あ、あはい」

 どもりながら返事をする俺を尻目に、二人は並んで歩き始めた。最後に苗加に挨拶しようと思ったが、どうやらそんな雰囲気でもない。
 寄り添うように並んで歩く二人を見たどけた後、我に返って自分も帰路につく。
 苗加はゲイ。
 そんなこと、分かっていた筈なのに、いざ目の当たりにすると少しだけモヤモヤしている自分がいる。
 近くなったと感じていた苗加との距離が、また開いてしまったような感覚に、言い表せない感情を覚えた。
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