相槌を打たなかったキミへ

ことわ子

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相槌を打たなかったキミへ【5‐2】

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 ***

「あれ? ヒロムさんもう席に戻ったんですか?」

 ナナトの声を聞くと心底安心するようになってしまった。

「客が待ってるんだと」
「あ~、今日に限って来てるのあのお姫様だしなぁ……、長く席を空けるのは器用なヒロムさんでも厳しいか~」
「あのお姫様って?」

 苦虫を噛み潰したようなナナトの表情が気になり聞いてみる。
 ナナトは自分用に見繕ってきたのであろうオムライスを頬張りながらスプーンをくるくると回した。

「ヒロムさんのエースの子……あ、エースって所謂太客のことなんですけど、その子が来てて……」

 そういえば、苗加にシャンパンタワーの写真を見せて貰った時に、エースの子も一緒に写っていたのを思い出した。ヒラヒラした服を着た女の子。顔は隠れていたが、まだ幼そうな雰囲気が漂っていた。

「その子、見たことあるかも……、ヒロムに見せて貰った写真に写ってた」
「マジっか! 顔結構可愛いですよね!」
「いや、顔は隠れてて分からなかったけど、まだ若そうな感じだったな……。よくホストクラブで遊べる金あるなぁ……」
 
 俺にとっては些細な疑問を口にしただけのつもりだったが、ナナトは驚いたように俺を見た。

「そんなの、あるに決まってるじゃないですか!」
「え、そんなに有名な子なのか……?」
「うちらの業界では有名ですよ! 元々良いとこのお嬢様で親から沢山お金貰ってるのに、更に風俗までしてて、気にいられたらナンバー入り確実って噂です……!」
「は…………?」

 楽しそうに語るナナトの顔を直視できない。

「ちょっと待て、風俗……?」
「あー、なんの風俗かまでは分かんないんですけど」
「いや、そうじゃなくて! あんなに若い子が風俗? 何かの間違いじゃなくて?」
「風俗嬢なんてみんな若いじゃないですか……!」
「知るか」

 さも当然と言うように同意を求められるが、すぐに否定する。

「あ、ちなみにオレも風俗とか行ったこと無いですけど、お店に来る風俗嬢のお姫様は多いんで、若い子多いんだろうなって思って」
「ヒロムは……その、エースの子がそういう仕事してるって知ってるのか?」
「当たり前じゃないですかー!」

 否定してくれ、という願いは届かず、まるで良心をどこかに捨ててきた笑顔でナナトは肯定する。

「むしろ、ホストは自分のお姫様をそういう仕事をするように誘導しますよ! ヒロムさんがはっきり誘導したかは分からないですけど、現にあの子は風俗をしてるからヒロムさんのエースをやれてるんで」

 狂ってると思った。
 嘘で塗り固められているだけじゃない。ここには倫理観も存在しない。
 そんな場所に染まってしまった”知り合い”を俺はどうすることもできない。

「たまーに、ガチの資産家の人が来たりしますけどね。そういう人には一般のお姫様がいくら頑張っても敵わないですよね~。それがヒロムさんがナンバー1じゃない理由なんですけど」
「どういうことだ……?」
「うちの店のナンバー1のエース、とんでもないお金持ちらしいんですよ」

 ナナトは内緒話をするように、耳元で声を落とした。

「だから最近ヒロムさんのエースが頭にきちゃってて。メンタルやられちゃってる日も多くて、店内なのに枕強請りはじめたりとか……」
「…………」

 言葉が出ない。

「ヒロムさんが一生懸命宥めたりするんですけど、暴れることもしょっちゅうで。もう諦めてアフターからの枕しちゃえばいいのにって思うのに、頑なに拒否するんですよねぇ~。エースだし、顔可愛いし、アリだと思うんだけどなぁ……」

 ナナトの呟きが残酷に感じる。
 苗加が枕営業をしない理由を俺は知っている。知っているからこそ、複雑な気持ちになる。
 俺も安直に仕事なんだからアフターくらいすればいいのに、と思っていた。それをすることで苗加がどんな気持ちになるかなんて考えてもみなかった。
 
「あ、でも、ヒロムさんのエースになりたい子って沢山いるんで、別にあのお姫様に頼らなくてもいいやって感じなのかもしれないですけど。メンタル弱いお姫様の相手はこっちのメンタルも削れるんですよねー」

 ナナトの話を聞けば聞くほど、近くなれたと思っていた苗加との距離がまた離れる。
 俺の一歩的な感情で、苗加との距離を測るのは良くないと、そう思いながらもやめられない。
 出来るなら、こんな場所から逃げ出して欲しいと思う。協力が必要なら、協力したいとも。
 ただ、その感情全てが単なる俺のエゴだと、分かっているから、俯くしかなくなる。
 見ないように、聞かないように、入り込まないように、ブレーキをかける。
 なんだか、全部が気持ち悪い。

「やっべ……! 今の話内緒にしてもらえます……? ヒロムさんに余計なこと喋るなって釘刺されてたの忘れてて……!」

 俺の変化に気付かず、ナナトが元気に声をかけてくる。
 その声が頭に響く。反響するそれは、不快感を伴って身体中に根付き始める。

「あれ……都井さんー? おーい」

 ナナトの声が遠くに聞こえる。
 何かがおかしい。そう自覚した時には既に遅く、猛烈な眠気と共に視界が揺れ始める。
 視界の端に、気を紛らわすためにペースも考えずに飲み続けたシャンパンのボトルが目に入る。
 シャンパンの度数が以外と高いことを、恥ずかしながら今初めて知った。
 
「都井さーん!」

 ナナトの俺を呼ぶ声だけがかろうじて聞こえる。
 意外と酒に弱かったのか、はたまたコンディションが悪かったのか、検証する間もなく、俺は前のめりに崩れ落ち、テーブルに派手に頭を打ち付けた。
 多少の痛みは感じたものの、起き上がることも出来ずに、そのまま俺の記憶は途絶えた。
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